レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

春闘!? 怒れる人々の挑戦

2019-02-24 00:00:00 | 日記
三月を前にした最後の週となりました。年寄りの口癖になってきましたが「日々が流れるのが恐ろしく早い!!」というのが実感です。

先週は気温がぐっと暖かくなり、七度、八度とかの毎日。もちろんプラスですよ。一回車のパネルの表示で「気温15度」とかなっていましたが、あれは車の勘違いだろうと思います。

ここ二、三日のこちらでの話題はもっぱら「賃上げ交渉」と「ストライキ」です。かつては私も労働組合の関連で仕事をしていましたので、こういう問題にはしっかり関心を持つべきなのでしょうが、悲しいかな、人とは変わるものです。最近では、こういうのはあまりピンと来るトピックではなくなってしまっています。スミマセン。m(_ _)m

ですが、今回はちょっと特別。なにしろニュースがトップで扱うくらいですので。いや、賃上げ交渉に関しては、いつもニュースはトップで扱っていますね。それは正しいいことでしょう、社会の基礎に関わる問題ですから。

ですが、今回のトップニュース性は、いつもとちょっと違って、組合側の要求が甚だしく強気の要求を出し、「さもなくばストライキ」という態度を取っていることにあると思います。




エブリング委員長 ソルヴェイ・アンナさん(右)
Myndin er ur Frettabladid/Eythor


これらのニュースの中で、中心になっているのがソルヴェイ・アンナさんという女性なのですが、彼女はEflingエブリングという労働組合の組長?というか委員長です。

エブリングというのは労働組合の中のひとつ。二十年ほど前の1998年にいくつかの組合が合併して誕生しました。当初は組合員数14.000人ほどだったそうですが、現在は27.000人を抱えています。

日本では企業別の単独の組合が基本的な構成単位ですが、こちらではもう少し大きな職種別組合のようなものが基本の構成単位になっています。つまり複数の異なる会社に組合がまたがるわけです。

エブリングは市の職員、一部の官庁の職員、ガソリンスタンド、病院、清掃関係、ホテル、レストラン等々の職場で働く人たちの組合で、かなり多くの会社、職場をカバーしています。

非常に大雑把で乱暴な言い方になりますが、「あまり給与のよくない仕事に就いている人たちが多く属する組合」と思っていただいて構わないでしょう。というわけで、実は外国人労働者が多く入っている組合なのです。

この組合の前委員長はシーグルズル・ベッサソンさんという男性なのですが、彼は一八年間の長きに渡ってその職を務めてきました。組合誕生二年後以来ずーと彼が委員長でした。去年の四月まで。

ひとりの人が非常に長い間同じポジションにいると、往々にして何かしらの弊害が出てくるものですね。エブリングもそれに当てはまってしまっていたようで、多くの人々が「組合の闘魂を失っている」と考えていたようです。

27.000人という組合員数は決して少ないものではありませんし、エブリングはしかるべき影響力を持つ組合「のはず」なのです。

それで十八年ぶりの委員長交代もニュースになりました。その時、委員長選挙で「組合精神のリバイバル」のような主旨で立候補したのが、現委員長のソルヴェイ・アンナさんでした。

で、アイスランドはとても小さな国、社会ですので、自分の周囲にいる人や、知人が国会議員になったり、ニュースで「時の人」になったりすることがよくあります。

このソルヴェイさんも私の知り合いでした。別にそんなに個人的によく知っている人ではなかったのですが、難民支援の集会や抗議活動で顔を合わせることが多く、「そういう場での」知り合いになったわけです。

どんな素性の人かはほとんど知らなかったのですが、エブリングの委員長に立候補してニュースになった時、「ああ、ソルヴェイさんだ。やっぱり活動家だからなあ」と、いきなり知ってる顔が出てきたことにびっくりはしましたが、立候補自体は納得できる気がしました。

