レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

実は身のためになる「怒り新党」!?

2016-09-25 05:00:00 | 日記
日本のテレビ界に復帰して(視聴するだけです)三週間余りになります。毎晩せっせと二年間弱のブランクを埋めようとしています。というか、そういう事になってしまっています。

結果チョクで生活に変化がもたらされました。それまで毎日読んでいたシリーズ小説の「イブ&ローク」が三週間前に読んでいたところでフリーズになっています。さすがにテレビを見て小説を読む時間はありません。(^-^;

で、テレビといっても私が見るのは限られたバラエティ的番組が主体で、「正直さんぽ」「怒り新党」「モヤモヤさまぁ〜ず」などが基本。前にも書きましたが割と有吉ファンです。

先に進み前に一言。私が日本のテレビをネット見れるのは、いわゆる「フリーネット動画サイト」が存在してくれるからなわけですが、最近はキビシイですねー。

DailymotionやFC2では、アップされる先から「削除」のオンパレード。9TSUでは削除こそされてませんが、「正直さんぽ」などは「プレミアム」指定されていることが多く、Pay会員でないと視聴できません。

「じゃあ、Payしてやろうじゃないか」と思って登録しようとしていたら、カード支払いの段になってVisaカードは使えないことが判明。なんという時代錯誤だ? さらにPayPal等の迂回路も用意されてなく、あえなく沈没。

まあ、9TSUに改善を求めますが、それよりもも少し日本のテレビ局にゆとりをもって欲しい気がします。ドラマなどのようにDVDや有料配信でアフター儲けを考えている番組ならわかりますが、「散歩もの」「バラエティ」なんかは別にいいではないか?というのがわたしの意見です。

前置きが長くなりました。毎度ながら。さて、ご覧になっている方はご承知でしょうが「マツコ有吉の怒り新党」はマツコさん、有吉くんが視聴者からの「怒りメイル」をもとに勝手にトークしていく番組です。このトークは、面白いですし、私にインスパイアの良いヒントを与えてくれます。




日本の今日の「共有感覚」とは?


例えば先日見た回で、職場で休息中でのノンアルコールビールはありか?
なしか?というのがありました。社内の自販機には置いてないかもしれませんが、外回りの人などはいくらでも手軽に購入できるでしょう。

「アルコールがゼロなのだから、ジュースと同じ。勤務時間中だからと言って飲んでいけない理由はない」というのが投稿者のお怒りだったと記憶しています。(もしかしたら「そういう意見はどなもんでしょうか?」が投稿者さんだったかも。うろ覚え。m(_ _)m )

マツコ幹事長、有吉政調会長の意見では「アルコール分があろうとなかろうと、飲む側はビールの『つもり』で飲んでいる。その限りで『終わった〜!』感にひたってしまう。だから時間中のノンアルコールビールは『なし』!」

マツコさん、有吉さんは「アルコールがないんだからいいんじゃないの〜?」とくるのではないかと思ったのですが意外な反応。もちろんトークを盛り上げなくていけませんから、真意はわかりませんが、いずれにせよ、この理屈は私には「チョウ日本的」に思えて、「ああ、やはりずれてきてるかな?」と感じさせられました。

マツコさん、有吉さんの言っていることはよくわかります。私も新橋のサラリーマン経験がありますので。ポイントはやはりそれは日本的感覚で、アイスランドにはそういう「共有感覚」はないか、あっても非常に希薄だろうと考えます。基本、ルールの中でなら個人の勝手です。




実は役に立つ「怒り新党」


「怒り新党」が私にとって面白いのは、この他にも日本の皆さんが「これはアリかナシか?」という題材を持ち出してきて、いうならば今時の「共有感覚」はどんなものであるのか?を論じるからだと思います。

日本の皆さんにとっても面白いでしょうが、私のような日本文化圏外に住むものにとっては、なんというか自分が日本から持ってきている部分と、現地で適応している部分を考えたりするための、非常に良い材料を提供してくれるものになっています。

番組はさらに、先の春から総裁秘書が夏目アナに替わって青山愛アナになり、彼女が米国からの帰国子女であることが加わって、外世界の空気も加味されてきました。これも私的には面白いです。ちなみにアメリカとアイスランドでは文化的·社会的感覚はまったく違います(と思います。アメリカに住んだことはないので...)

