レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

パウスカ、新年度、そしてエイプリルフール

2018-03-31 19:00:03 | 日記
Gledilega paska (グレージィレーガ パウスカ)!

Happy Easter!ということです。今年は四月の1日が復活祭の日曜日となりました。

日本では新年度の始まりで、いろいろな学校や会社で新しいスタートを迎えている人も多いことでしょう。まあ、学校はまだすぐには始まらないか?またエイプリルフールでもありますし、いろいろと重なった4月1日になりましたね。

さて、パウスカの度に言ってきたことなのですが、クリスマスと違いパウスカは毎年日付けが変わります。これは「春分の日の後の最初の満月の後の最初の日曜日」というのがパウスカの日付けを決める際の規則になっているからです。

なぜそんなに面倒臭い仕方でパウスカの日付けを決めているのかということなのですが、もともとパウスカの「基礎」というか「前提」にあるのが、ユダヤ教の祭りである「過越の祭り」というものです。

これはエジプトのファラオの下で奴隷となっていたユダヤ人を、神が救い出したことを記念し感謝するための祭りです。この祭りを祝う週にイエスは捕らえられ十字架刑に処されました。そしてその祭りの開始の直後の日曜日にキリストが復活した、というのがキリスト教会の信じるところなのです。

というわけで、復活の記念日は、ユダヤ教の「過越祭」を抜きにしては算出できないものでした。そして、その過越際は当然ユダヤ暦で決められるのですが、ユダヤ暦は太陽太陰暦と呼ばれるもので、月の運動をもとにした陰暦に、太陽暦を組み合わせたものです。つまりどうしても私たちが今使っている太陽暦をもとにした暦とはズレが生じることになります。

後年、教会が確立していく過程で、復活祭の日付けの決定をいつまでもユダヤ教の祭りに頼っているのは面白くない、という議論があったようで、先に書きました「春分の日の後の最初の満月の後の最初の日曜日」というルールが決められたようです。

ですが、実際には今でも復活祭は過越祭と同じ時期になります。去年の過越祭は4月10日から17日まででしたが、復活日は4月16日、今年は過越祭は3月30日から4月6日、復活日は4月1日という具合です。

ちなみに今年、西暦の2018年はユダヤ暦では5778年だそうです。紀元前3761年を世界の造られた日として勘定し始めるのだそうです。イスラエルでは今でも公式にはユダヤ暦を使っているということで、国際社会での付き合いの都合上西暦も併用する慣例になっているとか。




Gledilega paska!
Mynduin er ur atvreyjar.123.is


「暦」というのは、文明のあるところどこにも存在し続けてきたもののようですが、結構奥が深いというか、複雑で面倒なものですね。太陽暦にしても、昔はユリウス暦が主役で、今はグレゴリオ暦がさらに正確な暦としてとって変わりました。

太陽暦というのは、地球が太陽の周りを一周する期間を一年とする基準によって暦を確立します(とか、エラそうに言ってますが、ウィキで調べながら書いています)。

それで一年は「365日と端数」ということになるのですが、これを「1年=365日」と規定し、切り捨てられた「端数」を調節するために400年間に97回の「閏年」を挿入することにしました。

それまでのユリウス暦と何が違うかというと、ユリウス暦では1年を同じく365日としていたのですが、閏年を400年間に100回、つまり「四年に一度」と定めていたのです。って、レレ!? 今の暦と違うの?

これから先は、私にはまったく専門外の領域なのですが、ユリウス暦では短期的にはともかく、何百年という周期で見た時、暦と実際の季節の間に、かなりのズレが生じてくるのだそうです。例えば春分の日などが、実際には昼夜が均等でない日にズレてしまうというようなことが現実に生じたとのこと。

それを補正したのがグレゴリオ暦だそうで、閏年を「四年に一度」ではなく、「400年で97回」にすることによって、このズレは相当是正されるのだそうです。じゃあ、どこかで閏年がスキップされる?これより先を知りたい方は、ご自分で健闘されてください。(^-^;

