今年、というか2013年もあと僅かな時間を残すのみとなりましたね。その僅かな時間が過ぎれば2014年が「今年」になります。その僅かに残っているこの「今年」はどのような年だったでしょうか?
多くの若い人が新年の誓いを立てると思いますが、まあ普通は夏を越えないうちに頓挫してしまうのではないでしょうか?なんて失礼かな?スミマセン。
このような新年の誓い的なものはおそらく日本特有のものではないだろう、という気がするのですが、まさしくアイスランドにも全く同じ習慣があります。「ニーアウルスヘイティ」といいます。「ニー」は新しい、「アウルス」は年の、「ヘイティ」は約束を意味しますのでマンマです。
由来があるのか?と思ってグーグルしてみましたが特に説明は見つかりませんでした。まあ、おそらく人間の自然な考えなのでしょうね、年頭にあたって何か誓いごとをするというのは。
ついでなのでアイスランドの面々はどんな新年の誓いを今年の正月にしていたのかをグーグルしてみました。
「今年はブログでもっと釣りの話題をアップする!」と釣りキチ三平。「私自身も気に入るような靴を買う!」というのは女性。よっぽど大足で気に入る靴を買えなかったのでしょうか?
「中途半端になっているものを全部やりとげる!」エライ!「新しい国へ旅行に行く」とは夫婦の方。この夫婦、この他にも約二十の誓いがずらり。「自分用にセーターを編む」「規則的にブログを書く」「ニールヤングとビートルズを聴く」等々。数のわりにチイチャイ。(^-^;
他には「もっと(ネットで)書くことをしっかりやる」アハ、これは知人の男性でした。かなりクオリティの高いオピニオンサイトを運営してる人です。
ブログ等をきちんとする、的なのが多いようですが、これはわかる気がする誓いです。ワタシ的にも。
あとは「リバプール、絶対優勝!」という男の子。こんなのはお前の誓いじゃなくて、願掛けだろうが。ああそうだ、ワタシも「ザックJapan、絶対Best8 in Brazil!」を忘れないようにしないと。
まあ、あまり日本-アイスランド間で新年の誓いの中身の差はないのではないでしょうか?
私自身、毎年の正月には何かしら「今年はこうしよう」と思うものを持っていたものですが、最近では思い出そうとしても思い出せない程度のものになってしまいました。情けないっスよねえ...
その代わり、といっては何ですが、逆に歳が高じたが故に「こうしよう」と心がけていることがあります。別に新年の誓いではなくて、(老年になってからの)終生の心がけです。
例えば「猫背を矯正しよう」とか。これ、自分じゃわかんないんですよ! 写真とかビデオに偶然映ってるのを見て愕然としたりします。
あとは...若い邦人の女の子に親父ギャグを言い過ぎないようにするとか...最近やっちゃうんですよねえ。これも自覚症状がないからコワイです...
そして最も大切なことは「何事も当たり前とは取らないこと」です。明朝目が覚めること、子供たちと一緒の時間を過ごせること、心に慕う女性と会えること、札幌の両親を訪ねられること、教会の礼拝の担当をできること...等々、すべて当たり前なことではない、と考えることです。
まだ五十五歳ですから、それほどの老人というわけではありませんけどね。ただ明智小五郎の天知茂さんが急逝したのは齢五十四。みんながびっくりしました。他の誰かに起ることはワタシに起こり得ても不思議ではありません。
って、言うと何か悲観的な人生観を基に言っているかのような印象を与えるかもしれませんが、そうではありません。何事も当たり前とは受け取らず、その時その時与えられた状況をありがたく受け取っていく。そしてその機会のひとつひとつを大切にして楽しむこと。というのは、かなり宗教的な達観?の域に迫るものですよ。(*^^*)
ただの歳の功かもしれませんが。
でも、これは本当に意味があると思います。老若男女を問わず。 「あの時こうしていれば...」という悔いは必ず少なくなりますから。
来る新年の一日一日が皆さんに取って、当たり前以上の意義のある日々であることを願います。今年、ブログに寄っていただきありがとうございました。来年もどうぞよろしく。へへ)
Takk fyrir gamla, og gledilegt nytt ar.