で、「怒り新党」を見ながら、改めて自分がアイスランドのセンスに同化した部分と同化できていない、あるいは同化したくない部分というものについて考えてしまいました。結構あるんですよ、日本式から抜けられない、抜けたくないという部分が。二十四年以上こちらに暮らしていても。

そういうものを少しまとめて次回はご紹介してみたいと思います。個人的なトピックではありますが、世界慣れしている若者ではない、平均的な日本のおじさんがアイスランドでどんな具合になっているか、というのもむしろ何かの参考になるのではないかと。

「怒り新党」って、結構ハイレベルな番組なのではないかという気もしてきました。海外在住者、また日本語を学んでいる学生さん等必見かも?


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ルピナスとシンゴジラ

2016-09-18 05:00:00 | 日記
今回は前回に続いて、日本の家紋の「上り藤」と、アイスランドの自然の中で歓声をあげるルピナスという花の関係を巡るお話しです。

前回の内容の繰り返しをすると長くなりますのではしょります。もう一度読んでくださると助かります。m(_ _)m

家紋はとりあえず置いといて、ルピナスについてです。アイスランドへ来られた方はご覧になったことと思いますが、ケフラビク国際空港からレイキャビクへ向かう道路。周囲には溶岩の平原以外何もない殺伐とした景色が続来ます。(風情がある殺伐だと、個人的には思っていますが)

ところが夏に限っては、そこここにきれいな紫に染まるスペースが目に入ってきます。これは見た目には相当きれいなもので、一瞬北海道のラベンダー畑を思い起こします。これが野生のルピナスの群生です。




見た目は麗しいルピナスの群生
Myndin er ur Visir.is


私は定期的に空港の近くにある難民用のホステルの訪問に行っていました。赤十字のボラとしての訪問の際は、七十歳近くの年上のご婦人と一緒に行くことが多かったのですが、この方は自然愛好家で鳥や植物の造詣が深い方です。

運転しながら「この紫の花、きれいですね」と花のことなど何も知らない私が感想を述べると、「トシキ!! これはルピナスという外来種の花。とても繁殖力が強く、他の植物を駆逐して広がってしまってるの。災害よ!」と意外なお小言。

なんと!? このさわやかなフジ色のお花畑の正体はブラックバスやカミツキガメの仲間だったのです。というわけでここ数年間、酪農業や植林、植物関係の専門家の人たちが束になって「どうやってルピナスの進撃を止めるか」を協議してきているのです。

で、娘が「藤間家の家紋の『上り藤』がルピナスだって知ってた?」と言ってきた時複雑な思いがしたのです。ルピナス、みんなの迷惑だよ、ここでは。

でももう少しルピナスについて。いくつかネットでアイスランドでのルピナスについて調べたのですが、これは「アラスカ·ルピナス」という種のルピナスだそうです。

面白いのは、このルピナスがアイスランドへ出現した一番の原因は、ルピナスをアイスランドに根付かせようというアイスランド人の意欲だったのです。

ルピナスは豆などに良質のタンパク質を含むとかで、専門的なことはよくわからないのですが、とにかく何かの益が見込まれてルピナスをアイスランドで繁殖させようという努力が行われました。

1885年にレイキャビクで試験的に育てられた後、1911年に繁殖させようという努力がなされたようですが、どうもうまくいかなかったようです。その後1945年にもアラスカの西海岸で集めたルピナスの種を持ち込んだようですが、これも不調。詳細はわかりません、すみません。

