7月29日に緊急入院した母ですが、本日退院できました。
発端は転倒でしたが、38度の発熱とサチュレーション(血中酸素濃度)90前後を受けての入院でした。
コロナ感染などの怖れでお見舞いは平日の14時から16時の間の15分間だけ。お見舞いできるのは入院患者と2親等までとかの制限付き。なので土日祝と3日間行けなかった間など、
「あんたら、ちっとも来てくれん。(自分の苗字が変わってるのも忘れて)実家に電話してくれ。」
と散々ごねたそうだ。そして、
「なんで私はこんなとこに居るんやね?」
緊急入院したこともすっかり忘れている。
「施設で転んだんやよ。調べて貰ったら骨折はしとらんそうやけど、そのあと熱が38度も出たので緊急入院したんや。」
「へぇぇ、そうなんや。」
てな問答を繰り返しながら日々が過ぎていきました。
半月ぐらいの点滴やその後のリハビリなどで、食欲も少しづつ戻り20m程度歩けるようになった28日に退院に向けた話し合いがありました。その結果台風が来る前に出てしまおうと30日退院に決定しました。ということで1ヶ月経った本日退院してきました。
でもひとりでトイレに行き帰りするのはまだ困難なので、病院のように離床センサーを付け、施設のスタッフさんの手を煩わせることになりそうです (-_-;) 私らは毎日のように見舞いに行く必要はなくなりますけどぉ・・・
朝散歩のコースにあるお宅の家の前にチョー多数の連結ポットが置かれていた(8月15日の画像)。
以前、小カブを作るときに買った連結ポットの数をもの凄く多くしたものだ。
それぞれの穴の中は細かい小石のようなもので埋め尽くされている。この光景を見たとき私はネットのお友達とまぢふさんのご趣味・山野草の栽培かと思った。種蒔きの場所としてこういう河原のような環境が良いように思ったので・・・
それが10日ほど経った8月24日には下の画像のように一斉に双葉が出ていた。
これは何なんだろう?単純な双葉だしぃ・・・
ということで、刺してあった札に初めて注目した。
タイニーシュシュ?・・・小さいシュシュ?AKBの歌?・・・検索してみると、白菜 (゚o゚) だと。
ビックリこいてさらに調べる。
金系201? これまた中国にいるキンケイの一種かしら?・・・なんとキャベツ (゚o゚)
シャスター? これはブロッコリーとのこと。
他の札は見ればわかる。
サニーはサニーレタスだし、ロメインはロメインレタス。パセリなんかそのものズバリ。
なんにしても野菜の育苗ポットだった。しかし、凄い数やわ。8x16=128穴。この手のものを専門用語ではセルトレイと言うそうだ。そのセルトレイに自動で種蒔きする機械や大きくなったやつを畑に移植する機械もあるらしい。世の中には便利なものがあるんだなあ。一つ賢くなったわ。
あと、ちょっと嬉しかったのは下の画像のマリーゴールドと横にあったポット苗。
マリーゴールドは根に線虫の防除効果があるコンパニオンプランツ。
私は育てたことはない(女房がプランターに植えてた)が、あいみょんの名曲にもなった有名な花だ。
そして横のポットに植わっていたのはウリ科と思われる双葉と小ネギを混植したもの。
ネギは最強のコンパニオンプランツで根がからまるように植えると良いと、色々な本にも書いてある。
今季はトマトとキュウリの植え付けに小ネギを混植したから、画像から気持ちがよくわかるよ v(^^)
PS.