結果、ソウルヴェイさんが新委員長に選ばれたわけで、エブリングを率いて一年目、初めての賃上げ交渉の時期を迎えているわけです。




エブリングの要求内容の報道
Myndin er ur Visir.is


この賃上げ交渉は、エブリングのもうひとつ上の包括組合連合のような「職種別組合連合」と「経済生活連盟」という経営者連合のような団体の間でまず持たれます。それが今年は始めから噛み合わず、あっさり決裂してしまったように見えます。

新聞の報道によりますと、エブリングを中心とする組合側の要求は主なものが以下の通りになります。これは2021年までの向こう三年間での賃金アップ率です。

一般性産業従事者 69%、一般魚産業従事者 70%、清掃関係従事者 69%、ガソリンスタンド労働者 71%、大型バス運転者  85%、トラック運転者 80%等々。

これで見ると、かなり大幅なアップ要求ですよね。早期交渉決裂もうなずける気がします。一部の報道では「まったく馬鹿げた要求」「空想の世界の要求」とかの厳しい言葉もあるとか、ないとか。

経済界や政治の上の方からは「ストライキは今のアイスランド社会にとって、深刻なダメージとなるよー」という懸念の声が聞かれます。

その反面、一般市民の方からはスト支援の声も多く聞こえてきます。

十一年前の経済崩壊以来、アイスランド社会での賃金の「二極分化」がよく語られてきました。一割以下の「金持ち族」プラス二割程度の「まあいい給料族」と七割の「低所得者層」の二極です。

本来はここに「生活impossible貧困層」が入るべきかもしれません。絶対数はそれほどでもないかもしれませんが。実際にこの社会でも「この給料でどうやって生活できるのか!?」という人たちが存在しているのです。




賃上げを後押しする「ハングリー行進」のイベント 2月23日
Myndin er ur Facebook_Event


そういう人たちの怒りが今回の組合側の要求の背後にあります。銀行のマネージャーらが月に300万とかにサラリーをアップするとかの報道を見て、頭に血が上っている人は多いのです。

当たり前ですよね。十年前にこの国のすべての人々にあれだけのしんどい体験をさせた張本人たちが、いけしゃあしゃあとベラボウなサラリーを受けようとしているのですから。「その金、まず返すべき人たちが他にいるだろ!?」です。

経済崩壊以来、ある意味では官民一体のような「挙国一致」で危機を切り抜けたアイスランド。今は好況の追い風を受けていますが、これまでの過程でおざなりにされ、放って置かれた課題も山とあります。

老齢者の年金カット、障害者への保障の劣化、外国人労働者への違法な労働環境の放置、病院関係者の低賃金・高負担労働等々。

今の時期、そろそろこういう諸問題をきちんと議論の場に上げ、「普通の人々」が「受けるべき保障」「当然の労働の対価」を享受する方向への転換を図るべきなのでしょう。

今回の賃上げ交渉とストライキの危機、単なる数字のやりとり以上に奥深いものがあると思います。


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予期せぬ出来事 – の週

2019-02-17 03:00:00 | 日記
二月も中旬。レイキャビクはまだ雪に覆われているところも目につき、気温もゼロ度あたりをさまよっています。ですが、日の長さはぐんぐんと伸びていって、今は夕方六時でもまだ明るいです。

気象局の公式サイトでは、例えば昨日の土曜日は日没が18:05、暗くなるのが18:56と掲載されています。反面、明るくなるのは8:30、日の出は9:20とまだまだ遅いですね。

さて、先週の一週間 -正確に言うともう少し長くて先の十日間くらいなのですが- 身の回りを中心に様々な出来事が連続して起こり、非常に忙しい思いをして過ごしました。「忙しい」というのは「やることが多い」という意味もありますが、それ以上に「心を占められる」「持っていかれる」という面も大きかったと思います。

ほとんどは仕事関係の出来事だったのですが、どんな感じの一週間だったかをざっくりと書いてみたいと思います。もちろんすべてを書くことはできませんので、差し障りのないものを。

