レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「藤間流」生花の心得?

2016-01-31 05:00:00 | 日記
前にも何回か書いたことがありますが、アイスランドに住んでいると「日本だったらこういう機会はそんなにないだろうな」と思ってしまうような機会に恵まれることがあります。

例えば先の木曜日に仕事の関係でラジオ局に呼ばれて、四十分ほどのトーク番組に参加してきました。ラジオ局に行くというのはそんなに珍しい体験ではなくなっています。言葉故の「大変さ」はまったく変わりませんが。日本の町内放送と大差ないと思ってくださって構いません。

新聞やネットのニュースサイトに自分の名前や顔が出ることも日常的にあります。自分で投稿するオピニオンはまず100%掲載されるからです。日本の町内新聞と思ってくださって構いません。

さらにもっと変わった?体験をお話ししますと、これはもう二十年近くも前の話しですが、家族連れで日本へ帰国した時のことです。アイスランド航空でまずはコペンハーゲンに飛んだのですが、私は子供二人と奥さん連れ(当時は)でした。

するとたまたま機長が私の家内(当時)の知り合いで、というか彼女が少し前に担当した結婚式の花嫁のお父さんだったのです。(前のかみさんも牧師でした)

で、コペン着陸の少し前になって、フライトアテンダントの女性がやってきて「機長がコックピットで着陸を体験しませんかと言っていますけど、どうなさいます?」

「何?」と思いましたが、せっかくの招待なので行ってきました。狭いコックピットの中にある、追加の席に座り着陸を体験しました。パイロットとはこんなにつまらない仕事か、と悟ったのもその時です。周りに敵?がいっぱいいる車の運転の方がはるかにエキサイトします。

でも、ともかく珍しい体験であったことは確かです。今では考えられないですけどね。

在留邦人、ということで日本に関係することで普段はないような体験をすることもよくあります。「日本人」役での映画のエキストラとかコマーシャルフィルム出演とかについては前にも書きましたし、DVDの日本語でのナレーターや広告等の日本語への翻訳などもありました。

全然専門家でないのに引っ張り出されて、その道の「ツウ」のような顔をさせられることもありますが、これはやはり多少良心が疼きますね。実はまたそのような体験をしてきました。

毎年一月の末辺りにJapan Festivalという催しがあります。基本的にはアイスランド大学の日本語学科が主催するのですが、大使館は共催者で在留邦人の方々も手伝いにかけつけます。

ここ四年ほど私はこのJapan Festivalで生花を展示して -あるいは「させられて」- います」。邦人の方の中に師匠がひとりと、きちんとした心得のある方がひとりいらっしゃるのですが、それでは数的に寂しいと、「みんないらっしゃい」で掻き集められたのです。

ちなみに私は「生花」などこれっぽっちも学んだことはありませんし、このJapaFes以外の機会ですることもありません。まさしく「年一回行事」なのです。

アイスランド人の人にはわからないでしょうが、多少なりとも心得のある人が見たら「なんでこんなものが混じっとるんかい?」と思われるに違いありません。

ただそれでも不思議なもので、やってみると結構面白いのです。人がどう見るかよりも、自分が満足するか、の方に比重が移って結構楽しめるのです。

というわけで、「藤間流」(おどりの影響で立派に見える!)「生花もどき」を一挙公開します。ただしコメントは不要です。悪しからず!(^-^;





2012年




2013年




2014年




2015年





2016年-1




2016年-2




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「華」になる女性たちと爺の願い

2016-01-24 05:00:00 | 日記
「Forever Young」を年頭の誓いとして出発した2016年の歩みですが、一月半ばにしてすでにこの「Forever Young」を呪文のように、いや牧師の身としては祈りのように口にしないと老け込んでしまいそうな戦い?を強いられています。

といっても病気を患っているとか、老人交友会から勧誘のハガキが来ているとか、そういうことではありません。

実に嬉しいことであり、祝福すべきことであるのですが、その半面で時が過ぎていってるとか、時代が変化しているとかを感じざるを得ないことが周りで起きているのです。

それは何かというと、周りの若い世代の人たちがじゃんじゃん出世してきているのです!

