今日はThe National Day for Truth and Reconciliation:真実と和解の日
子供達の学校では金曜日だった昨日がオレンジシャツデーでした。これは強制ではないけれど、持っている子、着ていきたい子はオレンジシャツを着て登校しました。
近所の次男の友達兄弟もオレンジシャツを着ていて、放課後は3人で同じような服装で遊んでいました。きっと学校では、もっと沢山のオレンジが多かった1日だったと思います
過去のブログでも何度か書いていますが、カナダ先住民の方達から幼い子供達を100年以上に渡って、親元から強制的に引き裂き、中には拉致して寄宿舎での教育&躾という名の虐待、虐殺が行われていたカナダ黒歴史に対し、この事実と向き合い、元々このカナダの土地で生活をしていた先住民の方達へ敬意と、彼らの人権を無視し続けた行為に対しての謝罪と和解(これはまだ完全な解決には至っていない)。この先 同じ事を繰り返さない為に 子供の人権や虐待についても改めて考える日。と私は捉えています。
100年以上というと3世代はありますよね。その間続き、そこからの生還者達もいたわけで。。。トラウマから心を口を閉ざしていたという事も関係があったとしても、その実態が何かしらの形で外部に伝えられた可能性も大いにあったにも関わらず、これだけ長期間、公にされてこなかった。 ここにも、彼らの人権や子供達の発言が無視されてきた事なども考えられます。
なぜオレンジなのか。も、以前も書いたかもしれませんが、新しい学校での生活が始まる事で、おばあちゃんに買ってもらったオレンジのシャツを着て(彼女はそのシャツを着たかった)寄宿舎へ行ったのですが、現実は歓迎とは真逆で、オレンジ色のシャツは取り上げられ、子供達の気持ちや人権を無視した虐待が待ち受けていたのです。
なので、その方にとってオレンジ色はこの残虐な出来事を思い出す色でもあると思うのですが、それと同時に「自分が着たかったのに、着させてもらえなかったシャツ」なので、この「オレンジ色のシャツ」は、この出来事を忘れない象徴でもあり、「あなたが着たかった色のシャツを着ていいんだよ」という「自由=人権の平等」「子供の人権」を示す象徴としても使われることになったと理解しています
オレンジシャツデーは、カナダの先住民の子供達が寄宿舎で受けた残虐行為に対して、子供の気持ちに寄り添い、人権を改めて考える日にもなりますが、これらの行為、似たような出来事は、実は他国でも絶対にあったことであり、現在進行形の問題も日本も含め、世界のあちこちで起こっている。
今日本で話題になっているジャニーズのニュース。
虐殺。。。。はなかったと思うけれど、もしかしたら公にされていないだけで命を落としている方達がいてもおかしくない性犯罪が長期に渡り公にされなかった。
外部者が容易に入れない環境は犯罪者にとっては好都合な環境。過去に告発者がいたにもかかわらず、多くの人達が都市伝説かのように受け止めていた事実。そういう環境を作り出した事務所や業界の関係者。
当事者がおかしいと思い、告発したくても、できないような雰囲気や精神状態に誘導してきた精神的虐待
寄宿舎問題と共通する構造があると思いませんか。
あなたのお子さんが、関わりのあるお子さん達が彼らの人権を無視されて もし。。。と想像したら、
あってはならないことだし、「怒」の感情しか芽生えない。今この瞬間も、同様の気持ちを抱いているけれど、訴えられない人達がいる。と想像すると、一人一人が人権について考え、こういった事で苦しむ人達が減る事を願うばかり。
私のブログの力程度では微力だけれど、「知る」という事は初めの1歩だと思うので、もしもこの出来事を知らない人が見てくれていたら「知る」「考える」きっかけの1つになってくれたら幸いでございます。
寄宿舎問題についての詳細は昨年の記事でご覧いただけます
改めて、カナダ黒歴史について(☜クリック)
まだ言葉で伝えられない年齢の子供達にも意志があり、人権がある。
子供は大人と同じような考え方や表現の仕方を身につけていなくても、その子の発達レベルで考えている事があり、感じている事があり、伝えたい気持ちがある。意見がある。
子供はあなたの所有物でもなければ、コントロールして動かすロボットでもない
虐待とは。性犯罪とは。子供の人権とは。一人でも多くの人に自分事として考えて欲しい話題です。
数は少なくても、私が関わる機会のある子供達の人権、関わる方達の人権、自分自身の人権。大切にしたいです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます