レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

アイスランドにもあったんだ 「上級市民」

2020-10-25 00:00:00 | 日記
こんにちは。ものすごいダッシュで、早くも十月の最終週に入ってしまいます。っていうようなことを書くのはやめにしよう、といつも思うのですが、それでも書いてしまいますね。

この間、誰だっけな?アンガールズの田中さんだったか、ダウンタウンの松本さんだったか、テレビで同じこと言ってましたね。「Cxxxxのせいだか、ものすごく一年が早かった...」この速さの感覚は、私の老齢化のためだけではないと安心。




今回はピックは本文無関係の「清涼感」増量用のみ!
Myndin er eftir Vladimir_Riabinin@Unsplash


ヨーロッパでは概してCちゃんの第三波が猛威を奮っています。デンマークでは集会が十人以下に制限されましたし、外出禁止令が「復活」するという国もあると聞いています。

アイスランドでも第一波時ほどではないものの、警戒度は「上から二番目半」くらいのものを保っています。先々週には高齢の女性の方が亡くなり、十一人目の犠牲者となってしまいました。第一波収束後では、初めての犠牲者です。遺族の皆さんに慰めのあることを祈ります。

今月始めから、教会の集会も十月中は休止、となっていましたが、これが十一月の10日まで延長されました。

このようなCちゃん以外にはあまり話題のない現状ですので、今日も前回の続きの昔話しから始まります。

今を遡ること十六年前、2004年に時のアイスランド政府が提出した 外国人法改正案は実際には「改悪案」でした。とりわけその「悪の目玉」だったのが「二十四歳ルール」と呼ばれたもので、アイスランド人と結婚した配偶者であっても、二十四歳未満であった場合には滞在許可を発行しない、というのがその主旨。

繰り返したくないので、その経緯は前回のブログを参照してください。

この改悪案が提示されたのが年明けの一月で、それから四月にかけて、アイスランド国内の人権団体や、移民に対してのサービスを行っている機関が、この改悪案に反対するキャンペーンを繰り広げることとなりました。

私も移民牧師として反対キャペーンに参加しました。不遜に聞こえるかもしれませんが、参加したというよりはその中心にいました。

2004年というのはですね、まだインターネットの個人仕様のサイトなどが普及し始めた頃です。私も自分のサイトを作りましたが、今の様々なサイトに比べると「お子ちゃまランチ」的なものだったと思います。

もちろんSNSも今のようではありませんでした。ということは、何か公的な意見を社会にアピールする必要がある場合には、まだまだ、新聞に一般の投稿をするか、テレビ、ラジオ、新聞等で問題を扱ってもらうか、あるいは直接の集会をオルガナイズするか、くらいの方法しかなかったのです。

しかも、これらのうち集会を除けば、原則アイスランド語でならなければなりません。英語新聞はようやく週刊新聞のGrapevineが普及し始めた頃だったのです。もちろん新聞「紙」です、紙に印刷された。




ブルーラグーン
Myndin er eftir Daniel_Shoibl@Unsplash


で、こういうことからおわかりになるでしょうが、当時のアイスランド社会というのは、外国人である移民にとっては「とってもものが言いにくい」社会だったわけです。

まず情報がアイスランド語以外では入ってこない。ということは、何がここで起こっているのか知らない移民が多いということです。さらに、きちんとした意見を持っているとしても、それをアイスランド語で表現しなければならない、というハードルがあります。

それで必然的に、先頭に立ってものを言えるというのは、それなりの環境にある人々に限られることになってしまいました。

私がこの改悪法案反対も含めて、わりと頻繁に新聞に意見投稿をしたり、普及したてのネットのサイトに意見掲載をすることができたのは、私自身がそのようなことを可能にしてくれる良いサポート環境の中にいたことに依ります。

移民の権利を擁護するために意見を述べることは私の職務の一部でしたから、十分に時間を使うことができますし、意見を述べる「立場」というものがあります。

「移民牧師」というポジション、「公に物申す」ということに関して言えば、例えば工場で働いている一般の移民労働者に比べれば、特権のようなものを持っているわけです。義務でもありますけどね。