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
多くの若い人が新年の誓いを立てると思いますが、まあ普通は夏を越えないうちに頓挫してしまうのではないでしょうか?なんて失礼かな?スミマセン。
このような新年の誓い的なものはおそらく日本特有のものではないだろう、という気がするのですが、まさしくアイスランドにも全く同じ習慣があります。「ニーアウルスヘイティ」といいます。「ニー」は新しい、「アウルス」は年の、「ヘイティ」は約束を意味しますのでマンマです。
由来があるのか?と思ってグーグルしてみましたが特に説明は見つかりませんでした。まあ、おそらく人間の自然な考えなのでしょうね、年頭にあたって何か誓いごとをするというのは。
ついでなのでアイスランドの面々はどんな新年の誓いを今年の正月にしていたのかをグーグルしてみました。
「今年はブログでもっと釣りの話題をアップする!」と釣りキチ三平。「私自身も気に入るような靴を買う!」というのは女性。よっぽど大足で気に入る靴を買えなかったのでしょうか?
「中途半端になっているものを全部やりとげる!」エライ!「新しい国へ旅行に行く」とは夫婦の方。この夫婦、この他にも約二十の誓いがずらり。「自分用にセーターを編む」「規則的にブログを書く」「ニールヤングとビートルズを聴く」等々。数のわりにチイチャイ。(^-^;
他には「もっと(ネットで)書くことをしっかりやる」アハ、これは知人の男性でした。かなりクオリティの高いオピニオンサイトを運営してる人です。
ブログ等をきちんとする、的なのが多いようですが、これはわかる気がする誓いです。ワタシ的にも。
あとは「リバプール、絶対優勝!」という男の子。こんなのはお前の誓いじゃなくて、願掛けだろうが。ああそうだ、ワタシも「ザックJapan、絶対Best8 in Brazil!」を忘れないようにしないと。
まあ、あまり日本-アイスランド間で新年の誓いの中身の差はないのではないでしょうか?
私自身、毎年の正月には何かしら「今年はこうしよう」と思うものを持っていたものですが、最近では思い出そうとしても思い出せない程度のものになってしまいました。情けないっスよねえ...
その代わり、といっては何ですが、逆に歳が高じたが故に「こうしよう」と心がけていることがあります。別に新年の誓いではなくて、(老年になってからの)終生の心がけです。
例えば「猫背を矯正しよう」とか。これ、自分じゃわかんないんですよ! 写真とかビデオに偶然映ってるのを見て愕然としたりします。
あとは...若い邦人の女の子に親父ギャグを言い過ぎないようにするとか...最近やっちゃうんですよねえ。これも自覚症状がないからコワイです...
そして最も大切なことは「何事も当たり前とは取らないこと」です。明朝目が覚めること、子供たちと一緒の時間を過ごせること、心に慕う女性と会えること、札幌の両親を訪ねられること、教会の礼拝の担当をできること...等々、すべて当たり前なことではない、と考えることです。
まだ五十五歳ですから、それほどの老人というわけではありませんけどね。ただ明智小五郎の天知茂さんが急逝したのは齢五十四。みんながびっくりしました。他の誰かに起ることはワタシに起こり得ても不思議ではありません。
って、言うと何か悲観的な人生観を基に言っているかのような印象を与えるかもしれませんが、そうではありません。何事も当たり前とは受け取らず、その時その時与えられた状況をありがたく受け取っていく。そしてその機会のひとつひとつを大切にして楽しむこと。というのは、かなり宗教的な達観?の域に迫るものですよ。(*^^*)
ただの歳の功かもしれませんが。
でも、これは本当に意味があると思います。老若男女を問わず。 「あの時こうしていれば...」という悔いは必ず少なくなりますから。
来る新年の一日一日が皆さんに取って、当たり前以上の意義のある日々であることを願います。今年、ブログに寄っていただきありがとうございました。来年もどうぞよろしく。へへ)
Takk fyrir gamla, og gledilegt nytt ar.
応援します、若い力。Meet Iceland
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