親しくしているアイスランド在住の邦人だけに限っても、わずかこの半月の間に「躍進はかばかしい」という形容をしていいことがふたつありました。

その一は、こちらにいる姪に関してです。姪はこちらの美大の服飾デザイン科を卒業して、服飾関係のメーカーに勤務しているのですが、日本で今はやりの「世界、こんなところに日本人」的なテレビ番組に出ることになりました。

多分言ってはいけないことなので、曖昧にしておきますが某西日本のテレビ局で、一月になってロケ班がやってきて、丸一週間自宅といい、職場といい張り付いて収録したようです。

姪は以前、某国営放送のBS2の「地球アゴラ」にも出演していますし、昨夏はその料理の才を見込まれてこちらのテレビの料理ショーにも呼ばれています。

ルックスもいいし、背も高いので「このまま行ったら、森英恵とNigella Lawson(英国の人気料理ショーのホステス)を足して割ったような華になるかも」と本気で考え始めました。

姪の料理探求熱に関してはこちらも


その二。姪の仲良しでもある大丸智子さん。大丸さんが昨夏に初めての著書、アイスランド観光ガイドを出版したことは、このブログでもお伝えいたしました。

こちらです。


ちなみに大丸さんもスタイルの良い美人です。まあ、いいか、それは。
で、本のタイトルは正確には「大自然とカラフルな街 アイスランドへ」(イカロス出版)というのですが、個人的には「ダイマルボン」と呼んでいます。ちなみになぜかこの出版社、ウルトラセブンを思い出させます。まあ、いいか、それも。(^-^;

個人的には、この本はガイドブックなどという無機的な情報本ではなくて、大丸さんでなければ書けない「ライフスタイルブック」だと思っています。

実際に、こちらにいらっしゃる日本人のツーリストや、既にいらっしゃった方から何度も「大丸本に感謝しています」というようなメッセージを -なぜか私まで- 受け取りました。




「代官山」「蔦屋」の大丸本


そういうアイスランド関心派の善良な人々の後押しで、大丸さんは昨年のクリスマスには、東京は渋谷のCaseGalleryで「エモーショナルランド 北欧の島国アイスランドへの旅」というおしゃれなプロモーションのイベントを開いたとのこと。

アイスランドのDJ、スライドショー、ソフトドリンク付きとかで「いかにも〜」という感じなのですが、大丸さんならよく似合うでしょう。たいしたものです、Shibuyaですからね。

そしてさらに、本人の弁。

「編集者さんから嬉しいお知らせが : 8月に出版させていただいたアイスランド本が「代官山蔦屋書店・旅行書ランキング2015」の、「コンシェルジュおすすめの旅本<ヨーロッパ編BEST10>」の3位にランクインしていたそうです。増刷も決まり、嬉しいことに韓国でも翻訳出版が決まりました。これも手にとっていただいた皆様のおかげです!本当にありがとうございます」

「代官山」の「TSUTAYA」ですよ! これはすごい。ホントにすごい。「このまま行ったら、幸田シャーミンと川上弘美を足して割ったような華になるかも」と期待し始めています。

というわけで、時代というものは動いていくわけです。回転式展望レストランのようなもので、自分は同じところにいるつもりでも廻っていきます。

で、それはそれでいいのです。若い世代の友人たちがさらに道を広げ進んでいるのを見ることができるのは幸いです。

ただ、お願いしたいのは「お金持ちになったら、ワタシを思い出しておくれ〜!! 爺にお恵みを〜!!」ということです。

どうもワタシの「Foever Young」は既に破綻したようです... (^-^;


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あと一万回の「いただきます」?

