レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

通訳というお仕事

2015-03-29 05:00:00 | 日記
私が日本にいた最後の方の時期は、ちょうどテレビの衛星放送で外国のニュースとかを盛んに放送し始めた頃でした。もう二十年以上も前のことです。

今ではどうなのか全く知らないのですが、その頃の外国ニュースは− 例えばBBCのニュースなどは- 向こうのキャスターが話しているそばから、同時通訳の人が声をかぶせて通訳していく、という式のものでした。

こういう時の通訳というのは、私の感覚では「マシン化」しているというか「道具役に徹している」というか、とにかく感情を交えずにひたすら淡々と英語を日本語にしていく役目、というものでした。

そういう頃にアイスランドに移りました。それがこちらではちょうど移民の人の数が増え始めてきた時期だったことは何度かブログに書いたことがあります。

で、その移民増加の延長なのですが、私がこちらにきてまだ数年、という時期にこちらの社会での「通訳サービス」というものが形成されてきました。
これは特に英語の通じない移民の人たちとのコミュニケーションの必要から求められてきたと思います。

私が移民のための牧師として働き始めた頃− 1995年頃ですが− ちょうどレイキャビク市の施設で移民のためのサービスを専門とする「ニーブア(新居住者)センター」というものがオープンしました。

私はそこでオフィシャルに協働しました。そして、その時期にセンターのスタッフでロバートという米国青年が一生懸命通訳のネットーワークを作り上げていったのです。

最も通訳の必要があったのはタイ語やベトナム語でした。皆が、とはいいませんが英語のできない人が多かったのは事実です。

そこでロバートはタイ人やベトナム人でアイスランド語や、少なくとも英語ができる人とコンタクトして通訳として働いてもらえる仕組みを組み立てていきました。もちろん他の言語もカバーしていきました。

通訳が求められる場というのは、最も一般的には病院やソーシャルオフィス、小中学校の教師の親との面談、離婚に際しての牧師や法律家との会合でした。

そういう機会に医者やソーシャルワーカーなどのサービスの提供者が「クライアントに言葉の問題あり」という時に、センターに通訳の提供を申し込むと指定の時と場所に通訳者が派遣される、というものでした。

もちろん、逆に相談に行く個々人が通訳を頼むこともできます。ただ、圧倒的にサービス提供者からの需要が多かったですね。

この通訳の提供、無料ではなく一回の利用は二時間を最低の単位として5.000クローネくらいが設定されていました。通訳者がこのうち3.000クローネくらいを受け取り、センターが2.000クローネをピンハネ!していたと思います。システムの維持管理、通訳の受付手配はセンターがやっていましたので、これはもちろん正当な収益ですが。

この仕組みは大当たりし、今でも独立したセンターとして機能しています。他にも同じような仕組みで通訳を手配する会社もできています。

始めた当時は、とにかくプロの通訳者はいなかったので、その言葉とアイスランド語(少なくとも英語)ができる人のアルバイト的な仕事でした。需要が増してくるにつれて「プロ」としてそれで生活する人も出てきたようです。

プロであろうとなかろうと、言葉の能力とは別に、通訳に求められるルールというものが当初よりありました。ひとつは「守秘義務」です。時には他人のプライバシーの真っ只中に入っていくわけですから、この守秘義務は当然求められるのですが、これは実際上は非常に難しい課題です。

逆に相談をする側の移民の方が通訳を使うことを嫌がることも多々あります。小さな社会ですから、同じ言葉を話す人、というのはどこかでつながっていることがあります。

そんな人に自分と配偶者の間の問題を知られてしまってはとんでもない、というようなことです。これは相当解決の難しい問題だったのですが、最近のネットの発展によって遠隔地の人が通訳をする、という道も開かれてきているようです。

私は牧師ですので、この守秘義務は毎日のように付いてきます。これについては改めて一度書いてみたいと思います。

通訳に求められるもうひとつの原則は「中立性」というか問題に個人的に関わらないことです。冒頭で「マシン化」していた同時通訳に触れましたが同じことです。機械化する必要はありませんが、話されている問題に個人的に関わってしまってはダメです。

これも当たり前のことのようですが、そうではありません。実際には関わってしまうこともあります、というか、関わらざるを得ないことがあります。例えば誰か日本のツーリストの人が事故にあって入院したとします。当然アイスランド語はダメですし、英語も自信がないということがあり得ます。