ところがキリスト教界でも、東方正教会と呼ばれる教会は祭りの日付けを今でもユリウス暦を用いて定めています。ユリウス暦とグレゴリオ暦では、先に述べました「ズレ」の故に、13日間のギャップが生じています。

そのため、「クリスマスは12月25日」という私たちにとっては当たり前のようなカレンダーも、正教会では「クリスマスは1月7日」となっているのです。
(*ただし、私の記憶が間違いでなければ、ギリシャの正教会のクリスマスは12月25日だったと思います。要チェックです。スミマセン m(_ _)m)

ちなみに正教会でもクリスマスは固定祭日で、イースターのように移動はしません。その点は「西方教会」(カトリックやプロテスタント教会)と同じです。




アイスランドのパウスカには欠かせないチョコエッグ


中はこんな感じでキャンディ類がたくさん
Badar myndir eru ur InsipredByIceland


さて、今日のキリスト教会には三つのメジャーな祭日があります。クリスマス、イースター、そして「聖霊降臨日」と呼ばれるペンテコステです。これにキリストが天に昇ったとされる「主の昇天日」を加えて四つのメジャーな祭りと考えることもできます。主の昇天日は実際はメジャーとは言えませんが、祝日(お休み)になっていますから、その点では他の三つと並びます。

クリスマスは12月25日に固定されていますが、イースター(復活祭)は先に書きましたように「移動祭日」です。そして「主の昇天日」は復活日から勘定して四十日目、ペンテコステは五十日目と決められています。

ですから、主の昇天日もペンテコステも、イースターに連動して移動するわけです。よって、四つのメジャーな祭日のうち、三つがこのように毎年日付けが変わることになるわけです。

なぜ、このようなことをくどくど書いてきたかというと、キリスト教会の用いている「教会暦」というものをちょっとご紹介したかったからです。アイスランドはもちろんのこと、キリスト教文化圏では、この教会暦とその国の祝祭日は大きく関係しています。

例えば、先週がまさにそうだったのですが、復活祭前の聖週間の木曜日、金曜日は祝日ですし、多くのお店が閉まってしまい、生活に実際的な影響があります。

となると、例えばアイスランドへの旅行を考えている方があるとして、そういう方面の知識を持っていることも損ではないのではないか?と思い立ったわけです。

というわけなのですが、「暦」で思わぬ手間を取ってしまい、「教会暦」の説明までは入れませんでした。もう一回、教会暦についてのご紹介の機会を持ちたいと思います。

Happy Easter! そして良い新年度になりますよう!


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生活の怠惰なリズム

2018-03-25 05:00:00 | 日記
三月の最後の週を迎えています。こちらではこの時期になると、日もだいぶ伸びてきて、夜の8時を回っても、まだ外は「夜」というほどには暗くなりません。

また、今年はもうすっかり雪も消え去りましたし、積もるような雪はもうないだろうな、と期待しています。そういう安易な期待はこれまで何度も裏切られてきましたが。

それでも、今週中には車のタイヤを夏用のものに交換しようと予約を入れてあります。スパイクタイヤの使用許可は4月の15日までなのですが、ちょうどその頃出張の予定があるので早めに換えておこう、と思い立ったのです。

ところで今週は、キリスト教の文化圏では「聖週間」と呼ばれる特別な週です。来週の日曜日が復活祭の日曜日、イースターになります。遡ってこの七日間はキリストの十字架への苦難の道を偲ぶ日々となるわけです。




聖木曜日 最後の晩餐をテーマとした絵
Myndin er ur Visindavefurinn.is


聖週間についてはこれまでも何度か書いたことがありますので、よければそちらも覗いてみてください。

アイスランドの聖週間

教会の鐘がミュートになる時...?