その頃、アイスランドにもう十年以上住んでいたので、アイスランド語の読み書きはある程度できるようになっていましたし、もともとものを書くことは得意な方だったので、意見投稿を書くこと自体は、それほど苦労なくこなせました。

ただ、その稚辰なアイスランド語の投稿が、新聞など公の場に至るには「アイスランド語の校正」という関所を通らなくてはなりません。私がラッキーだったのはこの点で、「校正」の役割を積極的に請け負ってくれる人が、職場でもプライベートでも周囲にいつもいたことです。

良い意見を持っているにもかかわらず、この「校正」の関所に引っかかって意見をタイムリーに表明できない人は多くあったでしょうし、おそらく今でも多いと思います。




Hraunfossar フロインフォサー
Myndin er eftir Adam_EdgartonAdam_Edgarton@Unsplash


そんなこんなで、とにかくこの改悪法案反対の運動中、ずいぶん新聞やネットに投稿しましたし、ラジオにも何回か出る機会がありました。もちろん移民の人たちに問題を知らせるための直接の集会も何度か開催しました。

反対のための署名運動もしました。今のようにネットでどんどん拡散できたわけではないので、集まった数はせいぜい四千くらいでしたが、それでも世間の注目は充分に集まっていましたね。それまで、移民が何かを自己主張する、ということがなかったのです。

さて、結果として四月半ばにこの「改悪法案」はアルシンキ(国会)を通過して「法律」となりました。その結果、アイスランド人と結婚した二十四歳未満の外国人は、配偶者としての滞在許可を受けることができず、何度もそれ故のトラブルが発生しました。

このトラブルは外国人の問題というだけではなく、同時にアイスランド人の問題だったのです。自分の妻や夫が一緒にアイスランドに住めないのですから。

「なぜ、自分の国からこんな仕打ちをうけなければならないのか?」と「被害者」のアイスランド人男性がニュースで泣いていました。

その一方で政治家の中には実に見下げた連中がいます。この法案を可決した政権与党の議員にJという女性がいました。彼女の息子が、海外留学中に南米の女性と知り合い、恋に落ち結婚しました。

ところが彼女はまだ二十四歳未満。当然、配偶者という理由ではアイスランド滞在の許可はおりません。労働者として入国する可能性はありますが、夜空の星のひとつを掴むようなもの。非常に困難な道です。

で、何が起こったか?




Hvitserkur クヴィートセルクル
Myndin er eftir Tetiana_Syrova@Unsplash


いきなり市民権を得たのです。理由は南米の故国での政治的危険。

さすがにアイスランドのマスコミもこのことは看過しませんでした。「その女性は政治活動と無縁だったではないか?政治的危険とは何か?」「政治亡命なら庇護申請するのが普通ではないか?」「J議員の息子の妻ということでの特別な計らいではないのか?」「『二十四歳ルール』が自分の首を締めたのではないか?」

道義心のないJ議員も、市民権付与に関与した腐り切った国会内委員たちもシラを切り通したので、確定した真相は現れていません。ですが「真相」はそこにありますからね、隠されているとしても。

一般の移民ふぜい、あるいはその家族のアイスランド人などは一緒に住めなくとも構わない。上級市民は法律など超越しているのだ。そう言わんばかりのこの出来事を目の当たりにして、私は相当アタマに血が昇りました。

やっぱり、政治に無縁ではすまないな... と感じましたね。そして「緑の党」に参加しよう決心がついたのです。

ちなみに、先の「二十四歳ルール」四年後の2008年になって、なんの説明もないまま法律より取り除かれ、破棄されました。なんの益もない一方、被害は事実生じていましたので「やめよう」ということになったのだろうと思います。

それはそれで良いことでしょうが、では被害にあって泣いた人たちはなんだったのでしょうか?これもアイスランドの歴史の、そして社会の一部です。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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「二十四歳ルール」と「緑の党」への途

2020-10-18 00:00:00 | 日記
こんにちは。日本では暑かったり寒くなったりという季節と聞いています。体調を崩されませんよう気をつけてください。

こちらでは意外にも暖かい日が戻ってきました。毎日5-8C°くらいあります。九月の初めには急に寒くなったので「今年の冬はヤバイか?」と心配したのですが、幸いその悪予報は外れてくれました。

この時期になると、車のタイヤをスパイク(ここでまだ使用可)に換えるタイミングを伺うのですが、この様子では焦る必要はないかも。(という落とし穴に何度もはまったワタシですが...)

