レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

トウキョウ港街ひとり日誌(18-1)– ハチオウジの復活

2018-04-29 05:00:00 | 日記
名古屋へのセンチメンタルジャーニーを終えて、日本帰省の締めくくりは東京になります。「必ず」とはいかないのですが、予約が取れる時はいつも新橋のホテルに滞在します。

新橋を「港町」と呼ぶのはちょっと正確さを書くかもしれませんが、東京全体から見れば海に近いのは確かだし、まあ良し、としてください。

新橋に泊まるのは、神学校に入る前、三年間ほどここでサラリーマンをしていて見知ったところだから、というのが主な理由ですが、どこへ行くにもわりと行きやすいというか、東京駅に近いのが便利、と思っています。

時々予約が取れないこともある定宿は、札幌の定宿と同じチェーンのホテルサンルート新橋。サンルートは都市によって、随分格というか、雰囲気が違うのですが、新橋のはきれいで、わりと控えめな感じのホテルです。女性受けする感じかな?

Jさんという、かわいい中国系の受付けの女性にいただいたお部屋は15階で、これは結構ラッキー。やはり上に行った方が景色がいいですから。以前、地震があった時は怖かったですけどね。

エレベーターを降りると、正面に東京タワー。部屋からは汐留のビル。「あ〜、トーキョーだ〜!」と叫びはしませんが、胸中「ムフッ」としたところはあります。水トちゃん、いないかな...? とか。




新橋のホテルの部屋から 目の前は汐留のビル群


すっかりお上りさんと化したワタシが、翌朝向かったのは八王子です。文字通りの生まれ故郷です。母方の家のお墓があるので、たまの御墓参りに行くことにしたのです。

私はまったく「お墓」に執着する人ではないのですが、母が札幌からは来れるものでもないし、なんというか名代というか、親孝行のつもりでした。

東京駅から中央線一本。きちんと座っていけます。私が若かった頃は、中央線というのは基本的に八王子から高尾へ行くのが「当然」で、まれに情けで立川から青梅方面に曲がっていく電車ある、という感じでした。

それ以降、八王子がどうしようもない大学の誘致にうつつを抜かしているうちに、周辺の立川、町田、その他奥多摩方面に先を越されてしまい、今では中央線の半分くらいしか高尾まで行かないのでは?という気がしています。

そんなこんなですっかり「負け組」の感があった八王子ですが、最近、盛り返してきている面もあるようですね。

ひとつは「タカオザン」高尾山の人気上昇です。これは、私は三年くらい前までまったく知らなかったのですが、アイスランドから日本へ交換留学へ行く学生さんたちの間でも、高尾山は「MUST」スポットになっていたのです。なんで?

で、その後聞き知ったところでは、交換留学生のみならず、トウキョウ人一般の間でも高尾山は静かなブームになっているとか。八王子市立第七小学校に在籍した私ら学童としては「え〜! またタカオザンかよ?」が合言葉でしたが。

そして、もうひとつの八王子盛り返しの旗頭は、いうまでもなくヒロミさんとタッキーの「八王子リフォーム」ですよね。「有吉ゼミ」を始めとするバラエティであれだけ、八王子印の入ったTシャツで活躍していただいて、周囲の八王子を見る目も変わってきたのでしょう。

ついでですが、買いました。「八王子印」のTシャツ。駅前の「ドンキホーテ」で。一枚千円ですからね、安かった。娘に二枚、その彼氏に一枚。息子に一枚。ワタシは...要らない。NYヤンキース印の方がかっこいいから。

まったくの偶然なのですが、名古屋にいた土曜日の晩、テレビで八王子の特集をやっていたのです。ホテルで観ました。「アド街ック天国」です。なんと「BG」でもお会いしたばかりの上川隆也さんもゲスト出演。八王子出身だったですね、上川さん。知りませんでした。




お土産に買った「八王子Tシャツ」


さて、八王子に着きました。駅ビルはもう「Sogo」ではなく「セレオ」とかいう名前が付いています。スミマセン、存在感のない名前で覚えられず、ネットで調べて書いています。(^-^;

ここにあったんですよね、成人の日の際の、あの「晴れ着騒動」の会社。

そして「ドンキホーテ」でお買い物した後は、昔の目抜き通りを歩き、「晴れ着騒動」でお助けのサポートをしたとニュースにもなっていた「荒井呉服店」前を通過。言わずもがなですが、ユーミンの実家です。ほら見ろ! 八王子、結構すごいではないか。ちなみに、ワタシの兄貴はユーミンの幼稚園の同級生です。

しばらく歩いたところにあるお寺でお墓参りをすませ、かつて自宅があった町の方へぶらぶら歩いて行きました。実は結構足が痛かったんですけどね。

かつて自宅があったところには、別のワンルームアパートのような新築物件が建っていました。まあ、その点では感傷的にはなりません。時は移りますからね。

その後、お世話になっていた知人の方を訪ねてから帰りましたが、翌日もまた八王子へ。

前日会い損ねてしまった、素敵なご婦人とお会いするためです。私が洗礼を受けた八王子の教会の知り合いで、私より九才年上なのですが、全然昔と変わらない、という不思議な方です。そういう人って、時々いますよね。

名古屋でも教会の方々と旧交を温めたばかりでしたが、名古屋と八王子では違いがあります。名古屋では私は「牧師」あるいは「神学生」というタイトルだったのですが、八王子では「青年」なのです。「青年会」にいた「青年」です。実際には「Used to be」ですが。この違いはかなり決定的で、なかなか覆りませんよ、へへ。

だから、そういうのが「故郷」なんでしょうね。「結果」ではなくて、その前の段階がそのまま残っているのが。良いにしても、悪いにしても。

キリストも聖書の中で言っていますよ、「預言者は故郷では受け入れられない」と。要するにガキ(失礼!)の頃を知っている人たちのいるところでは、そのイメージのために人々の目が曇らされてしまう、ということです。

キリストの場合はそれは悪い方に傾いてしまいましたが、一般的には必ずしも負ではないのでしょう。ワタシの場合は、「牧師」ではなく「青年(used to be)」であることに、異議を唱えるどころか、一抹の嬉しさすら感じます。「諸手を挙げて嬉しい」というのではなく、「いやー、少しは成長したんだけどね...」という部分が残るのが「故郷」なところです。

で、感じたことですが、「では、その、ちょっとは成長したワタシが、何か、今、故郷でできることはあるのかしら?」ロナルドのように、故郷の町にドカンと大きなお金を落とすようなことは、もちろん別世界のことですが、お金ではなくとも何かしら。

これまで、そんなこと考えたことなかったのですが、そういうことが頭をよぎるといいうことが、初老の証しなのでしょうか?





前より手入れが行き届いているように思われた富士森公園


その後、さらに懐かしい、私が小学校六年の途中まで住んでいた「富士森公園」という公園のある地域へドライブ。非常に久しぶりでしたが、昔よりも立派な公園になった感がありました。写メを撮って、なんか得をした気分になりました。

郷愁を帯びて、京王八王子から都内に戻りました。銀座を歩いて、中国からのお客さんで膨れ上がったようなユニクロでお買い物をすると、なぜか現実に引き戻されたような。

トウキョウ最後の夕食は、新橋の横丁にある「宇奈とと」で特上うな重弁当を、ごはん大盛りにしてもらいお持ち帰り。1600円。ここのうなぎ弁当は旨いです。

新橋で働いていた頃は、そういう環境は「日常」真っ只中で、そこから少しでも「非日常」の世界へ行きたい!と思っていたように覚えています。今は、その新橋に来るのが、あるいは日本へ来るのが「非日常」になっている自分です。

だから、「日本がいい」とか「海外がいい」ということではないんでしょうね。「隣の芝生は青く見える」というのは、思っていたよりもふかぁ〜い真実なのかもしれませんね。


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ナゴヤ南街ひとり日誌(18-2)- 出会い、再会、そして出逢い

2018-04-25 05:00:00 | 日記
札幌から羽田、東京駅を経由して名古屋へ入ったのは土曜日でした。

翌日は日曜日、名古屋めぐみ教会の礼拝(ミサ)に出席し説教(お寺のお坊さんの講話のようなもの)を担当しました。日本の教会で、日本語でお話しをするのは、アイスランドへ移る前、最後の礼拝を柴田教会で担当した時以来で、二十六年ぶりのことです。で、感じたことは「やはり、日本語でするのはラクだー!」ということ。これはもう、仕方がないですねー。

その二十六年の間には、やはり色々な変化もあり、柴田教会と恵教会は、隣り同士ということもあり、合同してひとつの教会となりました。そして、恵教会は旧教会堂を取り壊して、新しい会堂を建てました。名称も変わり、現在は「名古屋めぐみ教会」となっています。

当然、私はこの新会堂は初めてだったのですが、よく考えてデザインされており、また暖かい感じのする教会堂です。会堂内の電灯が、写真に撮るとどうしても昔懐かしい「インベーダーゲーム」のUFOに見えてしまうのですが... (*^^*)




名古屋めぐみ教会の会堂内部


この「暖かい」というのはハード、つまり建物としての教会堂についてなのですが、実際はそれに加えて「そこの人々の集いの暖かさ」というものもありました。で、その点で感じたことは、神学校時代の友人であり、現名古屋めぐみ教会の牧師であるH牧師のパーソナリティが、ここの集会全体に反映していること。面白くて、暖かい。そしてメチャ優しい。