今回は「生活のリズム」ということについて、うだうだと書いてみたいと思います。

皆さんはご自分の「生活のリズム」というものをお持ちでしょうか?若いうちはそんなことあまり気にしないかもしれませんね。それに働き盛りの年齢の方々も、仕事に追いまくられてリズムなど考えるゆとりはない、ということも多いとお思います。

私も今でこそ牧師をして霞を食べるような生活をしていますが、かつては一応サラリーマンでしたので、仕事に追われた生活は経験しています。サラリーマンです、ビジネスマンではなくて。何が違うか?悲哀があるでしょ、サラリーマンには。(^-^;

その頃は本当に「仕事−眠る−仕事」の繰り返しで、薄給の身であったにもかかわらず、お金は結構貯まりました。お金を使うヒマがなかったんですよね。

それでも毎日にリズムがなかったわけでもないですね、行き帰りの電車の中で寝る時間とかは、大切なリズムになっていたと思います。

周囲を見回してみると、学校の先生とかは年がら年中忙しそうにしています。知り合いの大学の先生は「毎日本当に忙しい」と言っています。確かに学校の先生は時間と場所の拘束が顕著な仕事ですよね。ああいう職場環境ではどのようにして生活のリズムを作るのでしょうか?多分、ご苦労が多いことかと。むしろ楽なのかな?

皆がそうだ、ということはないでしょうが、生活のリズムについてじっくり考えたり、実際にそのリズムを作ることができるのは、ある程度歳がいってきて、職場でも家庭でも多少のゆとりを楽しめるようになってからではないでしょうか?

「家庭でも」と言ったのは、例えば赤ちゃんがいる場合には、赤ちゃんに振り回されるのが普通のリズムだと思いますので、子供がある歳になるまでは、親は生活のリズムを考えにくいのではないか、と思ってのことです。それでも、皆さん、それなりのリズムは作っていくのでしょうが。

さて、私自身のことを考えると、仕事の予定はかなり自分で管理できる立場にありますし、また子供も大きくなり「エンプティネスター」となりましたので、自分の生活は自分で支配できるようになりました。

生活のリズムを乱すものはなにもないわけです。ところが生活のリズムなるものを私が持っているとは思えないのです。なぜなら、私は怠惰だからです。
いや、自慢するわけではないですけどね、だらしがないのです。

仕事がメチャメチャ忙しい時期はあります。それはまったく構いません。夜遅くまで仕事を延長することも多々あります。なにしろ自分のことだけかまえばいい身分なので、いくらでも仕事はできます。

ところが、そういう時期が去って、「さあ、少し早起きして、ジョギングして、一日を爽やかに始めよう!」ということが可能になると、 就寝前に無駄にChicago P.D.のテレビを三話も四話も見てしまったり、その結果無意味に寝坊したりしてしまうのです。

リズムを確立するには、そのリズムに従う管理能力が必要なのでしょうが、その部分が欠けているようです、ワタシには。




今の時期は午後8時でもこの程度の暗さ


それでも、変なところで「リズム」はしっかり保っていたりします。これは仕事に関してなのですが、私は実に時間の無駄が多いのです。ですが、これは「だらしがない」のではなくて「リズム」なのです。

例えば、私は平均して週に三回、教会での集会をお世話します。茶菓の準備や、会場のセッティングとかの準備はもちろん自分でやります。毎回、やっていることですので、手順は身に付いています。もし5時からの集会であるならば、実際には4時30分に準備を始めても間に合うことでしょう。ですが、私はそれができないのです。私は3時半には準備を始めます。

当然準備そのものは4時過ぎには終わってしまいますから、それから一時間ほど、何か他のことをするか、ポケッとしているかのどちらかになります。仕事の能率という点から見ると、これはまさしく時間の「無駄」なのですが、私にとっては、これが大切なリズムなのです。

教会の礼拝や祈りの会は、やはり「心から」奉仕する機会です。私は十分前に会場へ登場して、さっと心のスイッチを入れて礼拝を始める、ということができません。相応の心の準備が必要になります。

これは洗礼式や結婚式でも同じことです。邦人のカップルの結婚式を年に何回か担当させていただいています。結婚式というのは、「セレモニー」としては簡単なものの部類に入ります。