今朝の散歩のとき、このお家の玄関から猫が顔を出していた。そっと覗くと、ここの家人が何か作業をされていた。これは聞くしかない。
「ちょっとお聞きします。玄関先に置かれているトレイですけど、入れられた白い小粒のものは何でしょうか?」
「これは冬物野菜用に光が届いて芽出しを促進させるために入れてます。『パーライト』です。夏物のときは土だけにしてます。」とのこと。
パーライトは土壌改良剤とは知っていた。でも光がどうとかは・・・このなかで好光性なのはパセリくらい。ほかのものは・・・ということで好光性種子を調べてみるとアブラナ科(キャベツ・ブロッコリー)・キク科(レタス)・シソ科・セリ科(セロリ・ニンジン)ということでおっしゃられたとおりだった。
ちなみにパーライトは『通気性』を良くするものだが、特に白色のパーライトは『通気性・保水性』を良くすると書いてあった。だから暑さ対策としてもベストだと思った。
地震対策の突っ張り棒耐震ポールを設置したりして整理整頓をしていたら、こんなものが出てきた。
同志社と早稲田それぞれのサイクリングクラブとの交換会(同早交換会)のときのペナントである。
この同早交換会は毎年11月文化の日あたりに交互が主催対抗して行われる行事だ。
1973年から1975年までのものが出てきたが、1回生のとき1972年早稲田主催で日光で行われたものが見当たらない。ひょっとすると作られなかったのかもしれない。4日間という結構長丁場を校風が違うクラブ同士が一緒に走るエキサイティングな場なので強烈な印象として残っている。
翌年1973年は我が部創立10周年だったから両校の交換会は創部当時から始まったようだ。その第10回はわれわれ同志社が主催だったのでコースの下見などで丹後半島へは何度も出かけた(下左の写真)。
そしてその宿舎とした丹後半島ユースホステルには本番を含めて6回も泊ってしまった。
また翌年早稲田の主催した交換会は榛名山周辺(上右の写真)で行われた。この年は膝を痛めて伴走車に乗せてもらうという体たらくだったので、アレコレ強烈な思い出がないのが残念だ。
また就職試験や会社回りなどでバタバタしていた4回生(1975年)当時は参加した覚えがないが、なぜかペナントが手元にある。これもミステリーである (^^ゞ
今月宮崎県で起こった地震。南海トラフ地震の前触れとかテレビなどではサンザンおどかしてくれている。
地震対策で一番怖いのは家具が倒れてくること。寝ていて箪笥が倒れてきたら相当ヤバイし、ふだんいるダイニングキッチンで食器棚が倒れてくるのもとても怖い。
今までは天井との間に段ボール箱を詰め込めば少しは役に立つということで対処していたが、ネットで調べるとそれなりの対処器具が見つかったので調達してみた。
突っ張り棒耐震ポールというもので、天井と家具の間に挟み突っ張り棒のようにして固定する。
ちなみに食器棚は部屋の真ん中に置いてあってチョー危険なので、4本体制で固定した。
レースのカーテンが垂らしてある所には蛍光灯があるので、四隅で固定できず、真ん中と蛍光灯のないところで固定することにした。また力任せに突っ張り棒をかませると天井を破壊しかねないので板を間に入れたのと適度な力加減で固定する必要があった。
さらに微妙だったのが寝室の箪笥である。
和室の天井は薄い板が使ってあるので、突っ張り棒をかますのも天井の端っこにしないと、天井板が浮いてしまいかねない。それでいて固定はしないといけないので、やはり間に板をかませ、箪笥の真ん中付近と端っこに慎重に固定してみた。
取り敢えずこれでグラグラはなさそうなので一安心である。
母が先月末に転倒発熱入院したので孫である末娘が8月2日に日帰りでお見舞いに来た。
お昼過ぎに駅に到着したのを拾い、午後2時からの見舞い時間との間に昼食をとることにした。
そこで岐阜駅から病院との中間点にある銀のさらに食べに行った。
ここは宅配もやってくれるので子供たちが集まるときなど重宝している。またお店でも『寿司と天ぷら』など母も食べられるメニューがあり、転倒などがなければ弟が来て、お昼はここで食べようと思っていたから、その代わりのようなものである。