ところが、実はここのところあまり体調が良くないのです。Cちゃんの兆候はないのですが、眠れない、気が乗らない、腹ペコにならない、というようなことが続いています。

で、考えたのですが、またしても「サブCちゃんシンドローム」かもしれません。Cちゃんに直接感染しているわけではないのですが、いろいろな規制や、仕事の滞り、周囲のよどんだ雰囲気などで、自分自身も気が付かないうちに「Cちゃんウツ」みたいになってるヤツです。

春先にも経験しているのですが、この「気が付かないうちに」という点は甘く見てはいけないですね。皆さんも十分に「気が付かないこと」に気を付けてください。




Cちゃんに対抗する清涼感ピック ウェスターン・フィヨルド
Myndin er eftir Cassie_Boca@Unsplash



さて、今回は最近経験したアイスランド的出来事について書きたいと思うのですが、それには少し「前史」を語る必要があります。

私は牧師になるために神学校へ入る前に、市谷の某マンモス大学で政治学を勉強していました。そうそう、その意味でいえば菅首相の後輩になります。別に嬉しくもないですが。

一時期、せっせと政治活動に身を投じたこともあります。スウェーデ社会民主党のオロフ・パルメ首相にあこがれ、「ああ、なりたい」と思ったものですが、ある時「完璧に能力が足りないこと」「政治の世界で生き残るには人柄が良すぎる?こと」に気が付き、進路を変えたのでした。

こちらへ渡ってからは、政治の基礎にある文化というか風土の違いにやはり気付かされましたし、政治家に不必要な権威主義がないことに好感を持ちましたので、ドップリとはいかなくとも、あらためて政治にもそこそこ付いていくようなりました。

で、2004年か2005年だったと記憶していますが、思い立って「緑の党」という政党に参加したのです。日本語で言うと「入党する」となりますが、この言葉そのものに「入信」と同じような「クサイ」ものを感じますので、「参加した」としておきます。

「緑の党」というのは正式には「左翼運動 – 緑の候補者党」といいます。「左翼運動」というと、日本語ではかつての全学連や内ゲバに走ったような新左翼運動を連想させるかもしれませんが、こちらではそういうことはありません。今では「リベラル」という言葉と同じようなニュアンスだと思ってください。

とにかく、この緑の党への参加しようと思ったのにはきっかけがありました。2004年前後の当時はアイスランド社会での「移民問題」の基礎を据えようとしていた時期であり、「人権」「差別」「偏見」というようなことが多く議論されていました。

移民牧師の私はそういう議論に積極的に参加したのですが、その過程で、どうしても政治に関わる部分が大きいことを痛感していました。その中で「政治にも関係してないと弱いようなー」と思い始めたわけです。




「緑の党」のロゴマーク
Myndin er ur Vg.is


そして2004年。もう十六年も前というのに驚きますが、これは私にとって特別な年となりました。

時の政権は独立党と進歩党(という名前の保守党)の連立政権。独立党の法務大臣ビョルン・ビャルトナソン氏はウルトラ国粋主義者で「外国人法」を好きなように改悪しようと改悪案を提出しました。

その中でも目玉の改悪案は「二十四歳ルール」と呼ばれたものです。アイスランド人と結婚した外国人は、その住居、健康保険、生活費等が保証されていればアイスランド人の「配偶者」として、滞在許可を受けることができました。今でも原則は同じです。

それをビョルン氏は「たとえアイスランド人と結婚しても、二十四歳以下の外国人配偶者は滞在許可をもらえない」と改悪を図ったのです。

この「二十四歳ルール」とは、実際はデンマークで施行されていた政策の猿マネでした。デンマークでは当時既にイスラム教徒の移民が多い国だったのですが、イスラム教徒はわりと早い歳で結婚するのです。

そうすると、デンマーク在住のイスラム教徒の移民(多くの場合男性)が、故国の若い人(多くの場合女性)と結婚し、その若い配偶者をデンマークへ呼んで移住させる、というケースが顕在化してきたのです。

