レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

五年目の「ひとり日誌」続くのでしょうか?

2016-08-28 05:00:00 | 日記
このしょぼいブログに目を通してくださる奇特な皆様には、日頃より大変感謝しております。時が過ぎるのが思いのほか早く(というようなことを年中口にするようになりましたが)、ふと気がつくとブログを始めてから四年が経ってしまっていました。

第一回は2012年の8月26日でしたので、ほぼ今日の日曜日で四周年というか四年と二日になります。

その間のアクセスの総数は376191回だそうで -「そうで」というのはブログ管理のデータではそうなっている、ということ以上に確かめようがないからですが- さらに訪ねてくださった方の総数は「のべ」で141196人になるそうです。ありがたいことです。

ブログを趣味でなさっている方々には割と共通する事柄ではないかと思うのですが、始めた当初はやる気満々で毎日更新していました。どこかで見た「ブログの手引き」にも「短くても良いから毎日続けましょう」とあったのを覚えています。

ですがさすがに「毎日」というのは結構な仕事になり、私の場合は三ヶ月後くらいにくじけて一日おきになり、さらにしばらくして週三回の更新となり、二周年を目前にした頃に週二回の更新に転落しました。

週二回はかなりいいテンポで、丸一年続けることができたのですが、二年前の夏から現在の週一回更新に減速しています。「撤退、また撤退」の見本のようですが、書いたものの総数は371件、とデータ室にはあります。

回数が少なくなった分、一回の文章は長くなってきており、週三回時とかに比べると二回分くらいの量にはなっていると思います。

始めた頃に思っていたことは、こちらでの生活模様をご紹介してみたいという単純なことでした。せっかくネットとかが発達してきたのだから、日本を離れて以来あまり連絡が取れていない知人、友人の皆さんを含めて、こちらはなんとか生きているよ、という感じのブログにするつもりでした。

実際今でもそういう代物になっていると思いますが、知人ではなくてもアイスランドに関心を持つ方々から連絡をいただくことも度々あり、その流れでアイスランド文化や社会の紹介の方に、よりフォーカスを当てるようになりました。

ところが文化的なトピック、例えば「アイスランドのクリスマスは?」とか「イースター」「アイスランド人の名前」のようなものは、一度書いてしまったら、それ以上繰り返すのが難しくなります。

「アイスランドの日本人コミュニティ」とか「アイスランド語での生活」のように生活基盤のトピックなら、まだ視点によって何度か繰り返し取り上げられるものもあります。実際にアイスランド語については何度も書いていると思います。

そうこうするうちに、アイスランドに観光ブームがやってきました。多分日本からのツーリストの皆さんも増加し続けていることでしょう。そのブームに伴い、アイスランドの観光業界も情報案内に力を入れてきましたから、「観光スポット」的なトピックはすでに十分紹介されているのだろうと想像します。

ですから、最近ではそういうことも考慮してブログネタを探すようにしています。商業媒体と同じトピックで競合しても勝てるわけありませんし、だいたいそういうネタでは独自性がなくなってしまい面白くないでしょう。

周囲の変化だけではなく、自分自身の変化というものもありますね。仕事が忙しい時期にゆっくりとブログを書く時間がない、というのはありきたりのことですが、もう少し大きな流れもあります。

ブログを始めた年の一年前は東日本大震災がありました。こちらの邦人の皆さんも、アイスランド人の人たちを呼び込んでいろいろな支援活動をしました。できたことにはもちろん限りはありましたが。

その結果、ブログ開始の頃にはこちらでの邦人の人たちとの関係が密になっていましたし、さらにネットなどを通して日本の状況にもなるべくくっついていくようになっていました。

その副産物がお笑いやバラエティなどのテレビに「中毒化」したことで、ブログを書くときも結構日本から逆輸入した情報なども使っていたことがあります。

ですが、ある時期に「これはいいことではないな」と気付きました。「ここまできてリトル·ジャパンにはまってはいけない」と思い立ち、日本のテレビ(ネットでですが)を見ることをやめました。「有吉くん、マツコサん、さよーならー」です。実際、もう一年半以上なにも日本の番組は見ていません。