本当に概略しかわからなくて申し訳ないのですが、その後1989年になって、ルピナスの種を全国にばらまこう、という運動があったようです。飛行機で種を蒔いたり、ガソリンスタンド中にビニール袋に入れたルピナスの種を置き、利用者に旅の行き先で種を蒔くようにキャンペーンをしたようです。誰が首謀者だったかも不明。m(_ _)m

で、乏しい情報を想像と推察で補うと、この大衆キャンペーンが、ついにルピナスをアイスランドの大地に根付かせるお手柄?をしとめたようです。1989年っていうのは、私がアイスランドへ移るわずか三年前のことですよ。ついこの間です。

そしてそれ以来、ルピナスは爆発的にアイスランドのいたるところで群生化し、その過程でアイスランドの従来の野生植物の生態系を破壊していくことになったわけです。

で、いまや定着が成功した途端に、ルピナスは植物のブラックバスかカミツキガメ、はたまたアイスランドのシンゴジラと化し、全国が知恵を合わせて進撃阻止を図っているわけです。まあ、シンゴジラは群れてませんが...




ルピナス進撃図 薄い紫が群生地、濃い紫は新たなルピナスの占拠地(2010年当時)
Myndin er ur Visir.is


前回、家紋「上り藤」の由来は別に自然界の花(「昇り藤」=ルピナス)から来ているわけでもない、ということをぐちゃぐちゃ言いましたが、このような「ルピナス=シンゴジラ説」が背景にあるので、なんとなくルピナスと距離を置きたい気がしてしまうからでした。

ですが、見た目にはきれいな花群であることは事実ですね。特にフジ色はアイスランドの自然によく映えてきれいだと思います。それなのに、国を挙げて「対策本部」まで張られてしまうとはかわいそうな気もします。

だから「群れすぎること」「限度をわきまえないこと」はたとえそれが人間であっても、花であっても、魚であっても、虫であっても嫌われる元になるということでしょうか?

多少学ぶべき教訓もあるような、ないような?


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「上り藤」と藤の花

2016-09-11 05:00:00 | 日記
今回は、日本の由緒ある文化、アイスランドの豊かな自然というかなりゴージャズなふたつの世界を、なんと私のプライベートライフに関わるトピックで結んでしまうという、かなり出すぎたお話しになります。

ですがそのきっかけは、何ということもないもので、娘が先日「家紋の上り藤の花は、ルピナだって知ってた?」とメッセージを送ってきたことなのです。実は全然知りませんでした。そして弱冠複雑な気分になりました。順を追ってお話ししてみたいと思います。

娘が「家紋」といっているのは私の家、藤間家の家紋のことです。娘は先の晩冬から初夏にかけて日本へ行っていたのですが、その際に法事とかにも出席して「藤間家の家紋は上り藤」と学んできたようです。

日本では「家紋」というのは普段はそんなにお目にかかる機会はないと思います。「この紋どころが目に入らぬか!?」はお馴染みでしょうが、自分の家の家紋など、それこそ墓石にお線香をあげる時くらいしか目にはしないものではないでしょうか? 私の娘は日本大好きで、いろいろ吸収している最中なので関心があったようです。

日本の家紋に相当するものとして、ヨーロッパには「紋章」(Coat of arms)というものがあるそうです。基本的には騎士の「盾」に紋を入れたものに、いろいろなアクセサリーをくっつけていってデザインされたもののようです。

同じ地域(領土)にふたつ同じ紋章があってはいけないそうで、紋章を持つ個人を特定するためにそう決まっていたそうです。ただ同じ紋章が代々受け継がれたりして、結局「家系」の紋章化したとのこと。

王侯から始まり、上級貴族に広まり、最後には普通の市民にも普及したようですが、やはり上流階級の皆様でないと日常的にはお目見えしないものという感じがしますね。

で、大陸の「貴族」的な意味での上流階級が存在しないアイスランドでは(成金、という意味での上流さんはいます、ここにも)、なんとか家の「紋章」というものを見ることはありません。調べたわけではないので断言はしませんが、少なくとも私は見たことがないと思います。