そこへ通訳として派遣された場合− 私も経験がありますが− 事故にあった当事者はまず、そのような状況で同じ日本人に会えたことでホッとして、いろいろなことを話し始めます。

これは心理学的にも当然のことで、実際事故にあったショックを発散するためにはむしろ必要なことなのです。で、通訳者は「通訳」以前にそのような過程をくぐり抜けざるを得ないことが多々あります。

いろいろ話しますよ、人は。以前ブルーラグーンで老人男性の方が心臓発作を起こして入院した時、通訳兼見舞いで伺ったことがあります。身の上話し一式拝聴しました。(^-^;

カウンセリングやインタビューの訓練を受けていない人には、そういうことが重荷になり得るのです。

長くなってしまいましたのでこの辺で切り上げますが、私の意見としては一見「マシン化」した役割に見える通訳という仕事は、実はとんでもなく「人間臭い」仕事だ、ということです。

ITの発達で、文字通り「マシン」が通訳になる可能性が増していくのでしょうが、「負けるな、人間通訳! Siriが大人になるにはまだ時間があるぞ!」と言いたい。

あれ?Siriは通訳知能ではないか...試しにSiriに「『おはようございます』は英語でなんといいますか?」と訊いたら、「おはようございます。ただいま午後五時十二分です」フン、そんなもんだ人工知能なんて。v(^^)


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レイキャビク デコボコ ストリート

2015-03-22 05:00:00 | 日記
毎日何台の車がレイキャビク市内を行き来するのか定かではありませんが、相当な数だろうと思います。もちろん人口二十万程度の都市にしては、ということですよ。

レイキャビク市そのものの人口はわずか十二万強ですが、周辺の日常活動地域を含めば二十万に達します。そしてそれは車社会の二十万といって間違いありません。

バスは超高い運賃(なんと先日また値上げしてひと乗り四百クローナ!)、電車地下鉄なし、風雪雨強しのこの街では車は生活必需品です。自転車愛好者も最近頑張ってますね、この環境の中で。あれはもう真冬のジョガーと同じで、ひとつの宗教です。

さてその車都市のレイキャビク、今、どのドライバーもが直面し、イライラさせられている問題があります。道がデコボコなのですよ! もちろん舗装路なんですよ。にもかかわらずデコボコなのです。

大きな幹線道路ではそうでもないのですが、時速五十キロ以下の表通り「裏」の道になるといけません。いたるところにバケツ大、時にはタライ大の穴が空いているのです。ツーリストの人がレンターカーを運転したら「何だコレワ??」と悲鳴をあげるでしょう。

実際、時速四十キロで運転していたって、うかつにバケツ大の穴を通過したら相当なショックを感じます。車だって傷む可能性があるし。自転車野郎がハマったら死にますよ、マジで。




タテ30センチヨコ80センチくらい? こういうのがあっちにもこっちにも


車のタイヤが破裂するなどの、走行中の路上での車破損の届け出が、今年はこれまでのところ67件、昨年の同時期が41件、ということで何と六割増しです。

かつ、ドライバーが穴を避けようとして、車が必然的に蛇行状態になったりして、道路がゲームセンター化してしまうのです。これも危険です。

で、何がこのデコボコの理由なのでしょうか?

もともとアイスランドではまだスパイクタイヤが使用されています。そのためどうしても道路表面が削られ、毎年夏になるとアスファルトなどで表面を平らに戻す作業をします。

今年は特にこれまで積雪が多かったのですが、雪が溶けかけると気温が下がって氷化し、またそこに雪が積もる。というようなことの繰り返しでした。そうなるとやはり「道路」を覆っている物質にも負担が大きくなります。

そして強度の弱いところが除雪の際にはげ落ちてしまったり、くだけてしまい、このような亀裂や穴が出現してしまったのです。

この説明部分はもちろんワタシの知識ではなくてテレビのニュースの受け売りです。

ところがです。この裏にはまだ深い訳が隠されていたのです。レイキャビク市の「環境および計画課」のアウスミュンドゥル・ブリンヨウルブルスソンさんの話しによると、レイキャビク市も2008年の経済恐慌後には厳しい予算カットを強いられ続けてきました。

