残暑お見舞い申し上げます。「残暑見舞い」とは、立秋(今年は8月7日だったそうです)以降、「まだ暑い」感が残る時期にするものだそうです。
この週末の日本お天気をネットで見ますと、「残暑」というよりは「まだまだ酷暑中」という気がしてしますね。先週の木曜、新潟の三条市に住む友人が、Facebookで「三条市40度」と言っていましたし...
いやいや、暑いでしょうね。熱中症とか、まだまだ気をつけてください。と、ワタシは涼しいところで涼しい顔をして言っています。これは私が悪いわけではないので、ご容赦。
今回は、前回少し触れたダイエットについて書くつもりだったのですが、先週少しアイスランド的な?面白い体験をしましたので、そちらを優先させたいと思います。
経済再興の途上 レイキャビク
Myndin er ur Reykjavikurborg.is
先週の月曜日の午後のことです。月曜日というのは、多くの牧師さんにとっては「休養日」となっています。ただ日本の教会の牧師さんの場合は、月曜日も休養日にはならない、という忙しさにはまってしまっている方が多いことは承知しております。
そういう多忙を拒否する私は、月曜日に食料品の買い出しに出かけました。始めの二件の店で買い足りないものがあり、三件目のスーパーでレジの前に並んだのは、まだ午後二時前だったと思います。
私の前にはふたりくらい、後ろにもふたりくらいのお客さんが並んでいました。すぐ前のお客さんはまだ若いお母さんで、ベビーカーを押していました。ベビーカーの中は後ろからは見えませんでしたが、おそらく赤ちゃんが眠っているのでしょう。
その若いママは、買った品物をレジ袋ではなく、ベビーカーの下部に付いている小物用のラックに放り込んでいます。
こちらのレジ袋はビニール製で有料(一枚20クローナくらい)なのですが、環境保護の問題から、使用を制限するムードが世間で高まってきています。このママも無駄にお金を使いたくないか、環境保護に賛同しているのか、あるいは別にそういうことには関係なくレジ袋は必要ない、と思ったのでしょう。
ところが、カードでの支払いの時に、承認が降りなかったのです。おそらくはそのカードの期限内使用高が限度を越してしまった、ということだろうと思いました。レジの女の子がその前に「1800クローナ(くらい)」と言っているのが耳に入りましたので、1800円弱。それほどの金額ではありません。
で、ママはもう一回トライしましたがやはりダメ。「しょうがないわ」と言って、買った品物をベビーカーからレジのカウンターに戻し始めました。
私はその程度の額はキャッシュで持っていましたので(注:かなり珍しい人間になりつつあると思います。カード超普及のここでは、私の周囲には「キャッシュゼロ人間」が多いようです)、「貸してあげようか?」と迷いました。
「でも、若くて結構カワユイ女性だし、変な下心を勘ぐられるのもまずいしなあ...」とグジグジ私が迷ってしまった、その三秒間の間に、私のすぐ後ろにいた初老のマダムが「あたしが代わりに払ってあげる」とレジの女の子に申告したのです。
さすがにその若くて結構カワユイママは驚いたようで、「でも私、お金がないし、借りてもすぐに返せないからいいです」
マダムは「そんなこといいから」と問題にせず、「ちょっと失礼」と前に出てきて、自分のカードでそのママの支払いをしてあげました。
その後、私は缶詰の「もやし」四缶(生のもやしは高いのです)とグルタミンのサプリという自分のお買い物を済ませ、店を後にしました。若くて結構カワユイママは出口の前で、後ろのマダムがレジをすませるのを待っているようでしたから、おそらくその後、お礼を言ったか、お金を返す約束とかをしたことでしょう。
店を出た後で、私はなにか得をしたような、いい気分になりました。自分がママのためにお金を出さなくて済んだからではありませんよ。後ろのマダムが躊躇せずに、助けを申し出たことが、です。
前々回、「アイスランドはまだまだ『田舎社会』であって、表面上の優雅さには欠けても、内部には助け合いの暖かさがある」というようなことを書きました。今回の一件は、まさにそういう「田舎の暖かさ」の現れであると感じたのです。
この出来事載せてくれたDV紙
最近のアイスランド、経済の再興が進んでいます。それはいいことでしょうが、同時にそれは「お金」が出回ってきているということを意味します。そして「お金」は誰にとっても誘惑となります。
ここ数年来、レイキャビクは深刻な賃貸住宅不足に苦しんでいます。いや、苦しんでいるのは、賃貸住宅利用者、要するに「そうはリッチではない庶民」の人々です。中には、小さな子連れで路頭に迷いかねないような家族もあるのです。
その賃貸住宅不足の主要な原因に、住居の物件のオーナーが「ローカルへの賃貸より、ツーリスト用のゲストハウスの方が儲かる」として、それまでの賃貸住宅をGuesthouseへとどんどんリフォームしてしまったことが挙げられます。
これは一例ですが、社会が先進国化する一方で、「助け合う暖かさ」は影が薄くなり、「この社会の常識」から消えつつあるような気さえしていました。社会全体の展望としては、事実そうだろうと思います。
ですから、今回スーパーで、若いママをお助けしてくれたマダムは、そういう私の悲観的眺望に対して一矢を報いてくれたように感じたのです。マダムに感謝。「田舎の暖かさ」はまだ消えてしまったわけではなかった。