というわけで、最近のブログは日本が今どんな様子なのか?何が、誰が流行っているのか?をまったく知らないおっさんの書いたブログになっています。(ベッキーが干されてる?とんでもない話しだ! って、古いですよね。でもベッキー、好きです) 読んでいて「ずれてる」と感じられる方もあるでしょうが、それもアイスランド暮らしの現実の一部と思ってやってください。

ブログ五年目も週一ペースでやっていきたいと考えています。何にも実ないブログですが、それでも覗いてくださる皆様には本当に本当に感謝です。これからもよろしくお願いします。m(_ _)m


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ヒマラヤを越える愛 アイスランドへ

2016-08-21 05:00:00 | 日記
さて今回は先週の一週間、こちらのメディアで取り上げられ注目を集めていた話題をご紹介します。まだすべてが終わっているわけではない出来事です。

先週の日曜日のモルグンブラウズィズ紙の日曜版に大きなインタビュー記事が載りました。インタビューされたのはヘイザ·アルトナドティールさんという三十四歳の女性です。

ヘイザさんはインテリアデザイナーの職を持っていましたが、アウトドア派でもあり好んで登山やアドベンチャーを求めていました。バルセロナでインテリアの勉学が一段落すると、インド、ネパールへ行ってみたいと思っていたそうです。

そう思っていた矢先、お母さんが、予約してすでに予約金も払ってしまっていたネパールでの登山旅行に都合で参加できなくなり、そのお鉢が娘のヘイザさんに回ってきたのです。

ヘイザさんはそのネパールでの登山に参加し、続いてヒマラヤのインド側にも足を延ばしました。ところがわりと観光化?し過ごしやすかったネパール側に比べ、インド側は条件が厳しく、十分な登山ができませんでした。

ヘイザさんは一時帰国した後再挑戦し、インド軍が指導するかなりハードな登山訓練に参加しました。そして、そうこうするうちに期せずして、というか期してというか、インドの青年、リジャさん、と恋に落ちました。

ヘイザさんは、それでも帰国し夏はアイスランドの北部で登山関係の仕事をし、冬はインドに渡って仕事をするという機会を得ました。リジャさんも同様で、地元での「シェルパ」の職が「特別な専門職」と見なされて労働許可を得、夏はアイスランドで仕事をし冬はインドへ戻るサイクルになりました。2013年のことです。

しかし、この頃からヘイザさんの体調が悪くなっていきました。医者に行った彼女は速攻でアクレイリの病院に運ばれ入院措置となりました。受けた診断は「悪性のガン」。

リジャさんは昨年の五月にまたアイスランドへやってきました。仕事よりは彼女と一緒にいるためです。ところが夏の終わりになると、リジャさんのお父さんが今度はガンの宣告を受け、彼はお父さんの元へ帰らずを得なくなりました。

リジャさんの家庭はインドでは低い階層に属し、望ましいガンの治療など受ける望みもなく、お父さんは十二月に亡くなってしまいました。

その後ふたりは結婚することを決断し、リジャさんはインドから必要な書類を持ってアイスランドへ戻ってきました。外国人がアイスランドで結婚するためには、出生証明と、独身であることを示す書類が必要になります。

それを各地地域に定められているSyslumadurinn、地方法務官とでも呼ぶべきオフィスに提出し、OKのスタンプをもらう必要があります。

ところがここで問題が浮かび上がりました。リジャさんのインドの故郷では、西ヨーロッパなどで常識化しているような「書類文化」がなく、リジャさんの親が「この子はまだ結婚していません」と紙に記したものを書類として使います。

もちろん、それでは不十分だろうと考えたリジャさんは、インドの弁護士、裁判所、外務省、さらには在アイスランドのインド大使館からもこの「宣誓書」にスタンプをもらってきていました。

ところが、それにもかかわらず地方法務官事務所は「こんな紙切れは認められない」としてOKをくれないのです。「そのオフィスの法律家は始めから私たちを見下したような話し方をしていました」とヘイザさんは語っています。

それが四月の時点だったようですが、ついにリジャさんの滞在期限は今月末で切れてしまい、なお悪いことに彼女のガンはさらに進行してしまっています。一緒に一度インドへ行き、結婚して戻ってくる、ということは無理になってしまいました。