しかも日本語。アイスランド語とはわけが違います。そんなに準備するものもないのですが、それでも一時間以上前に教会へ入りますし、何をするではなくとも、式に向かって心を集中していきます。これは大切なリズムであって、壊すことはできないのです。

牧師さんの中には、一日で三組も四組も挙式を担当する人がいます。実際、一時間おきに式を行うのです。私には無理ですね、そういうのは。多くて一日二回でしょう。午前と午後と。

人気ポップシンガーのパットゥル·オスカーという人がいます。人気があるので、よく結婚式で歌うことを依頼されるのだそうです。その彼もポリシーがあるようで、「一日二回以上は結婚式でのパフォーマンスは引き受けません。そして式終了後、少なくとも一時間はその場にいるように時間を確保しています。歌って即さようなら、というのは失礼ですよ、新郎新婦にもゲストにも」

私はパットゥル·オスカーさんのこの言葉にはかなり感激しました。この人、本当にいい人で、自分の周囲にいる皆が気持ち良〜く感じるように気を配っています。ワタシも見習わなくては。

まあ、ワタシが自己弁明的に思うことはですねえ、能率だけでは良い仕事はできないということですよ。多少の無駄を産むようなリズムが、良い仕事に繋がることもあると考えます。

夜更かしのテレビと、それに続く寝坊はそこには含まれませんが...
皆さんも、良いリズムを保って、この一週間を過ごされますよう。


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「メトロ」が恋しいアイスランドの生活

2018-03-18 05:00:00 | 日記
「アイスランドに住んでいて、日本の何を恋しく思いますか?」という質問は、年中ではないですが、年に数回は訊かれている気がします。もちろん「恋しい」と思うものもありますし、もう少し実用的な意味での「こっちにもあったらいいのになあ」とないものねだりをしてしまうもの/ことも沢山あります。

食べ物関連を挙げるとキリがなくなりますので、別のものを。それは「地下鉄」「電車」です。「列車」ももちろん加えていいのですが、毎日の生活における重要性という点から考えると、「電車」「地下鉄」の方に若干ウェイトが多くかかるかなあ、という感じです。

私は東京都下の八王子出身で、予備校、大学は都内でしたし、その後の三年間のサラリーマン時代も、ずっと八王子から通学通勤をしていました。もちろん電車と地下鉄(最近はメトロというのでしょうか?)

その間の十年間弱を振り返ると、車の必要性はまったく感じなかったと思います。もちろん車が趣味で運転したい方は、異なる必要性があるのでしょうが、特にカーマニアでもなかった私には、東京メトロ万歳!の毎日なのでした。

都内の会合などで、遅刻してくる人のほとんどは車族だったと記憶しています。みんな、おんなじ言い訳:「駐車場がなくって...」車なんか使うからだよ、都内で... ちなみに私の仕事は「車必須」の業界ではありませんでしたので。

その後、名古屋に移りましたが、名古屋は大都市とはいえ、やはり東京とは密度が違いますので、車が日常必須の生活となりました。それでも、電車、地下鉄共に発達もしていましたから、車か電車かの使い分けができて、これも便利な毎日だったと思います。

名古屋の次がレイキャビクです。言葉とか、食文化とかの違いはさておいて、「移動の足」ということだけに焦点を当てても、これは相当な大変換でした。なにしろ、列車、電車、地下鉄の類、何もない... ここには。レイキャビクだけでなない、国内に二本のレールの上を動くものは、いっそモノレールも含めても、存在しないのです。

レイキャビク市内にある、国内線用の飛行場の隣りにある丘には、線路が残っていると記憶しています。第二次大戦中に、そこに英軍、米軍が物資運搬用のトロッコを引いたのだそうです。いまでもあるのかな?レール。

あと、ダウンタウンの港前の広場に小さな蒸気機関車が展示してあります。もちろん動きません。ああ、あれがもしかしたら英軍だか米軍が使っていた代物なのだろうか?すみません、ちょっと勉強不足です。

