レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

日本語もお忘れなく

2012-08-31 21:13:35 | 日記
アイスランド語の修得は難しい、というようなことについて書かせていただきましたが、今度は日本語の修得についても言わせて下さい。

アイスランドに在住している日本人の数はそれほど多くはありません。成人している人だけを数えるならば、多く見て70人くらいでしょう。そのうち大使館のスタッフとして在留している人や大学の留学生を除けば60人程度でしょうか? 

アイスランドでは英国やドイツに比して著しく違う点があります。それは企業からの派遣で滞在しているという邦人がほとんどいないことです。短期のプロジェクト派遣を除けば、皆がこちらで永住しているか、少なくともその予定の人たちです。さらに言うと、日本人同士のカップルというのは一組だけで、他の方々は邦人とアイスランド人(幾人かは他の外国人)の組み合わせで家庭を築いています。

ここ数年のはやりは若い日本人の奥さんとアイスランド人の旦那さんのカッップルです。ひいきを差し引いても日本女性はアイスランド男性に人気があるようです。(その逆は成り立たないようです、残念ながら...) 当然の帰結かもしれませんが、小学校中学年以下の子供がとても大勢になってきました。

そこで新たな課題です。子供に日本語を教えることです。
これが、大きな課題なんです。

先ほど言いましたように、ここの在留邦人の数は少ないです。よって、有吉(ファンです)が目の敵にする帰国子女を念頭にした公的な支援を受けた日本人学校もありません。ですから、日本語の教育は原則として親の手に任されることになります。しかし、これも述べましたように、こちらの邦人家庭はほとんど例外なく日本人とアイスランド人(または第三国外国人)のペアです。すなわち日本語教育は片親の上にのしかかってくるわけです。

さらに...
その片親自身が多くの場合、アイスランド語を一生懸命学習しなければならない立場にいるわけでもあるのです。とすると、これは本当に重い課題になります。残念ながら、自分がアイスランド語を学ぶのをあきらめるか、あるいは子供への日本語教育を断念するかということも起ってしまいます。

そんなこんなで、もう15年くらい前から、こちらにいる邦人家庭が集まって、毎週土曜日の午前中に子供たちに日本語を教える日本語教室を開いています。現在では30人前後の子供たちが参加しています。教師は親たち。なるべく自分の子供を担当しないように割り振りながら、オール手弁当で継続しています。

日本語の力が均等でないので、教え方にもカリキュラムにも柔軟性を持たせなければなりません。例えば、歳が上の子よりも下の子の方が日本語が上手ということも珍しくはありません。決して容易い活動ではあろませんが、皆で定期的に集まる、ということで力と元気を与え合っています。







私がアイスランドへ移ったのは長男が1歳の頃でした。その子が3歳になる前の夏のある日、庭の紫色の花を見ながら「ムラサキ」と初めて日本語を発しました。始めは耳を疑いました。アイスランド語が全くできなかった私は「果たして子供とコミュニケーションを取れるのか」と本気で不安を感じ、ことばが返ってこなくとも日本語で話しかけ続けていました。ですから、この「ムラサキ」はうれしかったです。

その1年後に息子はウルトラマンと運命の出会いをしました(ビデオ)。それからは下り坂のボールのように日本語が流れ込んでいきました。モチベーションも大切ですね。ちなみに娘のモチベーションは嵐です。二人の子供とは今でも日本語だけで会話をします。ありがたいことと思っています。

ここのところアイスランドのちいちゃな日本コミュニティは赤ちゃんブームです。そのひとりひとりの子供たちが日本語をマスターしてくれること、そして日本人としての心も持ってくれることを願いながら、日本語教室は明日(今日)の土曜日から新年度に入ります。

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アイスランド語 ...らしきことば

2012-08-30 20:56:19 | 日記
アイスランド語についてもう少し。

アイスランドは兄弟国のスウェーデンやノルウェーとは違い、移民に関しては後進国です。やはり北の島国であるせいか、いわゆる移民がアイスランドで増えて来たのはやっとここ20年くらいの間のことなんです。そういう私が移ったのも20年前です。

20年前でさえ、例えばストックホルムで銀行に入れば、5人いる窓口スタッフのうちの二人はアフリカ系とかアラブ系、アジア系のように伝統的?スウェーデン人のルックスではありませんでした。ここでは最近ようやくオリジナルはアイスランドではないな、と傍目に分かる人が目につき始めている状態です。(外見で「この人は移民だな」と判断してはなりません。移民の二代目で正真正銘のアイスランド人のこともあります)。

というわけで、アイスランドの人は実は「外国人が話すアイスランド語」というものにも慣れていなかったのです。で、褐色の肌のレディや髪の毛の黒いアジアのおじさんがアイスランド語(らしきことば)を発するというのは相当な珍現象であったようです。

もう15年も前のことですが、教会でやっとこさっとこ(これは方言なんだって!「かろうじて」という意味です)アイスランド語でお話しをしたことがあります。礼拝後、帰りがけのおばあさんたちが、「あなたのアイスランド語はちゃんとわかりましたよ」とか言ってくれたのですが、こちらとしては「良い内容のお話しでした」と言って欲しかったんですけどね。聞き所が違う!

