こんにちは/こんばんは。
今、これを書いているのは27日の日曜日、夜の9時を回ったところです。昨日、少し冷え込んだと思ったら、レイキャビクの郊外にあるエイシャという山の上半分が真っ白になっていました。
そして今日の朝、「真っ暗」な中を朝9時に教会に着いてみると、駐車場から庭まで真っ白に霜が降りています。やっと遅い冬の到来のようです。もっとも、今「真っ暗」と書きましたように、日の長さ、短さはズレることなく毎年確実にやってきます。
レイキャビク、ダウンタウンの人喰いネコ
前回書きましたように、今日の日曜日から教会は新しい年に入ります。今日からがクリスマスに備えるためのAdventaアズベンタ(英Advent)「待降節」という期間になり、これがクリスマスイブまで続きます。
正確に言いますと、教会の暦は古来のユダヤ式の一日の測り方に従っているので、一日を午前0時から24時まではなく、日没から日没までとします。ですから、アズベンタも昨日の土曜日の夕から始まっていることになります。
ちなみに、それ故クリスマスは24日のイブと25日の二日にまたがっている(かのように)見えるわけです。実際は、というかユダヤ式に数えれば、これは25日一日のことになるのです。
私は毎年、きっちりと十一中旬までに、一応の家の大掃除とクリスマス用の飾り付けを準備しておきます。そしてアズベンタの始まる土曜日の午後6時に「スウィッチ・オン!」にして飾りの灯りを点灯します。
本当はそういう準備をするためにアズベンタがあるのですから -これも正確に言うと、別にそういう飾り付けのようなことが教会でいう「クリスマスの備え」ではなく、もっと内面的なことを指すのですが- そんなに焦る必要はありません。
西街古アパートの恒例のアズベンタの窓飾り
ただ、かつてはこのクリマス前の準備の中に「クリスマスカード書き」という大仕事があり、この作業を落ち着いてするためには、他の「雑事」を早々に終えておく必要があったのです。そのためアズベンタの飾り付けは十一月中旬に終わらせる習慣ができたのでした。
クリスマスカードというのは、私の場合は実際は封書で、アイスランド国内で百通くらい、日本向けが六十くらいはあったと思います。これらに宛名を書いて、切手を貼って、というのは「労働」でした...
いつの頃からか、E-メイルがカードに取って代わり、さらにメイルが他のSNS的な通信手段に変わっているのは皆さんのご常識。ワタシ的には楽になった部分と、ちょっと残念な部分の双方を感じています。
さて、先週のことなのですが、ふたつのアンケート調査に協力する機会がありました。ネットでのアンケートです。どちらも健康状態に関するアンケートで、ひとつはアイスランド大学からで、もうひとつはアイスランドのLandlaeknisembaettidランドライクニスエンバヒティズという、なんというか、国のお医者さんのトップの監督オフィスのようなところからのものでした。
双方ともかなりの質問量があり、答え終わるのにそれぞれ十五分以上かかりました。ただ、内容的にはかなり似通ったものが多かったですね。だいたいふたつのカテゴリーで、肉体的な疾病の記録とか様子に関するものと、精神衛生というか、不安やストレスの状態に関するものです。
これも拙宅の飾り付け ツリーは32回目のクリスマス
面白かったのは精神衛生に関する質問群の方でした。
Q: あなたは現在の生活に満足し、幸せを感じていますか?
A: はい、とても。
Q: あなたは、仮にもう一度生き直すことができるとしても同じ人生を選びますか?
A: はい、確かに。
Q: 職場での人間関係や仕事をめぐる環境に満足していますか?
A: はい、とても。
実際の言葉はこの通りではなく、いろいろな答えの選択肢の中から一番適するものを選ぶという選択式だったのでうが、内容をまとめるとだいたいこういうことでした。
続いて別の角度からの質問。
Q: 日常的に不安や心配を感じることがありますか?
A: はい、毎日のように。
Q: ストレスや不安のために眠れないことがありますか?
A: はい、ほとんど定期的に。
これらは、数多くの質問の中からのいくつかに過ぎませんが、この部分を答えていて自分でも笑ってしまいました。だって始めに答えていることと、次に答えていることが明らかに矛盾しているじゃないですか!