おそらく、そういう暖かさは、大抵のアイスランド人の心の中にはまだまだ残っているのでしょう。Facebookにこの出来事を簡単に紹介すると、ずいぶんlikeが付きましたし、翌日にはDVという新聞のネット版が、このことを紹介する記事を載せました。(DV紙は「家庭内暴力」とは関係ありませんよ)
その一方で気にかかったこともあります。「家に帰ってもお金ないから、返せない」: 若くて結構カワユイママはそう言っていました。ということは、カードはやはり限度額越えだったのでしょう。レジ袋を使わなかったのも節約?(これは論理の飛躍があります。もともとエコロジストかも)
先に述べた賃貸住宅難に加えて、若い世代の収入の低さも社会問題化しています。こちらでは大学で学ぶ若い人たちの多くが家庭を持っています。この世代の人たちの収入は、当然ながらバリバリとフルで仕事をしている人たちよりは劣ります。
これまでは、それでも家計のやりくりが可能であるような社会の仕組みだったのですが、現在では物価の上昇(賃貸住宅料金を含みます)や、様々な社会サービスでの自己負担料の上昇により、これらの世代の人たちの家計が火の車になることが多いようなのです。
テント暮らしを強いられるシングルマザーについて伝えるDV紙
こういうニュースを見ていると、やはり政治家や社会のトップにいる人たちにとって大切なことは「経済成長率」「より多くの海外よりの資本投下」のようなことであり、実際の庶民の生活の質の向上は魅力のないことなのだろう、と推せざるを得ません。要するに困っている人を「助けたい」とは思っていないようです。
せっかくの機会なので、DVの記事にはそういう主旨のコメントも載せてもらいました。同僚の牧師さんもコメントを加えてくれ「困っている人を助けるのは美しいことだ。でも、そういう困っている人たちが出ないような社会を作ることも、また大切なのではないか?」アーメン。ごもっとも。
社会とは生き物でしょう。いつも変化していきます。だから「昔はこうだった」と懐かしんでいるだけではダメで、いつも積極的に関与し、舵取りに口を出していく必要があります。
「舵取りに口を出す」のは直接政治に関わるものだけではないと思います。マスコミ、文壇、教育者、学生、高齢者等々、誰もが「口を出す」べきものなのです。もちろん私たち、牧師や教会関係者もです。
偶然遭遇した、スーパーでの小さな出来事。意外と心に刺さるものとなりました。でも、こういうの、好きです。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
この週末の日本お天気をネットで見ますと、「残暑」というよりは「まだまだ酷暑中」という気がしてしますね。先週の木曜、新潟の三条市に住む友人が、Facebookで「三条市40度」と言っていましたし...
いやいや、暑いでしょうね。熱中症とか、まだまだ気をつけてください。と、ワタシは涼しいところで涼しい顔をして言っています。これは私が悪いわけではないので、ご容赦。
今回は、前回少し触れたダイエットについて書くつもりだったのですが、先週少しアイスランド的な?面白い体験をしましたので、そちらを優先させたいと思います。
経済再興の途上 レイキャビク
Myndin er ur Reykjavikurborg.is
先週の月曜日の午後のことです。月曜日というのは、多くの牧師さんにとっては「休養日」となっています。ただ日本の教会の牧師さんの場合は、月曜日も休養日にはならない、という忙しさにはまってしまっている方が多いことは承知しております。
そういう多忙を拒否する私は、月曜日に食料品の買い出しに出かけました。始めの二件の店で買い足りないものがあり、三件目のスーパーでレジの前に並んだのは、まだ午後二時前だったと思います。
私の前にはふたりくらい、後ろにもふたりくらいのお客さんが並んでいました。すぐ前のお客さんはまだ若いお母さんで、ベビーカーを押していました。ベビーカーの中は後ろからは見えませんでしたが、おそらく赤ちゃんが眠っているのでしょう。
その若いママは、買った品物をレジ袋ではなく、ベビーカーの下部に付いている小物用のラックに放り込んでいます。
こちらのレジ袋はビニール製で有料(一枚20クローナくらい)なのですが、環境保護の問題から、使用を制限するムードが世間で高まってきています。このママも無駄にお金を使いたくないか、環境保護に賛同しているのか、あるいは別にそういうことには関係なくレジ袋は必要ない、と思ったのでしょう。
ところが、カードでの支払いの時に、承認が降りなかったのです。おそらくはそのカードの期限内使用高が限度を越してしまった、ということだろうと思いました。レジの女の子がその前に「1800クローナ(くらい)」と言っているのが耳に入りましたので、1800円弱。それほどの金額ではありません。
で、ママはもう一回トライしましたがやはりダメ。「しょうがないわ」と言って、買った品物をベビーカーからレジのカウンターに戻し始めました。
私はその程度の額はキャッシュで持っていましたので(注:かなり珍しい人間になりつつあると思います。カード超普及のここでは、私の周囲には「キャッシュゼロ人間」が多いようです)、「貸してあげようか?」と迷いました。
