レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

鯨を食べるか? 鯨に会うか?

2013-05-29 05:00:00 | 日記
アイスランドと日本には火山、温泉、島国などよくいわれるように共通点がいくつもあります。「捕鯨国」ということもそのひとつです。

実際 「捕鯨」は捕鯨反対の大合唱の四面楚歌の中での同盟国的な心情が生まれてくるので、 他の共通点に比して感情的な結びつきをもたらしているかのように思います。

さて、伝統的捕鯨国のアイスランドですが、昨今では必ずしも「捕鯨推進」の一枚岩ではなくなってきています。先日のニュースで流されたものをもとにしてクジラを巡るアイスランド事情をお伝えしたいと思います。

五月の始め、今年の捕鯨が六月に開始されると報じられました。協定によると今年はアイスランドは154頭のナガスクジラ、229頭のミンククジラを獲ることができるのだそうです。(これが単年度の割り当てなのか、複数年なのか少し疑問があります)

色々な世論によって休止していた捕鯨が再開された2006年以降、この国は223頭のナガス、296頭のミンクを捕鯨しました。ミンククジラは一頭につき1.500kgの肉を得ることができるのだそうです。ですから300頭を獲るとした場合、クジラ肉は450tとなり、これは4億5千万クローナのお金になるのだそうです。

クジラ肉は50%が国内のレストランや食用に回され(冷凍保存されるものも含まれます。捕鯨禁止の期間でも鯨肉はレストランにはありました)、残りの半分は輸出されます。最大のお客さんは我らがニッポンで、過去三年間に日本は2.700tのクジラ肉をアイスランドから購入しており、そのお代は38億クローネとか! 過去三年間といえば経済崩壊後の苦しい状況でしたので、ニッポンはある意味アイスランドのお助け国のように映ったようです。

付け加えるとこの捕鯨漁業ですが、150人に職を与えるということも大切なポイントです。今言った経済崩壊後の状況では特にです。

ところがです。この捕鯨ビジネスに真っ向から立ち向かう形で伸びてきた別のビジネスがあります。「ホエールウォッチング」です。レイキャビクに限っていいますと、クジラ達は実は「すぐそこ」まで回遊してきます。ですからレイキャビクのオールドポートから出発し半時間もすればクジラとのミーティングスポット入りできるのです。

クジラ観光の参加者は2002年には62.000人でしたが、十年後の2012年には175.000人へと三倍増しており、観光収入としては11億クローネ相当になるのだそうです、クジラ観光に限っただけで。当然、宿泊や飲食、その他の観光ビジネス業も笑いが止まらないでしょう。

現在、10社のホエールウォッチング業者が存在し、ピークで250人、通年では50人が職を得ています。



奇麗なパフィンの島もホエールウォッチングのコースに入いることがあります
Myndin er ur Elding.is


この両者、ひとつの点を巡りまさしく真正面から衝突してしまっています。先ほど述べましたようにクジラの回遊路は湾から遠くないところにあり、つまりそこはクジラを獲るにもお友達になるにも絶好のポイントであるわけです。

ところがさすがに大勢の観光客が見ている前でクジラにモリを突き刺すわけにはいかない。ということで今現在ではお互いに絶対立ち入らない境界線を設けているとのことです。

アンケートによると、当然でしょうが観光客の80%は「捕鯨反対」。ところがそういう人たちの少なからざる割合が、同じ夜レストランでクジラ肉をほおばることもあるのも事実のようで。

人間とは複雑な存在のようです。以前、私自身もホエールウォッチングに参加した時のこと。若い女性ガイドがパフィンというきれいな容姿の鳥について解説していました。「本当に奇麗な鳥でしょ?でも生きるためですからね、私たちはパフィンも食べます」...レレ?

こいつらバイキングだ。
ついでにいうけど、お姉さん。パフィン、うまくないぞ...



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新政権の蜜月の日々

2013-05-26 05:00:00 | 日記
長―い協議を経て、選挙の結果が出てから25日目の5月23日、ようやく新政権が発足しました。前に述べましたように進歩党(という名前の保守党)と独立党の連立政権です。

首相は進歩党の党首シグムンドゥル・ダヴィ・グンロイグルスソン氏。この新政権、いくつかこぼれ話し的な話題があります。閣僚の人数はこれまでの8人からひとり増えて9人。平均年齢が45.2歳と若い内閣です。その中でも一番若いのが首相のシグムンドゥル氏で38歳。これはアイスランド政治史上最年少だそうです。日本の政治家層から比べるとずいぶんと若い人が前面に出て来ています。

