レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

世界9位の「不信心」国 アイスランド

2013-07-29 05:00:00 | 日記
WIN-Gallup Internationalという協会が2005年より行っているリサーチの2012年度の結果が、先日こちらのメデイアで紹介されました。これは57ヶ国を対象とし「信仰心のある人」「ない人」の割合を探るリサーチです。

これは実際に教会や寺院、その他の宗教施設へ出入りしているかどうかに関わらず、「信じる宗教がある」「ない」「積極的に宗教を否定」のいずれかを自己申告することによって調べたようです。

その結果、アイスランドは57%の人が「信じる宗教がある」31%が「ない」そして10%が「積極的に否定」であるということになりました。合計41%が特定の信仰の対象がないということになり、これは世界第9位の「不信仰国」なのだそうです。

ちなみに信仰心のない国の世界第1位は中国、2位は我が日本、3位がチェコだそうです。中国や日本が「不信心」というのは、ちょっと測り方が違うのではないかな、という気がしなくもありませんが。

逆に信仰心の厚い国はどこかというと、第1位はガーナ、2位ナイジェリア、3位がアメリカ。周囲を見回しても確かにアフリカの人は信仰の表し方がアツイ方を多く見受けますね。3位のアメリカはちょっと意外。

アイスランドで10%ほどの「積極的に宗教を否定」する人たちはいわゆる無神論者で、「別に特定の神や仏を信じない」という態度ではなくて、アクティブに「神や仏は存在せず、宗教はすべからく幻想である」という立場の人たちです。

アイスランドやノルウェーにはそのような人たちが組織を作っており、ヒューマニストの名で活動しています。アイスランドの組織は「シーズメント」という名前ですが、面白いのはフェルミング(教会の献身礼)や結婚式、お葬式もあり、やっていることは宗教団体と同じように見えることです。「神はいない」という教義を掲げた「信仰者たち」といってもおかしくはありません。(そういう言い方をすると向こうは怒りますけどね。失礼。m(_ _)m )

アイスランドの31%の人々が「特に否定はしないが特定の信仰はない」という立場のようで、これは平均的な日本人の場合と同じなのではないでしょうか?別に神道の信徒でも仏教徒でもないが、神社を参拝し仏寺では手を合わせる、というのは日本では非常に普通ですよね。

そして57%の人が信仰心がある、と回答しています。これはキリスト教だけではありません。オーディンという北欧の神を信じる人や、自然の中に存在する霊を信じるスピリチュアリスト、そしてもちろんイスラム教や仏教の人もいます。

ところで57%という数字なんですが、これは西欧の中ではかなり高い数字ではないかと思うのですが、リサーチの対象になった57ヶ国がどこであるのかも不明ですので、オリジナルを読むまでは何ともいえません。しかし多分、スウェーデンやデンマークでは「信仰心がある」と回答する人の率はもっとずっと低いはずです。

このリサーチではもう一点面白いことが指摘されています。富裕層と低所得者層を比較すると、低所得の人々の方が17%も信仰心のある率が高いというのです。これも元のリサーチを読んでいないので、このことがどういう理由によるのか、何を示すのかまでは触れられませんが、傾向としては「さもありなん」という気がしてしまいます。

ただアイスランドに関して、2005年のリサーチでは「信じる」人の割合は74%だったそうで、8年間の間に17%もダウンしていることになります。その間、国家財政破綻という大恐慌を経験しており、総貧困化?したわけですから信仰心はむしろ向上しているはず?なんですけどね。

信じる、信じないというような計測できない人の内面のリサーチは難しいものなのだろう、と想像します。


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罪と恵み

2013-07-25 05:00:00 | 日記
ここ一週間ほどこちらではドバイに滞在中のノルウェー人女性のことがニュースになっていました。

この女性はカタールにある会社の職員でここ三年間ほどカタールに滞在していました。この会社はもともとスェーデンの会社で近年アラブ首長国連邦の投資家に買われたようです。

さて、この女性がドヴァイ滞在中に会社の同僚によりレイプされるという事件が起こりました。彼女は警察にレイプ事件として訴えて出たのですが、「婚姻外性交渉」とアルコール飲酒の故に16ヶ月の有罪判決を言い渡され、パスポートも押収されてしまいました。

イスラム教、そしてイスラム法ではレイプ被害者の女性も「有罪」になるということはよくイスラム外世界からの批判の対象になります。「有罪」の理由は夫や親の名誉を傷つけるという点では「婚外性交渉」と同じだから、ということのようです。

