レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

パリの余波...アイスランドにも

2015-11-29 05:00:00 | 日記
先日のパリでの同時多発テロ事件は、ヨーロッパ中に大きなショックを与えたようです。もちろんアイスランドにもです。テロの余波はいろいろな形で現れています。

そうした余波の中には「確かにもっとも」という納得できるものもありますし「それは違うんじゃないのか?」と疑念を抱かざるを得ないものもあります。

いくつかをご紹介してみましょう。

まず第一に、これは日本の皆さんの中にも指摘されていた方がいたようですが、パリのテロ事件の扱い方がニュースとしても市民感情的にも、他の同類の事件と比して随分大きかったのではないか?という指摘です。

これは正確には、パリの事件への反応が大きかった、というよりはヨーロッパ外で起きている事件への関心が少なすぎるのではないか?という指摘です。私はこれは「事実そうだった」と思います。

ただ、ヨーロッパ、特に西欧ではEUだのシェンゲン協定だので、ボーダーレス政策が進められてきましたので、ある意味では「ひとつの庭」という感覚がありますので、その分は人間的に考慮しなければいけないでしょう。

しかし、それにしても、です。パリ事件の前日に起きたベイルートでの二件の爆弾テロは四十人以上の犠牲者がでているにもかかわらず、ほとんど報道されませんでした。

昨年末のパキスタンのペシャーワル学校でのテロ事件では百四十人以上の、しかも子供が大半の犠牲者がでたにもかかわらず、こちらでのニュースの扱いは「これだけ?」という感じでした。これは私が本当にそう感じたのでよく覚えています。

加えて、イラクでの自爆テロやナイジェリアのボコハラン関係の事件もおざなりにしか扱われていませんが、これは日本のネット新聞などでも同様の感がしますね。

自分の生活圏との日常の関係が薄くなるにつれて、関心が薄れるのはいたしかたないことだと思います。私自身「では、なぜパキスタンの事件を覚えているのか?」と問われたら、やはり「アジアの国の出来事でアフリカよりは近いから」と答えざるを得ない気がします。

ペシャーワルの事件以外でも、例えば去年春の韓国のフェリーの沈没事故などがあまり大きく扱われなかった時には、「蚊帳の外かよ?」と嫌な気分にさせられました。

ですから、私の関心の度合いをアフリカの人が見たら「蚊帳の外かよ?」を突きつけられるでしょうね。関心がないわけではないし、どうでもいいわけでもないのですが、やはり近いところと遠いところでは、反応に差ができてしまいます。これは人間の持つ弱さとして受け止めるしかないように思えます。

さて、パリ事件の余波ですが、もうひとつの顕著な反応はイスラム教への嫌悪です。これは今に始まったことではありませんが、ヨーロッパ中で加速したようです。アイスランドでも例外ではありません。

敢えてタイトルは載せませんが、ある反イスラムのFacebookのページは事件後急にLikeが増えましたし、反イスラムの声の大音響がありました。

イスラム教には多くの問題(人権思想や民主主義とのコンフリクト)があることは確かですが、反テロがそのまま反イスラムになってしまうことには賛成できません。

十億いる世界のイスラム教徒の中で、テロを支援する思想を持っている人の割合は非常に少ないものと推定されます。問題は国家権力や武器をあやつれる階層にテロ思想がくっついている場合です。




建築予定のレイキャビクのモスク これはデザインコンクールの中の作品のひとつ
Myndin er ur RUV.is



先週、グリムスソン·アイスランド大統領が国営放送とのインタビューの中で、近年建築予定のレイキャビクのモスクについて触れ、「サウジアラビアがモスクの建築資金の援助を申し出ている。なぜ、サウジはアイスランドの一宗教団体に関心があるのか。よくよく考える必要がある。

そのような形で、国外からテロ拠点作りを目論む勢力が入って来る可能性は現実的だ」というようなことを述べました。

大統領としては、テロが他国の出来事ではなく、ここでも起き得る可能性を十分認識して現実的になる必要がある、ということを言いたかったようです。

しかし、建築予定のモスクがテロ活動の拠点になり得る、と述べた時点で彼は現在ここに滞在するムスレムの人たちすべてが、そのテロの目論見に加担しているかのような印象を国民に与えてしまいました。

