レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

サッポロ北街ひとり日誌(15−1) 札幌のアイスランド旗

2015-05-31 05:00:00 | 日記
短い間ですが、また札幌に滞在しています。出てきた時のレイキャビクは気温が日中で十度を超えるかどうかというところでした。成田に着くと、なんか五月の夏日記録を更新中とかで、さらに東京は連日三十度を超える真夏日となっていました。

ところがその晩札幌に入るとぐっと涼しく気温は十一度。結局出てきた時と同じかー?

いえいえそんなことはありませんでした。翌朝は気持ちのいい初夏の朝。暑すぎず涼しくはなく、気持ちのいい風。日中は「夏」という感じで気温が上がりますが、夕方からはぐっとしのぎやすくなり、さすが札幌! 気温が上がらないままの涼しさは「しのぎやすい」とは言わず、ただ「夏がない」まんまです。(^-^;

さて、今回は息子(24)とのふたり帰省なのですが、着いた翌日のサッポロ初外食はJR札幌駅に寄り添う「エスタ」というビルの上階にある「ラーメン共和国」の中のラーメン屋さんでした。これはミニテーマパーク的に八店ほどのラーメン屋さんが形成しているレトロ調のラーメン屋さん街です。

塩チャーシューメンを美味しくいただいて「街」を出ようとした時、息子が「アイスランドの旗はないかな?」息子が言ったのは「通り」を飾っているミニ万国旗の飾りのことだったのですが、例のお祭りなのでよく使われる、世界のミニ国旗が数珠繋ぎになっているやつです。

見回すと確かにスウェーデンとノルウェーの旗はあるのですが、アイスランドのものはありません。うーん、でもまあ、デンマークもフィンランドもないし... というわけで、そのまま共和国を後にしました。

ところがその十分後に、札幌駅の地下街にある「北欧」というベーカリーの前を通り過ぎると、その店にも中に万国旗状の飾りがしつらえてあったのですが、これは「北欧諸国旗」でちゃんとアイスランドの国旗も飾られていました。あ〜、よかった。

先日、日本語教室のお母さん方と雑談していた時、北欧国の国旗の話しになり、多くの方が「アイスランドの国旗が一番カッコイイ」ということになっていました。ワタシもそう思います。

フェロー諸島の旗も結構好きなのですが、これは白地に青の縁取りの赤十字架。アイスランドはご承知(でありますよう)の如く青地に白の縁取りの赤十字架です。青は青空の青、白は雪の白、そして赤は火山の火の赤をシンボルしています。

アイスランド国旗は正式にはIslenski Faninnイースレンスキ•ファウニンと呼ばれ、意味は「アイスランドの旗」でマンマです。

1915年の6月19日にデンマーク王国の王決定により認められ、1944年6月17日の独立時の法によって国旗と定められ、8月の24日に発効しました。国旗ですので、その取り扱いについても定めがあります。

朝は午前七時より早く掲げてはならず、日没または午前零時を過ぎて掲げてもなりません。「日没まで」ではなく「日没または午前零時まで」としているのがいかにもアイスランド的でしょうか?旗の左右の比率なども規定されていますが、面白くもないので割愛します。




アイスランド大統領の旗


ところで国旗には兄弟旗があります。「アイスランド国家の旗」というものがあるのです。国旗と「国家の旗」とどこか違うのかいまいち不明なのですが、おそらく「国民の旗」に対しての「統治機構としての国家の旗」ということであろうと思います。機会をみてきちんと調べておきます。

形態的には「国家の旗」は国旗の右端の側が大きく三角にえぐられており、つまり旗が長方形ではなく、右側が魚の尻尾のようになっています。

もうひとつの兄弟旗は「アイスランド大統領の旗」で、これは「国家の旗」の真ん中にRikisskjaldarmerkiリーキススキャルダメルキという、昔から使われてきたアイスランドの公式エンブレムがあしらわれています。

このエンブレムは「スノリのエッダ」というアイスランドの歴史上重要な文学の伝説/神話/逸話に基いていて、「このエンブレムのおじさんは誰だ?あの牛はなんだ?ということになるのですが、それはそれで十分一回分のネタですので、いずれまた。

さらにもうひとつ国旗の兄弟旗。これは「国家の旗」と同じものの左上方に「T」の字が一文字大きく入っています。この「T」はTollgaeslanトットゥルギャイスランの頭文字なのですが、税関です。




アイスランド税関旗?!


