レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

アイスランド・日本 シンポジウム

2014-02-27 05:00:00 | 日記
前回書きました「アイスランド・日本 シンポジウム」が先の火曜日に無事に開催され、私も諸レクチャーを拝聴するために参列してきました。

平日の午後一時から五時までということでしたので、やはり集まってきたのは日本語学科の学生が中心で、それに日本からの留学生も幾人か加わっていました。あとは私のように時間の自由がきく社会人も多少。全体で五十人くらいだったでしょうか?

七人のスピーカーが三十分ずつ話す、というわりと単調な?プログラムだったため途中で飽きるかも、と危惧していたのですが、意外にも長さを感じないまま最後まいってしまいました。

日本語学科の主任、先生、日本語学科OBがアイスランド在住組のスピーカーでしたが、ここでは前回ご紹介しました日本からの四人の大学院生にスポットを当ててみたいと思います。

まず大手新聞社入りが決まっていて、ワシントン支局長を狙うNさんがトップバッターでした。Nさんは日本での国民番号制についてこれまでの経緯を含めて、どのような賛否の見解があるかを紹介してくれました。

アイスランドでは「ケンニターラ」と呼ばれるID番号制が確立していますので、日本との対比には面白い点が多くあると思います。ついでにこちらでは個々人だけではなく、各会社にもこのケンニターラがあります。

日本でこの番号制を確立するには、誰がそれを監督管理するのか、という点が一番のネックになるのではないでしょうか?人口三十万強の社会と一億強の社会では情報の管理維持というものの困難さが相当違ってくると思われます。

例えば同じ番号が絶対に複数存在しないようにする、というのは基本的なことですが、北海道から沖縄までの地域を見渡しながら、かつ続々と生まれてくる赤ちゃんたちに番号を振り分けていくというのは相当大変なことではないかと想像されます。

Nさんの紹介と参加者からのフィードバックを見る限りは、番号制の一番の危惧は個人情報の漏洩あるいは個人情報の行き過ぎた監督、というようなものであったと思われます。確かに心配だし信用できないですよねえ、あの社会保険庁の失態の後では...

Nさんの見解では国民番号制はこれからの日本にはどうしても必要になるということだったと思います。こちらに交換留学中からこのトピックに関心がると言っていましたし、プレゼンテイションでも「これからも考えていく」と言っていたと思いますので、ぜひこの難しい課題への新しいアプローチを造り出して欲しいものです。

書き手の勝手な都合により次はラストスピーカーだったIさんです。Iさんは博士課程修了目前の方ですので、レクチャーもそれなりにレベルが高いものでした。

テーマは「自然環境におけるア日間の類似性と相違性」。レクチャーでは海流、火山、海底プレート、地熱利用などをキーワードとして挙げた上で、それぞれの点についてアイスランドと日本で共通する点、異なる点等を説明してくれました。




Iさんのプレゼンはアイスランドと日本の自然に関して


私もアイスランドはメキシコからの暖流に囲まれているので、それほど寒くはならない、というのは聞いたことがありますし分かります。ですが海底プレート辺りになってくると、意識が遠のいていきました。

IさんはいろいろなチャートをPowerPointで示してくれたのですが、無精者のワタシはメモも取らなかったため、情報の正確さを欠きます。それでもアイスランドと日本の間での発電の主体の差は歴然としていました。アイスランドでは七割程度が水力発電で、あとは主に地熱発電ということだったと思います。

対して日本は、特に東北大震災以降は九割方が火力発電。一割弱の原子力発電とほんの僅かなその他(地熱発電を含む)ということのようです。こういうことはもちろん自然の環境の影響が大きいのでしょうが、重工業国の日本と、重工業がほとんどないアイスランドの社会構造の差も関係しているに違いありません。

それにしても今回のIさんのプレゼンはプレートから火山までものすごくマクロ的だったのですが、本来の専門は「岩」だそうです。前回の留学時もあちこちを回ってアイスランドの岩を採集したのだそうです。それを持ち帰ってから顕微鏡で覗いている、とかいうようなことも言っていたと思うので、随分大きいものから小さいものまで扱うものなのですねえ。

そういえば最近テレビでとてつもない大きな一枚岩というのをしばしば見かけるような気がします。オーストラリアのウルル(エアーズ ロック)はもとより、コロンビアの何とかという都市の山のような岩やらスリランカの聖なる岩やら。