という時点で、このインタビューが出てきたわけです。当然のことながら一般の人たちからは「なんという役所仕事だ」「融通がきかない」というような非難が湧き上がりました。

婚姻法の条文の中には「結婚を予定している両人、もしくはひとりが深刻な病気の場合には、条件審査を経なくても良い」ということが言われています。そのことを指摘されて私も同僚に頼んでこの条文の詳しい説明を内務省に求めたのですが、いまいち明確な答えが帰ってきません。

私個人としては、その条文よりも先に、インド大使館が保証している文言をなぜ地方法務官が認めないのか、ということの方が問題に思われました。

ですが、おとといの金曜日になって、内務省が地方法務官事務所に結婚許可申請への拒否を見直すように、という公式な指導がなされました。これで地方法務官も態度を改め許可を出し、ふたりは結婚できる運びとなりました。

結果オーライで考えるならば、めでたしめでたしです。このように基本的には個人的な問題でありながら、かつ個人がシステムの中で理不尽な憂き目を被っている時に、それがメディアに乗り、一般の人たちが後押しをし、結果、オソリティが結論を変える、というパターンはアイスランドではよく見られます。

特に私が関係している移民関連、難民関連の分野では多く見られるのです。これは一面ではアイスランドの「小さな社会性」が良い方に機能しているということができるでしょう。しかし、逆には「メディアに乗らなければ救われない」ということにもなります。

第一、自分の病気や結婚などのプライベートなこと −難民の人の場合にはもっとドロドロした悲惨な過去のこともあります- をメディアに乗せるのは簡単なことではありません。

これは私個人の漠とした印象なのですが、外国人が関わっている案件については「取りあえずすべてNO」を出し、そこから反逆してくるものだけには不承不承OKを与えているような気がしてなりません。

いいかげんにきちんとシステムを再建しないと、「民主主義千年の歴史」も笑い話し以外のなにものでもなくなるでしょう。これも現代アイスランドのひとつの現実の姿です。


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2058年 平均寿命は130歳?

2016-08-14 05:00:00 | 日記
夏休みから現在にかけて「プチはまり」して読み続けている、J·D·ロブ(aka ノーマ·ロバーツ)による「イヴ&ローク」シリーズについて前回書きましたが、今回はもう少しその続きです。アイスランドにはまったく関係ありませんが、ご容赦。

このシリーズはNYPSD(ニューヨーク市安全保障警察)の刑事イブと、その旦那で闇世界出身の大富豪ロークの夫婦を中心とした近未来コップものです。舞台は2058年の設定から始まりました。

シリーズの出版は米国では1995年の夏から始まったということですが、二十年を経過した現在まで、間断なく継続しており、この九月にはシリーズ第四十三作目が世に出るようです。私自身は、現在まだ第二十作目を読んでいる最中ですので、半分も行っていません。

さて、私が読んでいるのはもちろん邦訳され日本で出版されたヴァージョンなのですが、このシリーズの第一作が邦訳出版されたのは、2002年になってからで、米国での出版からすでに七年が経過していました。

私が夏休みで帰省した際に、八王子の本屋さんでこのシリーズを発見し、その時点で出ていたもののまとめ買いをしたのが多分2006,7年のことだったと思います。ですからその時点で、シリーズ第一作の出版から十年が経過していたことになります。

そして買われたシリーズは、レイキャビクの私の寝室兼書斎の棚の上の箱にそのまま積んでおかれました。この間まで、約十年間。そうなのです。私がシリーズ第一作「この悪夢が消えるまで」を読んだのは、なんと米国で発表されてから二十年後のことだったわけです。

このシリーズの設定は2058年のニューヨークですから、 J·D·ロブさんが書き始めた際には、その時点から約六十年先の社会を思い描いていたことになります。私が読み始めたのは、その中の三分の一がすでに経過した時点でした。

当たり前の話しですが、2058年は今からでは四十二年後の社会となります。四十年後というのは確かにまだ「近未来」の域なのでしょうが、四十年「前」のことを考えると、これはそんなに長い期間ではない、というのが還暦目前の私の感想です。