ただ若い分不安材料もあります。誰も閣僚経験者がいないのです。これも1934年以来だかの珍現象だそうです。

さて大臣さんたちですが、進歩党から4人、独立党から5人出ています。男性が6人、女性が3人。これまでは「フェミニスト内閣」で8人の閣僚は男女4人ずつでしたので、比率1対1だったのですが、2対1まで後退しました。そのことを問われた新首相は「能力優先で決めたもので、性別は関係ない」と突っぱねています。

さて閣僚がひとり増えた、と言いましたがそれは社会福祉省に統合されていた健康省が再び独立するということのようです。実は経済恐慌以来、社民・緑の党連立内閣の下で、省庁はやたらと統廃合と名称の変更を繰り返して来ました。

このブログのためにネットで省庁の確認をしてビックリしたのですが、知らない間にまたまた名前が変わってる役所がいっぱい! アイスランド人でも全部言える人が何人いるか試したい気持ちになってきます。へへ。

「産業及び革新省」は以前の産業省、実業省に漁業省と農林省がくっついたもの。「内務省」はもともとは法務及び教会省が法務及び人権省に名を変え、さらに同じ頃、交通運輸省を呑み込みました。「教育及び文化省」は以前の教育省にいつのまにか「文化」がくっついている。

「環境及び資源省」も環境省にいつやらか「資源」がくっついています。一番複雑なのは「社会福祉省」で、これはもともとの社会福祉省が保険省と健康省を併合し、かつ「家屋問題省」という省内省のようなものまであるようです。

ちなみに新政権は環境省を降格してどこかの省にくっつける算段のようで、これにはかなり批判が出るものと思われます。環境問題はダムやアルミ工場などの大型プラントの受注には足かせになります。そういうプラント大好きがミエミエな保守政権ですので、邪魔なものはどけておこうということでしょう。

私はもともとあまりにひとつにまとめるのには反対の立場で、それは統廃合が進みすぎると「大政翼賛会」的な危険があると思うからです。権力はある程度分散していてくれないとバランスによる抑止がなくなります。

今現在ではまだ明確な省庁の変更はニュースになっていませんが、おそらく幾つかの変更はなされることでしょう。きちんと配置換えされるのはよいのですが、またそれで余計な費用がかかることも事実です。日本と比べて名刺はあまり用いませんが、それでもその類いの「看板の掛け替え」は不可避ですからね。

日本で霞ヶ関が省庁名の変更をした時、名刺だけでいくらかかったっていいましたっけ?相当な額でびっくりしたのを覚えています。

この「名称変え」は実は銀行でも盛んに行われました。もちろん恐慌後で実際の組織変えもあったのですが、傍目には同じエンジンに違うボデイを乗せているだけのように見えましたが。「無駄遣いだよねー」とか周囲と話したものです。

普通は新政権は100日間くらいのハネムーン・デイズがあるものなのですけどね。今回はよくて一月だろう、と思ってしまうのはワタシだけでしょうか?



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アイスランドの新しい門出

2013-05-23 05:00:00 | 日記
先月の27日に国会議員選挙がありました。簡単に結果をご紹介しますと、やはりそれまでの(現)政権はこっぴどく負け、野党が議席を大きく伸ばしました。新しく出来た党の中にも健闘したものがありました。

まず議席数でのトップは独立党と進歩党が並び19議席ずつ。ただ得票率で独立党が26,7%、進歩党が24,4%でしたので独立等の勝利です。現政権(新政権が確立するまでは前政権が「職務執行内閣」として居座りますので「現政権」といっても良いと思います)の社民党は11議席減らして9議席。連立の緑の党は半減して7議席という敗退。

雨後のタケノコのように沢山あったミニ新党の中で議席を獲ることができたのは明るい未来党(6議席)とピラター(3議席)のふたつでした。ちなみにピラターは英語のパイレーツ(海賊)のことで党首も「キャプテン」と呼びます。

その他のミニ新党は5%条項のハードルを越えることができませんでした。そこへ投じられた票は結果死に票となってしまいましたが、これが12%。もったいない話しです。もう少し考えて提携をきちんとしておけばよかったものを。

こぼれ話しですが、今回アイスランド国会史上一番若い議員が生まれました。進歩党のヨハンナ・マリアさんで21歳と303日。これまでの最年少は1934年のグンナル・ソーロッドセンさんの23歳と177日ということです。このヨハンナさんは北部で農場の仕事をしている女性です。もちろんプロの政治家ではないのですが、そういう人でも国会議員になれるのがこの国の民主主義です。(もちろん良い働きができるかどうかは全く別の話しですが)

さてアイスランドでは選挙の後、どの党が新政権の編成をまず試みるかを大統領が指名します。私は当然一番の議席と得票率を取った独立党がその役割を与えられるものと思ったのですが、実際は得票率で落ちる進歩党でした。躍進率が高かったのがその理由なようです。

