もうあと一回か二回、レイキャビクの教会巡りを続けたいと思います。今回は多少(いつもかもしれませんが?)個人的な事情を加味しての巡礼です。
実はこの一週間の間に、個人的に職場環境の大きな変化がありました。居候先がレイキャビク西地区のネス教会から、コーパボーグルという隣り町のヒャットラ教会というところへ変わり、オフィスの引越しがあったのです。
ネス教会についてはこれまでも何度かブログの中で触れてきましたが、特にスタッフのオフィスが入っている「集会棟」と呼ばれる新館は明るく機能的でとても過ごし易いところです。
そこの大きな共用オフィスに十年間座っていました。アイスランド語について年中質問したり、確認しなくてはいけない私にとっては大部屋の方がいろいろと都合が良かったのですが、いろいろと職務上の必要があったのと、年齢的な立場も考えて「そろそろ自分のオフィスが要るか?」ということになり、引越しが具体化したのです。
引越しそのものは先週の火曜日一日で簡単に終わってしまいました。まあ、新しいオフィスでお店を仮営業するのにあと半日かかりましたが。(^-^;

あたらしいMy Home ヒャットラ教会
-Myndin er ur Aeskr.is-
で、私の職務上の新しいHome, sweet home となったHjallakirkjaヒャットラ教会ですが、これはわりと新しく、また清潔できれいな教会です。なぜ新しいかというといわゆる新興住宅地域にあるからです。
レイキャビクの近郊には昔よりいくつかの中心区域がありました。ここ二十年来の人口の増加(特に地方部からの人口移動)により、それらの中心区域からそれぞれの「外側」へ向かって新しい住宅や商店地域が拡がって行きました。
その結果、かつては独立していたレイキャビク、セルチャルトナネス、コーパヴォーグルなどは、今では途切れのないひとつの町のようになってしまいました。レイキャビクの最東部やハフナフョルズルのように文字通り「住宅のない自然」に接している地域はその自然に向かって今でも拡がっています。
ヒャットラ教会のある地域はそのような「途切れを埋めた」新興住宅地域のひとつにあるのです。

今回私が居候することになったオフィス
こちらの教会行政上の区分で「教区」というものがあるのですが、これは例えば日本の公立学校の「学区」のようなものだと思ってください。教会の地域区分の基本単位になるものです。
「ヒャットラ教区」は1987年の五月に、隣接するディグラネス教区から独立する形で形成されました。フロウビャルトゥル·フロウビャルトゥルスソンというアーキテクトが中心となり教会堂を設計。1991年に「鍬入れ」が行われ、1993年十月に第一期工事が終了し、十一月に聖別されました。
教会は小高い丘を登りきったところにあり、斜面に建てられました。斜面を利用した「階下」(斜面の上方の入り口から入ってくると「地下」、下方から入ってくれば「一階」という、アイスランドではよくある形式です)の第二期工事がすぐに始まり、1996年に現在ある形での教会が完成しています。
とてもきれいで、かつ「きちんと」管理されており、用具が出しっぱなしになっていたり、よごれた食器がキッチンに積み重なっていたり、ということがない教会です。(ハウスキーパーのおばさんが厳しいのです。(^-^; )
「新興住宅地域」ということの影響が教会にも表れています。教会に付き物の「鐘の塔」がないのです。鐘をカランカラン鳴らすのが騒音公害にならないよう、多分始めに取り決めがあったのだろうと推察します。後で確かめてみますが。
また、これは新興住宅とは関係ないのでしょうが、屋根の上にそびえ立つ十字架もありません。これは謎です。これも後で解明してみたいと思いますが。宿題がいっぱいあります。

