レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

グレリヨール!!と国営ラジオ

2014-12-24 18:00:00 | 日記
Gledileg jol! グレリヨール! メリークリスマス!

十二月に入ってから寒さと風、雪のトリプル悪天候に見舞われていたのですが、今週になってきれいに晴れ上がって落ち着いてくれました。それでも寒いですし(旭川や釧路ほどではありません)、それよりも残雪がアイス化して裏道などは悲惨な有様です。

でも天候がおさまったのは嬉しいことですし、悪天候で動きが取れずにいたこともあってか、日曜から「前夜祭」ソルラークスメサの二十三日にかけては街中は人と車でごったがえしていました。

それも今日二十四日の午後からは急速に静まり返っていきます。アイスランドの静かなクリスマスの始まりです。

こちらのクリスマスの様子についてはこれまでにいくつかご紹介したことがありますが、今回はまだお伝えしていなかった「伝統行事」について書いてみたいと思います。それはjolakvedjur「ヨーラクヴェズユル」と呼ばれるものです。Jola「ヨーラ」はクリスマスを意味するjol「ヨール」の接続形、kvedjur「クヴェズユル」は挨拶を意味するkvedja「クヴェズヤ」の複数形です。つまりChristmas greetingsのことになりますね。

ただしここではクリスマスの挨拶のうち、国営放送RUVの第一ラジオ放送で読み上げられる挨拶のことを指します。どういうことかというと、毎年二十三日ソルラークスメサの日に、第一放送は「ヨーラクヴェズユル」という特別の枠を作って、国内外のアイスランド人から寄せられる「挨拶」をアナウンサーの人たちが読み上げるのです。

例えばこんな感じです。「スキーザダールのヨウン・ヨウンスソンから親戚一同へ。良いクリスマスと良い新年を迎えてください 。旧年中はお世話になり、ありがとう。神の祝福を」というような具合です。要するになんの変哲も無い普通の挨拶です。ひとつ大体十秒か十五秒でしょう。それをただひたすらに読み上げていくのです。途中で時々クリスマスの音楽が入りますが。

奇妙に思われるでしょうが、これがアイスランドの人にはお気に入りの「番組」なのです。国民の三分の一は必ず聞き入る、と言われているほどです。




23日のラジオ第一放送の番組表 Jolakvedjurという番組に注意(赤印) 一日中です!

個人的な挨拶の交換に公共の電波を利用するというこの習慣は1951年あたりから始まったようです。実際にはそれ以前からもあったようなのですが、1951年にあるはっきりとした「出来事」があってそれ以来しっかり根を張るようになっていったらしいです。

それはこの年にスウェーデンのストックホルムに留学していたアイスランド人学生らが自分たちで故国の家族宛てにメッセージを吹き込み、それをRUVが放送したのです。これがかなり評判を呼んだようなのです。このことが昨年のクリスマス前にRUVのホームページで紹介されています。

そこで紹介されている実際の例はこんなものです。
「ストックホルムの工業大学で化学を学んでいるグビューズムンドゥル ・パウルマソンです。(ここから本人)ママ、パパ、オーリ、他の親戚やアイスランドにいる友だちの皆さん。心からのクリスマスと新年の挨拶を、この一年の感謝と共に送ります。僕はここで元気にしてます。みんなも元気で!」

当時のアマチュア録音ですから、周囲の雑音が入ったりしていますが、逆に生活感があります。今のようにスカイプもなければEメイルもない。国際電話でさえ庶民の手には届かない。郵便でさえ何週間もかかる。というような時代にこのようにして肉声を伝えようとしたことを思いながら聞いていると、なぜか涙が出てきてしまいます。実際に放送を聞いたグビューズムンドゥル君の家族はどんな思いでこの挨拶を聞いたのでしょうか?