もとより超小国のアイスランドは、自国の文化や伝統に強いこだわりを持っています。ことばはそれらの象徴でもあります。それはわかります。アイスランド人からアイスランド語を取ってしまったら、単に小さな島の島民になってしまいますから。ただし、往々にしてそのことばへのこだわりが、移民への偏見のもとになってしまったこともありました(あります)。

これは日本や他の国でも同じだと思うのですが、ある人がどんなことばを話すか、どんなことば遣いや口調をするかは、その人を判断する基準になりますよね。はすっぱな口のきき方や文法的に支離滅裂な日本語を使う人がいたら、それなりの判断をするのが普通だと思います。ですが....

外国人が後から学んだ日本語でしゃべろうとしている時に、日本人同士の間の時と同じ基準を使ったらまずいでしょ?ところがアイスランド人はそれをやることがよくあったんです。外国人が片言のアイスランド語で話しをしようとしているのに遭遇すると、その外国人の全人格と教育がその「片言」のレベルだと思い込んでしまうところがありました。今でもあります、大分そのような誤解は少なくなってきたとは思いますが。

私は教会の牧師で、もう少し言うとアイスランドの移民のために働くことを職務として与えられています。そういう関連から移民関係の問題で公に「もの申す」の機会もあるのですが、「アイスランド語の修得度合いの善し悪しはその人の人格を測る基準ではない」ということはこの10年以上コンスタントに主張してきたことです。

日本にも多くの外国人の方々が生活していますね。日本語の上手下手だけではくれぐれも人判断をされませぬよう。m(_ _)m
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アイスランド語って聞いたことありますか?

2012-08-29 20:57:31 | 日記
日本人の場合、外国暮らしをすることになっていの一番に頭によぎるのはことばの問題でしょう。その次には食べ物でしょうか?この順序が入れ替わる人もいるとは思いますが、ことばと食はどちらも生活の基本ですから大切です。

アイスランド人はアイスランド語を話します。「北欧語」なのですがここからノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語などが形成されていきます。ノルウェー語やスウェーデン語がどんどんと近代化し文法なども合理的に整理されていったのに対し、アイスランド語は北欧語の古い形態をかなりとどめたままでいます。例えば名詞には男性、女性、中性と「性」があり、単数複数また格(「てにおは」のようなもの)によって語形が変化します。動詞の変化も同様に複雑です。

アイスランド人は「子供でも1000年前に記された古書を読むことができる」と得意がります。専門外なのですが英語のルーツとかの研究にもアイスランド語は役に立つとのことです。ですが、その古いまんまのことばを学ばなければならない我々にとっては迷惑千万な話しです。

私はもう20年、こちらに住んでいますが、それでもアイスランド語には未だにてこずります。読み書きはまだ何とかなりますし、聞いて理解することもまあまあでしょう。問題はしゃべることです。

職業上(牧師)、人前でスピーチをする機会はかなり多くあります。それでもきちんと原稿を確定し、それを事前に何回も読み上げる練習をしなくてはなりません。これはやってみると大変な作業なんですよ。例えば15分の話しを、10回読む練習をするとしましょう。それだけで最低150分かかることになります。私の場合は20回読むことを基準にしていますが、まあ仕事なので当然でしょう。

それでも困ることがあります。アドリブが利かないのです。実は昨年の3月13日にお話しをすることになっていて準備もいつも通りしていました。ですがその二日前にあの大震災です。全く触れないこともできませんし、原稿を変えるにしても、時間は押してるわ、ニュースの方に気を取られるわで、焦りました。

他の外国人仲間を見ても、大概の連中はアイスランド語で四苦八苦しているようです。それでも「大変さ」はそれぞれに異なるようです。しゃべるのは得意だが書くのはダメ、という人もいます。個人的な経験から言うと女性に多いような気がします。

またそれぞれの母国語によっても差が出るようです。ロシア語やドイツ語のように複雑な変化をすることばを母国語としている人はやはり修得が早く、さらに修得の度合いが高いように思われます。我々日本人やタイ、中国、ベトナムの人たち等アジア組は分が悪いです。って、みんな巻き込んでごめん。

さらに若くしてアイスランド語を習い始める人は上達の度合いが高いのは確かです。文の組み立てとかは、その人の考え方とリンクしている度合いが強いですから、考え方を形成している最中に学んだ方が脳に溶け込むということでしょうか?