教会というよりは老人ホームに見える?
-Myndin er ur Hjallakirkja.is-
で、困ったことがひとつあります。先ほど教会は小高い丘を登りきったところにある、と言いましたが、塔も十字架もないがために、その丘の反対側からはそこに教会があることがわからないのです。
反対側の斜面、教会が見える側からみても、教会というよりは老人ホームか大きなゲストハウスのように見えてしまいます。おかげで新しい人を招くにはいちいち地図を添付したメイルを送ったり、電話で場所を丁寧に説明しないといけません。
まあ、教区の活動に関しては皆すでに教会の場所を知っているから問題はないでしょうが、私のように「超教区」で働いている者には問題です。これから解決を見つけないと。
でも落ち着いて、きれいで、静かな教会です。機会があれば是非とも覗いてみてください。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
実はこの一週間の間に、個人的に職場環境の大きな変化がありました。居候先がレイキャビク西地区のネス教会から、コーパボーグルという隣り町のヒャットラ教会というところへ変わり、オフィスの引越しがあったのです。
ネス教会についてはこれまでも何度かブログの中で触れてきましたが、特にスタッフのオフィスが入っている「集会棟」と呼ばれる新館は明るく機能的でとても過ごし易いところです。
そこの大きな共用オフィスに十年間座っていました。アイスランド語について年中質問したり、確認しなくてはいけない私にとっては大部屋の方がいろいろと都合が良かったのですが、いろいろと職務上の必要があったのと、年齢的な立場も考えて「そろそろ自分のオフィスが要るか?」ということになり、引越しが具体化したのです。
引越しそのものは先週の火曜日一日で簡単に終わってしまいました。まあ、新しいオフィスでお店を仮営業するのにあと半日かかりましたが。(^-^;

あたらしいMy Home ヒャットラ教会
-Myndin er ur Aeskr.is-
で、私の職務上の新しいHome, sweet home となったHjallakirkjaヒャットラ教会ですが、これはわりと新しく、また清潔できれいな教会です。なぜ新しいかというといわゆる新興住宅地域にあるからです。
レイキャビクの近郊には昔よりいくつかの中心区域がありました。ここ二十年来の人口の増加(特に地方部からの人口移動)により、それらの中心区域からそれぞれの「外側」へ向かって新しい住宅や商店地域が拡がって行きました。
その結果、かつては独立していたレイキャビク、セルチャルトナネス、コーパヴォーグルなどは、今では途切れのないひとつの町のようになってしまいました。レイキャビクの最東部やハフナフョルズルのように文字通り「住宅のない自然」に接している地域はその自然に向かって今でも拡がっています。
ヒャットラ教会のある地域はそのような「途切れを埋めた」新興住宅地域のひとつにあるのです。

今回私が居候することになったオフィス
こちらの教会行政上の区分で「教区」というものがあるのですが、これは例えば日本の公立学校の「学区」のようなものだと思ってください。教会の地域区分の基本単位になるものです。
「ヒャットラ教区」は1987年の五月に、隣接するディグラネス教区から独立する形で形成されました。フロウビャルトゥル·フロウビャルトゥルスソンというアーキテクトが中心となり教会堂を設計。1991年に「鍬入れ」が行われ、1993年十月に第一期工事が終了し、十一月に聖別されました。
教会は小高い丘を登りきったところにあり、斜面に建てられました。斜面を利用した「階下」(斜面の上方の入り口から入ってくると「地下」、下方から入ってくれば「一階」という、アイスランドではよくある形式です)の第二期工事がすぐに始まり、1996年に現在ある形での教会が完成しています。
とてもきれいで、かつ「きちんと」管理されており、用具が出しっぱなしになっていたり、よごれた食器がキッチンに積み重なっていたり、ということがない教会です。(ハウスキーパーのおばさんが厳しいのです。(^-^; )
「新興住宅地域」ということの影響が教会にも表れています。教会に付き物の「鐘の塔」がないのです。鐘をカランカラン鳴らすのが騒音公害にならないよう、多分始めに取り決めがあったのだろうと推察します。後で確かめてみますが。
また、これは新興住宅とは関係ないのでしょうが、屋根の上にそびえ立つ十字架もありません。これは謎です。これも後で解明してみたいと思いますが。宿題がいっぱいあります。

教会というよりは老人ホームに見える?
-Myndin er ur Hjallakirkja.is-
で、困ったことがひとつあります。先ほど教会は小高い丘を登りきったところにある、と言いましたが、塔も十字架もないがために、その丘の反対側からはそこに教会があることがわからないのです。
反対側の斜面、教会が見える側からみても、教会というよりは老人ホームか大きなゲストハウスのように見えてしまいます。おかげで新しい人を招くにはいちいち地図を添付したメイルを送ったり、電話で場所を丁寧に説明しないといけません。
まあ、教区の活動に関しては皆すでに教会の場所を知っているから問題はないでしょうが、私のように「超教区」で働いている者には問題です。これから解決を見つけないと。
でも落ち着いて、きれいで、静かな教会です。機会があれば是非とも覗いてみてください。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is