Merry Christmas!!
えっ!? 遅い!? そうですね、天皇誕生日、クリスマス、そして年末からお正月へと駆け足で進む日本の暦では、今頃メリクリは出遅れですね。
こちらではクリスマスは十二月二十四日の午後六時から始まり、年を越えて一月の六日(一部地域では七日)まで続きます。年末年始も「クリスマス」の一部なわけです。
実際には十一月の末からアドヴェントが始まりますので、クリスマス「ムード」は一月前から始まりますが、これは日本でも似たようなものですね。
今回はこのクリスマス時期に「本当にあった怖い...」じゃなくて「アイスランド的な話し」をご紹介します。

今年、まだ冬の明けきらない頃にアルバニアから二組の家族がアイスランドへやってきて難民申請をしました。仮にパシャ家とレーカ家としておきます。二家族は別に知り合いではなく、別々にやってきました。
両家族ともまだ比較的若い(壮年)の夫婦と女の子、男の子がいる四人家族。男の子たちは同年で今四歳です。
私は赤十字のボランティアで、難民申請者の人たちのためのオープンハウスとかを手伝っていましたので、パシャ家の方とはわりと始めの頃から知り合っていました。レーカの家族の方はお父さんと一度会っただけで、それほどの交流はありませんでした。どちらかの子供さんが心臓に疾患がある、ということは聞いていましたが。
パシャ家のお父さんは早い時期に仕事を見つけ働いていたため、あまり会う機会はありませんでしたが、お母さんとふたりの子供、クレアとケンはいつもオープンハウスに来ていたので良い顔見知りになりました。
「顔見知り」程度だったのはわけがあり、この家族、英語がまったくダメなのです。それでも日常生活上どうしても不可欠な問題等は苦労しても話し合うようにしました。
特に息子のケンくんは喘息持ちらしく、投薬が必要でその薬が滞った時などあたふたしたことがありました。ですがそれ以上の複雑な話しはできなかったわけです。
アイスランドではアルバニアやマセドニアからの難民申請者も多くいます。実際、アルバニアの申請者が全申請者のトップの人数になっています。
ですが、アルバニアは紛争地域ではなく、難民申請をしてはいても実際には「移民労働者」ということが多いのです。ですから知り合った当初から「しばらくした後には退去勧告されるだろうな」と思っていました。
それから夏のピークを越えると、私の方が赤十字のボラをしている時間的ゆとりがなくなり、あまりペシャの家族とも会うことはなくなっていきました。
十二月も十日になって、この二家族とも本国へ強制送還された、とのニュースが流れました。パシャ家の滞在先には警察官が八人も、それも夜中にやってきて一家を引き立てていったとのことでした。
このニュースはアッという間に全国に広まり、さらに両家族の状況についての詳しい情報も明らかになっていきました。その中で一番のポイントは、この二家族とも経済難民ではなく、子供の病気の治療先を求めてやってきていた、ということでした。
レーカ家は四歳の男の子の心臓病、パシャ家のケン君の方は喘息などではない、もっと深刻な呼吸器系の疾患のようでした。さらにしばらくして、私はケン君の病気がcystic fibrosis 嚢胞性線維症(のうほうせいせんいしょう) であることに気がつきました。難病です。
One Republicは日本でも人気のバンドと思いますが、彼らの「I lived」はこの病気の人たちをサポートするための曲でした。私も好きで、何度もそのビデオクリップを見ていたのですが、相当遅くになるまでケン君の病気がそれであることに気がつかなかったのです。ワタシ、バカです。
知り合っていたのにまったく気がつかなかったのは、言葉の問題だけではなく、私の方に「経済難民だろう」という偏見があったためだと思います。そばにいてまったく気がつかなかった、という事実に悔しいのと後ろめたいのとで心が重くなりました。
さて、そういった事情が明らかになってくると、アイスランド中の人たちが「そんなに重い病気を持つ小さな子供たちを送還するとはひどいではないか!?」と送還を批判し始め、「これは国連の『子供の権利権利条約違反ではないか?』という声が島中に蔓延しました。
ケン君の病気を見ていた医師がきちんとした医療報告書を移民局に提出し、アイスランドでの治療を勧めていたことも明らかになりました。さらに別の専門家は「アルバニアの医療水準ではケン君は十歳まで生きられないだろう」という見解を送ってきました。
それでも移民局は「我に非はなし」という声明文。
Facebookのイベントで「二家族を呼び戻す」決起集会が呼びかけられると、瞬時のうちに二千人が「Going」に集まりました。私も他の予定が入っていましたが、参加することにしました。多少は自分の心を軽くするためです。
その集会は十五日の火曜日に予定されていたのですが、その前日の夕方、びっくりするニュースが流れました。国会がこの二家族に市民権を与えることを検討している、というのです。しかも、かなり「既に賛成されている」というニュサンスで。