生活や仕事環境に満足している男が、日常的に不安や心配を感じ、そのため眠れない夜もあるということになります。答えだけ読んだら「こいつ、頭の思考回路がショートしてるんじゃないの?」とか。
選択式に加えて、特に説明をつける機会も与えられないのでこういうことが起こり得ます。
この理屈が合わないような答えの真相は単純なものです。私は実際にそこそこ幸せな生活をしていると思っていますし、仕事もこのうえなく大好きな職を与えられています。仕事の「出来」に関しては不満足がきりがありませんが、それは自分の才能の不足故ですので次元の違う問題。
その一方で、日常的に不安や心配を抱えているのも事実です。寝付けない夜もあります。嘘ではまったくありません。どういうことかというと、要するに私が不安を持ち、心配しているのは私自身や私の生活ではなく、私の周囲にいる人たちのことなのです。
こういうことを言うと「なんだ、『良い人』ぶりやがって、気に入らねえ」と罵声を浴びるかもしれませんが、それがポイントではないのです。「自分はいいんだけど、周囲が心配」という状況にある人は存外多いものと考えます。
気分一新用ピック
Myndin er eftir Jonatan_Pie@unsplash.com
お医者さんをはじめ医療従事者の方々、介護や障害を持つ人々へのサービス従事者の皆さん、なんらかの更生施設で働く方々、等々。
そういう方々の中の相当数は、もしかしたら「自分の生活にも不安があるが、周囲の人たちの心配もする」という厳しい現実に直面されているかもしれません。私の場合は、その点自分の心配はないという「楽なバージョン」(少なくとも今は)ということになるのでしょう。
私が心配をしている人たちは、具体的には圧倒多数が難民申請者の人たちです。かつ、その申請が拒否されて国外退去、もしくは強制送還に直面している人たち、さらには実際に送還されて別国で路頭に迷っている人も含まれます。
コロナが明けたところで、これまで滞っていた送還が大規模に再開しはじめました。ここのところ、その関係の相談が多く正直言って疲れ始めています。今日はアズベンタの第一日曜日の楽しい集会だったのですが、集会後に子供五人を抱える夫婦が申請拒否になったことを伝えてきました。
やれやれ... お昼に日本がコスタリカに負けてがっかりしていたのですが、それが消えてしまうような、さらに大きなガクンに見舞われました。まあ、今夜は考えず、夜が明けてから(夜はなかなか明けない時期です(^-^; ) 改めて仕切り直しをして考えるつもりです。
「アズベンタの初日からこれかよ」と思ってしまったのですが、このアズベンタとは実は「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」(ルカ福音書1:78-79)ということが神より示された時期なのです。
ある意味、アズべンタこそ困難に直面し、暗いところへ押しやられている人々のことを思い向き合う時期だといえます。そしてそこから逆に今の自分自身の有りようを見直し、感謝したり正したりしていくことができます。
それこそが「クリスマスへの備え」ということであり、ツリーやイルミネーションの飾り付けよりもはるかに大切なことになのです。
というわけで、明日からホントのアズベンタの二日目だ〜!ということになります。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
今、これを書いているのは27日の日曜日、夜の9時を回ったところです。昨日、少し冷え込んだと思ったら、レイキャビクの郊外にあるエイシャという山の上半分が真っ白になっていました。
そして今日の朝、「真っ暗」な中を朝9時に教会に着いてみると、駐車場から庭まで真っ白に霜が降りています。やっと遅い冬の到来のようです。もっとも、今「真っ暗」と書きましたように、日の長さ、短さはズレることなく毎年確実にやってきます。
レイキャビク、ダウンタウンの人喰いネコ
前回書きましたように、今日の日曜日から教会は新しい年に入ります。今日からがクリスマスに備えるためのAdventaアズベンタ(英Advent)「待降節」という期間になり、これがクリスマスイブまで続きます。
正確に言いますと、教会の暦は古来のユダヤ式の一日の測り方に従っているので、一日を午前0時から24時まではなく、日没から日没までとします。ですから、アズベンタも昨日の土曜日の夕から始まっていることになります。
ちなみに、それ故クリスマスは24日のイブと25日の二日にまたがっている(かのように)見えるわけです。実際は、というかユダヤ式に数えれば、これは25日一日のことになるのです。
私は毎年、きっちりと十一中旬までに、一応の家の大掃除とクリスマス用の飾り付けを準備しておきます。そしてアズベンタの始まる土曜日の午後6時に「スウィッチ・オン!」にして飾りの灯りを点灯します。
本当はそういう準備をするためにアズベンタがあるのですから -これも正確に言うと、別にそういう飾り付けのようなことが教会でいう「クリスマスの備え」ではなく、もっと内面的なことを指すのですが- そんなに焦る必要はありません。
西街古アパートの恒例のアズベンタの窓飾り
ただ、かつてはこのクリマス前の準備の中に「クリスマスカード書き」という大仕事があり、この作業を落ち着いてするためには、他の「雑事」を早々に終えておく必要があったのです。そのためアズベンタの飾り付けは十一月中旬に終わらせる習慣ができたのでした。
クリスマスカードというのは、私の場合は実際は封書で、アイスランド国内で百通くらい、日本向けが六十くらいはあったと思います。これらに宛名を書いて、切手を貼って、というのは「労働」でした...