2016-01-17 05:00:00 | 日記
今日は食の話しです。とはいっても男のグルメ薀蓄(うんちく)ではありません。ただ食べることについてです。

私の好きなハードボイルドものにロバート·B·パーカーのスペンサーシリーズがあります。スペンサーは大男のボクサー探偵なのですが、詩と料理が好きでいつも自分で食事を作ります。

スペンサーものについてはこちらも


1985年くらいに「スペンサーの料理」という、スパンサーが話しの中で作る料理や通うレストランについての本が出ました。東理夫・馬場啓一両氏が編者で、スペンサー物語りの中で触れられている料理のレシピがついてたりして面白い本です。

ただその中で「スペンサーは本当にグルメか?」という問いが出ていたと記憶しています。これは基本的な誤解で、スペンサーは「俺はグルメだ」などとは決して言っていないはずです。彼はただ料理が好きなのです。

男が料理をするとすぐに「あ、グルメか」と決めつけるのは偏見ですよ。女性が料理しても即グルメとは結び付けないはずです。

で、私もグルメではないのですが、料理は好きな方です。自然とグルメ的なご馳走ではなく、普通の家庭料理の方がもっぱらです。ちなみに作るだけではなく、皿洗いと片付けも大丈夫です。

子供たちが小さかった頃は、子供らが喜ぶもの中心のメニューだったのですが、彼らが成人した今では、自分で好きなものに専念して作ったり、食べたりすることができます。




先日作った「(すき焼き丼に三歩寄った)牛丼」


私の主な好物は麺類- ラーメン、そば、うどん、スパゲティ- から、ステーキ、カレー(日本式の)、ハンバーグ(日本式の)、スープやリゾット類、焼き魚、ああそれから納豆や山芋、等々です。まさに「The庶民」ですよね。

これらに加えて、ピザやマクドのハンバーガー、その他一時期夢中になるものが割り込んできます。
好きなものが食べられる、という自由は嬉しい限りなのですが、いざそうなってみると逆に「何を食べようか?」と迷うことが多いことに気がつきました。

日本に一時帰国した際に、最終日の夕食は何を食べようか?と迷うことはよくありましたが、毎日そんな感じになってきているのです。別に「今日はこれ、明日はあれ」でいいじゃないか?と思うはずなのですけどねえ。

で、そんことを考えていてはたと思い当たりました。「あと何食食べられるのだろうか?」

ガーン‼ もしかしたらこの疑問が潜在意識の中にあったのかもしれません。私はもともと一日二食派で、朝食は摂らず昼夕の二食ですませます。まあ、夜半の一杯(あるいは『いっぱい』)と肴がそれに続きますが。(^-^;

加えて歳が重むに連れ、一度に食べられる量が少なくなってきました。これは結構悲しい気がしますね。楽しみきれてない気がして。

さてあと何食を食べられるのか?考えてみると食べられる回数にも限りがあるんですよね。

思いっきり楽観的に八十二歳まで元気に食事できるとしましょう。今、五十七歳で、十一月生まれなので、まあ2040年の末までとして計算します。今年すでに十六日経過していますが閏年なので、残り350日。今日から大晦日まで一日二食として700食あります。

来年から2040年末までは二十四年間あり、その間閏年が六回。365x2x24+2x6= 17532回。今年を足して18232回の食事を楽しむことができます。

ただ、このうち六十七歳になる年の年末まで仕事をするとして(またまた超楽天主義)、その間は昼食はそんなに自分では選べない可能性が強いので、その歳になるまでの昼食回数、3639回を引くと14593回の自由な食事が待っているわけです。

いやあ、そんなに無限大ではないですよ、これは。しかも、高齢期になって「あれはダメ、これも控えて」ということになると、本当の自由食は三割引いて一万回弱、と見込んだほうが実際的でしょう。

そうかあ、あと一万回か...いよいよ一食を大切にしないと...

なんか、ここに至って本当の「新年の誓い」が見えてきました。「一食を楽しんで食べる!」決まりです。


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ワタシは Forever Young

2016-01-10 05:00:00 | 日記
日本ではお正月も終わり、平常な日々に戻った頃かと思います。そんな中、話しを蒸し返すようで恐縮なのですが、皆さんの「新年の誓い」はどんなことでしょうか?