この女性の事件はこちらでは大きく取り上げられ、有罪撤回と本国帰国を求める署名運動などが行われました。ノルウェー外相も積極的に動いたようです。

その甲斐があってか、週明けにこの女性はアミール(アラブ社会の尊称で地域を治める人)によって「罪」を許され本国への帰還が認められました。

この時の報道は女性がアミールによって「Nadud」されたというものでした。「Nadud」というのはNadaという動詞の変化形なのですが意味は英語のPardon、日本語でいえば「恩赦」です。実際、Nadaの姉妹語はNadで「恵み」を意味し、これは教会では「神の恵み」などのように年中使う言葉です。

この女性が罪を帳消しにされノルウェーに帰れる(もう帰国していると思いますが)ことは良いことだと思います。が、これって「恩赦」の対象なのでしょうか?

恩赦というのは言うまでもなく、「お前はそれに値しないし権利はないのだが、恵みとして放免してやる」という性格のものです。日本でも戦前は天皇が恩赦を与える権利を持っていましたし、現在でも恩赦はあります。もっとも今では内閣がきちんと論じて決定する仕組みになっているようですが。

私は - 個人としての意見ですが – レイプ被害者の女性を「有罪」にするなどということは、そもそも根本的に見当はずれのことだと思います。ですからもちろんこの女性がアミールから「恵み」を受けたとも考えません。もともとそうあるべきところに戻っただけのことのはずです。

いや、それどころか被害者としての賠償請求などができなかったり、被った精神的苦痛を考えれば非常なマイナスがまだ残っているはずです。本人は「ノルウェーに帰れるのがとても嬉しい」とだけインタビューで語っていたようですが。

折しもアイスランドではレイキャビクでのモスクの建設を巡って、イスラム反対の人たちが声を張り上げています。私は教会から「諸宗教対話フォーラム」という委員会に送られていますので、モスク建設には当然賛成しています。権利は権利ですし、過敏なイスラム嫌いやフォービアは非建設的です。

しかしイスラム教の考え方やイスラム法のあり方の中に、現代の人権をベースにした考え方や個人の尊重という基本点と相容れない部分があることも確かに現実だと思います。

キリスト教、仏教もそうですが、宗教というものは決して不変のものではありません。その保持している教えの中に「不変の真理」というものが含まれているということは、実際に人間の社会に現れる宗教体系が変化しないということではありません。

ですから現代のキリスト教(全てを均一に語ることは出来ませんが)は100年前のキリスト教と全く同じではありません。成長すべきところでは成長しなくてはならない。

同じことをイスラム教に関しても思います。自分が属していない宗教のことを何やかと口出しするのは好きではないのですが、この「地球丸」に乗り合わせている以上、私たちの誰もがイスラム教に多かれ少なかれ関係せざるを得ません。ですから、イスラムの人たちにも考えてもらいたいと願います。


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セレブリティ in Iceland

2013-07-22 05:00:00 | 日記
アイスランドは小国であり、その故に高低差が少なく全てがアクセスレンジにあるということはこれまでにも繰り返して書いてきました。実際これはアイスランド解明のためのキーワードであると考えています。

全てが手に届く距離にあるということは(もちろんこれは「傾向」出会って、実際には近づけないものもありますよ。(*^^*) )面白いことであって、例えば映画館で隣り合って座ったのが総理大臣、ということもあり得るのです。

この距離の近さはその根底には「みんな同じ町で育った」的なムラ人情みたいなものがあります。ですからキャリアの中で誰かが有名になったり出世したりしても、根本の「おらが仲間」という意識は消えないでいるようです。

で、結果どうなるかというとセレブとか有名人とかの存在に対する感覚が、例えば日本でなどとは相当違うものになっていると思います。以前街の通りを歩いている時、一緒にいたアイスランド人の友人が「前にいるの、ビョルクよ」とささやきました。確かにスーパースターでした。でも誰も何も特別なことはしませんしそれだけでした。

サインをねだったり追っかけをしたりということはまずないことではないかと思います。Lady Gagaが来た時には大騒ぎしてましたから「アイスランド人の中では」という限定付きかもしれません。

これを別のアングルから見ると、例えば一般市民が誰か著名人の友人を持っていたり、親交があったりしてもそれをことさらに言うようなことはしません。別に謙遜なわけではなくしないのが普通なのです。