実際に1951年の放送を聞いて見たい方はこちら


結局、これがアイスランドなんだと思います。この人のつながりというか、田舎独特?の結束の固さというか、「だからなんだ」ということではなくて、「どこどこの誰が誰に挨拶を送っている」ということ自体が興味あることで、面白いことなのです。

「時代がかっているなあ。今のネット時代には不要だろ?」と普通は思いますよね?ところがです。それが違うのです。今年寄せられた挨拶は全部で3200件。昨年の2700件を五百も上回って史上最高なのだそうです。しかも若い世代からの挨拶が増えているとか。

第一放送では二十三日だけでは読み切れなくなってきたので、二年ほど前から二十二日から挨拶を読み始めるように「枠」を拡大してさえいるのです。

ちなみにこれは無料ではありません。挨拶を申し込む人はきちんと料金を払わなくてはなりません。税込みで一語323クローネ。先ほどのストックホルムのグビューズムンドゥル君の例を取ると、これは原語で39語に相当しますので12597クローネ。決して安くはないですよ。

現代にあえてこういう時代が買った挨拶を、一万クローネを投入して選ぼうというアイスランド人。 人間というのは、というかアイスランド人というのは不思議なものですねえ。でも正直言って、分からなくはない気がします。ワタシもアイスランド化が進行しているのかも...
まあ、それはそれ。

改めまして、レイキャビクのToshiki Tomaから挨拶です。
日本の皆さん、アイスランド在住中の皆さん、平和で暖かいクリスマスの願いを送ります。正視できないような現実に取り囲まれている私たちですが、クリスマスは本来そのような現実の中での人の救いをもたらすものであることを信じます。ここからまた歩を進めましょう。グレリヨール。


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ハットゥルグリームルのクリスマス

2014-12-21 05:00:00 | 日記
クリスマス目前となりました。あさっての火曜日二十三日がソルラウクス・メサというクリスマスの前夜祭的な一日で、翌日の午後から祝日へ移行しクリスマス・イブから続く二日間がお休み。クリスマスの祭りは年をまたいで一月の六日までの二週間ほど続きます。

ソルラウクス・メサについてはこちら。


さて、アイスランドではクリスマス前に新刊本が続々と書店に並ぶという面白い文化があります。その中の一冊に「ハットゥルグリームルのクリスマス」という子供向きの一冊があります。先日のモルグンブラウズィズ紙に紹介記事が出ていたのですが、ちょうど良いタイミングなのでその本の主人公であるハットゥルグリームル・ピエトュルスソンについて書いてみたいと思います。

アイスランド人で世界的に知られた人というはそうは多くないと思いますが、今のビョルクや1955年にノーベル文学賞を受賞したハルドール・ラクスネスなどはそこに含まれるのでしょうね。

少し時代を遡ると十九世紀のヨナス・ハットゥルグリームスソンというアイスランド語の守護神のような詩人がいました。そしてさらに遡っていくと、十七世紀に生を受けたハットゥルグリームル・ピエトュルスソンという人が出てきます。

この人は牧師でしたが、それよりも詩人として知られており、特に1650年代に編んだPassiusalmar「パッシウサウルマー」というキリストの十字架の受難の物語を詠んだ連作詩はアイスランド史上の文学的宝として評価されており、北欧各国でもよく知られています。

ハットゥルグリームルは1614年に北部のスカーガフョルズルという海岸沿いの地域で生まれ、その後の幼年時代をホーラルという生地からそう遠くない場所で過ごしました。このホーラルにはアイスランドの北部を管轄する教会監督の司教座教会が設けられています。

前述の子供向け本の「ハットゥルグリームルのクリスマス」ですが、このホーラルでの時期の生活が土台になっているようです。(私自身読んでいませんので新聞やラジオからの情報です。悪しからず。m(_ _)m ) ちなみに本の著者はステインヌン・ヨハネスドティールという女性で著作業のかたわら舞台女優も兼業しています。(詳しくは言いませんが、いろいろと私とは意見を異にしているおばはんです)




ハットゥルグリームル・ピエトュルスソン
Mundin er ur Landssaga.is


ハットゥルグリームルより少し先に世に出た人でエイナル・シーグルズスソンという人がいたのですが、この人が作った詩に曲がついたとても古い讃美歌があります。アイスランドの伝統的な韻を踏むVisaヴィーサという形式でとても「語呂」がいいもので、今でも必ずクリスマスの時期に歌います。「子供から大人までみんなが知っている」といっていいものです。

ハットゥルグリームルのお母さんは、この讃美歌を子守唄代わりに歌っていたという逸話が残っています。この讃美歌、オリジナルはなんと二十八節まであったそうで、一日に一節を歌ってあげたとか。「今の子供向けのクリスマス・ ダーガタル(お菓子付き箱型カレンダーで、毎日その日付けの下に小さなお菓子が入っている)」とステイヌン女史は語っています。その効果があったのか?ハットゥルグリームルは子供の頃からヴィーサを編むのがとても得意だったと伝えられています。