小学校までも含めて様々な市の関連部門が統廃合されたのは衆知の事でしたが、実は道路管理維持の材料も節約されていたのです。別に不思議でもなんでもないのですが、そのことに気がついていたのはその分野に関係する人たちだけだったでしょう。

「我々は、恐慌後に残っているもので間に合わせざるを得ないのです。パッチワークの延長ですよ」よく意味が分からなかったのですが、要するに材料も値が張るアスファルトを減らし、他の材料を混ぜたり、ピンポイントではなくて一面を舗装し直したりすべきところを、パッチワーク手法でごまかしてきた、ということのようです。

虫歯を治すのに、きちんとした充填材料ではなくて持ちの悪い低質のものを使っていたようなものですから、傷みがくるのも早かったようです。

「市は道路修理用に一億クローネを予算に追加しましたが、これでも十分ではありありません」とアウスミュンドゥルさん。問題はさらにあるのです。
肝心のアスファルトの生産が追いつかないのです。

アスファルトを生産しているフラーズブライ・コラスという会社によると、恐慌後の2009年のアスファルト需要は、バブルが弾けた2008年の需要の僅か二割にまで落ち込みました。当然会社は事業規模を縮小して生産も落ち込みます。反面、アスファルトの値段は上昇しました。

というわけで、市としては値の上がったアスファルトを買い漁らないといけませんし、それでも生産量が上がらなければ「弾がない」という事態になってしまいます。一度恐慌にはまるとまさしく「負のスパイラル」になってしまうわけですね。

ここのところアイスランドは経済回復の兆しを示しており、新しいホテルの建築があちこちで進んでいます。しかし、観光客の皆さん。オーロラと建築中のホテルと上ばかり見上げないで、しっかり足元に気をつけて歩いてください。

足元に穴を見つけたら、それこそまさしくアイスランドのこの十年弱の現実なのだ、と受け取っていただいてよいかと思います。


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アイスランド女性牧師「闘争史」

2015-03-15 05:00:00 | 日記
アイスランドは名だたる男女同権国です。世界経済フォーラム(WEF)のランキングでは六年連続で世界一位となっています。だいたい北欧の国がトップを占めていますね、毎年。

もちろんそうなるにはそれぞれの分野で、職場で、それなりの闘争がありました。権利は勝手に歩いてきてはくれないですよね。そのアイスランド国民教会編です。

アイスランドの国民教会で最初に牧師となった女性はオイズル・エイル・ヴィルヒャウルムルドティールさんという方です。1974年のことでした。その当時のアイスランドはまだ、国民の九割以上が国民教会に属するという「モノ宗教国家」でした。当然、教会に関わる事柄の見方もそれほどバラエティがあったわけではないようです。

オイズルさんが牧師になった時のモルグンブラウジィズ紙に、「同僚?」牧師へのインタビューがあったようですが、中には「これは精神的なKynvillaだ」というものがあったそうです。

Kynvillaというのはkynが「性」villaが「間違い」「誤り」を意味し、かつてゲイの人たちのことを指して使われた蔑称です。つまり「女が男の仕事につくのはどこかいかれてんだ」というひどい意見なわけです。

同僚にして先輩でもある牧師が新聞紙へのインタビューにそういう返事をしたのですから、どのような空気であったのか想像できるでしょう。決して諸手を挙げてもらって迎えられたわけではなかったのです。

実際にそれっ!と後続が押し寄せたたわけではなく、二番目の女性牧師が誕生したのは、オイズルさんの按手(牧師となる儀式)の七年後の1981年になってからでした。

そして新たに牧師となった女性は、なんとオイズル牧師の娘さんのダトラさんだったのです。ダトラさんは北西部フィヨルド地方のビルドゥダールルという町の教会に赴任しました。

「お母さんが牧師に就任した時に比べて、何か違いはありましたか?」というモルグンブラウジィズ紙の記者の質問に、「大勢に変化はなかったと思いますが、それは時間がかかりますからね。でもいくつかの言葉遣いなどが変わりました。

以前は教会仲間の人たちのことをBraedur「兄弟」と呼んでいたのがSystkini「兄弟姉妹」に、「みんな」を表す言葉が説教などでAllir(文法的に男性の集団を示します)が使われていたのがOll(男女混合の集団を示します)に変わりましたからね。言葉は社会のものの見方を反映しますからこれは大事なことだったと思います」