当然、あちこちで発言を疑問視する声が上がりましたし、私もネットのニュースで尋ねられましたので批判しました。大統領という立場を考慮すれば、「今、ここにいるムスレムの市民がそのようなテロ思想に加担しているわけではないが」という注釈が絶対不可欠だったことは明らかだと考えました。

パリのテロ事件の余波は、このほかにも国境警備の見直しを求める声、「ボーダーレス」の基礎となっているシェンゲン協定からの離脱を求める声、難民受け入れの拒否の声(テロリストが偽装難民になっているかもしれないから)等々となって拡がっています。

混乱する状況であることは確かですし、テロという暴力をなめてかからないことも重要でしょう。ただ、自分が立っている原則を確認し、そこから何が「悪」であり何がその「原因」であるのかを問う必要があると思います。

さもなければ、テロ事件の無実の二次被害者、三次被害者を出すことになってしまうかもしれません。そうすると、そこからまた「憎悪」がうまれてきてしまいます。めったやたらに裁きまくるのは「馬鹿」である以上に「危険」なことであることを覚えておきたいと思います。


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Reagans’ Sunday dinner

2015-11-22 05:00:00 | 日記
前回に引き続き、私が最近はまっているアメリカの人気テレビ番組Blue Bloods について書いてみたいと思います。

前回書きましたように、このシリーズは現在6シーズン目に入っており(今、オンエア中です)、NYPDものなのですが、同時にPC(Police Commissioner)を務めるフランク·リーガンと代々の彼の家族の物語りです。その点では家庭ドラマとしての性格も持っています。(それでも基本はポリスものですが)

フランクの父のヘンリーは前代のPC。三人の息子はすべて警察官ですが、二番目のジョーは殉職しています。兄のダニーは金バッジのやり手刑事。末のジェイミーはアカデミーを出たばかりの制服パトロールです。

ダニーは野性味のある突進型デカで、時折ルールも曲げてしまいます。ジェイミーはハーバードの法学校を出た秀才ですが、反面おとなしいというか、ナイーブなタイプ。

一人娘のエリン(ElinではなくてErin)は法律家でNYの地方検事局に勤めています。エリンは規則を重んじるタイプで(ADだから当然)、捜査の方針を巡って常にダニーと対立します。ただ仲が悪いわけではなく、むしろ仲はいい部類に入るのでしょう。

ここにダニーの妻のリンダが加わります。リンダは看護婦でこれも独自のきちんとした規範を持っている職業です。で、ダニーとリンダは相思相愛なのですが、時折デスマッチになることがあります。

ちなみにヘンリーとフランクの連れ合いは、ダニーらから見るとおばあちゃんとお母さんですが、すでに他界しており家庭はどちらかというと男っ気が強いのです。さらにちなみにこの一家はアイルランド系のカトリック。この点はわりと典型的なパターンです。

さてポリスものであるとともに、家族ドラマでもあるリーガン家の「ブルーブラッド」。家族ドラマとしての性格が典型的に現れているのが、毎回出てくる「家族皆での日曜のディナー」です。The faimous Reagans’ Sunday dinnerと称されています。

日本のホームドラマでは、家族の夕飯の場面はほぼ例外なくどのドラマにも出てくると思うのですが、アメリカの刑事ものでこういう場面が必ず出てくる、とうものは珍しいのではないかと思います。

で、この食卓で毎回事件の核心に触れる議論が展開されます。

例えばある事件で殺人事件の容疑者の一人が警官に撃たれ負傷。リンダのいる病院に搬送されます。ダニーは早く犯人一味を逮捕したいので、負傷した容疑者に話しをさせろ、とリンダに掛け合いますが、リンダは治療が済むまでは、と駄目出しをします。当然頭に血が上ったダニーはその件をディナーの席で持ち出します。