四十年くらいで、世の中がまったく変わってしまうことなどないだろう、というのが私の経験からの推量です。もちろん、大きく変わってきたこともあります。





映画化の話しもあるやら 私のイメージのイヴはやはりベケット(Stana Katic)ですね〜


さて、そこで面白いのがシリーズ始まった時点で「六十年後の社会はこうだろう」という J·D·ロブさんの予想なのです。

ロブさんの設定では、2058年には平均寿命はやく130歳にまで伸びており、普通の人は100歳くらいまでは元気にフツーの生活ができる。宇宙にもいくつか居住可能な場所やステーションができていて、「地球外」はそう非日常ではない。

ドロイドが普及しており、これは相当人間ぽく仕上がっている。車は垂直上昇や飛行も可能だが、普通はまだ道路上を交通する。売春は合法化しており、ライセンスを必要とするサービス業になっている、コーヒーは貴重品となっていて庶民には味わう機会がない、等々です。

これらは1995年当時にロブさんが設定した「未来像」なのですが、すでに二十年が経過した現在からチェックしてみると、見事に当たっているように見える点や、逆に「これは予想がずれたな」と思える点が出てきます。

見事に当たっていると思われるのは、やはり技術の進歩等はたくさんあるとしても、働いて、稼いで、食べて、愛して、ぶつかって、等々というような人間生活の基本にはそうたいした変化が起きていないという点です。ある意味、そこが変わってしまっていたら、小説として面白くないでしょうからね。

逆に予想がそうはピタッとしなかったみたいスね〜、という点は −これはちょっと挙げ足取りになりますが− 例えば「ディスク」つまりCD—Rom的なものや、サベーランスカメラのディスクがよく出てきます。今現在でもディスクは相当消えていっていますので、四十年後には完全消滅していることと思います。

「リンク」という通信機器が普及しているのですが、これは音声と画像に加えて、データの送信もできます。が、現在の携帯はすでにその域に達してしまっています。四十年後にはもっと発展しているでしょう。

「カーナビ」も登場しますが、これもご同様で、すでに現実となっています。

いまだ現存せず「あったらいいなあ」と思わせるのが「オートシェフ」というキッチン機器で、これはメニューを設定するだけで、完成品が出てくるという代物です。具体的にどういう仕組みなのかはまったく説明してありません。当たり前でしょうが。

昔「ドラえもん」が原始時代に行く映画で、恐竜の卵のようなカプセルの殻を割ると、カツ丼や、スパゲティ、カレーライスなど好きなものが出来上がっている、というのがありました。これは古今東西を問わず、人間の夢なのかも、ですね。

過去の十年だけを見ても、携帯やその周辺の通信機器の発展はものすごい早さですよね。iPhoneを初めて見たのが2005年くらいだったと思うのですが、その時はまだカメラ搭載ではありませんでした。

携帯にカメラ、という日本からのニュースを聞いた時には「なんとバカな発想」と思ったのですが、今では「あって当然、なければ困る」的で、「バカ」と思ったワタシがバカでした。

1995年当時のロブさんの予想を遥かに越えるものもたくさんあったことでしょう。ですが、現在まで続いているこのシリーズ。ロブさんも実際の世の発展を横目で見ながら、2058〜60年くらいの社会の様子を修正しているに違いありません。

そんなことも加味しながら続きを読んでいきたいと思っています。ちなみに2058年、ワタシは百歳になります。「イブ&ローク」の世界なら、平均寿命までまだ三十年ある。万歳!!


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ミステリーっぽいロマンス? ロマンスのあるミステリー?

2016-08-07 05:00:00 | 日記
八月はレイキャビクを中心にしてイベントが目白押しにあるのですが、そのほとんどについては既に書いたことがありますので、それらについてまた書くことは遠慮しておきます。

以前に書いたものを読んでくださった方はそう多くはないだろうと思いますし、再度取り上げても実害はないのでしょうが、書く方の気持ちとして面白みがないのです。(^-^; 悪しからず。

で、今回はまったくアイスランドに関係なく、この夏休みにはまっていた小説についてとなります。J·D·ロブという女流作家の筆による「イブ&ローク」のシリーズです。もちろん私が読んでいるのは邦訳されたシリーズです。