それから十年ほどしてから私がアイスランドにお目見えしたのですが、その時には女性牧師は一ダース(なんてぶっ飛ばされるかも?(^-^;)くらいはいたと思います。

さらに二十年ぶっ飛んで昨年の2014年ですが、この年は最初のオイズル女性牧師が誕生してから四十周年にあたりました。そこに至るまで、1998年から2012年までの期間−この期間はK ·シーグルビョルンスソン監督の時代ですが−33人の男性牧師が誕生したのに対して、女性牧師は36人按手を受けています。逆転。さらにそれ以降の二年間では男性牧師6人に対して女性牧師7人の誕生となっています。

アイスランドでは牧師は一生牧師ですので(日本では違います)、今現在の男性牧師数と女性牧師数を比べるのは難しいです。亡くなった方や、海外へ移った人もありますから。

ですが、過去二十年間の誕生牧師数がだいたい半分半分くらいということは、少なくとも現役牧師層に限っていえば半々に近着いていると言ってよいでしょう。




アイスランド初の女性監督となるアグネス牧師(中央)
右は四十一年前、初の女性牧師となったオイズル牧師
−Myndin er ur Kirkjan.is-


さて、オイズルさんの娘のダトラさんですが、この人は(ちなみにお母さんは引退されましたが、娘さんはまだまだ現役です)1995年に女性として初めてディーンという地区の主席牧師に就任し、さらに1998年には教会カウンセルという中枢機関の委員にこれも女性として初めて選ばれています。

その前年で1997年には全国牧師教会の会長にヘルガ ·ソフィアさんが八十年の歴史で初めての女性として選ばれました。

さらにこの四年間ほどでますます女性パワーがアップします。2012年に初の女性監督(ビショップ)にアグネス ·シーグルザードティール牧師が就任。翌年にはふたりいる副監督のひとりにソルヴェイ ·ラウラ ·グビューズムンドゥルドティール牧師が就任。三人の監督のうちのふたりが女性となりました。

そして今年。首都地区にはディーン地区が三つあるのですが、そのひとつの地区のディーンに、ソウルヒルドゥル ·オーラブル牧師が二月に就任。そして三月中に、もうひとつの地区のディーンに先も登場したヘルガさんが就任することになっています。ここも三人のなかのふたりが女性化。

以前に書いたことがあるのですが、私は女性牧師大好きです!っていうと好色牧師か?と疑われそうですが、そういう意味ではなく高く評価しています。もちろん人によって違いますよ。でも総じて質が高いと思います。

さらに、これが大事なのですが、私にとって共に働きやすいのです。アイスランドの男性牧師のマッチョ志向は伝統的なものなのかもしれませんが、私のようにアジア系移民は同僚牧師として考えたくないのか、「俺の方がお前より上だぞ」という露骨な態度を示してくることがあります。

(ついでにいいますが「こっちも優秀だよ」ということを、私がどんどん証明してくると、それが余計に気に入らなくなるようです。これはローカル X 移民の宿命かも?)

それに対して女性牧師は一般にオープンで、快く迎えてくれます。どうも女性の方が変化に対して柔軟に対処でき、新しい環境や考え方を受け入れやすいように思えます。実際、前の監督の時と今のアグネス監督では私に対する目線の角度が全然...なんて言い始めると喧嘩になりますからやめておきます。

というわけで、ワタシ的には女性牧師の躍進大歓迎です。もっと来い来い!


友人が仲間とオーロラを撮影しフィルムを編集し商品化しています。もちろんプロです。サンプルを見て、気にいるようでしたらぜひ購入してあげてください。四月の始めに続編が登場するそうです。

オーロラのフィルムはこちら。


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女性牧師闘争「前」史

2015-03-08 05:00:00 | 日記
何ヶ月か前にテレビ東京から取材協力の依頼があり、少しだけお手伝いしたことがあります。「未来世紀ジパング」という番組で男女の同権を扱いたいから、という趣旨でした。

アイスランドは男女同権度では世界のトップに六年間座り続けています。製作会社の方と電話でお話しした際に「女性に優しい職場」「女性に優しい社会」という表現を何度も使っていましたが、「そういうのが女性蔑視なんだよ」と言おうか言うまいか考えているうちに終わってしまいました。

でもそのようなテーマあるいは視点でアイスランドを扱ってくれることは嬉しく思いますし、日本ではそのまま同じようにはいかないとしても、良い意味での参考にはなるだろうと思います。

