レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

往く年、往く歳、そしてここにある時

2013-12-30 05:00:00 | 日記
今年、というか2013年もあと僅かな時間を残すのみとなりましたね。その僅かな時間が過ぎれば2014年が「今年」になります。その僅かに残っているこの「今年」はどのような年だったでしょうか?

多くの若い人が新年の誓いを立てると思いますが、まあ普通は夏を越えないうちに頓挫してしまうのではないでしょうか?なんて失礼かな?スミマセン。

このような新年の誓い的なものはおそらく日本特有のものではないだろう、という気がするのですが、まさしくアイスランドにも全く同じ習慣があります。「ニーアウルスヘイティ」といいます。「ニー」は新しい、「アウルス」は年の、「ヘイティ」は約束を意味しますのでマンマです。

由来があるのか?と思ってグーグルしてみましたが特に説明は見つかりませんでした。まあ、おそらく人間の自然な考えなのでしょうね、年頭にあたって何か誓いごとをするというのは。

ついでなのでアイスランドの面々はどんな新年の誓いを今年の正月にしていたのかをグーグルしてみました。
「今年はブログでもっと釣りの話題をアップする!」と釣りキチ三平。「私自身も気に入るような靴を買う!」というのは女性。よっぽど大足で気に入る靴を買えなかったのでしょうか?

「中途半端になっているものを全部やりとげる!」エライ!「新しい国へ旅行に行く」とは夫婦の方。この夫婦、この他にも約二十の誓いがずらり。「自分用にセーターを編む」「規則的にブログを書く」「ニールヤングとビートルズを聴く」等々。数のわりにチイチャイ。(^-^;

他には「もっと(ネットで)書くことをしっかりやる」アハ、これは知人の男性でした。かなりクオリティの高いオピニオンサイトを運営してる人です。
ブログ等をきちんとする、的なのが多いようですが、これはわかる気がする誓いです。ワタシ的にも。

あとは「リバプール、絶対優勝!」という男の子。こんなのはお前の誓いじゃなくて、願掛けだろうが。ああそうだ、ワタシも「ザックJapan、絶対Best8 in Brazil!」を忘れないようにしないと。

まあ、あまり日本-アイスランド間で新年の誓いの中身の差はないのではないでしょうか?

私自身、毎年の正月には何かしら「今年はこうしよう」と思うものを持っていたものですが、最近では思い出そうとしても思い出せない程度のものになってしまいました。情けないっスよねえ...

その代わり、といっては何ですが、逆に歳が高じたが故に「こうしよう」と心がけていることがあります。別に新年の誓いではなくて、(老年になってからの)終生の心がけです。

例えば「猫背を矯正しよう」とか。これ、自分じゃわかんないんですよ! 写真とかビデオに偶然映ってるのを見て愕然としたりします。

あとは...若い邦人の女の子に親父ギャグを言い過ぎないようにするとか...最近やっちゃうんですよねえ。これも自覚症状がないからコワイです...

そして最も大切なことは「何事も当たり前とは取らないこと」です。明朝目が覚めること、子供たちと一緒の時間を過ごせること、心に慕う女性と会えること、札幌の両親を訪ねられること、教会の礼拝の担当をできること...等々、すべて当たり前なことではない、と考えることです。

まだ五十五歳ですから、それほどの老人というわけではありませんけどね。ただ明智小五郎の天知茂さんが急逝したのは齢五十四。みんながびっくりしました。他の誰かに起ることはワタシに起こり得ても不思議ではありません。

って、言うと何か悲観的な人生観を基に言っているかのような印象を与えるかもしれませんが、そうではありません。何事も当たり前とは受け取らず、その時その時与えられた状況をありがたく受け取っていく。そしてその機会のひとつひとつを大切にして楽しむこと。というのは、かなり宗教的な達観?の域に迫るものですよ。(*^^*)

ただの歳の功かもしれませんが。

でも、これは本当に意味があると思います。老若男女を問わず。 「あの時こうしていれば...」という悔いは必ず少なくなりますから。

来る新年の一日一日が皆さんに取って、当たり前以上の意義のある日々であることを願います。今年、ブログに寄っていただきありがとうございました。来年もどうぞよろしく。へへ)

Takk fyrir gamla, og gledilegt nytt ar.