税関が国旗もどきの旗を持っているとは今まで知りませんでした。なぜなんでしょうね?自らの正体を明確にしておかないと困るような、国際的な闘争?に接しているからでしょうか?きちんと調べてみないとわからないようです。

積み残し課題の多くなってしまった今回ですが、これも旅の出先上のことですのでご容赦を。


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愛情表現のカルチャーショック

2015-05-24 05:00:00 | 日記
当たり前の話しですが、文化の違いというものは確かにあります。アイスランドに移ってから、その文化の違いにとまどったり、腹を立てたりしたことは一度や二度ではありません。いわゆる「カルチャーショック」というヤツです。

もう二十年もこちらに住んでいますので、ある程度は慣れてきましたが、それでもいまだに「??」とびっくりさせられることがあります。そこには単にアイスランドと日本の文化の違いということだけではなく、アイスランドの中での古い?文化から新しい文化への変化、というようなものも含まれていると思います。これは日本でも同じでしょうね。

私などは特にもう長く日本を離れているのにかかわらず、「日本はこうだ」という二十年も前のイメージを持ち続けていますので、現在の日本文化のありようと自分の理解が乖離してしまっている点もあります。

例えば食事やお茶をした際には「年長の者、もしくはポジションが上の者がおごるのが当然」というようものが私がサラリーマンをしていた頃の文化でした。そうはいかない場合でも「割り勘」が最低の年長者のたしなみ?でした。

それが今では若い人はそのような形で「恩を売られる」のが嫌だそうで、自分の分はちゃんと自分で払うようになっているとか。これは聞いた話なので、確かめてはいないのですが、本当にそういう風になっているのでしょうか?

たまにこちらで日本から観光や留学に来ている若い人とお茶をして、その勘定をみてあげると「ええ、いいですよー」とか本当にびっくりしていることがありますので、多分「勘定文化」は変わってしまったのでしょうね、実際に。

さて、私がこちらに移ってからこちらの文化に適応した、という面もいくつもあります。「Yes,Noをそのまま受け取る」とか「お酒をしつこく勧めない」とかもそのうちです。これらなどは、帰省した際に逆カルチャーショックになり得ます。気をつけないと「外国かぶれしたヤツだ」などとヒンシュクを買ってしまうかもしれません。

ですが、そういう危険を考慮した上でも「これはもう再適応するつもりはない」というようなものもあります。そのうちの際たるものは「自分の家族について悪くいわない」ということです。

日本の文化では「自分の身内を賤しめて言う」というものがありますね。「身内」というのは実際の血縁関係に限らず、会社や類似の組織団体も含まれることがあります。

自分の子供を「出来が悪いのばかりで」とか自分の伴侶を「愚妻でして」「駄目亭主で」とか言ったりするのが普通だったします。私自身を振り返っても親に褒められた、というのはほとんど記憶にございません、という感じです。

褒められるにふさわしいようなことをした時でも「あんたはまだまだ」とかですまされてきました。新しいバイトで初給料をもらっても「あんた、お金もらってきたの?」といかにも給料に値しない仕事しかできない風情であしらわれたことがあります。

こういうものはアイスランドにはありません。子供は親のことを良く言いますし、親も子供のことをきちんと評価します。「自慢する」というのとは少し違います。賞賛に値することをした時にそれをきちんと賞賛する、感謝にふさわしいことをした時にそれを素直に感謝する、とでもいえばいいでしょうか?

私はこの点に関しては両手を挙げてアイスランド派です。きちんと褒めること、賞賛されることはとても大切なことです。人間関係の基礎にもなります。「身内を賤しめて謙遜を示す」とか「それもまた愛情表現」とかを認める気持ちはまったくありません。そんなのはただ単にTwisted、だと言いたい!

ただ、これも最近は変わってきているのでしょうね。Facebookなどで若いお父さんお母さんが自分の子供の活躍を自慢げにアップしているのをよく見ますから。正常です。そうあるべきだと思います。

ただこれもタイムリーですよ、というか「そうすべき時に」という枠組みはあると思います。枠組みのない愛情表現には辟易させられることもありますから。

仲のいい夫婦なのですが、のべつイチャイチャして公の会議何度でも手を取り合って、何か意見を述べた後はキスし合ってとかしているカップルがあります。私の友達ですし、悪いことをしているわけではないのだけど、見ていてウンザリします。

まあ、ひがみだけど...