で、現在レイキャビクは150%くらいの車社会に成長しています。日本と比べる規模ではありませんが、朝夕はラッシュもあります。相当な距離の車の行列ができあがります。

ラッシュ緩和と環境対策のためにバスの利用を勧めてきたこともあるのですが、バス会社経営の困難から、運賃は上がる一方。これでは、バスを使いたくても使えない、という人まで出てきてしまう始末です。

なにしろ一回の運賃が460クローネ。対して託しの初乗りが690クローネで、キロごとに約300クローネ増し。ふたり以上ならタクシーの方が安い、ということも十分にあり得ます。ついでに、大人の一ヶ月のバスカードは12.300クローネもします。「車の代替にしろ」というのは無理のある額です。

最近は自転車愛好家も増えてきているのですが、こいつらのために交通事情はますます煩雑かつ遅延していると感じています。(スミマセン、私は『通勤通学自転車』大キライなのでした)




金曜日のモルグンブラウズィズ紙 Borgarlina路線図


で、とにかく、市街地の交通が飽和化してきていることは周知の事実となっています。レイキャビクとその周辺の地方自治体は、その対策としてBorgarlinaボルガーリーナという交通手段を設置することを、ここ数年間検討してきています。電車状のバス車輌であるようです。専用レーンを走行するので「高速で移動する」とのことです。

実際にどういう形体の電車なのかは、まだ具体的にされていないのですが、おそらく「ゆりかもめ」的なイメージのものなんだろうと想像しています。もちろんモノレールではないですが。

あるいは今風の「都電」のようなものかもしれません。最近、随分スタイルの洗練された都電が走っていますよね、「モヤモヤさまぁ〜ず」だか「正直さんぽ」だかで見た記憶があります。




電車なのか、バスなのか?
Myndin er ur Vidreisen.is


このボルガーリーナ(ボルガーは「市内の」とか「市の」、リーナは「ライン」を意味します)計画、しばらく前に一度書いたことがあると思いますが、なにしろ土地の区画整理みたいなことが、大前提条件になりますので、計画の段階から難問に突き当たっていた、と聞いていました。

それでも諦めたわけではないらしく、この金曜日のモルグンブラウズィズ紙には、レイキャビク市と周辺地方自治体が基本的に合意したとして、ボルガーリーナの路線計画を掲載しています。

計画そのものはボルガーリーナだけではなく、大規模な道路改修と新開発を含み、2030年の完成を目指す大計画です。

新聞記事によりますと、ボルガーリーナは計四本の線が敷かれることになるようで、これらはすべて、すでに相当発展をしている地域に限られています。近距離の住宅地とオフィス街を結ぶことを主眼にしているように思われます。

多分、通勤通学者をごそっと車利用から振替えよう、ということなのでしょう。ですから、市内と「郊外」を結ぶような長距離路線は計画されていないようです。

私なんざ「ケフラビクの空港から市内まで電車で行けたらいいのに」と思っていましたし、今でもそう思ってますから、若干がっかりです。

ボルガーリーナに限っての総予算は439億クローネだそうです。ボルガーリーナ1キロあたり12億5千万クローネとか。話しの流れからして、電車というか市電というか、その車輌そのものの予算は含まれていないように思われます。

正直言って、こういうのを聞かされても、現実味がないというか、宛てにできないというか、自分には関係ないと思われてしまうというか...

現実味があるのは、こういうのを計画して、あるいは実際に施工するとして、それでガッポガッポ儲ける輩が裏には必ず存在するのだ、ということです。結局、ここも人の住む社会ですからね、基本的な構図は他所と変わらないのでしょう。

夢のような気はしますが、それでもボルガーリーナができればいいだろうな、とは思います。電車、地下鉄、モノレール、あるいは「電車状の」走行車輌。「文明」を私は感じます。


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To Remember and Pray

2018-03-11 04:00:00 | 日記
3月11日となりました。もう七年間が過ぎたという事実に、本当に時の過ぎ去る早さを思い知らされます。もっとも、そのように言えるのは私は直接の被災者ではなく、しばらく時が過ぎれば忘れてしまうことのできる状況にあるから、ということはあると思います。