えっ?もう忘れた?まあ、そういう方もあるでしょうね。新年の誓いなんてものは本当は「正月中の誓い」と言った方が当たっているかもしれませんからね。

私はもう新年気分が抜けた頃になって「何にしようか?」と考え始め、あまり具体的なことが思い浮かばなかったので「Forever Young」ということにしました。

「曖昧」「ざっくり」「具体性なし」なのですが、要するに老けこまないように気をつけよう、ということです。なにしろ次々回の東京オリンピックを見る頃には還暦を迎えている身としては、老化防止に多少本腰で取り組まなければならないのです。(念のため、現在57歳)

まあ、ひいき目に見てそんなに老け込んではいないと思うのですが、気がつくとひどく背中を丸めていたりとか、混んでいる待合室で平気で空いている席に座ったりとか、無意識のうちにそうなっていることが「ヤバイ」気がするのです。

さて、「新年の誓いはForever Young!」と先日Facebookに書き込んだところ、FBフレンドのあるおばさんが「リラックスして! 新年の誓いなんてイライラさせるだけのものじゃないの!」と書き込んできました。

別にこちらは緊張して誓ってる訳ではないし、事実リラックスしてるからそういうことを考え始めて決めた訳です。「リラックスせい!は、おばちゃん、そっちの方だろう」と思い、「新年に誓いを謳うのが面白くないのか?」と訊いたところ「全然」という答えでした。

アイスランドにも「新年の誓い」の習慣があります。こちらではAramotaheitアウラモウタヘイティといい、意味は「年変わりの約束」といったものです。
だいたいこのような習慣はどの国のどんな文化にも共通してあるものでしょう。




アイスランドの大晦日は花火大会
-Myndin er ur Akureyri.net-


で、先のイライラおばちゃんの見解を、人それぞれだなあ、と済ませてネットを見ていてあるコラムが目に入りました。新年の誓いを扱ったもので、書いているのはアイスランドバンクのある支店で支店長をしているハルドーラさんといううら若い女性です。

ハルドーラさんの意見では「新年の誓いは目標です。それはSMARTでなければいけません」とのこと。で、SAMRTとは: Specific,Mesurable,Acceptable,Realistic,Time Frame のことなのだそうです。

つまり、「具体的で」「結果を測ることができて」「納得がいき」「現実的で」「時間の枠が決まっていること」なのだそうです。

例としてハルドーラさんが挙げているのこれです。「フィットネスジムの年間カードを買い、週三回ジムに通うことを誓いにする」

さらに「誓いは紙に書きとめ、目につくところに置いておくといいでしょう。さらに周りの人にシェアして監督してもらうのも助けになります」

そして、「一定期間が経過したら『成果』を検討分析することを忘れてはなりません」

さすがは銀行の支店長さんです。別の例を挙げるなら「毎月五万クローナを定期的に預金すると良い。そのことを銀行で誓約書にしたため、コピーを冷蔵庫のドアに貼っておく。月頭に必ず預金額と利子を確認してニタリとする」
というようなものになるのではないでしょうか?

アイスランドを破壊した銀行屋の考えそうなことです。

ここに至って、あの「新年の誓い」大嫌いおばちゃんのイライラの訳が分かった気がしました。もし「新年の誓い」をこの銀行屋の言うような仕方で理解していたとしたら、そりゃあストレスになるでしょう。

「新年の誓い」は確かに目標ですが、具体的な健康管理や家計管理、達成のためのノルマ設定よりは、もう少し「この一年を楽しむための努力目標」である、というのがワタシ式の理解です。

あまり具体的な目標は成否がはっきりしてしまいます。だがら、曖昧、ざっくり、具体性なし、の方がいいのです。

「Forever Young」なんて、その時の気分と状況で好き勝手に解釈できますからまったくプレッシャーにはなりませんし(寝る前に必ずナイトクリームを顔に塗る、とかはある程度ストレスにはなり得ますが(^-^; )、その反面「老けこまないように」という自戒のお守りにはなります。

というわけで、今年のワタシはFoever Youngで行きます。まあ、解釈の仕様によっては「オマエの場合は『いつまでも幼い』だろ!」という風にもなり得ますね。それもまた良し、デス。(*^^*)


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往く年来る年と「ホントは天使」

2016-01-01 02:00:00 | 日記
新年明けましておめでとうございます。2016年、明けちゃいましたね!