「俺が一般市民が怪我をしないように、犯人を追いかけている際に、医者はその犯人を保護している。どういうわけだ?市民と殺人犯とどちらが大切なのだ?」検事補のエリンは冷静に「それぞれそう簡単には割り切れない仕事の論理と倫理で働いているわ」
するとリンダが「私の職場では単純。患者の命が第一。ピリオド」

これは私が今すぐに思い出せる例ですが、毎回がこんな形で面白い議論のネタになるようなものを食卓に乗せてくれるのです。




Blue Bloods Cookingbook 登場!
- Myndin er ur cbsstore.com-

ディナーですので、当然ちゃんと料理も毎回メニューを変えて出てきます。5シーズンを終えた時点で、このリーガン家のサンデーディナーのCooking Bookを出そう! と誰かが考えたようです。

そしてエリン役の私のお気に入りの女優、Bridget Moynahanさんが編集という形で「Blue Bloods Cookbook」というものが出版されました。つい先日のことです。私もAmazonで予約しましたので今週中には届くことでしょう。

私も料理は好きな方なので(二十六歳からはずっと自分と家庭の料理は私が作ってきました)、楽しみにしています。でもアメリカのディナーのレシピーですからねー、ちょっと違うかな〜?

ところでこのBridget Moynahanはモデルでもあって、スタイルも容貌も抜群なのですが、いったい名前はなんと発音するのだろう?と考え込んでしましました、始めは。モイナハン?モニャハン?モナーン?アメリカ人の姓って、時折やたら難しいですよね。

ワタシ、「X-Files」はかなりマニア的に好きだったのですが、モルダー役のDavid Duchovnyの「ドゥチョヴニー」がどうしても覚えられませんでした。今、ここに書けたのもGoogleで確かめたからです。(^-^;

でも、美人のブリジットの方はそう簡単には諦めません。「OK, Google 」を利用して、適当に試したら意外とすんなりと「モイヤハン」で返事が返ってきました。でも聞き慣れない名前。タイかマレーシアの名前のような気がします。

とにかく面白いですから、もし近所のレンタル屋さんにあるなら試してみることをお勧めします。でも、レンタル屋さんって、本当にまだあるのかな?


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Blue Bloods

2015-11-15 05:00:00 | 日記
レイキャビクとその近郊の教会巡りの巡礼を続けてきましたが、飽きたので今回は別の話題です。

正直に言いますが、最近仕事で手一杯でブログのために何かを調べるような時間的ゆとりがなかったのです。ですが教会に関することならそう苦労せずに書けるので、教会巡りでしのいできたわけです。

あんちょこなトピックの設定ですが、まあ教会を一覧するのも確かにレイキャビクの楽しみ方のひとつにはなると思いますので、ご勘弁を。

さて今回は話題を変えつつも相変わらずあんちょこなトピックです。「最近はまっているテレビ」(*^^*)

「仕事で手一杯でもテレビを観ることができるのか?」と言われそうですが、これは実はテレビのシリーズのDVDで、私は気に入ったテレビや映画は百回でも繰り返して観れる派なのです。

「観る」といってもじっと見入るわけではなく、仕事上の書き物や調べ物をしながら同じ話しを繰り返して観る、という「ながらリピーター」的鑑賞です。

で、ここのところまったくはまっているのがNYPDもので「Blue Blodds」というCBSテレビのシリーズです。アメリカでは今年6シーズン目を迎えています。

日本ではまだオンエアされていないようですので、取り上げてもつまらないだろいうと思って書かなかったのですが、ネットでさらに調べてみると、日本でもDVDのセットが発売されており、レンタルでも扱われているようです。

というわけで、観ようと思えば観られる状況のようなのでご紹介してみたいと思います。

タイトルのBlue Bloodsとは「青い血統」という意味です。「血が青いとはエイリアンか?」と思われるでしょうが、このBlueはNYPDを表す時のBlueです。よくテレビの中で「NYPDには黒人も白人もない。皆ブルーだ」などと言われることがあります。本当かどうかは知る由もありませんが、テレビ向けモットーですね。