そこでデンマーク政府は「二十四歳ルール」なるものを作り、この「若い配偶者」の流れ込みを止めようとしたのでした。

なぜ「二十四歳」か?という疑問がすぐに出てきます。私も理解できなかったのですが、当時デンマークに留学していたアイスランド人の友人が教えてくれました。

「トシキ、一般的なデンマーク人は、男性も女性ももっと遅くなってから結婚する。二十四歳以下で結婚するのは、圧倒的に外国人あるいは移民に多いんだ。『絶妙』の線引きだよ」

なるほど。でもそうだとしても、そういう事例はアイスランドではまったく起こっていないんだけど?

そう、こういうところが「国粋主義者」「移民排斥主義者」の本性が現れるところなのです。「幸い、我がアイスランドでは、兄弟国デンマークのような不幸な事態には、まだ見舞われていない。だからこそ、先手を取って防止すべきなのだ」

要するに、事実に基づかない机上の、かつ「否定的」な想定に基づいて移民や特定のマイノリティーグループの権利を狭めていこうとするわけです。

ちなみにこのデンマークの「二十四歳ルール」は、多くの人権団体やEUの関係団体からも「重大な人権侵害」として批判を浴びていました。今でもあるのかな?すみません、ちょっと不確か。後で勉強しておきます。




結婚式には人気のあるBudirブージィルの黒塗り教会
Myndin er eftir Simon_Alibert@Unsplash



さて、そのような人権侵害ルールを含んだ、外国人法の改悪案。もちろん、他にも人権侵害の疑いが強い改悪点がいくつも詰まっていました。

そういう移民の権利の危機の時期に立ち上がったのが、白馬のジェダイの騎士、ではない、ただのワタシです。(*^^*)

先ほど書きましたように、私は移民牧師としての職務上かなり全般的に移民の権利ということに関わりがありましたし、しかもこの「二十四歳ルール」は結婚ということにも関連していますので、直に牧師さんの仕事とのつながりもあったわけです。

そういうわけで、この法案が世間に紹介されると、すぐに対応を検討しました。この方の改悪案は移民に対する権利の制限ということもありますが、その論拠の不透明さと、論拠そのものが相当な偏見に拠っていることがあり看過できないものであったわけです。

先にも書きましたが、デンマークの友人から情報を得たり、他の人権団体とコンタクトしたりして、論点を整え、わりとタイムリーに新聞に反対の意を表する記事を送ることができました。

これが2004年の一月から四月まで続く「闘争」の幕開け。なーんちゃって。でも、この時期、かなりこの課題に没頭させられたのは事実です。

やれやれ、先々週から先週にかけて体験した出来事を書こうと思っていたら、とんでもない長饒舌の前振りになってしまいました。でも、そういう事情から書いていかないと、わかってもらえない部分もあるので...

続きは次回になります。老人介護の博愛の気持ちを持ってご容赦ください。m(_ _)m


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C-chan Awakning!! のレイキャビク

2020-10-11 00:00:00 | 日記
10月9日金曜日午後3時。レイキャビク西街は秋らしい青空と金色の陽光に包まれています。こんにちは。

日本では台風が通過した頃?でしょうか?今の(日本時間では金曜の真夜中)時点では、まだ通過し終わっていないので未来形になりますが、被害とかが特にでないことを願います。




こういう状況では、やっぱり清涼感ピックは必要!
Myndin er eftir Landon_Arnorld@Unsplash


ここ数回はとにかく「C–word」を極力避けながら書いてきました。書く方もですが、読む皆さんの方だって、Cちゃんにはいい加減ウンザリしてると思ったからです。

余談ですが、的場浩司さんは坂上忍さんのことを、いつも「しーちゃん」と呼んでいますね。どうでもいいか?