まず十日ほど前の先々週の木曜日になりますが、私がお世話をしている「難民の人たちとの祈りの会」の参加者の一人が、大きな幹線通りの陸橋に登り「飛び降り」の様子を見せたため、消防隊や警察まで駆けつけ「御用」となってしまいました。




レイキャビク ハウテイグス教会での祈りの会の様子


私は当日は会いに行くことはできませんでしたが、翌々日の土曜日になって教会で二時間ほどゆっくり話し合うことができました。この人は以前から「痔」に悩んでいて手術を望んでいたのですが、聞き入れられなかったことに対する抗議だったようです。(功を奏したのか一週間後に施術されました)

その土曜日なのですが、遡って朝の九時からNHK第一ラジオの「ちきゅうラジオ」という番組に「生」で出演させていただきました。約8分間。

その一時間前の八時に番組担当のスタッフの方が電話してくることになっていたので、こちらも多少早起きをしてスタンバイ。声が寝ていては申し訳ないですから。

たった八分でも、事前に「こういう質問があるから、こういう風に答えて、次はこうで」のように打ち合わせをします。録音と違って「生」では、間違えることができませんので、そこは緊張しますね、やはり。出番を待っている時間。することはないのに忙しい、という見本です。

ただ日本語なので楽です。こちらでもラジオはよく出る機会があるのですが、アイスランド語で話しをするのはいまだに冒険気分になります。話しの内容よりも「文法」の方にアタマが行ってしまう。(^-^;

翌日の日曜日は、十一時から礼拝があるのですが、私は責任がなくただ参加するだけ。「ただ参加するだけ」というのは罰当たりな言い方です、スミマセン。仕事ではない、という意味です。

で、その前にサムターキン78というLBGTの人たちの団体のオフィスへ寄って写真撮影。その団体の現会長(可愛いレスビアンの女の子)から「LBGTの人たちの権利を訴えるキャンペーンがあるので、支援してくれ」と頼まれたからでした。

LBGTの人たちの事柄に関しては「教会はすべからず保守的で反対派なのだろう」と思われる方が多いかもしれませんが、そんなことはないですよ。アイスランドでは牧師さんたちの半数以上が支援に回っていると思います。もちろん、強弁な反対派もありますが。




ラジオで紹介した伝統料理 中央左の灰色の半円形のものは羊の睾丸


その足で礼拝へ。私の同僚の可愛い女の子牧師の担当する礼拝でした。(こういう風に女性に「可愛い女の子」を連発すると、それだけで「性差別者」の非難を浴びそうですが、可愛いのは事実だし、「可愛いだけ」ではなく有能な牧師さんなのでした)

午後は自分のホーム教会で礼拝を担当。ここで嬉しかったのは、長らく滞在許可の問題で出国を余儀なくされていたアフリカのチモさんが、晴れて「合法的に」戻ってきて礼拝に来てくれたことです。

ただ実際はこれも直前になって、「ビザが降りない」「空港警察に拘束された」などハプニングの連続で、こちらもアタフタしたのですが。チモさんはアフリカのある国に退去していたのですが、すべては「勘違い」の所産で、ほどなく誤解が解けホッとしました。

チモさんのことは以前にも書いたことがありますが、とにかく問題解決まで丸七年かかりました。解決して本当に良かった。

夢 お告げ、迷信、深層心理?