もちろんこれは、私の主観的な思い込みであって、恐らくはもっといろいろな人々のケミストリィであの暖かさは創られていることでしょう。それは確かですが、それでも牧師のパーソナリティが大きな影響を与えることも、また確かです。

その暖かさを感じた時、H牧師の働きが、名古屋めぐみ教会でうまくいっており、調和を醸し出していることを確信できました。これは嬉しいことです。

同じく嬉しかったことは、大勢の旧知の皆さんと再会できたことです。旧恵教会、旧柴田教会の多くの方々と二十六年ぶり、あるいは三十年ぶりに会うことができたのですが、嬉しさ倍増なのは、そのほとんどの方が間断なく私に話しかけてくれて、懐かしんでくれたことです。

三十年も放りっぱなしにしてきた「放蕩(ほうとう)息子」に対しての、まさしく聖書的寛容なのでした。「放蕩息子」とは聖書の中にある有名なたとえ話で、ある金持ちの息子が、仕事も手伝わず、前受けした身代を放蕩して使い切ってしまい、仕方なく父の元に帰ってくると、父は恥じ入る息子を、意外にも喜んで迎えた、というものです。

ただ、もちろん、残念なこともありました。まずは研修時には小学生だった子供たちが、私と会うのを楽しみにしてくれていたのですが、実際に顔を合わせてみると、こちらはすっかり成人した連中にビックリ。向こうはすっかり老化したワタシにビックリ。これが現実だから。(^-^;

もうひとつの残念は、三十年の間に他所へ移られたり、またこの世を去られた方もあることです。亡くなった方については、必ずしも「歳の順に」というわけではないことが、人の現実の厳しいところです。




洒落た中庭もあります


昼食後、H牧師は忙しい中を、わざわざ知多の海岸までドライブで案内してくれました。知多はもちろん初めてではないのですが、牧師同士、内密?の話しもいくばくかあり、ドライブがてらそういうお話しをしたわけです。

翌日の午前中、名古屋めぐみ教会のYさんが、またドライブで旧柴田教会の方面を案内してくれました。教会堂はすでに取り除かれ、駐車場になっていましたが、お隣りさんのお宅や、向かいの保育園は相変わらずにそびえ立っているのを見て安心しました。

「教会堂」というものについては、キリスト教の中でも理解の仕方がひとつではないのですが、一般にプロテスタント教会の教えでは、「教会」というのは人の交わり、共同体であって、建物ではありません。

ですから、「教会堂」を聖なるものとして崇めるようなことはしないのですが、それでも人は普通、慣れ親しんだ家屋を愛しますし、特別な感情を持ちます。柴田教会の教会堂の撤去も、そこに慣れ親しんだ方々には決して受け入れ易いことではなかったと思います。

ですから、旧柴田の皆さんが大勢、名古屋めぐみへ来られていることを知ったのには、ホッとさせられるものがありました。




現教会の「楚」をなすふたつの旧教会堂の記念


今回の名古屋訪問では、かつての教会仲間の皆さんに会う以外にも楽しみがありました。それは昨年の十月に、レイキャビクのハットゥルグリムス教会で挙式をされた若いカップルのおふたりに会うことでした。

このおふたりは特に教会のメンバーではないのですが「アイスランドで挙式できますか?」という問い合わせで始まり、メイルを通じていろいろとやりとりをし、仲良し?になりました。

挙式の際には、私の方も忙しかったりしてゆっくりお話しをする時間がなく、残念に思っていたのです。名古屋にお住まいであることは知っていましたので、この機会にぜひ再会を!という運びとなりました。

「日本に住んでいらっしゃるカップルのレイキャビクでの挙式」というものは、私が担当させていただくだけでも、毎年数回はあります。いずれの場合も気持ちよく、良い雰囲気で式を行えるのですが、挙式をされたカップルの方と、その後再会するということはまずありません。

というか、式をされたカップルと再会する、というのは今回が初めてでした。おふたりはわざわざ日曜日に教会の礼拝まで来てくれたのですが、その晩、市内の居酒屋で改めてゆっくりとお話しをする機会を持ちました。

全席で十四席。安いんだけど美味しい肴を出してくれるお店で、常連さんがなぜかカウンター席で持ち込みのたこ焼きを焼いている(注! 「食べている」ではなくて「焼いている」ですよ!)。しかも他のお客さんに配ってくれる、という摩訶不思議なお店でした。

お客の回転率も良くないようだったし、あれで商売なるのかしら?と余計な心配をしてしまいました。

そのおふたり、Tさんご夫妻とは、ようやくアイスランドでの旅の様子とか、どうしてアイスランドでの挙式を思い立たれたのかとか、その後の新婚生活はどんな具合か、とか、いろいろとお話しを聞かせていただきました。

