親戚の集まり。
以前は年に一回、夫の親戚で集まる会があり、
幹事もちまわりで、開催していた。
会場は東京ステーションホテルをつかっていたので
そこの工事が始まった時に、じゃ、次は工事が終わったらという雰囲気で
しばらく開いていなかった。
そうこうするうちに、10年ほどがたち、
一回集まろうということになって、
なんといっても我が家が本家なので、いいだしっぺになって
Kを会場におかりして、会を開いた。
この10年の間に、亡くなられた方、
結婚した方、子供が増えた方、
住所録を整備するのもしばらくかかったが
5月30日の昼間に集まった。
今回、それぞれの間柄がよくわかるように、
家系図を用意した。
(これがエクセルで、延人数すごい人物が登場する、
作製に、かなりかかった!)
以前、書いたことがあるが、
ロンドンの郊外で見つかった福岡守人さんのお墓の話と、
その繋がる人をずっと探していたのだが、
やっと見つかって連絡がとれたという話も
スライドショーで説明しながらご紹介した。
その、繋がる人を
探した話というのは…
福岡家の本家(家老職)福岡宮内孝茂の次男が福岡守人さん。
守人さんは、福岡家の本家(家老職)を継ぐ立場だったが
ロンドンで病死して、そのロンドンのお墓のことがその繋がる方々に伝わっていない。
次男孝英は、会津の戊辰戦争で戦死、
三男孝廉のご子孫が継いでいるはず。
維新の頃の功績により、孝弟の方が有名になったが、
本来の御本家。
2年前のこと、5月頃に、守人さんの髪塚というものを夫がみつけた。
沢山のお墓と一緒に集められ、それらを集めた方の
散逸していたお墓を集めて、こういう形にしたという碑がたっていた。
それをなさった方の名前をたよりに、いろんな方にもお尋ねし、
繋がる方を探したが、みつからなかった。
助言して下さる方があって、
お墓の前に密封式のジャムの瓶を置き
その中に、守人さんのお墓がロンドンで見つかって、
我々がお墓参りをしたいきさつ等を書いて、
連絡をくれるように書いておいた。
枯れかけたお花がお墓にあがっていたので、
きっと、4月ごろにはどなたかが、見えるだろうと
期待していたのだが、
一回、留守電に名乗られているメッセージが入ったのだが
以降、電話は鳴らなかった。
これは、かなりたって、分かったのだが
我が家の電話はこの時期、電柱にあった接続器の中で断線がおき、
通じていない時期があった。(今は携帯でほぼ用が足りてしまうので
電話が通じてないことが、しばらくわからなかったせいもある)
そして、ちょうど2週間ほど前、連絡が入り、
守人さんと繋がる人がわかった。
わかったが、説明を聞くと、守人さんの弟さんの子孫で、
子供がいなかったので、養子に迎えられた人だそうだ。、
お墓のお守を頼まれたが、その家の仔細は余りご存じないようだった。
今は神戸にお住まいなので、
命日に、年に一回のお墓参りをして、その時にジャムの瓶を見つけてくださった。
でも、とにもかくにも繋がる方と連絡がとれたことは、よかった。
ジャムの瓶で、二年がかりで! クリック!
おかはんをよろしく、ブログもあります!
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幹事もちまわりで、開催していた。
会場は東京ステーションホテルをつかっていたので
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しばらく開いていなかった。
そうこうするうちに、10年ほどがたち、
一回集まろうということになって、
なんといっても我が家が本家なので、いいだしっぺになって
Kを会場におかりして、会を開いた。
この10年の間に、亡くなられた方、
結婚した方、子供が増えた方、
住所録を整備するのもしばらくかかったが
5月30日の昼間に集まった。
今回、それぞれの間柄がよくわかるように、
家系図を用意した。
(これがエクセルで、延人数すごい人物が登場する、
作製に、かなりかかった!)
以前、書いたことがあるが、
ロンドンの郊外で見つかった福岡守人さんのお墓の話と、
その繋がる人をずっと探していたのだが、
やっと見つかって連絡がとれたという話も
スライドショーで説明しながらご紹介した。
その、繋がる人を
探した話というのは…
福岡家の本家(家老職)福岡宮内孝茂の次男が福岡守人さん。
守人さんは、福岡家の本家(家老職)を継ぐ立場だったが
ロンドンで病死して、そのロンドンのお墓のことがその繋がる方々に伝わっていない。
次男孝英は、会津の戊辰戦争で戦死、
三男孝廉のご子孫が継いでいるはず。
維新の頃の功績により、孝弟の方が有名になったが、
本来の御本家。
2年前のこと、5月頃に、守人さんの髪塚というものを夫がみつけた。
沢山のお墓と一緒に集められ、それらを集めた方の
散逸していたお墓を集めて、こういう形にしたという碑がたっていた。
それをなさった方の名前をたよりに、いろんな方にもお尋ねし、
繋がる方を探したが、みつからなかった。
助言して下さる方があって、
お墓の前に密封式のジャムの瓶を置き
その中に、守人さんのお墓がロンドンで見つかって、
我々がお墓参りをしたいきさつ等を書いて、
連絡をくれるように書いておいた。
枯れかけたお花がお墓にあがっていたので、
きっと、4月ごろにはどなたかが、見えるだろうと
期待していたのだが、
一回、留守電に名乗られているメッセージが入ったのだが
以降、電話は鳴らなかった。
これは、かなりたって、分かったのだが
我が家の電話はこの時期、電柱にあった接続器の中で断線がおき、
通じていない時期があった。(今は携帯でほぼ用が足りてしまうので
電話が通じてないことが、しばらくわからなかったせいもある)
そして、ちょうど2週間ほど前、連絡が入り、
守人さんと繋がる人がわかった。
わかったが、説明を聞くと、守人さんの弟さんの子孫で、
子供がいなかったので、養子に迎えられた人だそうだ。、
お墓のお守を頼まれたが、その家の仔細は余りご存じないようだった。
今は神戸にお住まいなので、
命日に、年に一回のお墓参りをして、その時にジャムの瓶を見つけてくださった。
でも、とにもかくにも繋がる方と連絡がとれたことは、よかった。
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