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レスキュー隊のクリスマス

2013-12-26 05:00:00 | 日記
クリスマスイブからクリスマスの日を経て、クリスマス第二日を迎えています。今日もアイスランドでは祝日です。ちなみにここではクリスマスは年明けの一月六日まで続く祭りです。別にずーっと休日になるわけではありませんが。へへ)

さてクリスマスには牧師さんを始めとする教会関係者は忙しくしているわけですが、もちろん他にもクリスマスにon dutyの人たちは大勢あります。警察や病院関係者、新聞、テレビ、公共交通機関の関係者などは、通常通りではないでしょうが必ず誰かがシフトで待機しているはずです。

その中のひとつがビョルグンナー・スヴェイト、つまりレスキュー隊の人々です。このクリスマスイブからクリスマスにかけては全国的に降雪に見舞われています。レイキャビクではそうでもなかったのですが、一歩郊外へ出ると相当な積雪の箇所もあったようです。

北西部、北部、東部でも大雪が降りレスキュー隊が忙しく出動した、というニュースがありましたので、このレスキュー隊について少しお知らせしたいと思います。

レスキュー隊を管轄しているのはLandsbjorg(ランドスビョルグ)という組織です。「全国救援会」のような意味です。この組織は政府などから助成を受けてはいますが、政府からは独立した組織のようです。

組織はみっつに分かれていて、ひとつがレスキュー隊、他のふたつが防災局と青年局だということです。防災局、青年局とも全国に33の支部を展開しています。レスキュー隊は全国で99のチームを擁し、常時四百人がシフトで待機中になっています。

全国中が「山の天気」であるアイスランドでは、大雪、大雨、海の大しけ、洪水さらには火山の噴火や行方不明の人の捜索などのためにレスキュー隊が出動する機会が良くあります。年間平均で1200回の出動要請があるとのことです。

レスキュー隊のモットーというか基本方針は「装備、訓練、専門知識」だということです。装備には海難救助用の船などもありますし、相当なかかりがすることでしょう。

さてこのランドスビョルグ、十五名くらいの専任のスタッフはそこで働いています。しかし、この組織の一番の特徴は一万八千人の会員を擁するアイスランドでは最大級のボランティア組織だということでしょう。

実はレスキュー隊のメンバーも基本的にはボランティアなのです。以前、知り合いのドイツ人の女性がこのレスキュー隊に参加していて、その人から聞いたのですが、とにかく訓練が年中あり、しかも抜き打ち訓練というものもあって、それに参加できないひとはレギュラーにはなれない、とかいうことでした。

体力的な問題もあることでしょうし、誰にでもできるボランティアというわけではないようですね。

先ほどちょっと触れましたが、このクリスマスは全国的に天候が荒れていて、レスキュー隊が活躍しました。

例えばイブの夕方にはレイキャビクからすぐのモースフェトルスバイルというところで、ツーリストが雪にはまってレスキュー隊の要請がされました。

二十五日には人気の観光スポットのシンクヴェトゥリルへ続く道で五十台の車が雪で立ち往生してレスキュー隊が出動。さらにその晩にはあちらでもこちらでもクリスマスの晩餐を終えた人たちが帰路で雪につかまってしまい、レスキュー隊のお世話になったようです。

さらに東部では大雪の中で急患患者を大きな病院へ運ぶのにレスキュー隊が出動したりしてます。

一晩合計すると、二百人のレスキュー隊が出動し八時間に渡るレスキュー作業が続いたとか。レスキュー隊員の最後の組は二十五日の朝六時に帰宅となった、とニュースにありました。

もちろんこの隊員の人たち、自分のクリスマスは放り出して救援に向かったのですから、大変な活動だと思います。十分なねぎらいのあることを祈ります。

レスキュー隊のクリスマスの活躍の様子はこちら

追記(現地時間26日11時):北西部から北を通って東部はいまだに大雪が続いています。各地でなだれの危険が発生し広範に国道などが閉鎖されています。レスキュー隊もさらに忙しくなっているようです。ひとつビデオ付きニュースをリンクしますが、これは東部でお医者さんを病院まで連れて行くための活動です。

Visir.is「東部で大奮闘-俺たちにクリスマスはない」


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クリスマス目前情報

2013-12-23 05:00:00 | 日記
さて明日の夕はクリスマスイヴですね。皆さんはどのようにして過ごされるのでしょうか?異国文化の吸収に長けている日本では、クリスマスから見事に?宗教色を消していますので、別にクリスチャンでなくともクリスマスは楽しめる機会ですよね。