牧師とはいえ、私も普通の人ですから、お付き合いのある程度のところからは、やはり自分と気が合う人かどうか、というような個人的な要素は入ってきます。Tさんご夫妻の場合は「再会しよう」と思ったくらいですから、気が合うことは分かっていましたし、とても楽しいひと時でした。

「来年の今頃は家族が増えていますよ!」というような嬉しいニュースもありましたので、ますますハッピー度は上昇。

思ったのですが、こういう出会いがあるから人生は楽しくなるのでしょう。嫌なこと、悲しいことは定期的に起こりますし、時には「オレの人生、意味があんのかな...?」とうなだれてしまうようなこともありますが、こういう出会い −ちょっと深い意味があるものの意味を込めて「出逢い」- 人との繋がりがあるから、それでも人生は豊かになり得るのでしょう。

私のような仕事では、人と出会う機会はたくさんありますし、一回一回誠意を持って接するようにしていますが、やはり出会いは両方向からの流れが必要です。さらに「出会い」が「出逢い」にアップグレイドするにはプラスアルファの何かが必要なようです。そしてその「何か」はもしかしたら天から与えられるもので、自分では付け加えられないものかも。

Tさんご夫妻とは、そのような出逢いを得させていただきました。人と出会って、もしかしたら再会できて、その中のいくつかが「出逢いだった」と、後から振り返られるのものなのでしょうかね?あんまり図式化しない方がオツかな?

そんなこんなで、今回の名古屋訪問は旧知の方々の「再会」と、まだ浅いお付き合いだった方々との「出逢い」とに恵まれた良い日々となりました。うーん、できることなら、来年もまた来ます。ヨロシク、です、ナゴヤ!


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ナゴヤ南街ひとり日誌(18-1)- 二十二年ぶりの名古屋

2018-04-22 03:00:00 | 日記
札幌から少し南へ下り、名古屋へやってきました。新千歳から中部国際空港へ直接行くことは可能ですが、そうすると大きな旅行トランクをずっと引いて歩くことになります。だったら、トランクは東京駅へ置いて身軽に行ったほうがいい、と思い、羽田、東京駅を経由して行くことにしました。それに、二十年以上も新幹線にご無沙汰だったので、新幹線に乗るのも楽しみだったのです。

なぜ名古屋へ行ったかと言うと、私はアイスランドへ移る直前の四年間のうち、三年近くを名古屋で過ごしていたからなんです。

牧師になるための教育を授けるために「神学校」と言う学校があります。その神学校の必須科目?に実習教育があり、神学生は七ヶ月ほどを指定された教会へ出向いて、指導牧師の下で実習教育を受けるわけです。

今では変わったかもしれませんが、私が実習教育を受けた頃は、学生は全国各地の教会へ派遣されましたので、実習期間は当該教会のある場所でアパートを借りての「単身赴任」となるのが普通でした。

それで私が送られたのが名古屋の南区にある恵教会でした。そこの「博識、雄弁、落語好き、酒好き、バイク好き」の愉快な牧師先生のもとで訓練を受けたのです。

実習生を迎える教会というのは、ある程度しっかりした教会でなければならなのですが、この恵教会もしっかりとしたメンバーが揃っている教会で、実習生活は楽しく、かつ実りのあるものになりました。

この実習期間中に「昭和」から「平成」に時代が変わりました。ということは、もう三十年も前のことになるわけです。必然的に、またまた老人の昔話し的要素は強くなりますがご容赦!




今は新会堂となっている名古屋めぐみ教会


恵教会での実習を、なりたて平成元年の春に終えた私は、一年後に同じ名古屋の南区にある柴田教会に新米牧師として赴任しました。恵教会の隣りの小さな教会です。

この教会のあるところは、決して綺麗な街ではありませんでしたが、下町気質というか、住んでいる人たちはとても親切で人なつこい雰囲気でした。教会のそばの交差点のはす向かいに、「ユニー」という大きなスーパーがありました。地下が食品フロアーで、そこの肉屋さん(関脇のような息子と小さなお母さんで切り盛りしていました)で、よくレバー(マトン?)とニンニクの芽の味付きの「焼けば即食べられる」ものを買いました。すると200グラム買えば250、300買えば350と、いつもおまけしてくれるんですよ。薄給の牧師さんとしてはありがたい限りでした。

町中そんな感じで、新米牧師としての生活は、いろいろ学ぶ毎日であると共に楽しいものだったと思います。

ですが家庭の事情で、二年後にはそこを辞して、アイスランドへと移ることになったわけです。

アイスランドへ移ってからは、そこでの新生活を確立することに奔走する毎日となり、それほど日本の方々と連絡を密にすることはできなってしまいました。正直言って、時間がなかったというよりは、日本のことを振り返っている余裕がなかった、と言った方が正解です。