これはちょっと複雑なことの説明になってしまいますが、それでも簡単に言ってしまうと、難民申請の許可や人道上の滞在許可は「外国人法」関係の法律によって判断されます。その解釈運営に関して、移民局は非常に狭い了見でかかってきます。ですから突破口を開けるのが難しいのです。
ところが「市民権」の付与は別の法律であり、国会には国会の独立した判断で、ある人々に市民権を与える権能が与えられています。外国人法では条件を満たせない人に対しても国会は市民権を付与できます。そうすると、当然難民申請や滞在許可という事柄自体が消滅し「国民」として生活できることになります。
かなりのウラワザですが、以前にも使われたことがあります。日本でも問題になっていた元チェスチャンピオンの故ボビー·フィッシャー氏がこの仕方で、拘留されていた日本から「国民」としてアイスランドに迎えられました。(フィッシャー氏はチェスの大試合でアイスランドに来たことがあり、ここでは人気のある人物でした)
そして、あれよあれよという間にすべてが進行し、このクリスマス前にレーカ、パシャ家とも市民権を付与され、一月中旬に再びアイスランドへやってくることになりました。
このニュースをスカイプで伝えられるパシャ家の様子がニュースで流されましたが、当然歓喜の涙、涙でした。「最高のクリスマス·プレゼントです!」
国会は「今回の事例は例外的措置であり前例にはならない」とアナウンスしています。それはそうでしょう、「では家も」と難病の子供を抱えた家族が流れ込んできても困りますから。
私が考えるに、今回の出来事は非常にアイスランド的なエピソードでした。法律規則的には -少なくとも現在の規則のままでは- 救済が困難を極めた事態に直面して、国民の善意と良識が国会を動かしたのです。
かなり極端から極端に振れた感はありますし、今後似たような事例が生じた場合にどのような基準で対処するべきなのか等、多くの課題が残されています。でも今はふたりの幼い子供たちに、より大きな将来の可能性が与えられたことは確かですし、そのことをアイスランドの人たちは素直に喜んでいると思います。
ケン君にしても、レーカ家の男の子にしても、まだまだ大変な闘病生活が控えています。神の支えがこの二家族にこれからも豊かにあることを祈ります
そして日本の皆さん、今年のお付き合いをありがとうございました。
良い年の瀬、お正月をお迎え下さいますよう。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
えっ!? 遅い!? そうですね、天皇誕生日、クリスマス、そして年末からお正月へと駆け足で進む日本の暦では、今頃メリクリは出遅れですね。
こちらではクリスマスは十二月二十四日の午後六時から始まり、年を越えて一月の六日(一部地域では七日)まで続きます。年末年始も「クリスマス」の一部なわけです。
実際には十一月の末からアドヴェントが始まりますので、クリスマス「ムード」は一月前から始まりますが、これは日本でも似たようなものですね。
今回はこのクリスマス時期に「本当にあった怖い...」じゃなくて「アイスランド的な話し」をご紹介します。

今年、まだ冬の明けきらない頃にアルバニアから二組の家族がアイスランドへやってきて難民申請をしました。仮にパシャ家とレーカ家としておきます。二家族は別に知り合いではなく、別々にやってきました。
両家族ともまだ比較的若い(壮年)の夫婦と女の子、男の子がいる四人家族。男の子たちは同年で今四歳です。
私は赤十字のボランティアで、難民申請者の人たちのためのオープンハウスとかを手伝っていましたので、パシャ家の方とはわりと始めの頃から知り合っていました。レーカの家族の方はお父さんと一度会っただけで、それほどの交流はありませんでした。どちらかの子供さんが心臓に疾患がある、ということは聞いていましたが。
パシャ家のお父さんは早い時期に仕事を見つけ働いていたため、あまり会う機会はありませんでしたが、お母さんとふたりの子供、クレアとケンはいつもオープンハウスに来ていたので良い顔見知りになりました。
「顔見知り」程度だったのはわけがあり、この家族、英語がまったくダメなのです。それでも日常生活上どうしても不可欠な問題等は苦労しても話し合うようにしました。
特に息子のケンくんは喘息持ちらしく、投薬が必要でその薬が滞った時などあたふたしたことがありました。ですがそれ以上の複雑な話しはできなかったわけです。
アイスランドではアルバニアやマセドニアからの難民申請者も多くいます。実際、アルバニアの申請者が全申請者のトップの人数になっています。
ですが、アルバニアは紛争地域ではなく、難民申請をしてはいても実際には「移民労働者」ということが多いのです。ですから知り合った当初から「しばらくした後には退去勧告されるだろうな」と思っていました。
それから夏のピークを越えると、私の方が赤十字のボラをしている時間的ゆとりがなくなり、あまりペシャの家族とも会うことはなくなっていきました。
十二月も十日になって、この二家族とも本国へ強制送還された、とのニュースが流れました。パシャ家の滞在先には警察官が八人も、それも夜中にやってきて一家を引き立てていったとのことでした。