前に新橋でサラリーマンをしていた頃に(もう三十年も前です)、イブにバイトの学生さんたちを何人か銀座教会のキャンドルサービスに連れていってあげたことがあります。

三回くらいサービスがあって整理券をもらった記憶があります。いずれの回も満杯になるのだそうで。サービスの間に手に持つキャンドルの火が髪の毛の先に燃え移ってしまった女性がいました。大事にはいたらなかったですが、キャンドルサービスに行かれる方がありましたら、特に髪の長い方は気をつけてくださいね。

さてクリスマスというのはキリスト教の祭日としては珍しく、日が固定しています。そのため逆に曜日が変わります。ある年は日曜日と重なることもあるわけです。そのような場合は、教会の牧師さんは少し楽をします。日曜日の礼拝とクリスマス礼拝が一回で済むからです。

(礼拝というのはいわゆるミサの式のことです。カトリック教会ではミサ、プロテスタント教会では礼拝と呼ぶのが通例です。ただアイスランドでは新教でもmessa(ミサ)という言葉を使っています)

アイスランドではイブの礼拝(やはりキャンドルサービスです)に加えて25日と26日にも礼拝があります。これは日本の教会ですと25日などが平日の時は礼拝を持っても来れる人が少ないので、礼拝をしないのが普通だと思います。26日について言えば「クリスマス第二日」というものがそもそもないですよね。

こちらではイブ、25日、26日と礼拝が続くところが多いです。田舎の小さい教会だと26日の礼拝は省くかもしれません。加えて大晦日と元旦にも礼拝があるのが普通です。日本の教会でも元旦礼拝はあるでしょうが、大晦日にはないでしょう。

さらにいうと、もちろん毎週の日曜日には主日礼拝というものがあります。
これだけ礼拝が並びますと、毎年必ずひとつやふたつは重なり合うものなのです。 25日が日曜日とか、大晦日が日曜日とか。




ネス教会のカフェトルグ(広場)のツリー(ホントの木)


ところがです。

今年のカレンダーでは見事にクリスマス、大晦日、元旦と日曜日が分離しているのです。牧師さんにとっては最悪...いやいや忙しくて嬉しい悲鳴が上がるスケジュールです。

私の居候しているネス教会ではクリスマスイブに夕方六時からのキャンドルサービスと、夜十一時半からの深夜キャンドルサービスがあるので、一昨日の日曜日から数え始めて新年の第一日曜日まで含めると、計九回の礼拝になります。十四日間で九回はかなり立て込んでいます。

幸いネス教会の場合は教区の人口が多いために牧師さんがふたりいます。ですからふたりで分担しますので過労にはなりません。ただレイキャビク市内に限って言っても、牧師さんがひとりの教会も多いですので、そういう場合は例えば29日の日曜礼拝をお休みにするとかいうこともあり得ます。

主日礼拝をお休みにするというのは、日本の教会からは考えられないことだと思いますが(私も最初ショックを受けました)、こちらはそういう面ではおおらかさがあります。

牧師さん中心にお話ししてしまいましたが、実はもっと大変なのはオルガニストです。オルガニストは全てプロの人たちですが、さすがにネス教会でもオルガニストはひとりだけです。ということは基本ひとりで乗り切ることになります。

もちろん「きつ過ぎる」と思われるなら、代理のオルガニストを見つけてきて分担するでしょうが。ネス教会の手元の予定表をみると、イブの深夜礼拝だけは替わりのオルガニストが担当するようです。オルガニストも本当にお疲れさまです。

そういう私は牧師のくせに特別職にあるために、これらの礼拝にはほとんど関係していません。頼まれたら手伝いますが、説教などの重責は回ってこないので気楽なものです。

ただそれでもヒマにしているわけではないのですよ。あちこち訪問に行ったり、難しい話しを聞いたり、記事を書いたり、等々。することは十分にあります。ワタシは自分のことを教会の「特命係」と呼んでいます。(^-^;

それではちょっと早いですが、メリークリスマス。
Gledileg jol (グレイリヨール)!