アイスランド語を体験してみたい方はここ:
http://www.youtube.com/watch?v=GxzhWkMD3co

人それぞれに妥協して共存しなければならない問題はあるようですね。タバコが止められない人、通風の人、馬の名前で馬券を買ってしまう人、海鮮料理をどうしても火を通し過ぎてしまう人、等々。つっかえつっかえのアイスランド語は私が逃れ得ないついの伴侶のようです。
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レイキャビク、この八月

2012-08-28 20:13:21 | 日記
8月の末にもなると、レイキャビクは秋の気配が急速に近づいてきます。「残暑」というものはあまりありませんね。急に気候が変わっていくので私などは肉体的にも精神的にも追いつくのが大変です。

ここでは8月はスケジュール化された行事が結構沢山入っています。第一の週末はヴェルスルマンナヘルギ(Verslumannahelgi)といって、もともとは週末も店を開けることの多い商店で働く人たちのための祝日でした。現在では島や野原に家族総出で集まって、飲めや歌えやのキャンプを楽しむようになってきました。個人的には何が楽しいのか分からないのですが(特に天気が良くない時とか)、「すごく楽しいもん!」と風雨の中でさえ言い張る人も大勢います。(ウソつけ!)

第2週の土曜日はゲイ ・プライド。これも人がワンサカ出てくるパレードがあり,その後も盛り上がります。アイスランドは同性愛に関して寛容な国です。このことに関してはは考えるべき内容が濃いのでまたの機会に。

第3週の土曜日は「文化の夕辺」という、市が主催するお祭りです。一日中、町中いたるところで出し物があり、誰でも何かしら自分にとって面白いものを見つけることができるようです。夜11時の花火で〆るのが恒例です。

第4週からはそろそろ小中高校の新学年が始まり、夏よさらばの感になっていきます。

この他に特筆したいのは、毎年8月の6日もしくは9日に広島 ・長崎の原爆犠牲者の方々を偲ぶ灯籠流しが持たれていることです。正確には丸い受け皿に入った屋外用のキャンドルなのですが、これを市中心部にある池に流します。まだ陽がそう早くは沈まないので、夜の10時半に集まり始め(まだ明るい)、短い平和を祈るスピーチの後、ゆっくり目に点灯し流します(ほの暗くなってくる)。


          



この催しは反戦平和グループを中心として1986年に初めて行われました。今では教会や仏教者のグループなども主催者に加わり今年28回目を迎えるまで継続されています。もう特にアナウンスメントはしなくても、市民の人たちは承知していて三々五々集まってきます。

正確な年は覚えていないのですが、何年か前には広島の市長から被爆した瓦礫で作った石碑が送られ、池の片隅に建てられています。

さらに今年は、9日より市立図書館を中心として長崎原爆平和記念館の特別展示会が10月半ばまで開かれています。オープニング時には、記念館の方々と共に早崎さんという82歳の被爆体験者の方もおいでくださり貴重な体験談を語ってくださいました。日本育ちで、多少は分かったような気になっていた私ですが、その時その場にいた方の体験談には、やはり目を覚まされるような思いがしました。早崎さん、また準備に奔走された記念館の皆さん、ありがとうございました。

市内の小中学校(10学年制でひとつの学校システムですが)はこの機会を特に平和問題と核問題を考える機会とすることに賛同し、全学校の10学年生が広島 ・長崎の資料をあたり、話し合いをするなどの課題を準備しています。
関心のある方はここ。全部アイスランド語ですけどね。
http://www.samfelagsfr.is/grunnskoli.html

私自身はそこでは参加したことはありませんが、灯籠流しは、北の町アクレイリでも同じように行われています。 アイスランドの人々が、このような追悼と平和祈願の集いを長く続けてきてくれていることは、一日本人としてありがたく思います。
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西街からの眺め

2012-08-26 21:21:30 | 日記
前回、レイキャビク西街の魅力を言葉でいい表わすのは全般的に難しいけど、言い表すことができる点もあって、そのひとつは私のアパートのベランダから見える氷河の夕焼けだ、といいうようなことを書きました。で、少しその景色をご紹介してみたいと思います。なにしろ無料のブログを使っているもので、アップできる写真の容量に制限があり、これでもか!とアップすることはできません。ご容赦。






       


この氷河はアイスランドの西端、レイキャビクから約180キロの地点にあるスナイフェトゥルス氷河(Snæfellsjökull)といいます。標高は1.446メートルです。アイスランドの、何と言うかNew Age、自然神秘主義運動の聖地でもあります。UFO待降者もよく集まるとか。

火山なので天辺はクレーターになっていて、遠目にはお皿が乗っかっているかのように見えます。始めの写真のように、このお皿に夕陽がぴったりと治まるのを目撃した人には願いが叶うのだそうです。まだ叶ってないけど... (いい女性)

私のアパートからは西側になるわけで、もちろん夕陽が沈む方角です。ただ夕陽の沈む場所は季節、月ごとに移動して行きます。ですから夕焼けの風景、シルエットも一様ではなく、飽きるということは本当にありませんよ。
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