ですがその礼拝の後、ひとりのレギュラー参加者である難民申請者の青年から携帯にメッセージ。「一言も告げずにごめんなさい。でも訳あって別の国へ出国しました」

あれ、まあ。難民申請者は「うまくいかない」とみると、別の国へ逃れていくケースはよくあります。ただ、こん青年の場合は、待っていれば許可が下りるのは間違いなかったので、少々驚きました。

ですが、彼には非常に理解できる、個人的な事情がありましたので、事前に言ってくれたら祝福して送り出したんですけどね... まあ、それは彼の判断です。

それから火曜日の朝になって、読売のネット版を見ると、あの「池江璃花子、白血病を公表」とあるではありませんか! これは私の身の回りのことではありませんが、ショックを受けました。

そして翌日でしたか?池江さんのツイッターでのお礼と決意表明。「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」

十八歳の若者がすごいな、と思わされました。まずはしっかり治療をし、元気なっていただきたいと願い、祈ります。

水曜日。この日は夕方から難民申請者の人たちが、レイキャビクで自らの権利をアピールする集会を持ちました。実はこれも急に決まった集会で、二日くらい前にアナウンスされたもの。




難民のアピール集会 ハットゥルグリムス教会前から国会議事堂まで行進


No Bordersというリベラルな団体の支援を受けて、六十人ほどが空港の町ケフラビクにある難民キャンプからも参加しました。

もちろんレイキャビクにいる難民申請者や支持者も参加。私も行きました。こういう集会には私は何度も参加してきましたが、今回嬉しかったのは、私の他にも教会の牧師、ディーコン(教会の中にあって、福祉の色彩が強い奉仕をする職)の参加を表明してくれたことです。

そのうちのふたりは、「祈りの会」を一緒にしている女性牧師でした。ひとりは先に述べた「可愛いだけではなく有能な女の子」牧師です。もうひとりも同様。ところが、集合場所へ来る途中で、彼女らが一緒に乗った車が追突事故に遭ってしまいました。

結局、ひとりは一応病院で診察を受けねばならず、アピール集会に参加はできませんでした。それでも、幸い怪我はなかったようで「神に感謝」です。

忙しい、というよりはハプニング的な、予期せぬ出来事が続いた週、と言った方が正解かもしれませんね。とにかく心は忙しかったです。(*^^*)

願わくは今週は落ち着いた、多少のんびりした日々となってくれますように。皆様も心にゆとりを持って過ごすことができますよう願っています。


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在アイスランド的スピーチ上達の落とし穴

2019-02-10 03:00:00 | 日記
レイキャビクでは日ごとに「春」が近づくのが感じられます。なんて言うとちょっと言い過ぎになるでしょうが、日の光がみるみる輝きを取り戻しているのは事実ですし、夕方も五時を回ってもまだ明るいような日々になっています。

ただ日の出はまだまだ遅く、太陽が顔を出すのはやっと十時を回った頃ですね。日の光が強さを取り戻している分、その時間に車を運転していると、低いところにある太陽がまともに真正面、てなこともあります。これは正直やっかいなところです。

さて、今回はモデルというか「見本」?の大切さについて書いてみたいと思います。そんなに中身のある話しではありませんので、そのつもりで。(^-^;




Blue Bloods PC Reagan


よくスポーツで「イメージトレーニング」とか言いますよね。何をどんな具合にやればいいのか、というようなことをイメージとして頭に取り込んでおく、というようなことだと理解しています。

それって結構大切なこと、有用なものなのではないか?と思います。私は寒いところが大嫌いで、高校二年の頃までスケートをしたことがありませんでした。でもある週末誘われて、友達何人かと夜行のバスで富士急ハイランドへ行ったのです。

まったく初めてだったのですが、最初からかなりちゃんと滑ることができました。友達からも「オマエ、本当に初めてなのかよ?」とか言われましたから。

私はそんなに運動神経の良い男ではありませんが、その時滑れたのはイメージがあったからだと思うのです。少年トーマはオリンピックが大好きで、冬季大会のスケート競技なども良く熱中してみていたのでした。

それで、足はこう出して、体重を乗せて、カーブの時は外の足を大きく伸ばすようにして云々がイメージとして頭の中にありました。それが役に立ったのだと思います。

三年くらい前に、前にオフィスがあったネス教会の隣りあるにあるハーガスクール(中学校に相当)の生徒たちが、野球の真似というか、ソフトボール投げをしているのを通りがかかりに見たことがあります。

