北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。
アイスランドは日本と違い、コンピューターのハードウェアやモーバイルフォーンを自前で生産することはできません。ハイテク関連だけではなく、自動車から腕時計まで、ほぼ「工業製品」はすべて輸入に頼っています。当然単価は生産国よりは高くなります。
人口三十万強の国ですからね、仕方ないとは思います。その分、排煙や工場騒音、さらにいえば大型ダンプの往来なども少ないので得をしている面もあります。私は数年間を東海市に天白川を挟んで隣接する名古屋の南区で過ごしましたので、この点は身にしみて感じます。
ところがそのアイスランドも、コンピューターやスマートフォンの「利用」に関しては非常に盛んになっており、それらが「日常、身近にある国」としてなら多分世界のトップ20入りをするのではないかと思います。高校によっては生徒にiPadを配ってたりしますから。
ところがその利用の仕方について、時々日本とアイスランドで微妙な違いがあったりするのに気付かされたりすることがあります。私も日本のジョーシキからは随分ずれてしまっていますので、「アイスランドではこうなんだから、日本でもそうに違いない」と思い込んでしまっていることが多いのです。
一昨年に帰国した時だったと思います。朝のワイドショーで「携帯で相手の電話番号だけで短いメッセージを送ることのできるSMSサービスがXXの系列で始まります」と伝えていたのです。「えっ!? 今までなかったんだ」とチョーびっくりしました。
このSMSというのはShort Message Service のことで、ワイドショーが伝えていた通り、相手の携帯の番号宛に、七十文字程度の短いメッセージを送ることができる機能、サービスです。今では七十文字、という制限はなくなっている場合が多いと思います。
アイスランドではこの機能はほとんど携帯が普及したのと同時に使われ始めていたと思います。相手が電話に出れない状態でもお構いなくメッセージを遅れるので、非常に便利なのです。
こんな感じです、SMS
で、あまりに日常的に使っているものなので、当然日本でも同じだろうと思い、深く考えたことさえありませんでした。
「なぜ、日本では使わなかったのだろう?」と考えたのですが、想像するに日本では携帯メイルが早くから普及し、特にSMSの必要がなかったからではないか、と思います。
こちらでは逆に、携帯のメイルというものは最近になってスマートフォンが主力なってくるまではほとんど使われていなかった、というよりは使えなかったものです。
ついでですが、日本のメイルのアドレスは異様に長くて難しいものが多いですよね。こちらではなるべく短く、わかりやすいアドレスが好まれます。これも想像するには、日本では他人にメルアドを推察されたり、迷惑メイルを受けるのは避けるために、無理に難しくしているのではありませんか?当てずっぽうですが。
さて、SMSですが、私は「チヨー」の付く利用者です、特に最近は。昨夏赤十字の難民の人たちとのオープンハウスのボラの責任者代理を務めたのですが、その際、毎回人々にSMSを送るマニュアルがあったのです。
で、一回のオープンハウスのの前に送るSMSが大体100本くらい。七月のSMSは確か六百を超え、一万クローナくらい余計に電話代を払う憂き目に会いました。赤十字のスタッフは「伝票、プリントしてくれたら払うわよ」と優しく言ってくれましたが、ボラの意地で自腹しました。
ところで、これは人との繋がりを保つには結構効き目がある作戦?だと判明しましたので、自分のところの教会の活動などでもSMSを集会前に送ることを始めました。それが今でも続いているわけです。毎月五百本以上送ります。
「でも、今はMessengerとか、他の無料のオンラインメッセージがあるじゃん」という声も聞かれましょうが、皆が一様に使っているアプリとはそんなにあるものではありません。特に難民の人たちのように経済力が限られている人たちの場合には、「携帯電話番号」に勝る主力武器はないのです。
SMSは送ったきりで、「相手は読むものだ」という見切りの上に成り立ちますが、これもマイナスというよりはプラスですよ。あのMessengerのように、相手が読んだかどうかわかかってしまうというのは、果たしていいことなのでしょうか?