でも、そもそもどうしてIさんは「岩」に興味を持ったのでしょうか?ウーン、肝心なことを尋ね忘れていたか...?ワタシはどうも、やはり「人間」の方に興味が行ってしまう気がします。(^-^;

残る二人、A子さんとY君のプレゼンについては次回書かせていただきます。m(_ _)m


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いいなあ、人生の青写真

2014-02-24 05:00:00 | 日記
明日の火曜日二十五日に、アイスランド大学の施設の一部であるシネマ館の大きなホールを使って「アイスランド・日本 シンポジウム」なるものが開催される予定です。

シンポジウムとかいうと偉い博士や政治家が登場するイメージがありますが、今回のこのシンポジウムは「未来の博士、政治家」たる学生の皆さんが主体です。スピーカーの中には現役の教師等も交じっているようですが、企画運営の主体は日本の大学院生四人で、彼らはそろって昨春までアイスランド大学への交換留学生でした。

交換留学に来た学生の人が、このような形で何かを還元してくれることは決して当たり前のことではありません。それぞれ日本では東京、大阪、九州と別々の地域に住むにもかかわらず、自主的に企画をし、開催まで持ってきたことはたいしたことだと思いますし、是非良いシンポジウムにして欲しいものだと願っています。

で、週末に再来氷を果たした四人の若者の皆さん(可愛い女の子三人と真面目な男の子ひとり)とお茶をする機会がありました。

皆さんとはもちろん顔見知りだったのですが、全員と深く話しをしたことがあるわけではないので、いろいろと考えを聞かせてもらい楽しい時間となりました。

大学院卒業前後、という彼らの状況の故に、当然就職や仕事関連の話しも多く出ました。「就活、キツイっすよ」という話しを聞くことが多かった昨今なのですが、今回はそういうサミシイ話しばかりではなく相当な夢を宿すものもありました。

四人の中で唯一すでに職を得て働いているのは東京のA子さんです。外国人向けの日本語教育が専門で、インターナショナルスクールで教えています。ただ非常勤から常勤への壁はなかなか厚いものがあるということで、将来的には外国での仕事も視野に入れているとのことです。

A子さんの場合は、ある意味自分のしたい仕事に既についているのですから、そういう意味では次の一歩を踏み出すのは余計難しいことなのかもしれません。

九州の大学で地質学のドクター修了目前のIさんは女性(かつ酒豪)。かたはらで就活も頑張っているようです。私のような素人には地質学も鉱物学も資源調査も同じに思えてしまうのですが、もちろんそんなアバウトなものではなく「自分の専門性」ということを中心に据えてしまうと、仕事の幅が相当に限られてきてしまうのだそうです。

アイスランドでは地熱利用とか、海底油田の探索とかの話題がここのところ多いので、そういう仕事に結びつかないかと考えていたのですが、そうは容易くないようで。

三人目の女性はシンポジウム実行班の中の中心人物だというNさんです。Nさんは首尾よく新聞社に就職を決めています。これから三年間は高校野球の取材を担当し、その後何年かは地方支社で経験を積むのだそうです。これは個人の希望ではなく、そのように新人教育コースがセットされているとのこと。現在野球の猛勉強中だそうです。

地方時代の後はできれば東京とかに戻りたい、というのが普通の夢なのでしょうが、Nさんの場合には、口にこそしませんでしたが、ワシントン支局長くらいが既にロックオンされてるんじゃないかなー、と勝手な想像。

さて最後、四人目は紅一点ならぬ黒一点のY君。Y君は北欧語専攻でこの中では唯一二年間アイスランドに留学していました。「相棒」の鑑識米澤さんの学生時代を想像してください。いや、顔が似ているというよりはそのかもし出すイメージです。

そんな彼がアイスランド語というその存在さえ世界の大多数には知られていない言葉をひたむきに勉強している。というような風評から「あの人オタクよ」というような噂が彼が登場した学期始めには聞かれました。ワタシ、日本語コース手伝っているので、そういうの耳に入ってくるのです。

「そういうのを偏見というのだ!止めたまえ!」というのが牧師の真の姿でしょうが、ワタシの反応は「ああ、そうだろうな」もちろん実際に会って話しをする機会があればものすごく真面目でひたむきな青年であることは一目瞭然、でもないか...まあ、オタクの部分があるかないかはさておいて、勉強熱心な青年であることは良く分かりました。(*^^*)

しかしです。今回のY君は真価を見せてくれました。塾でアルバイトをしているのだそうですが「塾で教えるのは楽しいです。あの、ちょっとやる気をなくしてるかな?という生徒に興味と覇気を持たせるのはたまらないです。教師以外の仕事は考えられない!」

オタクどころか「オーッ! ミッキー!」の頃の水谷豊ではないか。しかもY君、専門の北欧語に関しても近いうちにアイスランド、スウェーデン、ノルウェーをまたにかけたマスターのプロジェクトに着手したいとのこと。こんなに熱血青年だったんだ...