それでもすぐに詩人になったわけではなく、青年期には鍛冶仕事を習っていました。デンマークあるいは北部ドイツに鍛冶留学に出たこともあったようです。そこで出会ったのがブリニンヨウブル・スヴェインスソンという人で、この人は後にアイスランド教会の監督となるのですが、ハットゥルグリームルの詩人としての才能を高く買っていて、生涯サポーターとなったのでした。

ハットゥルグリームルにはバイロン的なところがあったのか知りませんが、コペンハーゲンで出会ったグビューズリーズルという十六も年上の人妻と恋に落ちます。もっともその時点で彼女の旦那さんはどこかへ消えていたようなので、無謀な横恋慕というわけでもなかったようです。

ふたりはアイスランドに戻り、ニャルヴィークという今のケフラビーク空港に近い港町に住みますが、この時グビューリーズルはふたりの第一子を身ごもっていました。そしてハットゥルグリームルは牧師候補生としての教育は修了していなかったのですが、ブリンヨウルブル監督の後押しで、ニャルビーク近くの教会の牧師に就任します。無理やりー?

数年後に家族はレイキャビク近郊のクヴァーラフョルズル(鯨フィヨルド)にあるソイルバイルに移ります。そしてそこで世に残ることになる「パシウサウルマー」を編みました。この受難詩集は1666年にドイツで印刷され出版されました。

パシウサウルマーの詩もヴィーサで書かれているのですが、この詩形は語呂が良いために昔から讃美歌によく用いられています。彼の詩の多くが現在でも頻繁に歌われる讃美歌として、現代の讃美歌集に納められています。

現在、アイスランドには彼がパシウサウルマーを編んだソイルバイル、レイキャビク郊外のヴィンダウスフリーズ、そしてレイキャビクの真ん中の丘の上とみっつの「ハットゥルグリームルの教会」があり彼の名を讃えています。レイキャビクを訪れた方なら必ず市の中心のハットゥルグリームス教会にも足を運ばれたはずです。




市の中心のハットゥルグリームス教会
The photo was taken by Jon Bjarni Jonsson

ハットゥルグリームルは1614年生まれたと書きました。つまり今年は彼の生誕四百年記念の年だったのです。あちこちで記念のイベントが持たれたりしましたが、とりわけこの市の中心のハットゥルグリームス教会では、十月末の一週間が「ハットゥルグリームル祭り」として祝われ音楽会や詩の朗読会が開催されていました。

四百年後にその人を讃えての記念イベントが持たれるというのは、やはりたいしたことなのでしょうね。ピンと来ませんが。四百年前のアイスランドの生活というのは想像するだけでも身体が震えてきます。ワクワクしてではなくて、寒そうで、です。

ステイヌン女史の話しでは、当時はヨーラバーズ、つまり「クリスマス風呂」というのがあってお風呂に入るのが大切な行事だったようです。そうでもなければ風呂にも入れなかった...? 「今の人でよかった」と思う今日この頃でありました... 


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日は東から昇り西に沈む...?

2014-12-14 05:00:00 | 日記
始めにお断りしておきますが、今回のブログは何の足しにもならないしょうもないばか話しです。そのつもりで読んでくださいね。m(_ _)m

私は知らない住所を訪ねたり探しあてたりするのが割りと得意なタイプです。得意というよりはクイズを解くようなもので、そういうことは結構好きなのです。

ですがその半面で、「こっちが東、あちらが南」のような単純な方角判断では決定的に間違えることがよくあります。間違えるだけではなくて、一度例えば「こちらが東」とかいうイメージを持ってしまうと、間違いが判明した後でもそれをなかなか修正できないのです。

例えば成田です。私はどうしても北ウイングと南ウイングが入れ違っているように思えてなりません。その理由は簡単で、私には成田第一ターミナルの正面入り口は西に向いているとずーっと信じてきているからです。

なぜそうかというと、「東京から千葉へ向かっていって、高速を降りて右側が成田空港」という超〜単純なイメージを持ち続けてしまっているからだと思います。

さらに輪をかけて頑固な思い違いがJR札幌駅の北と南です。これも私の頭の中では百八十度入れ違ってしまっています。これも初めのイメージが原因だと思います。

というのは、札幌駅は南口の方が大通り公園やすすきのに続いていて栄えています。北口は北大につながり、どちらかというと静かなのです。

ところが私が生まれ育った町、八王子は北口が栄え南口は貧弱でした。ここ数年で変わってきていますが、私が育った期間はそうだったのです。で、私の頭には「栄えているのは北口、寂れて?いるのは南口」という「一般的」図式が固まってしまったようです。