Blue Bloods シーズン5


物語りはタイトルからも窺われるように、代々NYPDの職を受け継いでいる家族、リーガン家のドラマです。現在のリーガン家には四世代が生存しているという設定ですが、中心人物は二世代目のフランク·リーガンでこの人はNYPDのトップであるポリス·コミッショナーを務めています。

その父のヘンリー·リーガンも前代のポリス·コミッショナーで、二世代続いてのPCということになります。フランクには四人の子供がおり、長男のダニーはやり手のNYPD刑事(ヤザワのエーちゃんに似ています)、次男のジョーも刑事、末っ子のジェイミーはハーバードの法科を卒業しながら、やはりNYPDに入り、制服パトロールをしています。このジェイミーがポリス·アカデミーを卒業してパトロールに配属されるところからシーズン1が始まりました。

長女で、私の理解に間違いがなければ上から二番目のエリンは地方検事局に務める法律家。ニューヨークの司法システムではNYPDと地方検事DAは二人三脚なので、エリンと他の家族とのメンバーの関係が、毎回話しの展開に大きな影響を与えます。

次男のジョーは実は殉職しており、その殉職に関わる謎がシーズン1の大詰めで明らかにされていきます。

ダニーは看護婦の奥さん、リンダがおり小学校の男の子がふたりいます。エリンは離婚しており、前の法律家の旦那との間に中学生(シーズン1の時点)の女の子ニッキーがいます。

このリーガン家を中心としてのポリスものなのですが、「リーガン」Reagan という名字は人気のあった共和党のレーガン大統領と同じです。「強いアメリカ」を訴えた大統領でした。私にはどうしても「レーガン」よりは「リーガン」と聞こえます。

(レーガン氏が大統領選で台頭してきた頃は、日本のマスコミは「リーガン」と記していました。それが後に「発音の実際がレーガンに近いので、これからレーガンと記す」と変更されたのを覚えています。今、このドラマを観ていると「何でや?」と思います)

「名門」という設定と、この「リーガン」という名前から察して、始めは保守的、共和党的な話しだろう、と想像しました。まったく知識なしにアマゾンで買ったので、「ハズレだったら仕方ない」と思っていました。

なぜ買ったか、というとリンダ役の女優さんが以前「クリミナル·マインズ」(FBIのプロファイラーもの)に出ていて、けっこうかわいいので気に入っていたからです。超ワタシ的動機です。(^-^;

ところが、い観始めてみると非常に面白く、シーズン1の前半を終えたあたりでシーズン2、3、4もアマゾンで買ってしまいました。

中心の人物はやはりフランクなのですが、演じるのはあのヒゲのトム·セレックです。そんなに好きな俳優でもなんでもなかったのですが、というかむしろ好きでないタイプだったのですが、このシリーズでは味のある演技をしています。

どういう点が面白いのか、あるいは他にどんな役者さんが出ているのか等、もう少し次回にご紹介してみたいと思います。ただ面白いですので、機会があればレンタルででも借りて観てみてはいかがでしょうか?


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レイキャビク 巡礼の旅?(5)

2015-11-07 06:00:00 | 日記
レイキャビクとその近郊巡礼の旅、教会巡りを続けます。もっともこの「巡礼」は宗教的なものではなく、観光に来た時に見る価値のあるもの、あるいはただ訪れても面白い?ものをご紹介するためのものです。

その観点からするとハットルグリムス教会と並んで、いの一番に挙げておかねばならなかったのがDomkirkjanドム教会です。正直いってすっかり忘れてました。(^-^; すでに観光名所なのと、仕事上あまり縁がないので親近感がなかったのです。

観光名所といっても、ドム教会の場合は歩いて三十秒の距離のお隣りにあるAlthingihusu国会議事堂や、その面前にあるAusturvollurオイストゥルヴァットラ広場(「東の広場」という意味です)などと「パック」にした「ダウンタウンの中心」的な感じがあります。

建物そのものとしては、ハットルグリムス教会のような押し出しはありませんし、カセドラル(ビショップのいる教会のことです)という一格高い身分はありますが、それはツーリストの人たちにはほぼ関係のないことでしょうから。