気に入ってる女の子のメッセージ送ったのに「まだ、読んでくれていない」読んだくせに「返事をくれない」ことのイライラとフラストレーションはハンパないッスよね。って、オレだけか?(^-^;
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今日は「夢」についてです。夢といっても「将来の夢」「人生の夢」ではなく、夜寝ていてみる普通の夢の方です。
夢を「神のお告げだ」と言ったチモさんのことを以前書いた時に、アイスランド人の中には、夢をたいそう真面目に受け取る人がいる、というようなことにも触れました。
例えば、長く会っていない親戚が夢に出てくると、「その人が何かを自分に言いたいのだ」と解釈してその親戚に連絡する、というようなことです。
チモさんの夢談義はこちら
実は先週そのチモさんと久しぶりに会ったので、また「夢」のことを思い出しました。
私は –というか、普通一般にひとはそうなんでしょうが- 夢をよくみます。たいていの夢はすぐに忘れてしまいます。そして結構ひどい夢、怖い夢をみることもよくあります。楽しい夢、というのはほとんどないような気がします。
若い時からそうでしたので、免疫ができたというか、怖い夢、嫌な夢をみてもほとんど気にしなくなりました。「またか」という感じです。
そして、これももう大分以前に気がついたことなんですが、同じ夢、同じパターンの夢というのが繰り返し現れるのです。これはなにか深層心理学的に理由があるのではないか、と思うのですが、別に深追いをするつもりはありません。不用意に箱を開けて、それこそ心の毒やゆがんだ人間性が暴露されてはたまりませんからね。(^-^;
で、理由はわからないのですが「私がよく見るコワイ夢ベスト3」の紹介です。皆さんの中に「夢」の専門家がいて、「ああ、それはこういうことだ」という意見を持ったとしても、知らせてくれるのはNo thank you でお願いします。
第三位は飛行機の墜落です。でもこれは自分の乗った飛行機よりは、大きな旅客機が自分の見ている前でゆっくりと落ちていく、というものです。「えっ?ウソッ!」と思った瞬間に、飛行機の断片が自分の上に落ちてくるのが怖くなって慌てて逃げる、とうようなパターンです。...深いでしょう?
第二位。これはテロリスト遭遇の夢です。私は男性用のトイレ二いるのですが、個人宅ではなく学校とか、何かの施設の大きなトイレです。で、建物内にテロリストが侵入してくるのが聞こえます。
私はトイレの房のひとつに隠れて息を殺しています。するとテロリスがトイレにに入ってきて、端の房からひとつひとつ中を確かめ始めるのです。ヤバッ...
正直言ってこの夢は相当コワイですよ。見つかって撃たれたとか捕まったということはありません。必ずその前に目が覚めます。なんなんでしょうね、これ?昔、悪いことをしてバレるのが怖いのかな?
そして怖い夢ナンバーワン。ゴジラです。時々恐竜や他の猛獣。これは町で向こうからゴジラがやってくるのに遭遇します。なぜか、すでにすぐ近くにいて、逃げようがないシチュエーションなのです。
で、近くの車の陰に身を隠し、ゴジラが気がつかずに通り過ぎてくれることを願います。で、そーっと様子を伺ってゴジラの方を覗くと... まさか! ゴジラと目が合ってしまうのです!
この夢も何度もみましたが、これはチョウ怖いですよ。断っておきますが、この夢は映画の「ジュラシックパーク」が世に出る前からみていますから。小学生の頃に初めてみたような気がします。ちなみに子供の頃は怪獣映画大好きマニアでした。
怖い夢「番外編」は、以前にも書いた「高校で保健衛生の出席が足りず、単位がもらえない」話しです。これも出席が足りないことを自分で発見し「ヤバッ!!」という時のゾーッとさは実にリアルです。
あともうひとつ付け足しがあります。これは怖いことではありません。小学校二年生の頃、家でプードルを買いました。座敷犬でジローという名前です。私が犬が大好きなのでとても仲良しでした。
今では「そういうのはよくない」と言われそうですが、私が食べるものの少しを分けてあげるのがジローの食事で、寝る時には私のベッドの足元、というべったりさでした。
ジローは長生きして私が仕事に就くまで十七年間生きてくれました。最後は足元もおぼつかなくなっていましたけどね。
そのジローは夢に頻繁に登場します。別にもう驚くこともないくらいよく出てきてくれます。これはジローが天国で元気にしているということだろう、と勝手に解釈しています。だから、夢には恵まれないワタシにとっても、夢はそう捨てたものではない、ということでしょうか?