私が札幌に滞在中の定宿である「サンルート札幌」は北口の東側にあります。にもかかわらず駅で南口の西口へ足を運んでしまったのは二度や三度ではありません。

これは実際に地図を見て何度も頭の中の図式を変更しようとしたのですが、難しいですねえ。千歳へ向かう電車が予想とは反対側から入ってきてどぎまぎすることが未だにあります。トホッ...

さて、このような愚にもつかない話しをなぜしたかというと、それがさらに愚にもつかない発見へと続くからです。

私は今の西街の古アパートにこれまで十五年間住んでいます。寝室兼仕事部屋に大き目の窓があり北を向いています。その窓に向かってデスクがあります。つまり私は窓に向かって座るわけです。目をあげると北へ続く空が見えます。過去十五年間そうでした。

ところが最近、iPhoneについているコンパスを試してみると北がまったく違う方向を示して居るではありませんか! 「住居の中では磁石は正常に作用しないことが多い」と聞いていましたが、念のためGoogle Earthで確かめる事にしました。

寝室の窓は、家の前の通りと平行になっていますので、Googleの地図で自宅付近を拡大し、その通りが左右に水平になるように「地球」を回してみました。何度か微調整をしてその結果は...

窓は北ではなく、ほぼ東を向いていました... 私は十五年間ほぼ九十度ねじ曲がった世界に住んでいたのです。正直言って相当自分のノーテンキに呆れてしまいました。




自宅からの氷河と夕陽 これが西! と思いますよね?


「現象には必ず原因がある」と福山雅治の湯川准教授はいつも言っていました。で、なぜこういう間違った先入観を持っていたのか考えてみました。私の調査?ではふたつの原因が重なり合った結果、ということになりました。

その一はスナイフェトゥルネス氷河です。これはアイスランドの西の端にある氷河で、私の頭の中ではこれが「西」のランドマークのようになっています。この氷河は私の古アパートのベランダから見えます。そしてその故に私はその方角が「西」と思ったわけです。

そしてさらにふたつ目の原因。夏には太陽がその氷河の辺りに沈みます。きれいな夕焼けを見ることができます。「太陽は西に沈む」普遍の事象の代表選手でしょう。で、決定的に私の頭の中にベランダから見える氷河の方向が「西」になってしまいました。そうすると窓の外は北になる位置関係なのです。

ところがアバウトではなくて正確に地図で確認すると、アイスランドの西の端にあるスナイフェトゥルネス氷河は私のアパートからは北寄りの西北(北北西)にあることが分かりました。そしてアイスランドの太陽は、夏期にはほぼ北から昇り、そしてまた北に沈んでいくのでした...

この十五年間に渡る 九十度の誤差を、現在修正中ですが果たして可能なものかどうか。

あまりに呆れたのでFacebookに書いたのですが、フリェッタブラーズィズ紙が電話してきて、なんとネットの記事になりました。かくしてワタシは世間の笑い物となったのでありました。

Frettabladid/Visirでの扱いはこちら


まあ、こんな話しがニュースになるというのもアイスランド的ですが。トホッ...


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家なき子とおばあさん天使たち

2014-12-07 05:00:00 | 日記
今回は先週のモルグンブラウズ紙のニュースからお伝えします。

アイスランド、特にレイキャビクでは住宅問題が深刻であることは以前にも書いたことがあります。五年前の経済崩壊と通貨暴落のあおりを受けて、住宅ローンが天文学的な額に急騰しました。

大きな家に住んでいた人たちが中くらいの住宅に移ったり、中くらいの家に住んでいた人は小さな家に移ったりして財政難を切り抜けようとしたのですが、ローンが返済できず銀行に家を差し押さえられてしまったり、借り家を追い出された人が多く出ました。

そこへもってきて観光業の繁盛を機会に、今まで賃貸住宅だった家屋を家主がホテルやゲストハウスにしてしまうケースが相次ぎました。結果としてもともと少なかった賃貸住宅がさらに少なくなってしまいました。