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教会の夏休み

2015-05-17 05:00:00 | 日記
キリスト教の教会についてどのようなイメージを持っていらっしゃるでしょうか?一般に日本での教会のイメージは ー映画やテレビの影響だと思うのですがー カトリック教会的なイメージで、昼夜を問わず開いていて、祈りを捧げたい人がいつでも自由に入っていって時間を過ごすことができるところ、というようなものではないかと想像します。

私がこちらへ移ってまだ間もない頃、いろいろと頭にくることがあり、ストレスが溜まりきっていた時期があります。ある夏の夜に「祈りに行こう」と思い近所のカトリックの教会へ行きました。夏は夜でも明るいので出やすかったのですが、なんと玄関の扉が施錠されているではありませんか! さらに頭にきました!

後日、神父さんに会った機会になぜ夜間閉まっているのかと問うと「いやあ、結構盗難とかが多いんですよ」とのことでした。いったい何がを盗まれるのかよくわかりませんでしたが、責め立てたくはなかったのでそれ以上深追いはしませんでした。

夜施錠されるくらいは、ある意味では常識的なことかもしれません。盗難以外にも麻薬使用者がたむろしたりとか、マイナスの効果も確かに現実にあり得ますので、それはまだわかります。

しかし、ここの教会にはもっとびっくりすることがあります。夏休みがあるのです。「夏休みって?」と思われるでしょう。文字のごとく夏のある一定期間教会がクローズドになり、営業? を休止するのです。

これは私のように日本の教会に慣れ親しんだ人間にとっては、正直「ショエーッ!!」という感覚でした、始めは。日本の教会ではおよそ考えられないことでしょう(といいながら、もう二十年以上離れてますので、今は違っているのかもしれませんが)。

「根性がない」「どういう理屈だ?」「神様は夏休みに行かないだろ?」
などと私もさんざん悪態をつきましたが、こちらの生活のペースを理解し始めてからはわかるようになってきました。もっともまったく問題がないと思っているわけでもありません。

もうちょっと具体的にいいますと、レイキャビク周辺のいくつかの教会がたとえば七月中は完全に閉まってしまいます。理由のひとつは牧師さんやオルガニスト、クワイアのメンバーなどが夏休みに行ってしまい、通常の活動を維持することができなくなるということです。

理由の第二はやはり教会に出席する人も夏は少なくなる、という事実です。ノルウェーの教会をよく知っている友人とこの問題を話し合った時、彼が言ったのは「トシキ、ノルウェーの田舎の町では、夏には人がいなくなるよ。だから教会も閉まっちゃうよ」ノルウェーよ、お前もか!?




夏休みのある教会のひとつ ロイガネス教会


というわけで、レイキャビクのある数の教会が夏にはクローズドになります。ただ、ここでレイキャビクの別の特徴に触れる必要があります。この市の周辺には教会が多いのです。

ここでは「人口五千人につき教会がひとつあるように」という法に基いて教会が建てられてきました。その結果、教会がかなりあちこちに建っています。これは想像ですが、多分アメリカならひとつの教区というところに七つ八つの教会があるのではないかと思います。

ですから、ある地域にみっつある教会のひとつが開いていれば、あとのふたつが夏休みになっても「実害」というものは少ないのです。実際に「休みの間はこちらの教会へ」というような形で、まったくのブラックホールができないような態勢を取っています。

「いやあ、でも実害とかはなくても、信仰心の問題だろう?」という向きもあるでしょう。それは確かにそうですね。日本の牧師先生方は一年中を通して、たとえ休み中であっても必ず日曜礼拝には参加されるでしょう。

こちらの牧師さんたちはそういう点はやはりスカンジナビア人です(アイスランドは厳密にはスカンジナビアではありませんが)。「休みは休み」といった風情であっけらかんとしています。実はワタシもそうなりました。

日本の教会とアイスランドの教会では、同じキリスト教会(しかも同じルーテル教会を比べても)でもかなりの違いがあります。どちらがいい、というようなことはいちがいには言えません。どちらからも学ぶことができるしょう。

日本の教会は小さくてもエネルギーがありあますが、その分ピリピリして意固地なところがあります。アイスランドの教会はその点おおらかでリラックスしていますが、その分適当に流れてしまう危険があります。

ただこれは、その真っ只中にいる人たちにとっては気がつきがたい問題なので、ワタシのような外様が指摘する必要があることでもあります。と、いうわけで、どうか日本の教会の皆さん、お気を悪くされませんよう。

アイスランドの教会の皆さんも、といってもあんた方は読めないか...(*^^*)


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マルチカルチュラル デー in Reykjavik

2015-05-10 05:00:00 | 日記
毎年五月の第二週の土曜日はレイキャビク市の「Multi-cultural Day」に定められています。今年は昨日の土曜日がマルチカルチュラルデーだったわけです。