と言いながら、実はこれを書いている今現在、ここアイスランドはまだ2015年の大晦日午後五時になろうか、というところです。まだ「明けて」ないんです。

毎年この日には日本とアイスランドの間の「九時間差」をひたひた感じます。このブログ自体は日本にいる方を念頭において書いていますので、なんとなく自分が、往く年来る年「の間」にいるような気にさせられます。

その「往く年」である2015年ですが、私にとっては相当楽しい年になってくれました。「楽しい」というのは語弊がありますすね、楽しくないこと、残念なこともたくさんありましたから。

「やりがいのある年」だった、という方が正確でしょう。相当忙しかったのも事実で、職務日記をくくってみると、デイオフをとったのが前半(一〜五月末)八日、夏休みが二十一日間、後半(六月半ば以降)が十日と年間で三十九日間でした。

働き蜂の日本の皆さんからすれば、夏休みの二十一日間などは破格でしょうが、休みはガッツリ取るこちらの常識からすると、かなり「不健康」な勤務なのです。まあ不健康とみなされても、自分の好きな仕事をしていられるというのはありがたいことで、本人はただ楽しいだけなのですが。

また「楽しい」という言葉を使ってしまいましたが、それは「笑顔でルンルン」という意味ではありません。私は牧師ですので、おめでたい事柄にも接しますし、難しいこと、つらいことにも接します。自分のことではなくて、相談にくる人のことですが。

そういう周囲に喜んでいる人、泣いている人、怒っている人がいる状況の中で自分自身の職務に取り組むことができるのが「楽しい」「やりがいがある」のです。

新約聖書の中で使徒パウロがこう述べています。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ロマ書12:15)

私はこの言葉は好きなのですが、実はパウロという人はあまり好きではありませんでした。やたらとほめたり、叱ったり、泣いたり、わめいたりと落ち着きがない人に思えたので。まあ、最近では多少よく理解できるようになってきましたが。「好き」とまではいきませんが。(^-^;





さて、このパウロの言葉ですが、これは周囲に付和雷同しなさい、とか、横目で様子を見なさい、ということではありません。その意味するところは「良いことの時であっても、悲しいことの時であっても、あなたの隣人と共に生きなさい」ということです。

楽しいことの輪に加わって一緒に喜ぶのは容易いでしょうが、悲しんでいる人の輪の中に入っていくのは、普通には避けたいことではないでしょうか?難病にかかった人が「あっという間に周りから人が消えてしまいました」と嘆いていたのをどこかで聞いた覚えがあります。

ですが、私はなにか倫理道徳的な観点から「悲しんでいる人と共にいないのはよろしくない」などというつもりはありません。そういう風な物言いをする牧師さんは苦手です。

そういう倫理道徳からではなくて、私は、むしろ自分の実際の体験から断定できることがあります。それは、悲しんでいる人や難しい状況にある人たちと「その時、その状況」を共有するからこそ得られる素晴らしいものがある、ということです。

詳しいことは書けませんが、ここ数日、とても大きな悲しみに襲われた家族の方とお会いしています。ご家族の味わっている悲しみとつらさは、私に理解できる範囲のものではありません。「つらいだろうな」と思いながらそこにいるだけが精一杯です。

ですがそんな中で、その家族の方たちと面識があったわけでもないのに、本当に献身的に愛情を持って接している若い夫婦があります。その様子を目撃できるのは、本当に祝福です。ホッとさせられるのです。私はその夫婦は「ホントは天使」に違いないと思っています。

そして、家族の小さな女の子が、泣き悲しんだあとで笑顔を見せてくれました。その笑顔が与えてくれる祝福は、他のなにかで測れるようなものではないと感じました。今年、おそらく最後のblessingです。

困っている状況にある人に援助をしていうように見えながら、実は自分の方がその人からエネルギー、励ましをもらっている、という経験を私は何度もしてきました。これを「神の前での人の平等の一断面」と私は決めつけています。

良いこと悪いこと、嬉しいこと悲しいこと、すべて「往く年」に起こりました。そして、すべて、また「来る年」にも起こるでしょう。

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」 新年もそのように心がけていきたいと思っています。せめて時々でも。

この一年、ブログを覗いてくださった皆さん、ありがとうございました。新年もよろしくお願いします。2016年が皆さんにとって幸多い年となりますことをお祈りしています。


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