いつの頃からか、E-メイルがカードに取って代わり、さらにメイルが他のSNS的な通信手段に変わっているのは皆さんのご常識。ワタシ的には楽になった部分と、ちょっと残念な部分の双方を感じています。
さて、先週のことなのですが、ふたつのアンケート調査に協力する機会がありました。ネットでのアンケートです。どちらも健康状態に関するアンケートで、ひとつはアイスランド大学からで、もうひとつはアイスランドのLandlaeknisembaettidランドライクニスエンバヒティズという、なんというか、国のお医者さんのトップの監督オフィスのようなところからのものでした。
双方ともかなりの質問量があり、答え終わるのにそれぞれ十五分以上かかりました。ただ、内容的にはかなり似通ったものが多かったですね。だいたいふたつのカテゴリーで、肉体的な疾病の記録とか様子に関するものと、精神衛生というか、不安やストレスの状態に関するものです。
これも拙宅の飾り付け ツリーは32回目のクリスマス
面白かったのは精神衛生に関する質問群の方でした。
Q: あなたは現在の生活に満足し、幸せを感じていますか?
A: はい、とても。
Q: あなたは、仮にもう一度生き直すことができるとしても同じ人生を選びますか?
A: はい、確かに。
Q: 職場での人間関係や仕事をめぐる環境に満足していますか?
A: はい、とても。
実際の言葉はこの通りではなく、いろいろな答えの選択肢の中から一番適するものを選ぶという選択式だったのでうが、内容をまとめるとだいたいこういうことでした。
続いて別の角度からの質問。
Q: 日常的に不安や心配を感じることがありますか?
A: はい、毎日のように。
Q: ストレスや不安のために眠れないことがありますか?
A: はい、ほとんど定期的に。
これらは、数多くの質問の中からのいくつかに過ぎませんが、この部分を答えていて自分でも笑ってしまいました。だって始めに答えていることと、次に答えていることが明らかに矛盾しているじゃないですか!
生活や仕事環境に満足している男が、日常的に不安や心配を感じ、そのため眠れない夜もあるということになります。答えだけ読んだら「こいつ、頭の思考回路がショートしてるんじゃないの?」とか。
選択式に加えて、特に説明をつける機会も与えられないのでこういうことが起こり得ます。
この理屈が合わないような答えの真相は単純なものです。私は実際にそこそこ幸せな生活をしていると思っていますし、仕事もこのうえなく大好きな職を与えられています。仕事の「出来」に関しては不満足がきりがありませんが、それは自分の才能の不足故ですので次元の違う問題。
その一方で、日常的に不安や心配を抱えているのも事実です。寝付けない夜もあります。嘘ではまったくありません。どういうことかというと、要するに私が不安を持ち、心配しているのは私自身や私の生活ではなく、私の周囲にいる人たちのことなのです。
こういうことを言うと「なんだ、『良い人』ぶりやがって、気に入らねえ」と罵声を浴びるかもしれませんが、それがポイントではないのです。「自分はいいんだけど、周囲が心配」という状況にある人は存外多いものと考えます。
気分一新用ピック
Myndin er eftir Jonatan_Pie@unsplash.com
お医者さんをはじめ医療従事者の方々、介護や障害を持つ人々へのサービス従事者の皆さん、なんらかの更生施設で働く方々、等々。
そういう方々の中の相当数は、もしかしたら「自分の生活にも不安があるが、周囲の人たちの心配もする」という厳しい現実に直面されているかもしれません。私の場合は、その点自分の心配はないという「楽なバージョン」(少なくとも今は)ということになるのでしょう。
私が心配をしている人たちは、具体的には圧倒多数が難民申請者の人たちです。かつ、その申請が拒否されて国外退去、もしくは強制送還に直面している人たち、さらには実際に送還されて別国で路頭に迷っている人も含まれます。
コロナが明けたところで、これまで滞っていた送還が大規模に再開しはじめました。ここのところ、その関係の相談が多く正直言って疲れ始めています。今日はアズベンタの第一日曜日の楽しい集会だったのですが、集会後に子供五人を抱える夫婦が申請拒否になったことを伝えてきました。
やれやれ... お昼に日本がコスタリカに負けてがっかりしていたのですが、それが消えてしまうような、さらに大きなガクンに見舞われました。まあ、今夜は考えず、夜が明けてから(夜はなかなか明けない時期です(^-^; ) 改めて仕切り直しをして考えるつもりです。
「アズベンタの初日からこれかよ」と思ってしまったのですが、このアズベンタとは実は「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」(ルカ福音書1:78-79)ということが神より示された時期なのです。
ある意味、アズべンタこそ困難に直面し、暗いところへ押しやられている人々のことを思い向き合う時期だといえます。そしてそこから逆に今の自分自身の有りようを見直し、感謝したり正したりしていくことができます。
それこそが「クリスマスへの備え」ということであり、ツリーやイルミネーションの飾り付けよりもはるかに大切なことになのです。
というわけで、明日からホントのアズベンタの二日目だ〜!ということになります。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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