四人とももう大人ですが、それでも人生の青写真はまだそっくりそのまま机の上に大きく開いて置かれています。もちろんこれからの過程でいろいろな軌道修正を余儀なくされることは確かでしょうが、もともとの夢がなければ修正も変更もありません。

それぞれの青写真をしっかりと握りしめたうえで人生のこれからのステージに向かって欲しいものだと思います。ワタシ自身の経験から言わせてもらうと、自分のしたい仕事をできるということは幸せなことですから。いいよなあ、青写真がある人生は! 応援してるよー、オジさんは!


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「ニーブアー」の思いがけない行き先

2014-02-20 05:00:00 | 日記
1990年代の始めに、増えつつあった移民の人たちを呼ぶための「美しい言葉」を造ろう、という善意から生まれたのが「ニーブアー」Nybuar(複数形)でした。直の意味は「新居住者」。この言葉は90年代から2000年の始めにかけてかなり広範に用いられ、流行語の感がありました。

1993年から1997年頃は、私が今の仕事の準備期間のようにしていた時期なのですが、この時期は私はPrestur nybua(ニーブアの牧師)とう冠を被せられていましたし、数年してからの2000年にも人気歌手のBubbiが新作CDのタイトルを「Nybuinn」(単数定形)として出しています。

ところが時が進むに連れ、このニーブアーという言葉は変な方向へ逸れていってしまいます。その徴候はすでに90年代の半ばから現れ始めていました。私は今の移民牧師の職に1996年の末に正式に就きました。

新しいポジションだったので、正式な職名を与えなければならなかったのですが、私はそれまでのPrestur nybuaという呼称が嫌だったので、Prestur innflytjendaという職名にしました。Presturは「牧師/神父」ですが、Innflytjendaというのはごく普通の意味での「移民」Innflytjandiを意味します。

Innflytjandiは「輸入品」も意味するので「品物みたい」という声もありましたが、一番価値観を含まない中立な言葉に思われたのです。

さて、それでは「ニーブアー」の何が問題になってきたのかといいますと...

90年代の終わりの頃のある日、電話がかかってきました。
「ハロー」
「トシキ?あなたはニーブアの牧師で、彼らに知り合いが多いでしょ?」
「ええ、まあ」
「こちらはアイスフィルムなのだけど、コマーシャルの撮影にニーブアが何人か必要なの。紹介してもらえない?」
「どんなニーブアが必要なんですか?」
「ニーブアだから、アジア系とかアフリカの人」
「なうほど...」
というようなこと(コマーシャルだけではなかったですが)何回かありました。

つまりですね、ニーブアーは移民ではなくていわゆる「有色人種」、いや「人種」なるものは存在しませんから「肌の色が非白人である人」を指す言葉として使われ始めてしまったのです。

この使い方がある程度強まってくると、もう何十年も住んでいてアイスランドの市民権も取っている人たちでとても「新居住者」はないアジアやアフリカ出身者も全て「ニーブアー」のくくりになってしまいました。

とにかく町で非白人を見かければ「ニーブアー」になってしまったわけです。
その反面、正真正銘の「新居住者」でもイギリスやドイツ出身の白人の場合は誰も「ニーブアー」とは見てくれなかったわけです。見かけではアイスランド人と区別がつかないですからね。

この変化に連れて「ニーブアー」という言葉の当初の善意は消えて、一種の蔑称のように使う向きもでてきました。そこで90年代の末期から、マルチカルチュラル活動に取組んでいる人たちが音頭を取って「ニーブアー」という言葉の使用を止めることを呼びかけました。実は私自身、ずいぶんこのことはアピールしました。