今回はアイスランドになんの関係もない馬鹿話しで失礼いたしました。忙しくて、調べて何かを書く余裕がないのです。ご容赦。
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新年の誓い「Forever Young」はすでに崩壊した感がありますが、その残骸をしつこく引きずって歩いています。
老人性の健忘症は最近のことから忘れていく、というようなことを聞いたおぼえがあります。その通りで、なぜ「Foever Young」を新年の誓いにしたのだろうか?とその理由さえ忘れてしまいました。
まあブログに書いたのですからあとで見れば 思い出すでしょうが、ちらっと考えたのは、最近「∆∆三十周年」とか「XX二十周年」とかという機会がわりと頻繁にあったんですね。その影響があったのかもしれません。
例えば去年は私が洗礼式を受けてから三十五周年、牧師になってから二十五周年でした。ついでに一昨年は、再び独身になってから十五周年でもありました。
こういうのが出てくるといやでも「三十五年経った」「二十年過ぎた」という宣告をされているようなものです。
っていうか、こういうのを気にすること自体がすでに「老人化」(「老化」とはビミョーに違う)であるように思われてきました。
で、実際にこの域に達してしまうと、「二十周年」「二十五周年」などというものはいくらでもあるんですよ。去年は私の息子の「生誕二十五周年」でしたし、再来年は娘がそうなります。その前に来年は私が氷島に渡ってから「二十五周年」。
考えてみれば当たり前のことで、大学出たあたりから、所帯を持ち、子供が生まれる頃までの期間というのは、平均的に考えていろいろなことを始める時期でもありましょうから。
ですからなにかにかこつけて「何十周年」とやるのはいささかバカバカしいように思われます。なにか本当に大切なこと、気にかけていることにだけ「何十周年」の札を下げたい気がします。
そのような意味で考えても今年が「二十周年」と謳いたいことが一つあります。「なんだ、やっぱりあるのか?」と言われそうですが、あるんです。それは「日本語教室」です。
日本語教室は在アイスランドの邦人の方々がボランティアベースで進めてきた活動で、言うまでもなく私たちの子供達に日本語を教えることを目的にしています。
日本語教室の模様についてはこちらも
先のブログを書いたのはもう三年半前のことですので、多少の変化はあります。ますます赤ちゃんが増えているのです。嬉しいことです。
逆に年長の子の方はやはり順次「卒業」していきます。私の娘は大学に入ってもしばらくは続けていましたが、やはり卒業しました。まあ、これも自然なことです。
クリスマス前、日本のおじいちゃん
おばあちゃんにクリスマスカードを作っています
日本語教室を始めた頃は、私のところは息子が六歳、娘が三歳くらいの時でした。正直言って、何月の何日に始まったか?は不明なのです。1996年の春より前に始まったのは確かだと思います。記憶の断片がありますので。
当時はまだ結婚していましたが、基本的に子供達を日本語教室に連れて行くのは「私の仕事」でしたので、土曜の朝はむしろ普段より早く起きるくらいの感じでした。
というのは当初より教会の施設を貸してもらって集まっていましたので、私が「キーマン」で、開け閉めをできる人が他にいなかったので、一番先にいくという宿命があったのです。これは途中三年間ほど、アイスランド大学の教室を借りた期間以外は原則ずっと続いています。
それほど苦労した感がなく続けられたのは、私は日本で教会学校の先生を大学生の頃からしていましたので、ああいう雰囲気に慣れていたというか、土曜と日曜の違いはありますが、「身にしみついて」いたような活動だったからだと思います。
というわけで、今でも大体の時は一番初めに教会に着き、鍵を開け、明かりをつけ、コーヒーを入れ、お茶を沸かして準備をしておきます。子供達が来たらすぐにクラスを始められるようにしておきたいのです。
でも、ふと気がつきました。学生の頃通っていた教会で、毎日曜日、朝早く来て玄関をきれいにしてスリッパを並べ、週報(プログラムのようなもの)をきちんと受付台に整理して準備をしてくれているおじいさん、おばあさんがいたのです。
やはりこれこそ「老人化」ではないか! 逃げようがないとはこのことか?いや、待て。エーチャンを見よ、スプリングスティーンを見よ! 今こそ戦いでしのぎを削るのだ。
「Forever Young!」バンザイ!