皆が皆、砲丸投げのような押し出す格好で投げていました。「こうやって投げるんだよ」としゃしゃり出ようかと本気で考えたほど、歯がゆかかったです。これは、おそらくこちらの子供達は野球を見たことがないので、「投げる」ということのイメージがないのだろうと想像しました。

で、私が思うには、これは別にスポーツに限られたことではありません。いろいろな種類の活動とか、立ち振る舞いにも「イメージ」「お手本」はあった方が良いのではないかと考えます。




Chicago P.D. Hank Voight


私は職業的に、人の前に立って話しをする機会が多くあります。教会の礼拝での説教、その他の場所でのスピーチ、あるいはレクチャー。日本語でする機会はほとんどありません。英語かアイスランド語です。

英語でのスピーチはわりとイメージが湧きやすいですね。何度も書いてきましたが、私はテレビのポリスものが大好きですので、「英語をこういう風にしゃべろう」ということに関してなら、かなりたくさんのモデルがあります。

ここでちょっと脱線しますが、私はわりと簡単にテレビの中のキャラクターに影響されます。「なりきり度」はかなり高い方でしょう。

例えば最近お気に入りのNYPDもののBlue Bloods。主人公のポリス・コミッショナー、フランク・リーガンは良くスピーチをしますし、それもかなり良いスピーチをします。

で、気がつくと、最近の私のスピーチの時の話し方はフランク・リーガン調になっていたのでした。話しの抑揚のつけ方、間の取り方、聴衆への目配りの仕方等々、真似っこです。でも、それが役に立つのです。

最近、もうひとつ気に入ってるキャラクターは、Chicago P.D.の主人公のダーティコップ、ハンス・ヴォイド刑事(警部補?)。この人はコワモテするタイプなので、話し方も「上から調」のことが多いのですが、最近これも気がついたら「祈りの会」でのお話しがハンク調になってきた??これはTPOがそぐわないかも。

ついでに告白しておきますと、教会の礼拝説教の時に、長らく手本にしてきたのはテレビのWest Wingでのバートレット大統領(マーティン・シーン)です。これもテレビのキャラではありますが、質の高いドラマだったので、物語中の演説などは本物の大統領よりも大統領らしいものでした。

そういうのを真似するところからスピーチとかは上達するのではないかと思います。私らのように英語が母国語ではない者は、特に「これ」というモデル、手本を持つことが大切なのではないでしょうか?

その点に限っては、私の「影響されやすいキャラ」で得をしたかもしれません。




West Wing President Bartlet


翻ってアイスランド語です。

アイスランド語でお説教やスピーチをすることも定期的にあるのですが、あまり上手ではないだろうと思います。もちろん読む練習は何度もしますし、原稿は校正されていますから、聞くに耐えない、ということはないでしょう。

ですが、自分自身でそれほど格好良いスピーカーだとは思えないのです。なぜかというと、そもそも「こういう風にしゃべろう」というモデル、良いイメージが頭の中にないからです。

なぜないのか?というと、周囲を見回してもお手本にしたくなるような、アイスランド人のスピーカーがいないからなのです。政治家にしても、テレビの中のキャラクターにしても。

この「手本の不在」は、英語での場合と比べても、長期的にはかなりのマイナス効果です。

「バートレット大統領調でアイスランド語をしゃべれば良いではないか?」とお思いの方もありましょう。ですが、そこが言葉の面白いところで、そうはいかないのです。

言葉が変わると、表現の違いや、通用しない言い回しというようなものもあるので、お話しの構造そのものや「トーン」までが変わってきます。例えば英語での説教を、そのままアイスランド語に訳しても良い風には仕上がらないのです。英語はわりと軽口がはさめるトーンですが、アイスランド語ではもっと重い雰囲気になります。

だから、アイスランド人で手本にしたい!と思わせてくれる人がいるのが望ましいのですが、これが叶わぬ夢となっています。

大体スピーチに限らず、アイスランド人「格好良い」とか憧れる人はいないようなあ… 何でだろう?。みんな距離が近くにいるから、「夢」的に憧れることができないのかなあ。

アイスランド産のテレビドラマとかが少ないから、手本の標本自体が小さいとか?