このJ·D·ロブさんは、本来のペンネームはノーマ·ロバーツといいます。クラッシック現代ロマンスというらしいのですが、要するに女性の方向けのロマンス小説をメインに執筆していて、とても人気があるのだそうです。

そういうロマンス小説は、自分にロマンスがなくひがみっぽいワタシには無縁で、もちろん読んだことはまったくありません。

ただそのノーマ·ロバーツさんがJ·D·ロブ名義で発表している「イブ&ローク」シリーズはミステリーです。そしてミステリーは私の興味の範疇なのです。
ちなみにJ·D·ロブという名前の由縁ですが、ふたりの息子さんJasonとDanの頭文字に、ロバーツの短縮形をくっつけたものだそうで、わりとアンチョコな命名ですよね。




「あの頃を思い出して」はロバーツ、ロブの二つの名義が繋がる作品


「イブ&ローク」シリーズですが、これは2058年から始まる近未来ミステリーです。主人公のひとりイブはNYPSDの女刑事。NYPSDとはNew York Police and Security DepartmentのことでNYPDの未来バージョンです。

もうひとりの主人公ロークは悪党から発展した大金持ちで、影のある二枚目です。一作目で殺人事件の容疑者として登場しながらもイブと恋愛関係に陥り、三作目にして結婚します。

イブ、ローク共悲惨な子供時代を持ち、かたやそこからニューヨークの腕利き刑事となり、かたや裏街道から大富豪へと進んできました。シリーズの中心にあるのは、このイブとロークの関係で、子供時代の経験が後々までずっと影響を与える中での関係の成熟というか深まりが一貫してシリーズの土台にあります。

毎回ふたりの熱々ラブシーンなども描かれており、ロークの金持ち生活ぶりとかも合わせて「こういうところは女性向きロマンス路線だなあ」と思わされます。別に女性蔑視ではないですよ。男性もラブシーンは好きでしょうけどね、描き方が女性向きだと思うのです。その辺は実際に読んでみてくださるとよろしいかと...(と、曖昧にして逃げる)

「イブ&ローク」シリーズでは、テレビの刑事もののように毎回登場するキャストがわりとはっきりと決まっています。その辺も安心して読める一要素であると共に、非常に意外な展開がないという枠にもなっている気がします。

女性向き路線で安定した話しの展開、となると「つまんないんじゃ?」という疑念が出てきてしまいそうですが、実はストーリーは面白いのです。ミステリーっぽいロマンス小説ではなく、ロマンスのあるミステリーといって良いと思います。

ただ近未来という時代設定、ロークが大富豪という生活設定があるので、生活感ははっきりいって希薄です。私が別に大好きなマイケル·コナリーによる「ハリー·ボッシュ刑事シリーズ」などは非常に生活感があり、それがまた魅力になっているのですが、「イブ&ローク」にはそれはありません。

さて、このシリーズは1995年に第一作の「この悪夢が消えるまで」がアメリカで出版され、以後「現在に至るまで」続いており、この九月には第四十三作目が発表されるそうです。

本来のノーマ·ロバーツ名義を含めると1980年以降の約三十年間で二百冊以上を世に出してきたそうですので、多作の部類の作家なのでしょうね。もう一度断っておきますが、ハーレクインなどで出されているノーマ·ロバーツ名義のものは一冊も読んだことがありませんので、そちらのジャンルで面白いのかどうかはわかりませんが、それだけ数が出ているということは面白いのだろうな、と想像はつきます。

もう一点「イブ&ローク」シリーズで特徴的なのは、事件の起き方が大雑把に言って月一ペースなのです。これは2058年辺りという近未来の時代設定だからできることでしょうが、実際の出版期間が例えば二年くらいに渡っていても、小説の中では一年程度に足踏みしながら進んでいるわけです。

実はこの「近未来」という設定からもう少し面白い点があるのですが、長くなりますのでそれは次回に持ち越しとなります。

これまでの全四十二作中、邦訳は第三十八作目が先の六月に出たそうです。私はまだまだ先が長く、現在十七作目を読んでいる最中です。「近未来」に抵抗がある人もいるかなあ、とは思いますが、暑い夏、適度にドキドキしながらも安心して読める小説を探している方がありましたら、ぜひお試しを。


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