ただそれでも、歴史的な意味ではやはりスカウルホルト教会とこのドム教会は抜きん出ているといえます。




外観はとてもオーソドックスなドム教会
-Myndin er ur Kirkjukort.is-


1784年に、アイスランド国民教会のビショップがそれまでいたスカウルホルト(レイキャビクから車で一時間ほどの南の田舎にあります)からレイキャビクに移ることが決められました。

それで始めはAdalstraetiアザルストライティ(「メインストリート」という意味です)にあった墓地の教会がドム教会とされました。ちなみにドム教会という名称は固有名詞ではなく「カセドラル」を意味する普通名詞です。ですから、ビショップの所在(「司教座」といいます)が変われば、その移った先が新たにドム教会となるわけです。

現在のドム教会の前身は1796年に聖別されました。デザインはA·キルケルプスという方だったそうです。レイキャビクが将来首都となるだろうことを鑑みて建てられた最初の建造物だ、と教会のホームページではいっています。

それから百年足らず後になって、「歩いて三十秒」のお隣りの国会議事堂が建てられました。ちなみにその当時は「お隣りにある教会」はウェストマン諸島にある教会だったそうです。

今日に至るまで、何回か修復や補強の工事が行われていますが、一番大きかったリフォームは1848年のもので、面積、高さの双方で拡張され、現在ある外観が形成されました。

入り口にはアイスランド史に輝く大詩人ハットルグリムル·ピエトルソン(ハットルグリムス教会の名前の元です)の詩の一節が掲げられています。「ここより汝は神の家に入る」

「聖壇画は」とか「洗礼盤は」とか調度品の説明はつまらないので割愛します。ただ1840年に搬入された当時のオルガンはアイスランドの教会に持ち込まれた最初のオルガンだった、ということです。現在のオルガンはずっと新しく1985年に聖別されています。




「歩いて三十秒」の関係、ドム教会と国会議事堂
-Myndin er ur Skodun.is-


カセドラルですから、当初よりドム教会は国会の開会礼拝や、大統領の就任などの国家的行事の度にその舞台となってきました。国会の開会礼拝は人数が限られていますし、なにしろ国会議事堂から「歩いて三十秒」のところにありますので、今でもドム教会で行われています。

ですが大統領の就任や、超大きな葬儀などは今ではドム教会ではなく、丘の上のハットルグリムス教会が舞台となります。収容可能人数という物理的なものの差がありますので、いたしかたないかと思います。

ドム教会の面白いところは、カセドラルであると同時に普通の教区教会でもあることです。ですから毎日曜日には礼拝がありますし、教区民の洗礼式や、結婚式、葬儀なども普通に執り行われます。ちなみに私もドム教区の教区民のひとりです。めったに行きませんが。




居心地の悪さ、天下一品
-Myndin er ur Wikiwand.com-


居心地が悪い教会です。昔の人は小柄だったのでしょうが、席が小さくて座りにくく、また前後の列の間の隙間が狭いので、奥の席へ人が入らなければならない時などに苦労します。

さらに内部に柱が多いので、聖壇で何が行われているのか見にくい席がたくさんあります。これも「昔ながら」の伝統ですが、トイレも少ない。というか、会衆用のトイレはあっただろうか?疑問。

悪口ついでに個人的なことも。ワタシ、ここで結婚式をしましたが、離婚しています。(^-^;

まあ、それほどありがたいところでもありませんが、ダウンタウンの真ん中ですので、こちらに来られる機会があるのなら見てやってください。外からの写真写りはいいかもしれません。いかにも教会っぽくて。


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レイキャビク 巡礼の旅?(4)

2015-11-01 05:00:00 | 日記
レイキャビクとその近郊の巡礼の旅を続けます。

今回の教会はレイキャビク西方の隣り町Seltjarnarnesセルチャルトナネスのセルチャルトナネス教会です。この町は小さな町で人口は約四千三百人ほど。レイキャビクの一部のように思っている人もあるかもしれませんが、独立した地方自治体です。

SeltjarnarnesのNESというのは岬のことで、文字通り町の一部は岬になっていて、灯台もあります。その辺りは湿地になっており、クリアという一種の渡り鳥が毎夏来訪してきます。