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雪のレイキャビク

2013-12-19 05:00:00 | 日記
ここのところ「牧師さんのお話し」っぽい内容が続きましたので、少しクリマス前のレイキャビクの日常に戻ってみたいと思います。

さてクリスマスまで一週間を切りましたね。クリスマスの様子については昨年いろいろと描写してしまいましたので、多少重複するところがあるかもしれませんが、請う、ご容赦。m(_ _)m

今年のカレンダーでは来週の月曜日がソルラウクス・メサと呼ばれる楽しい日で、翌日の火曜日がクリスマス・イヴ、そして水曜日がクリスマスの第一日、翌日が第二日です。

ソルラウクス・メサについてはこちら

というわけで来週は事実上クリスマスになってしまいますので、準備とかを終えるには今週末までしかないわけです。ワタシなどは仕事の時間の融通がつきますので楽をさせてもらっていますが、職場にきっちり縛られている人たちにとってはストレスのたまる時期であろうと想像します。

もちろんお店も普段よりは長く営業しているのですが、やはり町中がせかせかしたリズムになっていますので、この時期は特にスーパーの駐車場などでの車の出し入れは気をつける必要があります。

そして今年は特にそうです。なぜかというと雪が多いからです。アイスランドはその名前が表すほど寒い土地ではありません。真偽を確かめたことはありませんが、アイスランドはラテン語のEsoles、つまり後の英語でislandとなった言葉と同じで「島」を意味するだけだ、ということを聞いたことがあります。




Myndin er úr Visir.is


北部ではともかくレイキャビクなどの南部では冬でもそれほど寒くもなければ、根雪になるほど雪が残るということもないのが通常です。

ところがです。今年は十一月の末からマイナスをキープする毎日が続いていて、時折マイナス10度とかにも達しています。加えて雪がよく降ります。雪がない道を走ったのはいつだったろう?と本気で考えるくらいに雪が消える前に次の降雪があります。

もちろん日本でも新潟や青森の人たちからみればまだまだ「小雪ちゃん」なんでしょうが、それは比較の問題であって、沖縄の人から見れば大雪に違いありません。さすがにワタシも疲れてきました。

いつもなら十台並べる駐車場にはよくて七台。ちょっと表から入った裏方の対向二車線の道は一車線化してしまっています。ワタシの古アパートの前の通りは狭い一方通行路なのですが、両側が居住者のパーキング・スペースになっているため、雪掻き車が入ってきてくれません。雪を寄せると駐車スペースがなくなりますから。

その結果が恐ろしいのですが、車の轍(わだち)がはっきりとついてしまい、しばらくすると逆線路化して二本の凹になってしまいます。そこへまた雪が降るとだんだん深い凹になっていきます。

そうするとですねえ、ワタシの謙虚なカローラちゃんは自分の駐車場へ入ろうと右へ入ろうとしても轍から抜けられなくなってくるのです。(ワタシの古アパートは一階部分がパーキングになっているので、路上駐車しなくてすみます)

この状況が来る度に四駆が欲しくなりますが、貧乏牧師には高嶺の花です。トホッ...

外で仕事をする人にはもっと厳しいようです。昨日のニュースですが、郵便局が国民向けに「自宅前の雪掻き」のお願いを発表しました。「ポストマン・パットが無理なく郵便受けまでたどりつけるように」との懇願です。確かに何軒も重なれば笑いごとではないでしょうね。

まあ物事すべてプラスとマイナスがありますから雪が降っていいこともあります。まずは街が明るくなること。雪があるとないとでは相当この「明るさ」感覚には違いが出ます。次は街が静かになること。これも雪の持つ消音効果は相当なものがありますね。

そして最後に、やはりホワイト・クリスマスは雰囲気があります。今年はこのままいけばまずホワイト・クリスマスになってくれることでしょう。

どこの国や地域でも土地柄というものはあるでしょう。文句を言うのも人の常でしょうが、最後はポジティブ・シンキングで締めたいものです。


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灯りをもたらすもの

2013-12-16 05:00:00 | 日記
私は現在はアイスランドの国民教会(ルター派)で牧師をしていますが、もともとは日本の教会の出身です。二十一年前にアイスランドへ越してきたのは、家族の生活のためであり、別に私が日本の教会とアイスランドの教会の間での派遣プログラムのアサインメントを受けたとかいうわけではありませんでした。

そのためこちらへ渡った当初は無職だったわけです。その後も始めの五年間は言葉の勉強はもちろんのこと、こちらの教会で働く免許?を得るために大学でいくつかの授業を修めねばなりませんでした。