アイスランドへ移ってから四年後、一度だけ柴田教会を訪問する機会がありましたが、それ以後二十二年間、名古屋へはご無沙汰してしまったのでした。

その間も実習を受けた恵教会の女性会(普通は「婦人会」というのですが、恵教会ではなぜか「女性会」といいます)の皆さんからは、クリスマスカードの寄せ書き等を毎年いただいてきました。

こちらから出したのは「一二回あるかなあ...?」という程度で、まことに怠慢かつ失礼な限りです。

ちょっとだけ言い訳しますと、十年ほど前に、両親が八王子から札幌へ引っ越したため、私も帰省の際には東京をスキップして札幌へ行くようになりました。そうしますとね、なかなか遠いのです、名古屋は。

東京なら、まだ「寄って行こう」が可能ですが、名古屋は相当の目的がない限り「遠い」のでした。

ですが、今回の帰省を計画していた時に、突如、林修先生のような「天の声」が降ってきて「名古屋、今行かなきゃ、行く時ないでしょ?」と言うのです。そうですよね、今時、名古屋は東京からわずか1時間40分の距離ですからね。

正直言うとそれだけではなく、「ヒルナンデス」で東海道五十三次を自転車で辿る、という企画をやっていて、その中で名古屋も当然出てきたのです。それも住んでいた近場の笠寺観音とか。それを見て、名古屋を懐かしく思ってしまったわけです。

名古屋では楽しくのんびり過ごしていたので、気に入っていた土地でしたし、こうなるとノスタルジ〜!です。

というわけで、今回一路東京から名古屋へ。新幹線に乗り込むのはなんと二十二年ぶり、前回柴田教会を訪問して以来のことになります。




なんと、新幹線も二十二年ぶり!


別に新幹線自体には驚くような変化はなかったのですが、自分で簡単に指定座席まで自動切符売り場で買えるとは便利ですね。席も自分で簡単に選べるし。

ただ改めて?驚いたのは新幹線の本数の多さです。山手線並にひっきりなしに出てますね、新幹線。一体、いっときに何本の新幹線が走行しているのでしょうか?あっぱれJR。

さて名古屋に着いたのは夕方でしたが、名古屋駅で早速迷いました。もともと名古屋にいた頃も、名古屋駅周辺にはあまり縁がなく、駅に着くとすぐに名鉄へ走って行ったものなので、あまり記憶がございません。

さらに、二十年以上の間の発展がありますので、いったいどこがどこやら。で、普段はあまりしないことをしました。駅前のセブンイレブンでお買い物をし、ついでに店員さんにホテルの地図を見せて「スミマセン。ココニ、イクニハ、ドウシタライイデスカ?」

するとわざわざ店長さんがお出ましになって、店の前まで出てきてくれて丁寧に教えてくれました。名古屋駅太閤口正面のセブンイレブンの店長さん、ありがとうございました。都会での親切をとりわけ嬉しく思いましたよ。

早速その晩は、恵教会で三十年前にお世話になった方々三人と現在の牧師さんにと共に、「しんちゃん」という庶民の焼き鳥屋さんへ行き一献傾けました。

恵教会の三人の方々は、それぞれに三十年分老けていましたが(当然私も)、それ以外には特に変化なし。現牧師のH先生は、実は同じ頃に神学校にいた旧知の後輩であり、友人でもあります。大阪出身の非常に愉快な男です。

頭はだいぶ風通しが良くなったようですが、持っている雰囲気は昔のままで安心しました。笑いと暖かさがあります。

というわけで、三十年ぶりの再会は、とても気楽で遠慮のない時間で始まりました。続きは次回です。


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サッポロ北街ひとり日誌 (18-1) − 旅情あれこれ

2018-04-14 21:00:00 | 日記
さて、今回はひさしぶりに「サッポロ北街ひとり日誌」です。約一年半ぶりになります。昨年は日本へ戻る機会がありませんでした。

ケフラビク国際空港からヨーロッパへ向かうフライトは、圧倒的に早朝発が多いようです。最近はツーリズムの発展に伴って、フライト数も、乗入れ会社も増えてきたため、一日中を通してフライトはあるようですが、何というか伝統的な路線は相変わらず早朝便が多数派のように見受けられます。

今回の私のフライトは7:45。コペンハーゲン経由で成田へ行きます。以前はフライトの一時間前に空港へ来れば十分でした。実際にそのように航空会社は言っていましたから。

私の自宅から空港までは、早朝なら約40分で着きます。ちなみに私はいつも自宅からタクシーで空港へ向かいます。贅沢なのは承知していますが、さすが六十歳近くになって、シャトルバスで長旅を始めるのは、しんどくなってきましたので許すことにしています。

で、何事も早めに回していくたちの私は、フライトの100分前にはチェックインのラインに並べるように逆算して、5:20にタクシーを予約しました。ここ数年は定番のタイムテーブルです。

ところが、空港が最近拡張したことを聞いていたので、何か主要なシステムの変化があるだろうか?と気になり、ネットで確かめたのです。すると「フライトの二時間半前には空港へ来ることをお勧めします」とか書いてあるではありませんか!