正直いって、私は今でも納得していません。選挙というからにはきちんと数字の上での結果を原則としなければなし崩しになります。躍進率などというものは恣意的な観点に過ぎないと思います。

ところが実際には誰も文句をいわず、進歩党と独立党というふたつの保守党の党首がのんびりと協議を続けました。開票日からなんと25日を経てやっと新政権の容貌が明らかになりつつあります。新首相は進歩党のシグムンドゥル・ダヴィ・グンロイグルスソン氏の模様。

ちなみに日本では選挙後(実際には選挙前後)に職務執行内閣が働いたケースとして、1980年6月22日に行われた日本選挙史上初の衆参ダブル選挙の前後があります。この時選挙を前にした6月12日に時の大平首相が急逝してしまい、次の鈴木善幸首相が7月17日に就任するまでの36日間は職務執行内閣が機能しました。この時、私はちょうど大学の二年くらいで政治を学んでいたので、よく覚えています。

1993年の細川内閣の時も組閣に時間がかかったのでは?と思うのですが、その時はもうアイスランドに移ってしまっていたので記憶も何も全くありません。グーグルしても見つけることができませんでした。

というように日本の場合は何か理由があって時間がかかってしまうのでしょうが、こちらはただのんびりしている、としか私の目には見えません。しかもみんながそれで納得している感じ。やっぱりこういうところが小国の気楽さか?という風にも感じられます。日本で理由なく組閣が遅れたら政治不安とか見なされていろいろ悪影響が出てしまうでしょうからね。

何はともあれ新政権の発足で、アイスランドの新しい門出となります。どうなりますことやら。



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ユーロビジョン デンマーク優勝

2013-05-20 05:00:00 | 日記
一昨日の土曜日18日、ユーロビジョン・コンテストがスウェーデンのマルメで開かれ、エメリイ(デンマーク)が優勝しました。アイスランドはエイソール・インギが参加し17位でした。ワタシ的には勝つために計算し尽くしたようなエメリイより、素朴にアイスランド語で歌い切ったエイソールの歌の方がずっと良かったです。というようなのも身内びいきか?

このユーロビジョン、毎年五月の中頃に行われるのですが、今の日本の音楽好きの皆さんにはどのくらい馴染みのあるものでしょうか?欧州放送連合が主催する音楽コンテストで、各国の代表が出場して競うものです。 

私のような古い世代のものにはユーロビジョンはそれなりの魅力のあるものでした。私が小学生の頃にはもちろんテレビの生中継などそれほど頻繁にありませんでしたし、ユーチューブのような世界と時を越えて皆を結ぶ魔術もありませんでした。

そんな中でユーロビジョンの優勝曲あるいは入賞曲といえばかなり拍の付いた宣伝文句になっていたと思います。古いところでは1965年のシルヴィー・バルタン(フランス)の「あなたのとりこ」や1968年にヴィッキー(ルクセンブルク)が歌った「恋は水色」。言わずと知れたポール・モーリアの名曲ですよね。

私が好きだったオーストリアのウド・ユルゲンスも何曲かユーロビジョンがらみのヒット曲があったはずです。

スウェーデンのアバもユーロビジョン優勝組ですね。1974年の「ウォ-タールー」。アバ人気の始まりでした。個人的にはその3年後77年の優勝曲マリー・ミリアム(フランス)の「小鳥と子供」はシングル(レコードです)を買ってよく聴きました。

さてアイスランドのユーロビジョン初参加は1986年ということですが、1999年にセルマが「All out of luck」で、2009年にはヨハンナが「Is it true?」で準優勝になりました。セルマの時は私もテレビで見ていましたがあれは優勝したと思いましたね。スウェーデンに持っていかれましたが、あれはインチキだと今でも思っています。

ユーロビジョンの歌はいわゆる歌謡曲というかポップ音楽なので、どちらかというと子供や普通のおじさん、おばさんなどに人気があります。私も子供たちが小さかった頃はフォローしていましたが、今では縁遠くなってしまいました。

ですが、アイスランドの人たちの間ではまだまだ相当な人気を保っていて、当日は通りから人影が消えます。自宅でユーロビジョン・パーティーを開く人も大勢います。テレビを見ながら飲んだり騒いだりするわけです。(だいたい中継は7時くらいから11時くらいまでです)

今年のアイスランドのエントリー曲はアイスランド語で歌われました。ということは、それを審判する立場の一般の人たちには歌の意味が分からないということです。(視聴者は自分の国以外のエントリー曲に得点を電話で送信します) これはいつも戦略的に問題になる点です。母国語で歌うか、英語のように広範に通じる言葉で歌うか。