紋章とよく似たものにエンブレムがありますが、これは国章と言えるものだそうで、アイスランドにも国のエンブレムはあります。お土産屋さんで売っているグラスなどによく使われているやつです。




「下り(さがり)藤」の家紋
-Myndin er ur Freesozai.jp-


さて日本に戻って「家紋」ですが、苗字に「藤」の字がつく家の家紋は「藤の丸」のように「藤の花」にちなむものがメジャーだそうです。代表的なのはあの藤原家の家紋だそうな。

藤は皆さんご承知のように、公園の日よけ用のテラスなどから垂れ下がった紫色(あるいはフジ色)の小さな花が集まった房を持つ植物です。豆科というのはちょっと意外な感じがしますが、大きな豆も成るようで。

この藤は繁殖力が強く、「子孫繁栄」とかの願をかける意味からしても家紋にはもってこいなのでしょうね。で、家紋のデザインは、実際の藤の花を摸して、上から下へ花が向いている「下り藤」が多数派です、というかオリジナルです。

これとは逆に、藤の花が下から上へ向かっている家紋があります。これが「上り藤」で我が家の家紋がこれです。

斎藤さん、とか佐藤さんのように苗字の後半に「藤」があるお宅はだいたい「下り藤」なのではないかと推測します。私は藤間ですので、逆に「上り藤」の家紋に属する訳です。

なぜ「上り藤」が生まれたかというと -これはWikiからの受け売りですが- 「本家」「分家」の区別をつける必要性があったこと、または、「下へ向かう」デザインは縁起が良くないということで無理やり下から上へ持って行った、とかが「上り藤」誕生の由縁のようです。

もし、この理由が本当に「上り藤」の家紋誕生の由縁であるとすると、それは行政的?あるいは縁起的発想の故であり、自然界に存在する花の模写ではないことになります。つまり、上り藤の花は、自然界に存在する実際の花から取られたものではなく、単に「下り藤」のデザインを頭の中でひっくり返したもの、ということになります。

なぜこんなことをクドクドこだわるかというと、自然界の中に実際に下から上へ伸びて咲く「藤」の花にそっくりの花があるからです。日本ではルピナスと呼ばれます。色は何種もあるようですが、「フジ色」のものありまったくの公園の日よけテラスから垂れている藤の花の逆バージョンに見えます。そして実際にこれが「昇り藤」と呼ばれることもあるのです。



まさしく藤の花の逆ヴァージョン ルピナス
-Myndin er ur Icelandicreview.com-


ルピナスと藤の花、他人の空似ではなく、植物体系的にも近い親戚関係にあるようですが、それ以上は完全に私の守備範囲外になります。

そしてこのルピナス。これがあるのです、アイスランドにも。あるなんてものじゃない、満ち満ちているのです。満ち過ぎているのです。そしてここから日本の家紋「上り藤」とアイスランドの大自然が宿命的に結び付けられて行ってしまうのです。

というところでお時間となりました。続きはまた来週です。悪しからず。(^-^;


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「モヤモヤ」「正直さんぽ」浮き輪説

2016-09-04 05:00:00 | 日記
前回のブログで「アイスランドの中のリトルジャパンに住むのは嫌だ。だから日本のテレビもご法度にして二年近くになる」というようなことを言いました。

それは事実で、2015年の正月からはきっぱりと日本のテレビは締め出しました。一時帰国した際の二週間はもちろん例外でしたが。お笑い、バラエティを中心とした日本のテレビ番組にドッポリ浸かっていた2014年末までの数年間からは、信じられないような立ち直りでした。

ところがです。前回言ったことの「舌の根も乾かぬうちにー」という先週、ついにまた見始めてしまいました。そしてすでに「ハマった」に近い感じに戻ってしまっているようです。

いやあ、恐ろしいですね。麻薬とかやってた人が、再び少しでも摂取すると瞬時に元へ戻ってしまう、とかいうのは話しにはよく聞きますが、それに近いものなのでしょうか?