今年で七回目、ということで経済恐慌に見舞われた直後の2009年から始められました。もっともこれには前史があり、2002、3年頃からレイキャビクとその周辺の町々の間でThodahatidショーザハウティーズ「国々の祭り」というものが持たれていました。

その頃は、それらの地方自治体が出資して設立されたAlthodahusアルショーザフース「インターナショナルハウス」というマルチカルチャーを推進する施設がありましたので、そこが中心になってこのお祭りを企画していました。

私はこのアルショーザフースにはその母体であったMidstod Nybuaミズストーズ・ニーブア「ニーブア(新居住者)センター」の頃から協力関係にあったので、これら一連のお祭りには始めから関わってきました。

ちなみにアイスランドではThodarhatidという人気の祭りがあり、毎年八月の最初の週末にウェストマン諸島という島で飲めや歌えやの馬鹿騒ぎをします。このThodarhatidは「国民の祭り」という意味なのですが、ThodarがThodaになると複数形となり「諸国民/国々の祭り」になります。これは「国々の祭り」の方が「国民の祭り」を模してつけた名称でした。

Althodahusのディレクターだったエイナル ・スクーラソンという人が私の友人なのですが、恐慌に見舞われ財政難で先行きが悪くなる以前から市に働きかけて「マルチカルチュラルデー」の設定を勧めていたのでした。

結局Althodahusは2010年に解散してしまいましたが、マルチカルチュラルデーの方は生き残ったわけです。

この日の説明的なことは以前にも書いたことがあります。そちらも見てみてくれると嬉しいです。

フョルメンニンガ-ダーグル In Reykjavik



さて、二年前のブログでも書いたように、私はエキゾチックな料理をつまんで、衣装やダンスを鑑賞して、というだけでは大した意味のあるイベントではない、と思ってきました。始めはそれでいいでしょうが、そこから進まなかったら何も変わっていないということになります。

ですが、幸いにももっと深く突っ込んで「マルチカルチャー」を考えよう、という向きもあちこちに見え始めました。その中で、今年私が一番嬉しく期待しているのがIdentities in Transition「変遷の中のアイデンティティ」とでもいうのでしょうか?

実際にはマルチカルチュラルデーの公式プログラムには申し込みが遅く入れなかったとのことですが、「精神は連帯しているから」とのことです。

これはListahaskolinn Islandsリスタハウスコリン•イスランズ「アイスランド芸術大学」の学生八人が企画しているプロジェクトです。この八人のうち四人は外国からの留学生。ついでに残りのアイスランド人四人の中のひとりが私の息子です。

このプロジェクトはもともとこのお祭りの為のものではなく、年度を通しての課題で「アイスランドの社会に対してどのような良い変革を提案できるか?」ということから始まって、難民の問題を考えよう、という風に発展してきたものだそうです。

それで実際に難民の人たちを訪問して話しを聞いたり、ビデオを撮ったりしています。難民の人たちのプライバシーにはひときわ気を遣わなければならないのですが、そういったこともあり私も(出過ぎないように)援助しています。

最終的にはなにか短編のドキュメンタリー的なものを作りたいようなのですが、決定はしていないとか。前日の金曜日には私のいる教会のキッチンを借りて、学生さんたちと二十余名の難民の人たちが一緒にクスクスとナンを作って食べていました。

そして祭りの当日にはダウンタウンで、お客さんにスープを振る舞いながら、難民の人たちとも話し合えるオープンカフェのようなものを開いたのでした。



美大の学生さんたちのプロジェクト会場 Kaffistofa


会場は今は使われていない一軒家なのですが、これは美大の持ち物で学生の作品のエキシビションなどによく使われているものです。前庭にスープの屋台を出して、庭では難民の人と通りがかりの人とが話しをしたりできるスペース。中ではそれまでのインタビューなどから、短い短編の紹介フィルムを上映しました。

題材からして行列ができるような賑わいにはなりませんでしたが、実によくお客さんが来ていたようです。学生さんたちも満足していましたし、さらにやる気を掻き立てられていたようです。

ちなみにマルチカルチュラルデーの本会場である市庁舎の方では「芋を洗う」ような人混みでした。いろいろな国の料理の試食や音楽、文化紹介。それはそれで楽しいものです。

今回は確かな「一歩前進」があったので、心安くそれらを楽しむことができました。(*^^*)


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アイスランド旅行 事故と病気ノーサンキュー

2015-05-03 05:00:00 | 日記
このブログを始めてから二年半ほどが経ちますが、時折アイスランド旅行を考えている日本人の方から旅行の計画や「見どころ」などについての質問を受けることがあります。