このことに興味がある人で、かつアイスランド語に挑戦してみようという方はこちら

一番抵抗したのは学校関係者で「私たちはニーブアーという言葉の使い方に、そのような有色人種だけをくくるようなニュアンスがあるとは考えない」と反論してきました。

それはそうでしょう。学校では教師は生徒の情報をきちんと把握していますから、誰がどこから来ているか分かっているのですから。でもそれは学校内だけで通用することで、一歩外へ出れば事情は全く違います。

学校の先生方には悪かったですが、この「ニーブアー」は2000年の前半から消えていきました。

その代わり?に用いられるようになったのが、ちょっと長いのですがFolk af erlendum uppruna「フォウルク・アブ・エルレンドゥム・ウップルーナ」という言葉です。直訳は「国外のオリジンを持つ人」ということで、要するに「外国出身者」です。

今では会議などで何か正式に移民のことを呼ばなければならない時には、大概この言葉が使われています。

最後におまけです。「ニーブアー」の賛否がよく議論されていた頃、「ニーブアー」反対派?が面白い造語を造りました。アイスランド人は自分たちのことを「シーブアー」(今だに住んでいる者、の意)と呼んだり、一時期外国暮らしをしたことがある人たちは「スヌーアブアー」(出戻り居住者、の意)と称したり、と。これはなかなかのユーモア。(*^^*)


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「ニーブアー」 新しい居住者たち

2014-02-17 05:00:00 | 日記
ちょっと時期がずれてますが、日本では年末になると「流行語大賞」というのがありますよね。実は去年の流行語は何だったのかわからずグーグルしました。「じぇじぇじぇ」「倍返し」「今でしょ」「おもてなし」の四つだったんですね。聞けば、なるほどと思いますが。(^-^;

アイスランドには流行語大賞はないようです。ワタシ、こちらの芸能関係には非常に弱いので知らないだけかもしれませんが。

流行語というのとは少し違いますが、やはり言葉は生き物であり、時代の中で生まれてきたり消えていったりするものであることを感じることがあります。今回はそういう言葉のひとつ「ニーブアー」をご紹介します。

私がアイスランドへ渡ったのが1992年なのですが、「ニーブアー」という新語が世に出てきたのがちょうど同じ頃だったようです。当時は私はアイスランド語はゼロだったので、自分ではそういうことは理解できませんでした。

さてこの「ニーブアー」ですが、アイスランド語ではNybuarと書きますが、これは Nybuiの複数形です。Ny は「新しい」を意味し Bui は「居住者」を意味します。というわけで「ニーブイ」は「新しい居住者」を意味します。つまり移民のことです。

以前ブログにも書いたことがありますが、1990年代以降アイスランドの移民人口が増加してきました。1990年代は、まずアジアからの女性の移民が増加した時期でした。

そういう時期にあってそういう移民を意味する「何か良い言葉を作ろう」ということで、確かかなり名の通った文芸人の人が「ニーブイ」という言葉を生み出したのだ、と聞いたことがあります。誰だったかは忘れました。スミマセン。m(_ _)m

そういう時代の流れの中で、移民というアイスランドでは新しい社会現象が良くも悪くも扱われ始め、それに何とかポジティブな意味合いを持たせようという良い目的を持ってこの言葉は普及していきました。

移民の人たち、とりわけタイから来た女性たちを支える目的でレイキャビク市が取り組みを始め、やがてもう少し広く移民をサポートする機関として「ミズストーズ ・ニーブア」というセンターが1993年に設置されました。「ミズストーズ」はセンターの意味です。

さらに小中学校などでも移民の子供を受け入れるシステム(学級)として「ニーブア・デイルト」(移民学級)というものが設置し始められました。要はアイスランド語が母国語でない子供たちをひとつに合わせてそれ用の授業をしようという考えです。

さらにその授業の進め方の規範となるべきものとして「ニーブア・フライズスル」なるものが考案されていきました。これは移民用学習要項のようなものです。

それまでにあまり経験のない分野だったので、もちろん擦った揉んだはありましたが、その基本的な意図はよいものだったのだろうと考えます。

私はアイスランドへ来てから一年半をへた1993年の暮から、レイキャビク市内の教会で70%の仕事を得ました。何というか一種のパートの仕事です。(アイスランドではこのように割合で仕事を計ることが一般化しています。機会をみて取り上げたいと思います)

その時点では、まだアイスランドの教会で牧師として働く承認は受けていませんでしたので(日本の教会の牧師資格者ではありましたが)、ちょっと中途半端な肩書きで「ニーブアー担当である(日本では牧師である)教会スタッフ」という感じでした。