きっかけはささいなことで(という表現もこういう事態の説明の常用語ですね)、読売のネット版で「テレビ東京の狩野アナがカーレーサーの男性と結婚」という見出しを見つけたことです。

狩野アナは、私を中毒にしてきたものの範疇に含まれる「モヤモヤさまーず」
のレギュラーでした。私は前任の大江麻里子アナの大ファンだったので、後を継いだ狩野アナにはあまり執着がなかったのですが、「ああ、じゃあ、もうモヤモヤには出ていないのかなあ?」と気になってしまったわけです。

それでさっそく八月二十八日に放映された「金沢」の回を覗いてみました。すると「今回が卒業前最後の旅になってしまいました」みたいなことが冒頭の言。「ああ、やっぱり」それ以上見るつもりはなかったのでした。

ところが、間の悪いことに、夏休み中に梓林太郎さんの「茶屋次郎シリーズ」 というミステリシリーズの最新刊(といっても一年前の発行ですが)を読んでいて、その舞台が金沢だったのです。という映像と活字の偶然のコラボのおかげで、「もう少し見てみたいな」という気になってしまったのです。

で、見てしまったらもうダメですよ。もともと大好きな番組だし、金沢が終われば次は、というノリになってしまいました。さらに「ついでに『正直さんぽ』も。まだやってんのかな?」という感じで有吉クンの方にも目がいってしまったわけです。

私はこの「散歩系」の紀行番組が結構好きで、それもまじめにレポートするよりは「モヤモヤ」や「正直さんぽ」のような笑えるものの方がお気に入りです。

気がついてみれば、別になんという内容もない番組で結構大笑いをし、ほどよく酔っぱらって、午前二時でした。「今日だけだな。明日は繰り返さない」と思ったのですが、翌日なんとなく考えていました。

実は八月の始めの頃から仕事の方面で相当ヘビーなプレッシャーがありました。まだあります。私自身のことではなく、日頃から接触している難民の人たちのことです。「申請拒否」を言い渡され「国外強制退去」がタイムテーブルに乗ってしまった人がゾロゾロ出てきてしまったのです。

私は牧師ですので、彼らを「クライアント」としては見ません。皆がそうだ、と言ったら言い過ぎですが、何人かは実際に家族のようなものになっていますし、そこまで近くはなくても「他人事ではない」と感じる十分な人が多くいます。

大抵の場合は、それでもなんとか、かいくぐっていけるのですが、今回は相当しんどく感じていました。

もちろん仕事上のストレスは誰にでもあることですし、それぞれストレスを溜めずに発散させる術(すべ)を身につけているべきです。なんでも話せる友だち、とかが有効なようですが、ワタシのように「趣味なし」「社交性ないし」「金なし」のおっさんには、そういう奇特なお友だちもありません。

そういうことを考えると、何も考えずにすんで、大笑いして、美味しいものを(目で)楽しめる「モヤモヤ」や「正直さんぽ」は、むしろ日常生活の貴重な一部であるべきなのではないかと思い当たったのです。

もちろん信仰とか大義とか、深いところで生活を支えてくれるものはありますが、なんというかもう少しお手軽に?きばることなく楽しめるリフレッシュメントみたいな。

いや、さまーずや有吉さんの番組に内容がない、ということではありませんよ。あの人たちはそれが仕事で笑わせたり、気を紛らわせたりさせてくれているのですから。ありがたいことです。

笑える、というのはそれだけで癒し効果があって、気持ちを浮かべてくれますし、大切なことです。そういう浮き輪のようなものがなかったら、本当に沈没してしまいそうです。

というわけで、日本のテレビ、しばらく解禁にします。ただ、それでも問題があります。どこまで輪を広げていいものか?このあとすぐに思いつくのは「怒り新党」「ホンマでっか」

さらに「しゃべくり007」「アメトーク」...と限りないですからね。あ、「坂上忍、家を買う」はさすがに終わったのでしょうか?あのコーナーがある番組はなんでしたっけね?多少はリハビリが必要かな?(^-^;


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