何と、昨今のツーリストの増加の影響で、さすがにノンビリのアイスランド人も「早め」を勧め始めたようなのです。二時間半前、とはかなりの変化です。

何事も「悪い方目」に計算する性格のワタシは、計算し直してタクシーの予約を4:50に変更しました。これなら、5:30には空港に着くし、フライトの二時間十五分前。さすがに二時間半前というのは、真に受けられませんでした。

というわけで、前夜は午前零時過ぎに寝に入り、4時起床、となりました。空港はそれほど混んでもおらず、時間は十分でしたが、セルフチェックインのマシンで、ボーディングパスのプリントを忘れたり、荷物のセルフドロップオフの仕方を教わったりと、眠い中を苦労しながらも順調にコペンへ向かいました。

風向きがよろしいようで、予定より二十分短い二時間四十分のフライト。一時間は眠ったようなので楽でした。

コペンではお土産用にチョコレートを三箱購入。イースターの名残りの卵チョコ。小さな箱三つなのに、何と一万クローナ以上。信じらんな〜い。でも、喜ばれるのは確か。

日本へ帰る時はいつも、コペンまでは「前菜」という感じで、コペンからが旅の本番という気持ちがします。そこから成田まで十時間半。さらに成田から千歳まであり、そこから札幌市内までありますから。その間、成田空港での六時間半ほどの休息時間も。




一年半ぶりの札幌 冬と春の合間


コペンからはSASのフライトなのですが、だいたいいつも同じ席を取ります。中央部トイレ近くの列で、窓側、通路側という二席のうちの通路側の方です。コペン−成田は割と空いていることも多く、隣りの席が空いていることも珍しくありません。

ですが今回は、私が席まで来た時にはすでに窓側の席に座っている人があり、「隣りなし」の夢は始めから消滅。でも、そこにいたのは清楚な感じの若い女の子でしたので、がっかりもせず「ハイ」。すると向こうも恥ずかしそうに「ハイ」

私は隣りの人をまったくシカトするようなのは好きではなく、一応挨拶するようにいしています。そんなに話しかけることもありませんが。ただ、今回、そこにいた女の子は、相当可愛い女の子で、何となく前に見たことがあるような気がしました。もしかしたらアイスランド人で日本語を勉強している学生ではないか?

と、いうわけで「話しかけよう」と思ったんですが、何というか、心の中のもう一人の自分が「ああ、六十前の初老期のおじさんが、喜んで若い女の子に取り入ろうとするのは、見るに哀しいものがありますなあ」などと言うのです。モジモジ。

その後、映画を三本観てフライトは割と楽に進みました。アベンジャーもの二本(バットマンとスーパーマンが出てくる話し− なぜかスーパーマンは始めは死んでいた- と、雷神ソウルと超人ハルクが出てくるもの)とSPYというコメディ。

フライト中にアベンジャーものを見るのは好きです。単純で深く考える必要がないのと、多少話しを見逃しても困ることがない。逆に普段、観ろ!と言われても遠慮しますが。

そして成田が近着き、あと一時間で到着という時になって、やっと隣りの席の可愛い女の子とお話しできました。すごく真面目で感じの良い子で、すっかり気に入ってしまいました。マンチェスターの子で、アイスランド人ではありませんでした。始めて日本へ遊びに行き、東京、名古屋、京都へ行くとのこと。

実は名古屋には私も寄る予定があったのですが、「名古屋に何か特別に見るものがある(失礼!)?と訊くと「友だちが住んでいるから」とのこと。なるほど。

名前を訊くようなことはしませんでしたが、良い旅であり日本大好きになってくれますよう。荷物受け取りの時、もう一回会えないかと思いましたが、残念賞でした。二週間くらいのバケーション、と言ってましたから、帰りにまた一緒になれないかしら?私も二週間強の帰省です。へへ。




市電は札幌の魅力のひとつですね


その後、夕方のJAL便で千歳へ着き、JRの快速エアポート線で札幌へ。今回はエアポート線もわざわざ指定席を買い込んで乗ったのですが、隣の席の女性は、私が来てもチラリとも関心を見せず、携帯を見つめたまま。正直言って感じ悪いです。まあ、そういうもんだろうな。