「でも、若くて結構カワユイ女性だし、変な下心を勘ぐられるのもまずいしなあ...」とグジグジ私が迷ってしまった、その三秒間の間に、私のすぐ後ろにいた初老のマダムが「あたしが代わりに払ってあげる」とレジの女の子に申告したのです。
さすがにその若くて結構カワユイママは驚いたようで、「でも私、お金がないし、借りてもすぐに返せないからいいです」
マダムは「そんなこといいから」と問題にせず、「ちょっと失礼」と前に出てきて、自分のカードでそのママの支払いをしてあげました。
その後、私は缶詰の「もやし」四缶(生のもやしは高いのです)とグルタミンのサプリという自分のお買い物を済ませ、店を後にしました。若くて結構カワユイママは出口の前で、後ろのマダムがレジをすませるのを待っているようでしたから、おそらくその後、お礼を言ったか、お金を返す約束とかをしたことでしょう。
店を出た後で、私はなにか得をしたような、いい気分になりました。自分がママのためにお金を出さなくて済んだからではありませんよ。後ろのマダムが躊躇せずに、助けを申し出たことが、です。
前々回、「アイスランドはまだまだ『田舎社会』であって、表面上の優雅さには欠けても、内部には助け合いの暖かさがある」というようなことを書きました。今回の一件は、まさにそういう「田舎の暖かさ」の現れであると感じたのです。
この出来事載せてくれたDV紙
最近のアイスランド、経済の再興が進んでいます。それはいいことでしょうが、同時にそれは「お金」が出回ってきているということを意味します。そして「お金」は誰にとっても誘惑となります。
ここ数年来、レイキャビクは深刻な賃貸住宅不足に苦しんでいます。いや、苦しんでいるのは、賃貸住宅利用者、要するに「そうはリッチではない庶民」の人々です。中には、小さな子連れで路頭に迷いかねないような家族もあるのです。
その賃貸住宅不足の主要な原因に、住居の物件のオーナーが「ローカルへの賃貸より、ツーリスト用のゲストハウスの方が儲かる」として、それまでの賃貸住宅をGuesthouseへとどんどんリフォームしてしまったことが挙げられます。
これは一例ですが、社会が先進国化する一方で、「助け合う暖かさ」は影が薄くなり、「この社会の常識」から消えつつあるような気さえしていました。社会全体の展望としては、事実そうだろうと思います。
ですから、今回スーパーで、若いママをお助けしてくれたマダムは、そういう私の悲観的眺望に対して一矢を報いてくれたように感じたのです。マダムに感謝。「田舎の暖かさ」はまだ消えてしまったわけではなかった。
おそらく、そういう暖かさは、大抵のアイスランド人の心の中にはまだまだ残っているのでしょう。Facebookにこの出来事を簡単に紹介すると、ずいぶんlikeが付きましたし、翌日にはDVという新聞のネット版が、このことを紹介する記事を載せました。(DV紙は「家庭内暴力」とは関係ありませんよ)
その一方で気にかかったこともあります。「家に帰ってもお金ないから、返せない」: 若くて結構カワユイママはそう言っていました。ということは、カードはやはり限度額越えだったのでしょう。レジ袋を使わなかったのも節約?(これは論理の飛躍があります。もともとエコロジストかも)
先に述べた賃貸住宅難に加えて、若い世代の収入の低さも社会問題化しています。こちらでは大学で学ぶ若い人たちの多くが家庭を持っています。この世代の人たちの収入は、当然ながらバリバリとフルで仕事をしている人たちよりは劣ります。
これまでは、それでも家計のやりくりが可能であるような社会の仕組みだったのですが、現在では物価の上昇(賃貸住宅料金を含みます)や、様々な社会サービスでの自己負担料の上昇により、これらの世代の人たちの家計が火の車になることが多いようなのです。
テント暮らしを強いられるシングルマザーについて伝えるDV紙
こういうニュースを見ていると、やはり政治家や社会のトップにいる人たちにとって大切なことは「経済成長率」「より多くの海外よりの資本投下」のようなことであり、実際の庶民の生活の質の向上は魅力のないことなのだろう、と推せざるを得ません。要するに困っている人を「助けたい」とは思っていないようです。
せっかくの機会なので、DVの記事にはそういう主旨のコメントも載せてもらいました。同僚の牧師さんもコメントを加えてくれ「困っている人を助けるのは美しいことだ。でも、そういう困っている人たちが出ないような社会を作ることも、また大切なのではないか?」アーメン。ごもっとも。
社会とは生き物でしょう。いつも変化していきます。だから「昔はこうだった」と懐かしんでいるだけではダメで、いつも積極的に関与し、舵取りに口を出していく必要があります。
「舵取りに口を出す」のは直接政治に関わるものだけではないと思います。マスコミ、文壇、教育者、学生、高齢者等々、誰もが「口を出す」べきものなのです。もちろん私たち、牧師や教会関係者もです。
偶然遭遇した、スーパーでの小さな出来事。意外と心に刺さるものとなりました。でも、こういうの、好きです。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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