ところがここにきて、またまたCちゃんを無視することのできない状態に陥ってしまいました。

10月8日現在での数字ですが、直近の二十四時間での新規感染者数が94人。これはその前の二十四時間をとっても100前後の数になっています。(その後、金曜日の日中から土曜日未明にかけての感染者は約160人)

アクティブな感染者数が846人。この方々は隔離されていますが、そのうちの23人が入院中。さらにその中の3人の患者さんがICUに収容されています。

感染の可能性があるとしてSottkviソットクヴィという「自主隔離」状態にある人が4.345人います。




このブログを書いた金曜日のレイキャビク西街 秋日和


で、こういう数というのは、アイスランドが小国であるが故に、日本の方にとってはそれほどピンとこないだろうと想像します。「たいしたことないじゃないか」と。

そこで、最近はなんか「感染状況の程度」を客観的に示す指数みたいなものがあるようです。これは最近十四日間での、人口十万人あたりに換算した感染者数で示されます。

それによると現時点でのアイスランドでの感染指数は198,8。十万人あたり198,8人の感染者ですね。これを東京に当てはめると、東京都の人口は今年の9月で13.993.721人(千三百九十九万三千七百二十一人)ということですので、198,8 掛ける139,9は...

ウワッ!! 27.812人となります。これはひどい。

日本全国に換算すると... 総務庁の統計では今年9月の日本の人口総数は1億2581万人ということなので、約25万人となります。

もちろん、人口が一億を超えるような場合、全国均一に感染者が出るようなことはないでしょうから、これはあくまで比較のための算段です。

それでも東京であるならば、「二週間で二万七千人の新規感染」と同じとしたら、その深刻さは伝わるだろうと思います。

まあ、病気そのものに関してそこまで深刻になっている、という感じもしないですけどね。深刻になっているのは、どちらかというと経済、商売の見通しの方ですね、やはり。

八月中旬に、やや新規感染者数が増加して「第二波」と呼んでいましたが、これが本当に第二波なのか、第一派の残存であったのかは私はよくわかりません。重篤日が少なっていたことから「第二波」と認識されたのだと記憶しています。

C-chan Strikes Back!! 「C帝国の逆襲」




急増加を示すグラフ 青部分がアクティブな感染者数


今回は、さらにはっきりと感染者の大きな割合が二十代、三十代、さらにそれより若い十代の青少年層に移っています。それで、今回のCちゃんのアタックを「第三波」と呼んでいるようです。

このあたりの、重篤者割合の現象、若い世代への感染割合の移行等、日本で言われていることとほぼ一致するように思われます。

クラスターというか、集団感染もあちこちで発生しました。病院内、大学、ボクシングクラブ、小学校などです。

この「第三波」、こちらではあっという間に広がりました。「感染者が四人出たよー」次の日は「九人だったよ」とか噂し始めてから、ほどなく「七十四人」「九十九人」まで達したように思います。

まあ、国が小さいということはそういうことなんですよね。国土も小さいから、良いことも悪いことも伝播が早いのです。

それで、この事態は「国家の緊急事態」として認識され、先の月曜日から、また規制が強化されました。もうちょっと正確にいうと「レイキャビクを中心とする首都地域の緊急事態」かな?

東部などの地方では感染者はゼロに近く、規制強化の必要は認められていません。よって、今回は春先と異なり、レイキャビクとそれ以外の地域で規制が異なる、ということになりました。

レイキャビク界隈では、二百人まで緩まっていた集会規制はまたまた二十人に縮小。例外はお葬式でこれは五十人まで可。

また、小中学校、高校、大学もクローズにはならず、授業が続けられます。ただし、授業参加人数は小分けにされるようです。

ソーシャルディスタンスは、1メートルから2メートルへ伸ばされました。

パブやナイトクラブ、床屋さんや美容院のような肉体的接触を必要するお店、ジム、プール等はとりあえず二週間の休業。スポーツクラブなどの活動も同様。レストランやカフェは2メーター間隔を取ったうえで、夜の9時までは営業できます。

さらに、ここにきて「マスク着用」が以前よりも「マスト」として要求されるようになりました。まあ、春の時はしたくても売り切れで入手できないぞー! という事実がありましたからね。今回は大丈夫みたいです。




先日格好いい?ワタシの写真がネット記事に これについてはまたの機会に
Myndin er ur Visir.is/VILHELM


というわけで、実は教会も再びクローズドとなっています。アグネス監督は、二週間よりももう少し先を見越して「十月は礼拝や、高齢者の集いはすべてキャンセルするように」との御触れを出しました。

日曜学校や、中学生のコンファーメーション用の授業は続けられることとなっていますが、教会によっては日曜学校もお休みとしています。とにかく「なるべく自宅にいるように」という方向で進むように、とのことです。

正直言って、私が想像していたよりもストリクトな対応が急に出てきたため、私自身、心の準備ができておらずオタオタしてしまいました。「オタオタした」というのは、なんとなく「なんだ、また休みかー」とダレてしまったということです。オタオタの逆かな?

