家によって、その家風がある。
家風なんて、偉そうなものでなくても、
流儀のようなものがある。
夏、一緒に過ごすいとこたちに接していると、
我が家との違いに気付くことも多かった。
我が家では、父が時々、言葉遣いが悪いとか、
態度が生意気だ、などといって、
突然怒り出すことがあった。
父方の家は、長幼の序や、言葉遣いもみな気をつかっていて
兄弟でも、敬語をつかっていた。
そういう育ち方できたので、
母方の家族の自由さが、時に秩序のないものに思えたり、
馬鹿にされたように感じたりするのだと思う。
一匡邑で過ごす毎日は、
親戚とはいえ、よその家庭のようすを垣間見る日々だった。
おじ、おばをつかまえて、
○○ちゃんと呼ぶのには、私は抵抗があった。
あ、これが家庭による差だなと、感じた。
我が家では、時々爆発する地雷が存在したが、
地雷のない家族もあるんだと、妙にうらやましかった。
その頃は、我が家は堅苦しくて、と思っていたが、
年を経ると、いろいろな家庭を見聞きできて、
よかったんだなと、思える。
地雷のない家! クリック!
写真は、山中湖畔の芽吹き
家風なんて、偉そうなものでなくても、
流儀のようなものがある。
夏、一緒に過ごすいとこたちに接していると、
我が家との違いに気付くことも多かった。
我が家では、父が時々、言葉遣いが悪いとか、
態度が生意気だ、などといって、
突然怒り出すことがあった。
父方の家は、長幼の序や、言葉遣いもみな気をつかっていて
兄弟でも、敬語をつかっていた。
そういう育ち方できたので、
母方の家族の自由さが、時に秩序のないものに思えたり、
馬鹿にされたように感じたりするのだと思う。
一匡邑で過ごす毎日は、
親戚とはいえ、よその家庭のようすを垣間見る日々だった。
おじ、おばをつかまえて、
○○ちゃんと呼ぶのには、私は抵抗があった。
あ、これが家庭による差だなと、感じた。
我が家では、時々爆発する地雷が存在したが、
地雷のない家族もあるんだと、妙にうらやましかった。
その頃は、我が家は堅苦しくて、と思っていたが、
年を経ると、いろいろな家庭を見聞きできて、
よかったんだなと、思える。
地雷のない家! クリック!
写真は、山中湖畔の芽吹き
スイッチバックが幾つもあったみたいですね。
Wikiには、「55.5kmを走破するのに2時間半~3時間を要した」とありますから、自転車並みの速さですよね。
草津から硫黄を運んでいたんですか。
硫黄はマッチだけでなく、火薬や化学薬品の原料にも使われるそうです。
硫黄が石油から採れるようになり、草軽電鉄が廃線になる頃には、硫黄鉱山も閉山に追い込まれていったようです。
いとこ達を見て初めて知るその家の流儀ってありますよね。
家風も流儀も、それぞれの家庭の文化なのかもしれませんね。
うっかり、名前を入れ忘れました。
草軽電鉄の話をしたら、
舅も、昔話として、
途中故障した時は、動き出すまで
降りて押したなんていっていました。
動き出した所で、飛び乗ったと。
そんな、のどかな電車だったようです。
手持ちの写真でもあればと思うのですが
今のところみつかりません。
今、お返事を書きながら
ネットで検索して、懐かしい記録を
何箇所で見つけました。
いとこたちと一緒に、いつか、
一匡邑のことを
まとめたら、面白いだろうなと
思いはじめています。