私の特に親しい友人にリルヤというきれいな女性がいます。彼女はチェスの天才で若い頃から北欧タイトルを獲ったり世界戦に出たりしていました。親しくなってからそのことを知ったのですが、その後さらに彼女は国会議員になりメディアに連日登場するようになりました。

その彼女が議員になる前に言っていたのですが「よく外国の人がアイスランドでは大統領がスーパーで買い物をしていて社会がリベラルだとか言うけど、そうじゃないの。リベラルとかじゃなくてそれが普通なの、私たちの文化では」と言っていました。

これはひけらかしではなくて、このことを伝えるために例証したいから言いますが、私も何回か経験があります。スーパーで買い物かごを下げてレジへ行ったら、前にいた老婦人が振向いて声をかけてきました。「こんにちは、トシキ・トーマ。どう最近は?」前大統領のヴィグディス夫人で、自分でお買い物最中だったようです。

また先日はス-パーの外の駐車場でこちらの国民的アイドルのパトゥル・オスカルという人気歌手とばったり。「ハイ」「ハイ」と軽い挨拶。特に親しいわけではないのですが顔見知りで、会えば必ず挨拶はします。

こういうのは個人的にはもちろん楽しい経験なのですが、全く全然(強調!)他者に自慢するような分野の事柄ではないのです。ちいちゃな社会の中での「みんなおらが仲間」という文化の中での人間関係。長くいれば誰とでも会う機会ができますし、知り合いになれば挨拶ぐらいはするでしょう。誰が誰と知り合いになろうがそれ以上でもそれ以下でもない、それだけのことなんです。

日本や他の大国ではセレブ、スターと庶民は完璧に二分されていますよね。だからたまにスターの知り合いだったりすると、それだけで特待シートに案内されたりすることもあるようで。スターが特待されるのは納得できますが、そこから派生的に分与される「特権」?というのはどうなんでしょうか?

そうは言っても、もし、仮に、あり得ないこととしても水野真紀さんがワタシの知り合いだったら、ハンドスピーカーで言いふらして歩くだろうな...



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モヤモヤさまー in Iceland

2013-07-18 05:00:00 | 日記
暑中お見舞い申し上げます。

七月中旬です。日本では梅雨明けが早かったようですね。ネットで連日のようにどこそこで35度を越えたとかのニュースを目にしています。熱中症になって搬送される人も昨年の二倍以上だとか。熱中症、落雷、ゲリラ豪雨。夏の落とし穴にくれぐれも気をつけてください。

そういうこちら、アイスランドは冷夏です。東部や北部の一部では時折20度近い気温になることもあるようですが、レイキャビク近郊では気温8-12度の日が続いています。今月前半のレイキャビクの平均気温は9,3度、この一週間での日照時間は合計で16,6時間(日の出から日の入りまで約20時間ある一日で、ですよ)というありさまです。冷夏ャビクか?

先日こちらに在住しているきれいな邦人女性から聞いたのですが「冷夏が10年毎くらいにやってくる」という説があるということです。確か今年は四月の平均気温がレイキャビクでは2000年以来の低さだったと記憶しています。だから2000年も冷夏だったんでしょうね、はっきりとは覚えていませんが。13年前か。

そういえば私がアイスランドに移ってきた1992年も冷夏でした。1992年-2000年-2013年。「冷夏10年周期説」当たっているのかも。

もうひとつ、経験的に学んだことがあるのですが、ヨーロッパの大陸の方で大雨や寒い日々の時はアイスランドでは暖かい好天、逆に大陸が暑い日々の場合はここでは天気が悪いということです。おそらくきちんとした気象学的な説明があることなのだろうと考えます。



我が家のベランダの寒暖計 7月12日正午 気温10度です


天候に関しては別のことも感じています。多分「地球温暖化」ということなのだと思うのですが。

前述のように私がこちらへ移ってきた1992年の夏は冷夏だったのですが、それ以降の「普通の夏」でも日本的な「ナツー!」ということはまずなかった、と記憶しています。なんというか、よくいえば「高原の夏」のような感じで、外気はいつもヒヤッとしていました。

だから外へ出る際はいちいち何かをはおる必要があり、Tシャツにショーツでサンダル履きという感じで外に出れる日本の夏を恋しがったものです。

ところがです。ここ7、8年でしょうか?暖かい風が吹く夏の日があるようになってきたのです。私の住んでいる古アパートは海のすぐそばにあり、かつ私の住居は四階にあるので、夏でもベランダにはたいてい海風が冷たかったのですが、最近はたまにモワッとする空気を感じることさえあります。

