マイミクのおやじさんが村長になられたとのこと。
一匡邑という村、昔、祖父たちが仲間と作った別荘村だが
一種の共同体として、機能していた。
それぞれの家族が、子に、孫にと代が変わって、
これからは共同体を維持するのは大変そうに思う。
おやじさん、持ち前のアイデアと、親しみやすい人柄で
立派な村長さんになってくださることを、祈ります。
ところで、
「おいらが村の村長さんは♪」
ではじまる「ゆかいな村長さん」という歌、知っている人はいないかな?
軽井沢といえば、先日よくお邪魔するHPで
「軽井沢」が歌詞に含まれる歌が、いっぱい並べられていた。
どれ一つとして、知っているのはなかった。
田舎がないぶん、夏はいつも行って親しんだ北軽井沢や、旧軽だが、
歌があったとは!
村長さん! クリック!
一匡邑という村、昔、祖父たちが仲間と作った別荘村だが
一種の共同体として、機能していた。
それぞれの家族が、子に、孫にと代が変わって、
これからは共同体を維持するのは大変そうに思う。
おやじさん、持ち前のアイデアと、親しみやすい人柄で
立派な村長さんになってくださることを、祈ります。
ところで、
「おいらが村の村長さんは♪」
ではじまる「ゆかいな村長さん」という歌、知っている人はいないかな?
軽井沢といえば、先日よくお邪魔するHPで
「軽井沢」が歌詞に含まれる歌が、いっぱい並べられていた。
どれ一つとして、知っているのはなかった。
田舎がないぶん、夏はいつも行って親しんだ北軽井沢や、旧軽だが、
歌があったとは!
村長さん! クリック!
音楽教室の頃(中学生)は担当の先生も北軽に別荘をお持ちなので
クラスの子みんなで彼女のお家に泊まって
先生のお宅といったり来たりしながら合宿をしました。
作曲をしたり12音技法や現代ピアノ奏法の勉強をしたり…
音教の中でも前代未聞のよく出来るクラスだったので
中学生と言えども音大生も顔負けの内容をやっていました。
途中からやっとそのクラスに上がれた私は
ついていくのが大変でした。
……音楽的にも家庭のレベル的にも大学生の頃にも遊びに行って、
彼女とあちこち探検しました。
懐かしいですね
一匡邑にいらしたことがあったんですね!
一匡邑の中では、皆仲良しで、
おじおばの中には、結婚したカップルもあるくらいです。
音楽教室の話は、よくお聞きしますがきっとわくわくするような世界だったのでしょうね。