二十年以上もここで暮らし、そこでの生活はかなり気に入っているのに、考えてみたら憧れる人物がぜんぜんいない。これって、もしかしたら結構「深い」問題かもしれません。

そう言えば、二十年も前に「クレヨンしんちゃん」を、アイスランド語に吹き替えて放送してたなあ。あれを見てこちらの子供達は「ブリブリ! ブリブリ!」とか真似をするようになったのでしょうか…?

それはまた別の問題か…?(*^^*)


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番宣! 土曜日NHKちきゅうラジオ

2019-02-09 00:00:00 | 日記
ちょこっとだけ番宣をさせて下さい。






2月9日の土曜日午後五時から始まるNHK第一ラジオ「ちきゅうラジオ」に、短い間ですが「生」出演します。アイスランドからのトピックをお伝えするため。

コーナーは六時前後ということですが、おヒマでしたらぜひ聞いて見て下さい。「声」が聞けますから。(*^^*)

NHK ちきゅうラジオ


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裸婦は女性の敵?自由の味方?

2019-02-03 03:00:00 | 日記
ここ一週間ほど、レイキャビクでは寒いけれどもとても良い天気の日々が続いています。先の水曜日、また昨日の土曜日には久しぶりにマイナス10度とかになりましたが、大体そのように寒くなるときは風もなく、静かで良い天気のことが多いのです。

「良い天気」と今書きましたが、ちょっと言葉に詰まりました。アイスランド語ではfallegt vedur とかfallegur dagur、「美しい天気」「美しい日」という言い方をよくします。今現在は雪が積もっていますので、キラキラとした陽光(二月になると日の光が蘇ってくるのです)が白い雪面に反射し、まさに「美しい日」という感じがします。

さて、今回は一月の下旬にこちらの社会でとても話題になったトピックです。女性の裸体を扱った絵画にまつわるトピックです。

といっても、世のおじさんたちが好きそうな猥褻な絵画ではありません。芸術性の高いきちんとした?美術絵画をめぐる出来事です。




撤去されてむしろ話題となったグンロイグル・ブランダルさんによる絵画
Myndin er ur Visir.is


この出来事がニュースになり話題になったのは、この一月の下旬になってのことですが、そもそもの発端は昨年の夏にまで遡ります。2017年の秋あたりから起こり始めたMee-tooムーブメント。ご承知のように、女性がセクハラに泣き寝入りすることをやめて、正面から告発に立ち上がった運動ですが、この波はアメリカからヨーロッパにも渡り、アイスランドにまで届きました。

昨年の夏頃には一応穏やかになってはいましたが、それでもそういう気運は残っています。そういう背景の中で、アイスランドの中央銀行を舞台にしてこの出来事は起こりました。

中央銀行は、日本で言えば日銀のようなもので、格の高いインスティチュートです。そしてその構内のロビーだか会議室だかに裸婦の絵画が飾られていました。ちょっとはっきりしないのは、この絵画が一枚なのか二枚なのかです。すみません。

すると、幾人かの女性行員が「このような裸体を毎日見させられるのは心外だ」というようなクレームをつけたらしいのです。正確にどのようなクレームだったのかまでは調べていません。

新聞の記事の具合から察すると、このクレームを支援する外部の団体等もあったようです。

中央銀行は、このクレームを受け、これもいろいろ外部のアドヴァイスも求めたらしいのですが、とにかく半年経ったこの一月に、問題の絵画を撤去し地下のガレージに移したのでした。

