今回の春日大社へのお参りに加え、
この旅には大きな目的があった。
以前から気になっていた、山城探しである。
親戚の間に、そこへ行ったけど、みつからなかったとか、
道がすごくていかれなかった、とかの話があって、
夫も、暇になったので、探しに行こうかと思ったらしい。
福岡の家は、土佐の出身だが、
そのもっと前は、奈良の狭川に住んでいて、
狭川福岡城という山城を持っていたとのこと、
その頃、春日大社に奉納した石灯篭を、見つけた話は
前回書いた。
灯篭には、
「春日社 明應元年八月廿二日狭川福岡助宣」と書かれていた。
出かける前、歴史が好きな長男を呼び出して、どこにあるのか
聞いてみたら、なんと昨年探しに行って、
位置情報は、これなのだそうだ。
でも、あんまりよくわからない。
で、そこに出かけた春風亭昇太がブログに書いていると、
ここを教えてくれた。
他にも、山城好きな人のブログをいくつか見つけ、
(これやこれ)
その人たちの行き方を参考に、出かけたのだ。
交通の便はいかにも悪そうなので、奈良駅近くでレンタカーを借り、
京都と奈良の府堺あたりを、三十分ほど走る。
途中通りかかったバス停。
本数はやっぱり少ない。
参考にしたブログの記述や写真で確かめながら、
バス停そばの道を歩き出す。そばに、ある家も一つの目印。
殆ど道はない。このため、山の格好。特に足元は
山用の靴をはいている。
土塁らしきところを見つけた。
そばの祠は、さがした人たちのブログにもあった。
看板がかかっていたが、何も読み取れない。
少し行くと、守りが堅実なしくみになっていた。
なんか、戦争ごっこをしたら、面白そうなんて妄想しながら、
一番高い所についた、右手は草がきちんと刈られて
歩きやすい下り坂がある。
そちらを降りていったら、
あっという間に、下った。
そして、どこかの家の庭先に出た。
お家の人に不審に思われないかと考えながら
細い道にでたら、女性が通りかかった。
その奥にはその家しかないので
お住いの方かと考え、
この山は、福岡城でいいんですか?と尋ねると
そうだという。
実は、福岡と申しますが、東京からここを訪ねてきたと話すと
お父さんがよくわかるから、是非家に寄ってと言ってくださって、
お邪魔することに。
早速お互いに自己紹介し、
その方が、現在この山の持ち主であること、
この山は三つの家で持っていること、
山から下りてきた道の草刈りは
お父さんがやってくださっていること、
その方のお父さんは、もと小学校の校長さんで
このあたりのことを良く知っていらしたこと。
福岡家が居た頃の神社は、
九頭神社というのだが、現在その方が氏子総代で
その関係で春日大社に行くこともあること、
私たちも親しくしている親戚がやはり訪ねてきて、
連絡をしあっていること。
豊臣の頃、福岡の家では、
兄弟で敵味方になり、
一方は勝って土佐に行き、(これが我が家のルーツ)
一方は負けて、九州に行ったこと、
その九州に行った人の子孫とも連絡があること等
色々教えてくださった。
九頭神社まで、案内してくれた。
そこにも、福岡で奉納した石灯篭があり
これだと、教えてくれた。
書かれた内容が看板になっている。
(長享参年七月日施主本廣、長享参年=1989年)
こんな感じ。
無人の社務所には、張り紙があって
きちんと宮司さんの電話番号が書かれていた。
九頭神社のあと、
狭川の十三重塔の場所にも案内してくれた。
一回通った所だったが
木に覆われて見えていなかった。
上にリンクしたブログに出てくる写真は、
まわりが開けているように感じるが、言われないと分かりにくい。
と、にわか山城マニアは、大興奮で帰路についたのである。
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この旅には大きな目的があった。
以前から気になっていた、山城探しである。
親戚の間に、そこへ行ったけど、みつからなかったとか、
道がすごくていかれなかった、とかの話があって、
夫も、暇になったので、探しに行こうかと思ったらしい。
福岡の家は、土佐の出身だが、
そのもっと前は、奈良の狭川に住んでいて、
狭川福岡城という山城を持っていたとのこと、
その頃、春日大社に奉納した石灯篭を、見つけた話は
前回書いた。
灯篭には、
「春日社 明應元年八月廿二日狭川福岡助宣」と書かれていた。
出かける前、歴史が好きな長男を呼び出して、どこにあるのか
聞いてみたら、なんと昨年探しに行って、
位置情報は、これなのだそうだ。
でも、あんまりよくわからない。
で、そこに出かけた春風亭昇太がブログに書いていると、
ここを教えてくれた。
他にも、山城好きな人のブログをいくつか見つけ、
(これやこれ)
その人たちの行き方を参考に、出かけたのだ。
交通の便はいかにも悪そうなので、奈良駅近くでレンタカーを借り、
京都と奈良の府堺あたりを、三十分ほど走る。
途中通りかかったバス停。
本数はやっぱり少ない。
参考にしたブログの記述や写真で確かめながら、
バス停そばの道を歩き出す。そばに、ある家も一つの目印。
殆ど道はない。このため、山の格好。特に足元は
山用の靴をはいている。
土塁らしきところを見つけた。
そばの祠は、さがした人たちのブログにもあった。
看板がかかっていたが、何も読み取れない。
少し行くと、守りが堅実なしくみになっていた。
なんか、戦争ごっこをしたら、面白そうなんて妄想しながら、
一番高い所についた、右手は草がきちんと刈られて
歩きやすい下り坂がある。
そちらを降りていったら、
あっという間に、下った。
そして、どこかの家の庭先に出た。
お家の人に不審に思われないかと考えながら
細い道にでたら、女性が通りかかった。
その奥にはその家しかないので
お住いの方かと考え、
この山は、福岡城でいいんですか?と尋ねると
そうだという。
実は、福岡と申しますが、東京からここを訪ねてきたと話すと
お父さんがよくわかるから、是非家に寄ってと言ってくださって、
お邪魔することに。
早速お互いに自己紹介し、
その方が、現在この山の持ち主であること、
この山は三つの家で持っていること、
山から下りてきた道の草刈りは
お父さんがやってくださっていること、
その方のお父さんは、もと小学校の校長さんで
このあたりのことを良く知っていらしたこと。
福岡家が居た頃の神社は、
九頭神社というのだが、現在その方が氏子総代で
その関係で春日大社に行くこともあること、
私たちも親しくしている親戚がやはり訪ねてきて、
連絡をしあっていること。
豊臣の頃、福岡の家では、
兄弟で敵味方になり、
一方は勝って土佐に行き、(これが我が家のルーツ)
一方は負けて、九州に行ったこと、
その九州に行った人の子孫とも連絡があること等
色々教えてくださった。
九頭神社まで、案内してくれた。
そこにも、福岡で奉納した石灯篭があり
これだと、教えてくれた。
書かれた内容が看板になっている。
(長享参年七月日施主本廣、長享参年=1989年)
こんな感じ。
無人の社務所には、張り紙があって
きちんと宮司さんの電話番号が書かれていた。
九頭神社のあと、
狭川の十三重塔の場所にも案内してくれた。
一回通った所だったが
木に覆われて見えていなかった。
上にリンクしたブログに出てくる写真は、
まわりが開けているように感じるが、言われないと分かりにくい。
と、にわか山城マニアは、大興奮で帰路についたのである。
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