しかし、さらにちょっと驚いた光景がありました。おそらく、多くの皆さんには「当たり前」のことなのでしょうが、外から来た私には不思議に思えるものでした。

一応、車掌さんが切符の点検をします。今回は若い女性の車掌さんでした。彼女が前でお辞儀をして、切符のチェックをすることを告げると、日本人のお客さんたちは皆、チケットを前座席の背の部分についているチケットホルダーに差し込んで、あとは知らんぷり。「勝手に切符を取って、仕事をしてくれ」ということです。

私はそう言うのは嫌なので、ちゃんと車掌さんに手渡しして、挨拶ではありませんが、会釈というか「ご苦労様です」というアイコンタクトをしました。

一心不乱に携帯を覗き込んで、車掌さんが来てもまったく「関係ないよ」というのは、どういうものでしょうか?サミシイ気がしましたし、それ以上に不安になりましたよ。これで将来、大丈夫なのでしょうか、この国は?

外国在住の日本人が、たまに帰国してこういう感想を漏らすと、反感を買うのは承知していますし、あまりそういうことはしないようにしているのですが、今回は敢えてそういう物言いをしてみたいと思います。

基本的な人間関係 −見知らぬ人間同士の、その場限りの状況の中での人間関係としても− の処し方を知らず、携帯を通じてのネット関係に閉じ篭るというのは、私には相当危機的な現象に思われます。「い〜んですか?い〜んですか?そんなにヒトをシカトしちゃって」という感じです。

札幌駅に着くと、気温はまさしくレイキャビクの自宅を出た時と同じ。やっぱり、兄弟都市だな、と感じました。まる二日、かかりましたが、また札幌へ無事に着きました。これからしばらくはここをブラブラします。


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教会の暦とはいったい何ぞや?

2018-04-08 02:00:00 | 日記
今年は日本では桜の開花がだいぶ平年よりも早かった、とニュースで見聞きしていました。冬が厳しかった割には、春が早く来たということでしょうか?

レイキャビクでも同じような感じで、二月は次々と襲いくるストームに辟易させられましたが、三月になると暖かくかつ穏やかな日々が続き、スパイクタイヤを愛するワタシでさえ、使用禁止になる三週間も前にサマータイヤに交換してしまいました。

イースターの日曜日も穏やかな好天。午後になると風が出て寒くなりましたが。ところが「イースターには雪が降る」という都市伝説があります。イースター第二日目である月曜日。朝起きて外を見ると、なんと一面の銀世界。都市伝説は生きていました...

この日は多くの教会で献信式という14歳の子供たちのおめでたい式があります。みんな、綺麗に着飾って教会にくるのですが、雪とはちょっと可哀想。まあ、風はなかったので、セットした髪がバサバサになるというようなことはなかったでしょう。




イースター第二日の月曜日の様子


さて、今回は前回に書き切れなかった「教会暦」について、少しご紹介してみます。まあ、教会に関係のない人にはつまらないトピック かもしれませんが、好むと好まざるとにかかわらず、キリスト教文化というものは確かにありますし、影響も大きいですから、知っていて損はないと思います。

教会暦というのは、言うまでもなく教会の使うカレンダーで、教会内のいろいろな行事をいつ行うか、ということの基礎になっているものです。

教会ですから、その暦の設定はキリストの生涯に沿って構成されています。

最初のピークはクリスマスなのですが、実は聖書はキリストの生誕が12月25日であったということは明言していません。ただ、一年のいずれかの日に生まれたことは確かですので、「光が闇に勝ち始める」という意味で、冬至の時期にしよう!と古の教会が定めたものと考えられています。

教会の行事というものは、宗教的な「意義」を重んじますので、必ずしも歴史的な事実や日常的な論理だけを基にして構成されているわけではありません。

で、教会の新年は、クリスマスに先立つこと四週間前の「待降節(アドヴェント)」から始まります。これはクリスマスに備えるための時期なので、肉食を絶って心身を備えるということも昔はよく行われたようです。今では、する人もあるかもしれませんが、私の周囲には見かけません。

クリスマスは年を越して、1月の6日まで続きます。1月6日は「主の顕現日」と呼ばれる日で、聖書の中にある「東方からの三人の博士」が幼子イエスを訪ねて贈り物をした日とされます。

その翌日の1月7日は東方正教会のクリスマスです。これは、前回書きましたように、正教会はユリウス暦に従っていますので、グレゴリオ暦とは13日間のズレを生じているためです。西方教会の12月25日が、東方正教会では1月7日になるわけです。




教会暦の説明図 Trinity Lutheran Church, Montana USA
Myndin er ur trinity=mt.org


教会暦の次のピークは復活祭です。これも前回書きましたように、復活祭は「移動祭日」で、毎年日付けが変わります。そして、この復活祭から遡って四十日が「四旬節」とか「受難節」と呼ばれる時期になります。