そこで、というわけではないのですが、今回はアイスランドの国民教会での「ジェンダー・イクオリティ」というか、「女性躍進」についてご紹介してみたいと思います。「女性躍進」といってももっぱら牧師職に関しての話しです。

日本でキリスト教会の司祭というとどうしてもカトリック教会の神父さんのイメージが強いでしょう。当然男性ですね。これは私の思うには圧倒的にテレビの影響です。テレビドラマで教会が出てくると、まず九割方はカトリックで神父さんが登場します。

多分テレビ的に神父さんは視覚性が強い(軍服のように衣装が決まっている)のと、そのしきたり習慣などが話しのネタ?になりやすいからではないかと想像します。

神父さんは皆男性です。これはキリストの十二使徒が皆男性であったことにも依るようですが、教会の生成期から徐々にそのような「仕組み」が形成されてきました。

プロテスタントの教会が生まれてからも、決して女性の牧師さんは当たり前のように登場してきたわけではありません。聖書の中に「婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません」(コリントの信徒への手紙Ⅰ14章)という言葉があり、長い間その文字通りに受け取られてきた経緯があります。

現代の多くのプロテスタント教会では、聖書の言葉を無批判に文字通り受け取ることはしません。聖書に「載っている」言葉も、時代的あるいは文化的な制約の下にあり、そのような制約を考慮に入れて検証をしなければ、本当の「聖書の言葉」は分からない、というのがプロテスタント教会のメイン・ストリームです。

女性に関する先の言葉でいえば、使徒パウロがそのような言葉をしたためた紀元一世紀頃のギリシア世界での女性の社会的地位の現実から離れては、この言葉の真意は理解できないということになります。

もちろん、そのような考え方をせずに聖書に「載っている」言葉をそのまま文字通り受け取る教派もあります。(私自身はそのような「文字通り」の信仰はあり得ない、と思っていますが、ここは神学議論の場ではありませんので深入りしません)

それほどガリガリの保守的な教派でなくとも、女性の牧師を認めないという考えが強い教会もあります。例えば私の教会と同じルーテル派でも、お隣りのフィンランドではその傾向が強いようです。一応オフィシャルには女性牧師も認められていますが、個々の牧師さんや集会(全体としての教会に対しての個別の教会、例えば渋谷教会のような意味での教会のことです)には「断固認めない」という向きもあるのだそうです。

「だから私が訪問説教や奉仕をする場合には、事前にその教会の牧師や会衆の意見を確かめないといけないの」と知り合いのフィンランド人女性牧師さんが話してくれたことがあります。そういうのも教会の現実の一面です。




英国国教会初の女性主教リビーさん(左)と夫の司祭ジョージさん


別の一面では着実に事態は改善(私の視点からでは、という意味ですが)しています。1993年にしぶしぶ女性司祭(英国国教会での牧師のこと)を認めた英国国教会が、五百年の歴史で初めて女性主教(司祭の中でも一格上の職務)を任命したのはつい最近、一月末のことでした。ニュースでご覧になった方もあるかも。リビー・レーンさんという五十前の婦人です。

さて、社会一般での女性の諸々の権利というものは、それぞれにかなりの権利闘争を経て勝ち取られてきました。婦人参政権闘争などは特に万国共通の出来事ですよね。

教会の中で女性が牧師職に辿り着くのも、同じような経緯が必要なようです。少なくともここのアイスランドの国民教会ではそうでした。

って、アイスランドの内容に入る前にスペースを使い切ってしまいました。「アイスランド国民教会 女性牧師闘争史」は次回に持ち越しです。あしからず。m(_ _)m 


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たまにある忙しい日曜日

2015-03-01 05:00:00 | 日記
先週の日曜日は結構いろいろな行事が重なってしまった日曜日でした。午前中はある教会の礼拝Messaに出席しましたが、これは知り合いで援助をしている難民の若者の付き添いも兼ねてでした。

一度自分のオフィスがある教会に戻ったのですが、午前中の同じ時間に持たれた私の「ホームチャーチ」のMessaでは、新しく赴任した牧師さんの就任式がありました。ここには三人の牧師さんがいるのですが、ひとりが別の教会へ移動したために後任が公募されていたのです。同じ教会にいることになる同僚ですので、式には出られなくとも挨拶くらいは、と思い礼拝後のお茶に滑り込みセーフ。