せっかく、元に戻りつつあったのにー... もう!! というのがフツーでしょうね。こうなったら、持久戦です。ヤケを起こしたら負け。やることと、休むことと、メリハリをつけて、ダレないようにしないと。

「Go to Travel!! Iceland!!」は、まだしばらく先のことになってしまいました。日本の皆様も、めげずにこの持久戦をがんばって続けましょう。


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Don’t you see? ラジオなんて...

2020-10-04 00:00:00 | 日記
十月に入ったレイキャビクよりこんにちは。月日の流れが年(歳)ごとに加速していると感じていましたが、今年は三月以来のCちゃんのゴタゴタのせいか、とりわけ速くなったように思えます。

その中で、志村けんさんや、岡江久美子さんがまだ若くして世を去ったことは残念ですし、また夏には三浦春馬さんのニュースでとてもびっくりさせられました。

そしてまた、今度は竹内結子さんの訃報。自殺の疑いが強いということで、三浦春馬さんの時と同じく、本当に「なぜ?」という疑問は自然に出てきてしまいます。

それ以上立ち入ることはできませんが、魂が安らかであること、また残されたご遺族に慰めと支えがあることを祈ります。




今回はアイスランドの「秋感」特集 


さて、世界中で「特例」となってしまった今年の夏でしたが、もちろんCちゃんを離れても、良いこと残念なことの双方があったことと思います。私の場合、良かったことは超怠惰な夏休みを二週間も取れたことでしょうか?

その反面、残念なこともありました。今回はその過ぎ去りし夏の、「ほろ苦い」残念な体験についてです。とは言っても、この歳になりますと青年期のようなロマンス関係ではありません。悲しいかな。

残念なこと。それはラジオでした。

アイスランドは人口約三十六万人の小国です。ですから、日本と比べるとすべてが身近にあるといって良いと思います。大統領や大臣連中もそうですし、新聞、テレビ、ラジオ等のマスコミも身近にあります。

東京にいた頃でも、街中でのテレビのロケ等に行き当たったことは一度二度くらいしか記憶にありません。それでも少し地方に移って、例えば札幌では街頭からの生中継なんかも日常的に見かけることができます。

というか、正確には「いつ、どこで」街頭中継をしているかわかっている、というのが正解でしょうか?

たとえそうだとしても、なんといいますか、やはりローカル局ならではの「身近さ」というものが感じられる気がします。そういう「身近さ」がここアイスランドではフツーなわけです。

ですから、ここではフツーの人が新聞の記事になったり、ニュースネタになることもマレではありません。フィリピンで台風の大被害が出ればフィリピンの人がインタビューに答えますし、日本からのカップルがこちらの教会で挙式をすれば、その様子がそのまま新聞を飾ったりすることもあります。

逆にいうと、新聞やテレビのニュースに登場する機会があったとしても、別に自慢するようなことではないということになります。ただ、フツーの人であっても、もちろんメディアへの登場機会が多い人と少ない人の違いはあるでしょう。




先日の土曜日の午後 カラッポのダウンタウン


私自身、移民牧師ととしてかなり積極的に発言してきましたので、それなりに新聞のやテレビのインタビューを受けることがありました。

で、新聞というのは活字のメディアですので、これは受けるのがかなり楽です。インタビュアーの人に分かってもらえるようにあれやこれや説明を繰り返すことができますから。

テレビのニュースのインタビューなどは「しゃべり」なのでハードルが高いのですが、基本的に短い時間が多いですし、録画が普通なので、あまりに出来がひどかったら取り直してもらうことも可能です。あとはカット編集。