この「四十」という数は聖書的にはある種の聖数です。モーセがイスラエルの民を率いて四十年間荒野をさまよったとか、イエスが四十日間荒野でサタンの試みに合われたとかの記述にそれが現れています。

ただ、受難節の「四十日間」というのは、日曜日を含まずに勘定しますので、実際には、その期間中の日曜日の数を加えて四十六日間の期間となります。

これは復活祭に備え、キリストの十字架への苦難を偲ぶ期間で、アドヴェントと同じく、肉食を控えて心身を備えることがよく行われました。この時期に肉を避ける人とかは、私の周囲にもいらっしゃいます。ワタシはそのメンバーではありませんが。

今年出会った、ちょっと面白い例ですが、お菓子の好きな人が「私は受難節中は小麦粉を食べない」というのがありました。その方にとっては、肉よりは小麦粉の方が「断ちがい」があるのでしょう。

受難節の最後の一週間が聖週間であることは、以前書きました。

そして、復活祭の四十日後が「主の昇天日」。キリストが天に昇ったという聖書の記述に基づいています。さらにそれから十日経つと、「聖霊降臨日」あるいは「ペンテコステ」というメジャーな祭日になります。

これは、もともとは「五荀節」というユダヤ教の祭日なのですが、聖書によるとこの日に聖霊がイエスの弟子たちに降臨し、彼らが積極的な宣教の任に着いたことが記されています。

このことから、この日はよく「キリスト教会の誕生日」とも理解されています。アイスランドでは、クリスマス、イースターと並んで、この祭りも「第二日」があり、翌日の月曜日も祝日です。

その一方で、この日はクリスマス、イースターほどの重要性は国民には浸透しておらず、ペンテコステの週末は「家族旅行の週末」と変身しています。

ペンテコステの翌週の日曜日は「三位一体主日」と呼ばれ、キリスト教の教義の柱である「三位一体説」を記念する日になります。

その後は、特に目立った祭日はなく、「聖霊降臨節」もしくは「三位一体節」と呼ばれる平穏な時期がアドヴェントの始まる十一月下旬まで続くことになります。

よくしたもので、この時期は夏でもあります。こちらでは教会も「夏休み」がありますので、まさしく平穏な時期です。

教会の夏休み


十一月になると、1日が「全聖徒の日」です。これは特に教会のメンバーで天に召された方々を記念する日です。前日のハロウィーンと何か繋がった背景があるのだろう、と勘が働いているのですが、まだ確証なしです。

さらに日が進んで、アドヴェントの始まる前週の日曜日、つまり教会暦で最後の日曜日は「王なるキリストの主日」と呼ばれ、「この世の最後」になぞらえて、「最後の審判」のようなことがテーマとして説教で語られることになります。個人的には、まったく思い入れのないテーマですが。

さて、教会暦の主な構成を一覧しましたが、もちろん上記以外にも多くの特別なテーマを持った「祭日」があります。例えば「殉教者ステファノの日」(ステファノは教会最初の殉教者)とか「マリアへのお告げの日」(3月25日。クリスマスの九ヶ月前)とか。

また、それぞれの教団、たとえばアイスランド国民教会が独自に設定している「若者の日」「年配者の日「聖書の日」等々のようなものもあります。




子供用の解説図 カトリック教会
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教会暦はカトリック教会、アングリカン教会(英国国教会)、私の属するルーテル教会等、幅広い教会で用いられていますが、必ずしもすべての教会が用いているとは限りません。また、用いるとしても「クリスマスだけ」とか「クリスマスとイースター限定」のような関わりかたもあると思います。

教会暦は「従わねばならぬ」という性格のものではなく、むしろ、それに従うことによって、教会生活にリズムをつけ、かつキリストの生涯の全般にバランスよくかかわることを促し、助けてくれるものです。

「ガイドになるものが何もない」というのはかなりつらいものです。教会暦は基本的なガイドになるもので、メジャーな祭日の間の期間にも、読むべき聖書の箇所などを示唆してくれるものです。

必ずルーチン化してしまう部分がある、という弊害はあるのですが、それでもこの暦によって、私たちがキリストの地上での歩みから二千年を経た現在、クリスマスや十字架の受難を、「自分がその場にいる」ことを観想し、追体験する機会を得ることができるのです。

ただ、ひとつだけ難をつけるとすると、まあ「これは個人的な勝手な愚痴」と前もって言い訳しておきますが、クリスマスと受難節の間が短すぎるんですよね〜。クリスマスでイエスの生誕を祝った次には、イエスの受難を偲ぶ時期とは。

夏期の長〜い平穏な時期と比べてアンバランスだし、「二年周期」にしてもいいのでは?というのは末端牧師の浅はかな要望なのでした。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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