この絵画はアイスランドの画家グンロイグル・ブランダルという方の筆によるもので、きちんと評価された、それなりに価値のある作品だそうです。

この顛末がニュースになって報道されると、思いの外大きな反応が寄せられました。アイスランドのネット新聞には、それぞれの記事に直接コメントを送ることができるシステムになっており、読者の関心があるか否かはわりと容易く知ることができます。

(*それでも断っておきますが、このコメントシステム、こちらでも言いたい放題の悪口雑言を書き込む人が過半数で、私は普段はまったく無視していますし、こんなシステムやめるべきだと考えています)

で、全部に目を通したわけではないのですが、意見の大方はこの「撤去処分」を芸術における表現の自由に対する著しい侵害と見るもののようです。

私は始めはこのニュースに関心がなかったというか、何の話しなのか気がつかないで過ごしていたのですが、Facebookとかで、やたらにミケランジェロの裸体の彫像だとか、ミロのヴィーナス像だとかがアップされていたので、「何なんだ、これは?」と訝っていました。そういうことだったのか、と分かったのは実を言うと、かなり日が経ってからのことだったのでした。(^-^; (恥)




今回SNSでよく使われていたミケランジェロのダビデ像
Myndin er ur Jp.wikipedia.org


アイスランド芸術家連盟の会長エルリングル・ヨハネスソンさんは「中央銀行のこの行いは、芸術に対しての『ピューリタニズム』に陥っている」と批判し、公式に連盟から抗議文を送ったと報道されています。

さらにアルシンキ、アイスランド国会でもこの問題が論じられました。無所属の議員オーラブル・イースレイフスソンさんが、行政上は中央銀行のトップであるカトリーン首相の考えを質問したのです。

カトリーン首相は一昨日の金曜日に43歳になったばかりで、有能なばかりでなく、相当可愛い女性でもあります。(てなこと言うと、それもセクハラとか女性蔑視とか糾弾されかねないですが) ちなみに彼女はもともとは文学の専門家。

カトリーン首相は答弁に立って:「ふたつあるいは三つのポイントがあります。まず第一に、私は芸術における表現の自由を絶対に擁護します。これが大原則。

しかしながら、報道されていることを見る限りでは、問題の絵画の陳列は、銀行の特定のスタッフに不快な思いをさせていたということです。もしそのようなことがあったのであれば、銀行がそのような状態を改善し、誰もが気持ちよく仕事をできる環境を提供しようとするのは正しいことだと言えます。

いずれにしても、この問題が「裸体をモチーフにした芸術作品」を陳列するのを禁止するとか、そのように謝って政治的に利用されることがあってはいけません」

というわけで、カトリーン首相はまことに正論を吐いたのでありました。




おととい誕生日だったカトリーン首相
Myndin er ur Vg.is


まあ、ワタシ的には「特定のスタッフが不快に感じた」というのは、かなり政治的解釈だとは思いますが。その「不快に感じた」のがすでに「政治的反応」であるように思えてしまうので。

アイスランドは「表現の自由」を愛する国です。だから検閲とかにアレルギーを起こします。おかげで、「言いたいことはおよそ何でも言っていい」度でも世界のトップ水準を保っています。

いつだったか、そういうリサーチがあったんです、「何でも言っていい国順位」みたいなのが。アイスランドはベスト5には入っていたと記憶しています。

そういう気風があるからこそ、今回の出来事が議論の的になったのでしょう。しかし面白いのは、絵画撤去の原因になった「女性スタッフの不快」もアイスランドで強いフェミニズムの気風によるものだということです。

小さな社会の中で、ふたつの異なった精神性がぶつかっちゃったということでしょうね。それにしては議論は多勢に無勢感がありましたが。

皆さんはどう思われますか?お勤めの場所のホールとかに、かような裸婦や裸夫の絵画が飾ってあり、毎日ご対面しないといけない状況であったとしたら?

自分ならどうだろう?と考えると、意外にビミョーですね、どう反応すれば良いのやら...


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