あの日を境にして、生活の有り様、人生の設計が根本から変わってしまった方々のご苦労は想像するのも難しい気がします。

生命を落とされた犠牲者の皆さんには心よりの哀悼を表したく、またご家族や友人を亡くされた方、被害に遭われ沈痛な体験をしいられた皆さんには、深いお見舞いを申し上げたく存じます。




Myndin er ur teach311.org



「震災後は終わっていない」「終わらせてはならない」ということを目にすることがあります。ネットで調べたかぎりでは、いまだに約十三万の人が「避難生活」をしているとのこと。

原発の再開とその是非、原発事故後の処理等も含めて考えると、多くの課題が未解決のまま日本社会の中に残されているのでしょう。時間はかかるかもしれませんが、良い方向へ、そして着実に解決が進むことを願います。海外在住の日本人としての気持ちです。

私個人としては、東日本大震災で親戚や友人が亡くなったとか、家をなくしたという人と繋がりはなかったのですが、ひとつ、後から気がつき心に引っかかっていることがあります。

もう十四年前になりますが、夏のことでした。漁業関係の仕事をしているアイスランド人から電話があり、日本のマグロ漁船の乗組員が病気で入院してしまったので、通訳を兼ねて見舞ってくれるか?と訊かれました。

それでその日のうちに病院へ出向いたのですが、病棟は精神的な疾患の治療の総合病棟。その病棟には病気の程度に合わせて三段階くらいにセクションが分かれているのですが、邦人乗組員の方は中程度の患者さんの入るセクションに入院していました。

その方Aさんは、その当時私よりすこし年配の方で五十を超えたくらいの年齢だったと思います。病気はうつ病だったのですが、航行中に程度がひどくなってしまい、船がレイキャビクに入港した際に病院へ運ばれたのでした。

マグロ漁船は、だいたい北アフリカから漁を始め、スペインから北大西洋を上ってきて、アイスランドとかを通過しカナダの方へ行き漁を続けるのだそうです。ですから、一回の漁は一年とかそれ以上の長い航海になるのだ、と別の漁師の人が話してくれたことがあります。

Aさんが乗り組んでいた漁船も、レイキャビクでの食料の買い込みとが終われば出航しなくてはなりません。Aさんだけがレイキャビクに残される形となりました。

Aさんは当然ここには知り合いとかはありませんし、言葉の問題もあるので、私は頻繁に病院へ見舞い兼通訳のような形で出向くことになりました。「頻繁に」というのははっきり言うと「毎日」でした。

これはかなりしんどい日課だったのですが、Aさんの容態がかなり重く、ひとりで残し置くのが心苦しく感じられたのです。

なにしろ会話ができなく、話しかけても時々...ポツン...と言葉が返ってくるような具合でした。それだけではなく、肉体的な運動も不自由で、身の回りのことが十分にできず、そういう手助けも必要なことがわかってきました。

幸い、もうひとりの邦人男性がサポートに加わってくれたので、私の負担も軽減したのですが、このお見舞い生活はなんと夏が終わり十月になるまで、三ヶ月に渡って続いたのです。

時が経つにつれて、Aさんの症状も回復してきました。会話も普通とまではいかなくても、当初に比べればずっと良い程度にできるようになりました。

東北の出身で、最近自宅を新築したとか、お嬢さんが結婚されたとか、個人的なお話しも聞かせていただきました。基本的に穏やかな優しい方だったので、途中で嫌にならずにお見舞いできたのだと思います。

十月になって、ようやく看護士の方と、私でない、もうひとりの邦人サポーターの付き添いで日本へ帰国できました。

住所や連絡先もいただいていたのですが、私の主義で、帰国された後は連絡はしないことにしています。結婚式とかおめでたいことの場合はその限りではありませんが、病気や事故で関わった方には、一応「線を引く」ことにしています。