政府は住宅ローンの切り下げを実施中ですし、レイキャビク市は賃貸住宅の増加の方針を打ち出していますが、「今日の明日」というわけにはいきません。本当に「路頭に迷う」人が出始めてしまうようになってきているのです。
その前提での以下の報道です。

始めのニュースは小さい記事でした。ラグナ・エルレンドゥスドティールという「シングルマザーが路頭に迷う羽目になってしまった」というものでした。ラグナさんはこれまで三回「社会福祉的住宅」というものに申し込んできたのですがいずれも拒否されてしまったそうです。

「社会福祉的住宅」というのは市が生活困難者のために低額で斡旋するものなのですが、もちろんこれにも数の限りがありますので誰もが住宅を得ることができるわけではありません。

新聞の報道はプライバシーを尊重して、微に入り細に入り説明してはいませんが、ラグナさんは女の子ふたりのお母さんなようです。写真で見ると四十歳ぐらいで、上の娘さんは中学生、下の子は小学校低学年の感じがします。

ところがこの夏にもうひとりいた娘さんが難病との長い闘病生活の末、この夏に亡くなってしまったとのこと。そういう事情であったらなら、ラグナさんが働くだけ働く、という生活ができなかったことは容易に想像できます。あくまでも想像ですが。

ここしばらくは臨時の仮住まい住宅をあてがわれていたようですが、それも期限切れになり、先々週の週末からゲストハウスに滞在しているとの内容でした。「クリスマス前の時期に(自宅ではなく)ゲストハウスに宿泊しなければならないのは残念です。ここはシングルマザーのためのシェルターでもなければ、宿泊費が安いわけでもありませんし」とラグナさん。

この報道が流れたのが先週の月曜日(十二月一日)でした。そしてその翌日の新聞に続報が出ました。見出しは「無縁の人が住宅の使用の申し出」月曜日のニュースでラグナさん一家の窮状を知った人が住宅の使用を提供したとのこと。期限つきではありますが無料。

申し出はふたつあったようでひとつは市の東部のブレイズホルトという町の住宅、もうひとつは我が西街の住宅でした。結局ラグナさんは西街の住宅の申し出の方を受け入れたようですが、あくまでも「とりあえず」で今月の二十日までそこに滞在できるとのこと。

その住宅の持ち主はデンマークに住むソルヴェイさんという六十五歳の看護師の女性で、「クリスマス休暇には甥っ子の家族が滞在することになっているので、クリスマス期間中はずっとというわけにはいかないが、年明けにはまた住んでもらうことも考えられる」と語っています。

さらにその翌日、三日の水曜日の続報です。見出しは「ラグナさんにロットーの一部を寄付」レイキャビク出身で現在は老人ホームに住む年配の女性で、この方は匿名を希望しているそうなのですが、ニュースを見て自分が当たったロットーの賞金の中から五十万クローネをラグナさんに寄付したとのこと。

この老婦人はモルグンブラウズ紙に連絡を取り、ラグナさんの電話番号を得て直接に話を伝えたそうです。「それからすぐにラグナさんの口座に入金しました。今日できることは今日するのが主義で」とその老婦人は語っています。「でも他にも困っている人は大勢いることは知っているし、皆に同じようにできないのは残念ですが」

私は「本来アイスランドというのはこういう社会だったのだろう」と感じます。この老婦人達が慈善家気取りで援助を申し出たとは思いません。そうではなくて、困っている人がいたら知らない間の人であっても助けようとする、そういう田舎社会の遺産をまだ持っているのだろうと思います。

その一方で現代のアイスランドは、路頭に迷う人が出ても何もしようとしない政府と市政を持っていることも事実です。残念なことですが「普通」の先進国の仲間になってしまっています。市政の多くの部門はガラス張りの新得の高層ビルに入っています。その界隈 で働く人の中にはそこを「ウォール・ストリート」と自称する人たちがいるのだそうです。オイ、バラ! (こちらでの「オエッ」)

社会が発展するのは必然ですし良いことです。「昔」にしがみついてもペイしません。ですがどのように発展させ、何を捨て何を携えていくかの選択はまじめに賢く行ってもらいたいものです。と、いいながらワタシも当事者のひとりですけどね。

ラグナさん母娘にもアドヴェントの光は届いたようです。今回の天使はおばあちゃん天使だったようで。良いクリスマスを過ごしてもらいたいと願います。


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