その間教会の好意でパートの仕事をしていたりしたのですが、ある年に教会の財政難で失職。失業者になりました。毎週手当て支給のために職安のようなところへ行ってスタンプを押してもらうのですが、あまり楽しい日々ではなかったですね。(^-^; もう十七年前のことです。

そんな時に漁業組合のようなところから連絡がありました。「日本の遠洋マグロ漁船のインドネシア人の船員がけがをして入院している。船はもう出航してしまい、ひとりぼっちだ。カタコトの日本語をしゃべるので見舞いに行って話しをしてくれないか」

もちろん出向きました。失業というのはやはりみじめな気分になります。することがないというのは、そのまま「用がない」という風に心の中で解釈されます。「用なし」人間に頼まれ事が来たのですから、病院でひとりぼっちの哀れな男を見舞いに行っても損はしません。

そのインドネシア男性は確か胸の骨折か何かをしていたと記憶しています。カタコトの日本語をしゃべるということでしたが、それよりももう少し分かる英語で話しました。

マグロ漁船の話しはまた改めてしてみたいと思いますが、ほぼ一年もかかるような漁をするのだそうです。北アフリカから始まって大西洋を北上し、アイスランドに寄ってカナダへまわりそこからメキシコまで下っていくとか。

そして(その当時は)一艘の日本のマグロ漁船には三十人くらいのクルーが乗っていて、その半分がインドネシアとか東南アジアの人なのだそうです。今でもそうなのか確かではありませんが、当時日本の船員さんから言われたのは「彼ら全部で邦人船員ひとりの報酬と同じ」ということでした。それでもその人たちには「いい給料なんだよ」という弁でしたが(あまり得心が行かなかったですけどね)。

ベッドで横になっているそのインドネシアの船員さんは非常に小柄でしたね。二回ほど見舞いに行ったと思いますが、カタコト英語でいろいろ話してくれました。もう結婚していてお子さんもいらっしゃり、写真も見せてくれました。

将来の夢はお金を貯めて自分の本屋を開きたいということでした。怪我のためにアイスランドから直行でインドネシアへ戻ることになってしまったのですが「残念だけど、家族にすぐ会えるのはうれしい」と言っていました。
今、どのような暮らしをしているのか見当もつきませんが、家族の皆さんと元気で本屋さんを開いていてくれることを願います。

さて変な話しなのですが、このお見舞い訪問、終わってみたら慰められていたのは実は私の方だったのです。初め私はこの名前も知らなかったインドネシア人を「可哀想な奴だから慰めて来よう」という(まあ、そこまであからさまな言葉では考えなかったとは思いますが)気持ちで出かけていきました。

しかし実際にこの人に会い、少しでありますが知り合うことができた時には彼はもう「名無しの哀れなインドネシア人」ではなくなっていました。怪我をしたことは不運でしたが「哀れ」なんかじゃない。自宅で彼の帰りを待つ妻と子供がいて、書店を開く夢を持って働いているモハマドという名前の青年でした。

一方の私の方はといえば失業中で「用無し」感に付きまとわれるは*、自信がぐらついて周りの目は気になるはで、自分自身にアップアップしてたのです。そんな私がモハマド君に会うことによって、見失っていた大切なことを思い出させられたわけです。家族のいてくれることのありがたさ、夢を実現する途中の「やりがいのある」苦労等々。

例えて言うならば、私は「暗きに座する」人に灯りを持っていってあげようというつもりだったのですが、灯りをもらったのは私の方だったわけです。 別に神の声が聞こえたなどというつもりはありませんが「暗きに座している」のはお前の方だ、と諭されたような気がします。この思い出は今でも大事にしています。

その後、同じような経験は何度もしました。苦境の中にある人を助けようとしていて、その人から逆に元気をもらうようなことも度々あります。ですから今ではもう「助けるー助けられる」ということは万華鏡の中の一景色に過ぎないと思うようになりました。筒の一振りでそのような状況は変わってしまい得るのです。

そして「暗きに座するもの」を照らす光は人の間を行き交いするものではなく、上より届いてくるものだと信じます。


(*「雨は降るわ、風は吹くわ」などの際に「わ」を使うことが、国語として正しいとされているようですが、「は」が正しいと主張する向きもあります。詳しくは触れられませんが私も「は」が正しいのではないかと考えます)


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