それで、その後はもちろんAさんのことはいつしか頭から消えさり、忘れてしまいました。

それから七年が過ぎ、震災が起こりました。しばらくの間、ネットにかじりついてニュースを見る日々となりました。そして、ある時Aさんのことを思い出したのです。「Aさんの新築の家、確か被災地のあたりじゃなかったっけ?」

古い手帳とかを引っ張り出して、いただいたアドレスを探しました。そして見つけました。不安が的中してしまい、Aさんのご自宅は津波で壊滅的な被害を受けた町にありました。港に近い場所だし。

その後、AさんとAさんのご家族の安否はまったくわかっていません。というか、知ろうとする努力をしませんでした。その町の被害の状況をニュース映像とかで見るかぎり、Aさんのご自宅が無事であったとは考えられません。ですが、なんとかご家族と共に生き延びていて欲しい、と願いましたし、今でもそう願っています。

この思い出が、私が東北大震災に関して持っている、唯一の特定の個人に結びついた接点です。このような小さな思い出でさえ、思い返すことによって心は重く悲しくなります。

実際に身内を亡くされた方、親しい人を亡くされた方にとってはどれだけのものだろうか?と考えてしまいますが、察する域を超えてしまっています。
改めて、心よりの哀悼の気持ちとお見舞いを表したく思います。




震災後、メディアを通して、被災地の方々を含む多くの日本内外の方々が、心の琴線に触れる勇気と献身、連帯の行いをされたことを知らされていました。それらのすべてに感謝したいです。

アイスランドでも多くの人々が日本の被災地の方々のために同情を示し、祈り、さらに具体的な支援に参加してくれました。そのことも、改めて感謝したいと思います。

頑張れNippon! まだ終わってない!

アイスランド発 ガンバレNippon!



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ちいちゃな王様と門前の小僧

2018-03-04 05:00:00 | 日記
荒天ばかりが頭に残る二月が去り、三月に入りました。ようやく天気は落ち付きを取り戻し、先週一週間は平和そのもの、またこれからの一週間も大丈夫なようです。ありがたや。

それにしても、この間クリスマスと新年を祝ったばかりなのに、お店にはすでに「パスカエッグ」が山のように積まれています。

「パスカエッグ」というのは、復活祭の時に子供たちが欲しがるチョコレートでできた「タマゴ」です。イースターエッグそのものは、キリスト教文化圏ではかなり共通のものなのでしょうが、アイスランドではそれがチョコレートと結びついています。これがどのくらい「世界的」なものであるのかは、ちょっと確かではありません。

パスカエッグについてはこちらも



さて、皆さんは毎日の生活の中でどのくらい「頭にくる」ことがあるでしょうか?な〜んて、日本で仕事をしている人に尋ねるのは嫌味に受け取られかねないですね。

日本の、特に職場でのストレスはハンパないですよね。私が新橋でサラリーマンをしていたのは、すでに三十年以上前のことですから、今では随分と職場環境も変わってきていることでしょう。

私の場合は「中小」に分類される職場でしたので、それほどギラギラした戦場ではなかったのですが、それでも「ワケのわからない上司の命令」とか「スジの通らない先輩の文句」みたいなものによるストレスは相当なものがありました。

幸い、直接顧客に何かを売る、とかいう分野ではなかったので、「お客様は神様です」という前提で接してくる人とは関わらずにすみました。

今では職場のあり方は相当変わってきているのでしょうが、それでもテレビやドラマを観ていると、「ストレス」そのものは相変わらずかなりシンドイものであり続けているように思われます。違いますか?

アイスランドでは、職場のストレス度は日本ほどではないだろうと感じてきました。こちらでは日本ほどの「上長を敬う」しきたりはありませんので、その点でのストレスは軽いですし(その分、生意気な若造からくるストレスはあります)。

また、自分の意見は自分の意見としてはっきり言う文化ですので、その点でも「言いたいことを言えずに〜〜〜...」ということもありません。ある意味、発散しやすい職場環境、といってもいいのではないでしょう。




Myndin er ur Mangatop.info


ところがです。最近、やたらと頭にきていることが多い自分に気がつきました。どんなことに頭にきているかと考えました。単純なものをいくつか挙げてみましょう。

他人のクレジットをあたかも自分の業績のように語る奴。私が礼儀で分けてあげている情報を、自分で取ってきたかのようにマスコミに話したりFacebookにアップする人がいるのです。自尊心のない輩。そんなにLikeが欲しいか?