ちなみにこのクリアというのは小型できれいな鳥なのですが、産卵の時期には子を思うあまり神経質になり、近くを散歩している人の頭を上空からコツリとやったりします。わりと「うざい」鳥です。

この岬にはゴルフリンクスもありますし、遊歩道が整理されているので小一時間の良い散歩コースでもあります、クリアさえいなければ。私もよくここを歩きました。また、この地域は「お金持ち」ムードのある町でもあり、散歩しているとどでかい一軒家が海沿いに並んでいたりします。




モダンなデザインのセルチャルトナネス教会
-Myndin er ur Wikimedia.org-


私が十年間居候していたネス教会もレイキャビクの西地区にあります。セルチャルトナネス教会は、実はネス教会の隣りの教会になります。余談ですがレイキャビクで普通「ネス」というとセルチャルトナネスのことを指します。そちらの方が本当の「岬」っぽいからです。

それでネス教会とセルチャルトナ教会を間違えて訪ねてきたり、訪ねて行ったりする人は結構います。そういうことがあったので、私が「ネス教会でお会いしましょう」などというときには必ず「セルチャルトナネスではありませんよ」と念を押すようにしておきました。

セルチャルトナネス教会は1989年に聖別された新しいモダンな教会です。独特の形をしていて、なんというか、ひし形を積み重ねたようなデザインになっています。アーキテクトはハルズル·ハルズルソンという方だそうです。

教会内部もモダンで、明るく機能的です。天気がいい時にはレイキャビク湾とその向こうのエイシャの山が眼前に広がり、素晴らしい眺望です。




教会内部もモダン
Myndin er ur Wikimedia.org-


セルチャルトナネス教会とはわりと往き来があるほうだったのですが、これまでずーっとこの教会は新しい教会なのだ、と思っていました。今書いたように1989年に聖別されているのですから。

そこで今回のビックリです。まさしくブログ効果のビックリで、セルチャルトナネス教会について書こうと思わなかったら、知らないままだったでしょう。

そのビックリとは、セルチャルトナネス教会はなんと十二世紀頃からあった、というのです。パットゥル·ヨンスソンという1195年にスカウルホルトのビショップになった人が、その著書の中でセルチャルトナネス教会について述べているのです。

それによるとセルチャルトナネスは当時はかなり大きな集落と見なされていたようで、セルチャルトナネス教会は神父付きの教会とされていたそうです。(当時の教会はみなカトリック教会だったので、「牧師」ではなく「神父」です。アイスランド語ではどちらも同じPresturと呼ばれます)

あそこがそんなに昔から人の居住区だったというのは、にわかには信じられない情報なのですが、いったい何人くらいが住んでいたのでしょうか?




湾とエイシャの山を覗む素晴らしい眺望


で、その後何が起こったか?というと、時代はずっと飛んで十八世紀になります。1799年に荒天によって時のセルチャルトナネス教会は吹き飛んでしまったのだそうです。これはまあ、そういうこともあるだろうな、という気がします。岬ですからね。

そしてその頃はセルチャルトナネスはどちらかというと貧しい地域にランク落ちしてたようで(十分な資料をあたっていないので、多少推測ですが)、新しい教会堂は必要ないと思われたのか、あるいは居住者が少なくなっていたのか、教会の再建はなされませんでした。

その後は、セルチャルトナネス教区はレイキャビクのダウンタウンにあるカセドラル、ドム教会の教区に併合されました。セルチャルトナネスからドム教会まで歩いて、三十分くらいでしょうか?

1941年以降は、私が居候していたネス教区の一部となりましたが、1974年になって、再びセルチャルトナネス教区として独立しました。まあ、その頃ならレイキャビク全体の発展もあったでしょうし、おそらくセルチャルトナネスの町も今に近い形になってきていたのでしょう。

というわけで、今回は意外な「ビックリ」のある(「ビックリ」はみな「意外」か?)セルチャルトナネス教会でした。まあ、ビックリしたのはワタシだけでしょうが... たまにはこういうこともないと... (^_-)☆


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