わかる範囲でお答えするようにしていますが、私自身は観光業界にいるわけではありませんので、実際にどれだけお役に立てているかは疑問です。ですが、ひとつだけ必ずアドヴァイスすることがあります。それは「レンタカーを使う場合はくれぐれも気をつけて」ということです。

実際冬場の場合は「止めた方がいい」とはっきりとアドヴァイスしています。旅行者がレンタカーで雪にはまったり、視界不良で立ち往生してしまったりということはかなりの件数があるように思われます。

また、事故を起こすということもあります。邦人の方だけに限って言いますと、私が知っている範囲では事故に巻き込まれる、ではなくて「事故を起こしてしまった」というものばかりです。

今回は少し邦人の方がこちらで事故を起こしてしまったり、病気になってしまったりという事例についてご紹介してみたいと思います。

私は職業的に牧師であることと、決して数が多いわけではない在住日本人ということが重なって、こちらで邦人の方が事故で怪我をしたり病気で入院したりする際に、通訳やお見舞いで関わらせていただくことがよくあります。

実はつい最近もそのようなことがあったのですが、あまり最近のことを取り上げるのはよくないと思いますので、すでに何年か経っているものだけに限らさせていただきます。

事故ですぐ思い出すのはもう六年くらい前ですが、青年の方の運転するレンタカーが、田舎道で道を外れて横転してしまったものでした。首の骨にヒビが入り、ヘリコプターで病院に搬送されました。

その時はすぐに通訳として呼ばれましたが、その後数日は見舞い兼実際的なことのお手伝いとなりました。幸いなことに大事にはいたらず(首の骨にヒビが入るのを「大事」と見なさないならばですが)、一週間後くらいにひとりで帰国できました。

その他、数年前には冬場にレンタカーでスリップをして、これも横転事故を起こし肋骨を八ヶ所も折ってしまった男性がありました。この方もやはり一週間くらいで滞在先の米国へ帰られました。

アイスランドは冬はもちろんですが、夏でものんびりしすぎて運転に緊張感がなくなり事故ってしまうことがあります。こちらで運転される方、冗談ではなくて十分に気をつけてください。

事故にはいろいろあります。落馬して骨折した方もありましたし、ちょっと変わった例としては、マグロ漁船の漁師の方が凍ったマグロを足の上に落としてしまい骨折、というのもありました。マグロの大きさを考えるとこれも冗談ではないですね。

事故に比べて病気で入院、というケースは三四倍多いと言っていいでしょう。これもいろいろあります。

一番よく覚えているのはまだ二十代前半の若者がこちらに滞在中に精神的な病いを発病してしまったことです。町中の本屋さんで「重力に引っ張られて」倒れ込んでしまったのです。

私はその若者が滞在していたホテルから「様子を見てあげてくれないか」と頼まれ出かけていったのですが、別に何の権限もありませんので無理に会うことはできません。実際、その際は一度「必要ありません」と会うのを拒否されたのですが、二時間後くらいに電話で「やはり話したい」と呼び返されました。

その後病院に移され、保険会社との連絡や日本のご家族との連絡も手伝うことになりました。二週間くらいしてからフランス人のお医者さんと看護士さん(どちらもあでやかな女性でした)がやってきて同伴で日本へ帰国しました。

もう十五年以上前のことでしたが、今では元気にされていることを願います。

その他にブルーラグーンで心臓発作を起こされたおじいさんや、「痔」からくる出血で「伝染性の下痢」を疑われて隔離されてしまった方もありました。

タフだった例は遠洋漁船の漁師さんが重度のうつ病になってしまった時です。漁船はその方を置いて出航してしまいましたし、アイスランド語はもちろん、英語もまったくできない方でしたので、毎日見舞いに行くことになりました。

本当に重度の鬱でしたので、コミュニケーションが難しくこちらも相当疲れました。そして帰国されるまでなんと三ヶ月近く入院していたのです。帰国されてからこちらの方が鬱になりました。

事故や病気で関わった際にひとつルールにしていることがあります。きちんと帰国されたことを確認できたら、それ以後は一切連絡をしないことです。一応日本での連絡先は控えているのですが、「あの時お世話してあげたんだよ」的な関わりを持ちたくないからです。

こちらにいる時にはできることはきちんとしてあげ(るように努め)、帰国されたらそちらの治療なりサポートシステムを信頼するようにしています。もちろんしばらくの間はその方たちのためにお祈りしますけどね。

できるなら元気で楽しい環境で知り合いになりたいものです。こちらへ来られる予定の方、事故を起こしたり、病気になったりしないようくれぐれも気をつけてください。そして保険も忘れずに!


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