夜十一時を過ぎた頃になって、難しい悩みのメッセージを送ってくる奴。こっちだって寝る前くらいはリラックしたいのだ。なぜ、その時間に送ってくるかね?

加えて、どうしようもない「助けて!」メッセージを繰り返し、繰り返し送ってくる奴。定期的に顔を合わせて話しを聞いているにも関わらず、ただ自分が安心するためにだけやってるんだよねー。

「悩みがあるので会って相談したい」というから、時間を決めて待っていると来ない奴。電話しても通話中ばかり。後から「今日は行かなかったけど(「行けなかった」ではありません)、明日でいい?」とかメッセージ寄こして。「今日はすみませんでした」の一言もなし。当然却下。

実際にはもう少し深刻な内容なものもあるのですが、それは省略しますが、他にもかなり「頭にくる」ことが多いような気がしたのです。

で、なぜだろう?と再び考えたわけです。今挙げたようなことは、別に昔からいつもあったことですし、ことさら今だけ頭にくる必要もないではないか?自分でもそういう冷めている部分はあるのです。

さてはこれも「老化現象」か?うーん、タシカニ〜。

医者や裁判官などを代表として、世の中にはわりと「周囲を従える」性格の職業というものがありますよね。政治家もそうでしょうし、大学教授、あるいは普通に高い地位にいるビジネスマンもそうでしょう。

こういうポジションにある人たちに共通の危険は、「なんでも自分の思い通りになるんもんだ」という態度が知らぬうちに身についてしまうことでしょう。もちろん、皆がそうなるわけではありませんよ。

それでも、例えば、私は知っているお医者さん連中の中に、かなりその手の振る舞いをする人がいるのを見てきました。ああはなりたくない、と思いました。

牧師さんなんていうのはそこまで世間の尊敬を勝ち得る地位ではないのですが、それでもごく小さなグループの中で、絶対的な支配権を手にすることもあります。「ちいちゃな王様」になるわけです。

私なんざ、そういう「地位」にはほとほと無縁だったはずなのですが、しかし、考えてみると、三年前に始めた難民の人たちを中心にした集いが、今では成長し、安定化してきました。そのグループの中では、相当数の人が私に対して敬意を持って接してくれています。

もしかしたら、自分がそういうのに慣れてきて、多少尊大な態度になっているのではないか?と考えてみました。そうですねえ...ちょっとズボシかも。

悩みを持っている人が、多少礼儀を欠いているからといってそんなにカリカリしていたら、牧師なんかやってらんないでしょう?大体、人間を不完全なものとして見るのが牧師の基本的な立場だし。多少遅くにメッセージしてきても、悩みがあるのに何も言ってこないよりははるかにマシなはずです。




Serenity Prayer eftir Reinhold Niebuhr
Myndin er ur BibleInfo.com


ラインホルト·ニーバーという有名な神学者がいたのですが、その人が編んだ祈りのひとつにSerenity Prayer「沈着の祈り」というものがあります。

「神よ、 変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、 両者を識別する知恵を与えたまえ。」(出典:ウィキペディア:一部改変)

「コントールできないことをコントロールしようとすること」は、私たちの冷静さを奪い、頭に血を昇らせることの代表格でしょう。そしてそこには「誰もが自分の望み通りに動くと期待すること」も含まれると思います。

自分は「秩序の一部であり」「秩序の支配者ではない」ということを日常生活の中でこそ覚えておきたいものです。

いやいや、忘れていたのは皆さんではなく、このワタシですからね。これはまずもって自分に言わなくては。

「ちいちゃな王様」どころか、やはりワタシはまだ「門前の小僧」なのでした。


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