私の経験では難しいのはラジオです。ラジオはほとんど「生」が普通ですし、短いといっても十五分程度はあるものです。しかも、何かしゃべらないと始まらない。緊張します。

実はラジオにはもう何十回も出てしゃべる機会がありました。ほとんどの場合、「何について」というトピックが決まっています。例えば、東日本大震災で日本へのチャリティへの協力を求めるとか、難民支援のための音楽会の宣伝をする等の場合です。

そういう時には、私は必ず言いたいことのポイントを、紙に書いて事前に頭に入れるようにしていました。もちろん、これらはアイスランド語でなくてはなりません。その場でうろたえないように、事前に作文しておくのです。

それでも、実際にしゃべり終えてみると、「言い間違った」「ああ言えば良かった」とか反省点ばかりで幻滅するのが常でした。今どき、ラジオはネットで後から聴くことができるものなのですが、自分が出た番組とかは聴いたことがありません。聴くに耐えないから。




これは国定公園シンクヴェットゥルの秋


で、この八月なのですが、国営放送のRUVからラジオへ出てくれと依頼がありました。これは英国人のエイブという男性がホストで、アイスランドで活躍する外国人と「アイスランド語で」チャットするという夏季限定のある種特別企画でした。

「活躍する」仲間に入れてくれたのは嬉しいのですが、問題はこれが「徹子の部屋」的なフリートークでテーマがないこと。録音で生ではなかったものの、かなりハードル高いです。

聞けば五十分番組で時間も長い。それでも「好きな曲を五曲かけるから」とかで、それで二十分は消えることでしょう。それでも残りは三十分か。

それで、私はエイブさんに事前に、私が考えていることの多少のレジュメを先に送りました。ついでに「どういうことを聞きたいのか、こちらにも事前に教えてくれ」と頼みました。

難民支援 のための音楽会の紹介のためにラジオに参加するのであれば、そのトピックが人の興味を引くかどうかということです。ですが、今回のようなフリートークでは、話しがつまらなければ、「お前がつまらない」ということになってしまいますから、こちらもそれなりに準備しないと。

ところがエイブのヤロー(失礼)は、何も知らせてこず。しつこくねだることもしたくなかったので、そのまま収録へ。しかもその頃には、この番組が全七回中、六回が北米または欧州からの白人ばかりを招いていたことがわかり、なんとなく私の番組への期待値は減少中。募集してもアジアやアフリカからの移民の人の参加OKをもらえなかった可能性はありますが。まあ、今の時点では引き出しにしまっておきます。

事実として「非白人」のゲストは最終回の私だけ。その頃にはエイブ(「さん」なし)も、飽きがきていたのかも。きちんとした打ち合わせをすることもなく、録音が始まり、案の定、つまらない質問の連続。

「アイスランドに来た理由は?」そういうことはもう十回以上あちこちで話してきたぞ。「日本の教会と、アイスランドの教会の違いは?」そんな話し、聞きたいのは教会の中にだってちらほらしかいないよ。

自分がアイスランド語を習いながら子供たちに日本語を教えること、アイスランド社会での外国文化の受容の仕方の二十年前と今の違い、とかこちらが示しておいたトピックはすべてスルー。

結局、そんな調子で終わってしまい、私としてはこれまでのラジオ経験の中でも最悪の範疇にはまるものとなってしまいました。

ホストが、自分の番組を面白くしようと努力しないのなら、もうお手上げですね。まあ、優しい目で見てあげて、努力していたのかもしれないとしても、結果として「足りなかった」ということです。




マイ・ホーム教会の秋


いやあ、このラジオ出演にはがっかりしました。当然、ネットで聴いてもいません。番組について、誰かに話すこともしませんでした。つまらなかった番組に出て、人から「つまんない奴」と思われるのはワタシ。被害はミニマムに抑え込まないと。

それでも、ひとつだけ良かったことがありました。リクエスト曲にZardの「Don’t you see?」を入れたこと。アイスランドでこの曲が流れるのは、多分これが初めてではないかと... ?

まあ、坂井泉さんの歌声が流れたのであれば、それだけでもこの番組の存在価値はあった、ということですよ。Don’t you see?


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