午後は別の難民の友達ふたりと一緒に、市内にそびえるHallgrimskirkjaというランドマーク的な教会での英語の礼拝に参加。この同じ時間にダウンタウンのカセドラルでは、新たに牧師さんを任命する「按手式」というMessaがあり、知り合いの女性が按手されたので、これも「どちらにしようか?」だったのですが、難民の人たちとの交流は仕事の一部でもあるので、按手式の方をあきらめた次第です。

その後、続いてハルパという音楽会場でおおきな合同クワイアの集いがあり、これに参加しました。「ピースウィーク」という平和を祈る週間の中のイベントの一つで、あのヨーコ ・オノさんも協力していたそうです。市内のヴィゼー島という小島には、ヨーコさん作の「ピースライト」というビームを天空に照射するオブジェもあります。ヨーコさんはアイスランドが気にっているようでよく来氷されています。

私が参加したのは歌うためではなく、「宗教対話フォーラム」という集いに国民教会の代表として出ているためで、「平和」というモチーフの関連でこの「宗教対話フォーラム」全員が招待されたのです。最後に象徴的にそれぞれの「祈り」を「祈りのカゴ(実際はツボでしたが)」に入れることになっていました。

その直後にフィナーレで、全クワイアがジョンの「Love」という懐メロを歌いフィナーレだったのですが、六百人以上がクワイアの総人数だったそうで、なかなか壮観でした。「祈りのカゴ」とわれわれ「フォーラム」関係者は付け足し、のように思えてしまいましたが。まあ、仕事の内です。




ハルパでの「平和の集い」クワイア大集合


夕刻七時くらいにまたホームチャーチへ戻り、今度は昼間に按手をうけた新任牧師さんのお祝い会に参加しました。これがこの日最後の予定でホッとしました。

この新任の牧師さんはアウサさんというのですが、一昨年の夏から一年ほど私のホームチャーチで、子供と若者のプログラムの面倒をみる仕事をしていました。ですから元同僚ということになります。

ベビーフェースで二十一二だと思っていたら、いきなり三十四歳と聞かされてびっくりしたものです。そのアウサさんが初めて牧師さんの着るカラー付きのシャツ(一般のイメージで言うと、神父さんが着ているあのシャツです)でお出ましになりました。

アウサさんはベビーフェースだけではなくて、小柄なのですが(自分のサイズのシャツが教会用品のお店に一着しかない、と言ってました)牧師のシャツがとてもよく似合い、可愛いのなんの。パチパチ写メしてしまいました。もちろん許可をもらってですよ。(*^^*)

そのアウサさんが赴任するのはノルウェーのオスロにあるアイスランド人教会です。ノルウェーにはスウェーデンやデンマークと同様に、もともと四千人程度の一定数のアイスランド人が住んでいました。

それが2008年の経済恐慌以降、さらに多くのアイスランド人が新たにノルウェーへ逃れ、現在ではノルウェー在住のアイスランド人の総数は八千人前後となっています。二倍になったわけですね。

従来オスロのアイスランド人教会はひとりの牧師さんでまかなわれてきました。ですが人が増えればそれに伴って洗礼式や結婚式、お葬式の数も増えます。ここへきてついに「どうしてももうひとり」となったようです。

アウサさんのお祝い会にはそのオスロのアイスランド人教会の従来の牧師さん−この方も女性−も来ていました。話しを聞いたところでは本当に忙しいようです。オスロにあるといっても、アイスランド人はノルウェー全国に散らばっており、例えば何か事故などが起きればそこへ飛んで(文字通り)行かなければならないとのこと。

実際、その数日後の先の木曜日には事故でノルウェーでアイスランド人が亡くなったとのこと。緊急時に対応するには、ひとりとふたりでは雲泥の違いがあると思います。もしかしたらアウサさんは就任早々でこの難しい事態に取り組んでいるのかもしれません。少し日をおいて訊いてみますが。

今回のアウサさんの按手もそうですが、最近の国民教会内での女性牧師の進出には著しいものがあります。数だけではなく「質」に関してもです。プラス、アウサさんのようにルックスも...というのは個人的な領域でした。(*^^*)

この国民教会と女性、については機会をあらためて書いてみたいと思います。最後に一言:「頑張れ、アウサ!」♡


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