それとは別に、1990年頃以降のヨーロッパ諸国の再編成(というか分裂というか)によって、加盟国の数が倍増がコンテストに相当な影響を与えました。例えば従来ユーゴスラビアでひとくくりになっていたものが、セルビア、クロアシア、ボスニア・ヘルチェゴビナ、マケドニア等のように分散してきているわけです。旧ソビエト圏についても同様。

ところが音楽のセンスというのはかなり地域の文化に根付いていますから、この国数の増大によってずいぶんと東ヨーロッパ系の音楽への得点が増えてきた気がします。私たち日本人もかなり慣れている西欧系の音楽は、以前のようには支持を得ることができなくなってきています。

ちょっと極端な言い方になりますが、例えば日本の47都道府県がそれぞれ独立国化してユーロビジョンに参加したとして、それ故に演歌調の曲が優勝したら他の文化圏の人は戸惑いますよね。それに似たことがここ十年くらい起きてきていると思います。

これはこれで現実であって、西欧風音楽が東欧風のものより質が高いというようなことではありません。東欧風の音楽は良くないから西欧風に変えろ、などというのはそれこそ文化的帝国主義になってしまいますからね。(と、理想論をいいながらも私自身は東欧風音楽は全くしっくり来ませんが)

ユーロビジョンが続く限りその現実の中でコンテストも続いていくのでしょう。ある意味そこに意味があるのかも、ですね。耳が慣れてくれば好みも変わるかもしれませんし、それこそ多文化交流か?


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アイスランド的ラクシャリー

2013-05-17 05:00:00 | 日記
私のオフィス横の庭で遊ぶ学童たち


上の写真は私がいる教会のホールから撮ったものです。写真の左手が教会堂になるのですが、ご覧のように反対側を木立に仕切られ、教会の「庭」的に芝生のスペースがついています。

これが教会の庭なのか市の土地であるのかは調べないと分かりません。アイスランド人は土地に関してはわりとおおらかで、誰が所有者とも知れないオープンスペースはここかしこに点在しています。

芝生の上で遊んでいる子供たちは教会の隣りにある小学校の児童たちなのですが、冬が終わり日が照ると暑くさえ感じるこの時期には毎日のようにここへ遊びに来ます。もちろん先生に引率されてです。

アイスランド人はこれを当たり前と感じているに違いありませんが、私はこれは相当な贅沢だと感じています。

アイスランドに旅行者として二回目に来た1991年の六月、往路の途中でデンマークで一泊したのですが、空港バスでホテルへ向かう時に広ーい芝生のサッカーグラウンドで、一握りの数の子供たちが練習しているのを見て驚きました。何ということだ!贅沢!

私も中学時代はサッカー部。部には入りませんでしたが高校でもサッカー大好きでした。でも芝生のグラウンドなんか使えたことなかった...
そう思い出しながら、記憶はさらに小学校、中学校の校庭へと飛んでいきます。

どちらも高い金網でガードされていて、もちろん足下はむき出しの固ーい地面でした。冬はかちんかちんになって今でも足下にその感触を思い出すことが出来ます。夏はカンカン照りの太陽が反射して天火の上のような空気でしたね。

しかも生徒数が多いので狭い校庭の取り合い。月木がサッカー部、火が陸上部、水金が野球部...とか予定表があったと記憶しています。

今は日本では少子化が進んでいるので学校の統廃合さえしていますね。校庭ももっと自由に使えるようになったのでしょうか?地面が体育館の床のようにラミネートされている校庭もあるとか?

もともと私は東京の出身ですが、現在の実家は札幌に移っています。帰省した際はいつも南区の中学校の前を通ります。ナデシコJapanのあの熊谷紗希さんの母校ですよ。そこでは昔も今も変わらずの放課後校庭での部活の様子。これって何ともいえない風情ですよねエ。

アイスランドでは小中学生のスポーツ活動などは、学校の部活ではなくて地域のスポーツクラブが面倒を見るのが通例です。地域のスポーツクラブは子供から成人までの活動を行っていますし、芝生のグラウンド、体育館、ジムなどを備えているのが普通です。

ですから豆っ子選手たちも定期的にホンマもののサッカーフィールドで練習したり試合をしたりすることができます。そういうのもワタシの目からは羨ましい贅沢に見えてしまいます。

ついでに触れておきますと、スポーツと同様に音楽活動も音楽学校で行われるのが普通です。これは地域毎に、というわけでもないようですが。学校にはもちろん練習をする設備が備わっていますので、例えばトランペットやサクスフォーン、ドラムなどの練習も心置きなくできるようです。

トランペットの練習といえば、日本では夕焼けの川辺でやっているのをよく見かけたような記憶があります。あれもそういう場所でないと練習できなかったのでしょうね...これも今では条件が改善されているのかもしれませんが、そういう環境をくぐり抜けてきた日本のトランぺッターやサックスプレーヤーの皆さんは凄い!と思います。拍手。



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