で、1996年の夏に教会が財政危機になってクビになるまでその仕事を続けたのですが、この時期は私にしてみれば仕事の計画を練ったり、言葉を学習したり、大学のクラスに参加して正規の牧師の承認を得るための補講を受けたり、子供たちを育てたり、と盛り沢山の時期でありました。

そして、その間中ずっと「ニーブア牧師」という肩書きを(正式にはアイスランドの牧師ではなかったのですが)しょっていました。

というわけで、この時代「ニーブアー」は時代を先取りした流行語の感があったのだろうと思います。アイスランド語の知識が薄かった私もそのように感じていました。

ですがこの「ニーブアー」、1990年代の後半からは思わぬ方向へ進んでいくこととなります。その経緯はまた次回、ということでお後がよろしいようで! (*^^*) m(_ _)m 


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アイスランドの「健康広場」

2014-02-13 05:00:00 | 日記
前回はアイスランドの「ヘルシーライフ」指向をめぐっていろいろと悪口を書きました。m(_ _)m あくまでも私の独断と偏見ですが、多分当たっています。(*^^*)

これも書いたことですがワタシ自身は不摂生不健康ライフの見本のような男で、食事も何も構いませんし、フィットネスの類いは一切何もしていません。(って、自慢することもないですね)

ところがそんな私に「ヘイルストルグ」(健康広場)というヘルシーライフ系のサイトより短いインタビュー依頼がありました。なぜかは知りません。担当の女性がFacebookのフレンドだったからかもしれません。(直接の面識はありませんが) 「移民の牧師」というのが時折目立つこともあるのでそういう興味かもしれません。まあ、いずれにしてもアイスランドではそこらのおっさん、おばはんがインタビューされるのは珍しくもないことです。

で、せっかくなので今回はそのインタビューの中身を、かいつまんでご紹介してみたいと思います。悪しからず。m(_ _)m

ヘイルストルグ インタビュー記事 (2月7日)


Q:普通の一日の始まりは?朝食は?

一日の始まりは朝の祈りです。15分くらい。(注: 一応ボクシさんですのでネ)
よほど早起きしない限り朝食は摂りません。朝食と昼食の間は短いのでどちらかひとつで十分。(注:長い通勤時間が当たり前の日本とは事情が違います)

Q:常に冷蔵庫にあるものは?

要冷蔵ではないのかもしれませんが、リーシ(魚の肝油)です。それにサメの肝油、レシチン、ニンニクオイル。日々のサプリメントです。

Q:一番楽しい時間は?

料理は好きですね。結構良いコックだと思うし。ただ自分のために作ることは少ないです。子供たちに作るのは楽しいです。

それに詩が好きなので詩作の時間も楽しいです。ただそれは時期があり、いつもというわけではありません。

付け加えると日本語でのブログです。アイスランド語、日本語のいかんにかかわらず大体書くことは好きですね。

Q:どんな種類の食べ物を食べますか?

何でも。日本人らしく炭水化物が好きです。

Q:どんな運動を毎週しますか?

何もしません。三十年くらい前のハリソン・フォードの雑誌でのインタビューを覚えていますが、彼は言ってました:「ジョギングとかフィットネスとか、そういう類いのことはしません。疲れるから」

Q:自転車はどのくらい使いますか?

自転車は持っていません。

Q:何か皆にアドヴァイスは?

健康について!? 私の方がアドヴァイスをいただく立場ですよ!

多分ただひとつだけ...

ストレスというのは否定的な言葉だと思いますが、実際は二種類のストレスがあると思います。ひとつは否定的なストレスで精神的な平穏さやバランスを乱すものです。その種のストレスは気分転換やエクササイズで発散してしまう必要があるでしょう。

もうひとつのストレスは肯定的なものです。それは人を最前線に押し出すと言うか,その人の持っている能力のベストを引き出すものです。例えば牧師が説教をするとしたら、その準備の段階からある意味でのストレスというものが必要になります。もし牧師が完全にリラックして説教を用意しているならば、その説教は彼のベストの説教とはなり得ません。

肯定的なストレスを避けないようにすることは大切だと思います。それは私たちの若さと創造性を保つものですから。

...というのがインタビューの内容でした。多少割愛しましたが。
ワタシはこのインタビューは没になると思っていたのですが、よくまあ使ってくれたものです。

何か隠れたイヤミがあるのかなあ...???


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