このニュースはアッという間に全国に広まり、さらに両家族の状況についての詳しい情報も明らかになっていきました。その中で一番のポイントは、この二家族とも経済難民ではなく、子供の病気の治療先を求めてやってきていた、ということでした。
レーカ家は四歳の男の子の心臓病、パシャ家のケン君の方は喘息などではない、もっと深刻な呼吸器系の疾患のようでした。さらにしばらくして、私はケン君の病気がcystic fibrosis 嚢胞性線維症(のうほうせいせんいしょう) であることに気がつきました。難病です。
One Republicは日本でも人気のバンドと思いますが、彼らの「I lived」はこの病気の人たちをサポートするための曲でした。私も好きで、何度もそのビデオクリップを見ていたのですが、相当遅くになるまでケン君の病気がそれであることに気がつかなかったのです。ワタシ、バカです。
知り合っていたのにまったく気がつかなかったのは、言葉の問題だけではなく、私の方に「経済難民だろう」という偏見があったためだと思います。そばにいてまったく気がつかなかった、という事実に悔しいのと後ろめたいのとで心が重くなりました。
さて、そういった事情が明らかになってくると、アイスランド中の人たちが「そんなに重い病気を持つ小さな子供たちを送還するとはひどいではないか!?」と送還を批判し始め、「これは国連の『子供の権利権利条約違反ではないか?』という声が島中に蔓延しました。
ケン君の病気を見ていた医師がきちんとした医療報告書を移民局に提出し、アイスランドでの治療を勧めていたことも明らかになりました。さらに別の専門家は「アルバニアの医療水準ではケン君は十歳まで生きられないだろう」という見解を送ってきました。
それでも移民局は「我に非はなし」という声明文。
Facebookのイベントで「二家族を呼び戻す」決起集会が呼びかけられると、瞬時のうちに二千人が「Going」に集まりました。私も他の予定が入っていましたが、参加することにしました。多少は自分の心を軽くするためです。
その集会は十五日の火曜日に予定されていたのですが、その前日の夕方、びっくりするニュースが流れました。国会がこの二家族に市民権を与えることを検討している、というのです。しかも、かなり「既に賛成されている」というニュサンスで。
これはちょっと複雑なことの説明になってしまいますが、それでも簡単に言ってしまうと、難民申請の許可や人道上の滞在許可は「外国人法」関係の法律によって判断されます。その解釈運営に関して、移民局は非常に狭い了見でかかってきます。ですから突破口を開けるのが難しいのです。
ところが「市民権」の付与は別の法律であり、国会には国会の独立した判断で、ある人々に市民権を与える権能が与えられています。外国人法では条件を満たせない人に対しても国会は市民権を付与できます。そうすると、当然難民申請や滞在許可という事柄自体が消滅し「国民」として生活できることになります。
かなりのウラワザですが、以前にも使われたことがあります。日本でも問題になっていた元チェスチャンピオンの故ボビー·フィッシャー氏がこの仕方で、拘留されていた日本から「国民」としてアイスランドに迎えられました。(フィッシャー氏はチェスの大試合でアイスランドに来たことがあり、ここでは人気のある人物でした)
そして、あれよあれよという間にすべてが進行し、このクリスマス前にレーカ、パシャ家とも市民権を付与され、一月中旬に再びアイスランドへやってくることになりました。
このニュースをスカイプで伝えられるパシャ家の様子がニュースで流されましたが、当然歓喜の涙、涙でした。「最高のクリスマス·プレゼントです!」
国会は「今回の事例は例外的措置であり前例にはならない」とアナウンスしています。それはそうでしょう、「では家も」と難病の子供を抱えた家族が流れ込んできても困りますから。
私が考えるに、今回の出来事は非常にアイスランド的なエピソードでした。法律規則的には -少なくとも現在の規則のままでは- 救済が困難を極めた事態に直面して、国民の善意と良識が国会を動かしたのです。
かなり極端から極端に振れた感はありますし、今後似たような事例が生じた場合にどのような基準で対処するべきなのか等、多くの課題が残されています。でも今はふたりの幼い子供たちに、より大きな将来の可能性が与えられたことは確かですし、そのことをアイスランドの人たちは素直に喜んでいると思います。
ケン君にしても、レーカ家の男の子にしても、まだまだ大変な闘病生活が控えています。神の支えがこの二家族にこれからも豊かにあることを祈ります
そして日本の皆さん、今年のお付き合いをありがとうございました。
良い年の瀬、お正月をお迎え下さいますよう。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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