冬についても同様なようです。一昨年でしたか、雪がかなりしつこくて愚痴ることの多かった冬でした。そしたら行きつけの床屋さんが言うには(本筋ではありませんが、その床屋さん自身はツルツルで散髪の必要はないようです)「自分が子供の頃にはいつもこのくらいの雪が降ったんだよ」。

多分、冬もゆるゆると暖かくなってきているのでしょう。

ただ、去年の冬は南部では雪のない冬でしたが、北部では九月のゲリラ雪に始まり相当な厳しい冬でダメージが大きかったと報じられていました。「温暖化」と一口に言っても、それは大きな流れのことで実際の一夏一冬のありようはそう単純ではないようです。

それにしてもこの冷夏、スカッとしません。気温が上がらないだけではなく毎日毎日曇りと小雨。もやもやします。酷暑の日本の皆さんには「フザケンなー!」と怒られるでしょうが「夏よ、来い! 夏よ、恋々!」です。



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空駆けるアイスランド人

2013-07-15 05:00:00 | 日記
前回、空の旅に関して「サービスの質と運行の安全とは別の基準で測らなければならないのではないか」というようなことを書きました。今回はその続きです。

以前にも言ったことがありますが私は凡庸な人間で、わりとパターンに入りきった生活をしています。日本とアイスランドの往来に関してもアイスランド航空をコペンでスカンジナビア航空に乗り換えて成田へ。そこからJALで札幌へ、というパターンにはまっています。帰りは逆コースです。

ですから、私自身はそれほど幅広い航空会社のサービスを熟知しているわけではありません。若い頃にはもっといろいろなところへいろいろな航空会社で行ったこともありますが、それは現在ではもう比較できるデータではなくなっています。

そこで非常に限定されたJAL, SAS, FI(アイスランド航空)の間での比較になりますが、接客サービスの質に関していえば、これはもうJALが断トツでひいでています。説明の必要はないですよね。

SASは可もなく不可もなく(期待しなければガッカリしない、という意味です)、FIはアイスランド島の島民なら心地良いでしょう(アイスランド人には笑顔で挨拶、外国人にはフンッという傾向。これが国際線かよ?)。

と、まあ客室サービスの質でいえばJALがトップでSASとFIがドングリの背比べではないかと思います。

ところがです。飛行機をA地点からB地点へちゃんと飛ばす、ということに関しては、私は断トツでアイスランド航空を信頼しています。正直に言いますが、航空機事故に巻き込まれる不安感はFI, SAS, JALの順で増加します、ワタシの中では。

FIが過去に航空機事故を起こしたことがない、などということではありません。アイスランド航空にも悲しい事故の歴史があります。1947年には25人が、1951年には20人の方が亡くなる事故を起こしていますし、1978年にはスリランカで巡礼者の乗ったチャーター機が墜落し188人の犠牲者が出ています。180人がインドネシア人でアイスランド人は8人でしたが、全体で71人が生き残った、ということです。これはアイスランド航空史における最悪の事故となっています。

年間の発着便数と事故数の間の関数を調べたわけではないので、このような事故数が国外大手の航空会社と比べて多いのか少ないのか、定かではありません。それでも絶対数が少ないのは確かだと思います。




Myndin er úr icenews.is


ワタシがアイスランド航空に関して感じることは –これも裏付けの乏しい理屈なのですが– アイスランド航空の飛行は根本的に商業飛行ではなく、むしろ漁民が漁船を操るのに通じた生活上必須の事柄であるということです。

アイスランドのような島国にとって、現代的な世界生活に付いていこうと思うならば航空路は最も基本的な運輸の路です。これなくしては観光だけでなく全ての国民生活が成り立たなくなるでしょう。ですからこれは漁民が漁船を操るのと相通じる次元の事柄なのです。

これは全く馬鹿馬鹿しいワタシの想像上の虚構であるのかもしれませんが、世界のメジャーな航空会社のフライトの基礎が商業価値であるのに比して、アイスランドのフライトはもっと泥臭い生活の匂いがあるように思えるのです。

だから心地良いかどうかはさておき、必ず無事に戻る。

会社の営業方針や客室サービスについてはいろいろ苦言はありますが、運行の安全に関しては私はアイスランド航空を信頼しています。



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