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気がついたら二月になっていました。この間クリスマスだったような気がするのですが、今週の水曜日から教会の暦では「受難節」というキリストの十字架への道程に思いを馳せる期間に入ります。今年はイースター(復活祭)が早いため(三月二十七日)、受難節も前倒しで早く来ているのです。
キリスト教文化圏であるアイスランドでは、教会の暦というものが祭日やイベントに影響しています。で、この受難節入り直前の今週は月、火、水と三連続イベントになります。
これらのイベントについてはこちらで。
さて、今回書いてみたいことは「名刺」です。私はもう三十年も前のことですが新橋でサラリーマンをしていましたので、名刺のやり取りは日常生活の一部になっていた時期があります。
今でも日本の社会で名刺の持つ機能は変わっていないものと理解しています。
私がアイスランドへ来た頃の印象では -それももう二十ほど年前のことですが- アイスランド人はそれほど名刺を使う習慣がないように思われました。
銀行のスタッフがジーンズでオープシャツだったり、一日の仕事がコーヒーと雑談で始まったりとか、他に驚くことがたくさんあったので、それほど気にはかけませんでした。まあ、「インフォーマルがフォーマル」の中なんだろうと。
今から考えてみると、小さな社会の中での密な人間関係が土台になっているアイスランドでは、初対面の人でもなんらかの共通点を発見するのが常なので(子供同士が同級生とか、共通の友人がいるとか)、名刺というようなものはあまり意味がない代物だったのだろう、と思われます。
私はニホンジンなので名刺は持つようにしていました。ですが、悲しいかな、私のポジションは非常に「個人営業」的雰囲気が強いために、「組織」のロゴの入った名刺ではなくて、自分でパソコンで印刷する寂しい感じの名刺でした。
実はつい最近までそのような名刺を使っていました。何が寂しいかというと、どんなに丁寧に印刷しても、必ず左右のバランスが崩れたりして、手作り感が隠せないのです。昨年の秋にオフィスを引っ越した機会に印刷屋さんに頼むことにし、ようやくまともな名刺が手に入りましたが。(でも自腹)
さて、アイスランド人は名刺には無頓着、が基本だったのですが、最近は変わってきています。早い話がビジネスで外国からのビジネスマンたちが以前よりも頻繁に訪れるようになったことが理由だろう思われます。さすがに外国からの客人では共通の知人を見つけるのは、至難のわざでしょうから。
ですがアイスランド人の名前や住所にはアイスランド特有の文字が頻繁に紛れ込んできます。外国からの客人が困惑しないためには、英語化して表記しないといけません。ちなみに、アイスランド語の人名や地名の英語表記にはちゃんとトランスクライブのルールがあります。
やっと手に入れた「手製」でない名刺
そのため、アイスランドの人の名刺は十中八九、表はアイスランド語、裏は英語バージョンです。私自身、アイスランド語ができない人と会うのが普通なのですが、表裏には区別せず、アイスランド語と英語を必要なところだけ並記しています。
ついでに裏は英語でお気に入りのキャッチ。“Some things take a little longer to explain... like the problem you are facing”
これの前半は昔のシメーンスの携帯のコマーシャルのキャッチだったのですが、勝手に頂戴してもう十年も使っています。後半はオリジナル。
あと裏の下には漢字で氏名を入れています。日本の人用。Tomaでは正解の漢字を連想してもらえません。
ニホンジンとして名刺を持って回るのはとても普通のことなのですが、使い方は変わってきました。日本にいた時のように会った人皆に配ることは今はしません。
難民の人たちには八割方渡します。ある意味「お助けマン」になる可能性はありますし、緊急の時にも知っておいてもらったほうがいいからです。
アイスランドの人に会った場合は、初めから名刺を交換することはなく「この人とはこれからも関係があるだろう」と思える時だけ渡すようになりました。あと、相手がきれいな女性の場合もですが。(^-^;
「後出し名刺」で、初対面から人の重要度を測っているような嫌らしいところが確かにあるのですが、逆に「この人は」と思える人にはこちらの「思い」を伝えることにもなります。
アメリカとかのビジネスマナーでもそうだ、と聞いたことがありますが真偽は知りません。
というわけで、アイスランドの人はそんなに名刺には思い入れがないと思います。アイスランド人との付き合いで「日本でなら当然名刺が返ってくるのに...」と思ってしまうようなことがあるかもしれませんが、それもこちらの文化の一部です。ご容赦!
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