こんなふうに一度に寿司と天ぷらが並ぶと豪華に見えるよね。
おまけにこちらのセットは天ぷらがもう1皿付いたので良かったよ。
ということで、早く退院できるように母を羨ましがらせようと思ったが、食欲はないし、体は痛い痛いと言うし、1週間や2週間では退院できそうにないようだ。
いま入院してから3週間経ってるけれど、まだ見込みが立たないもんね。前も転倒しての入院があったけど、退院するまで月単位かかった。げに年寄りの転倒は恐ろしいのだ。
8月4日、長良川の対岸で鵜舟を洗っている場面に出くわした。
2人で舟を傾けて舟底を洗っていた。こちら岸には鵜飼の道具(鵜篭、鵜、松明用の松、鮎箱など)を運ぶ大八車が置いてあったが、どの鵜匠さんかはわからなかった。
次いで8月12日には、一番わかりやすい山下哲司鵜匠のところで、この鵜舟を洗うところに出くわした。しかもこちら岸から皆で出発するところからだったから、たまらない(^^;
なんと総勢5名。哲司鵜匠と息子さん、そして船頭さんだろう。鵜飼は毎晩のようにあるけれど、朝集まれるのはお休みの日とかお盆だからだろう。
山下家の奥さんが対岸に出かけるのを見送っていた。毎朝昨晩の鵜飼に使った鵜篭を川で洗っているときには見たことがないので珍しい光景には違いない。
舟が対岸に着くと総出で舟をひっくり返して洗いにかかる。
金華山と岐阜城が見守っている。ずっと付き合っていたかったけれど、散歩の途中なのでここまで動画を撮ってサヨナラした。
3日後の8月15日、また鵜舟洗いに出くわした。今度は総勢3名。
今回も鵜舟をひっくり返すところは見損なったけど、舟を戻すところは撮影できたので、動画もアップしておくよ。
今夏3人の鵜匠さんの鵜舟洗いが見られた。
花火大会の翌朝というと、毎年色んな企業や団体が清掃活動を行う。観客の残したゴミや花火の燃えカスなどが残っているのをきれいにするためだ。私も現役当時は必ず行っていた。職場に清掃活動の参加申込書が回ってくる。チョー地元のことだから参加せざるを得ないなあ (ー_ー) と何年参加していたことだろう・・・今でいうボランティアだったわけだが。
リタイヤ後は清掃活動の参加団体との接点がなかったり、コロナで花火大会そのものが中止になったり、で花火の翌朝はご無礼していた。しかし朝散歩をするようになった今年、久しぶりにその姿を見た。皆さん、手に手にビニール袋をぶら下げて歩いている。
その中におそろいの黄色のTシャツを着た団体がいた。背中に『不撓不屈』の四文字熟語がプリントしてある。貴乃花が横綱昇進伝達式で述べた『口上』に入れてあった言葉だ。そういえば我が母校の校歌の歌詞に『百折不撓』がある。Tシャツの胸を見ると『岐阜・・高校』の文字が見えたので気を良くして聞いてみた。
「○○高校?『百折不撓』?」
「いや、『不撓不屈』です。」
胸元をよく見たら岐阜商業高校だった。金メダリスト・高橋尚子を輩出した高校だった(^^;
やっぱ地元なので参加してるんだな。
対岸でも清掃ボランティアがいっぱいいるし、長良橋下流の花火会場付近でもいっぱいいる。
勤務先だった会社の施設『じゅうろく長良川保養所』の前にオレンジ色のTシャツを着た女性がいた。
ペットボトルなどが並べられている。
そういえばボランティアで集合するとゴミ袋・軍手・お茶(ペットボトル)が支給されたっけ。
ということで、長良橋下流側を注目すると、オレンジ色の集団が散見できた。うん、後輩たちも頑張ってるな。高齢者になってしまった私は健康維持で散歩してるけど、どうせ歩くならゴミを拾いながらの方がコスパもいい。でも私ゃこれから庭木や野菜に水やりしながら歩くしなあ (~_~)
とにかく綺麗にしてくれたボランティアの皆さんには頭が下がります。ご苦労様でした。
昨日8月10日、2024年長良川花火大会が行われた。
昨年復活した花火大会だが、まともに見られるのは有料観覧席のみ。それでも女房や娘夫婦は有料席への入り口付近まで歩いて行って、それなりに見てきたという・・・雑踏に出会うと卒倒する私は自宅2階から見物するのが関の山。チョー酷暑の今年はそれもちょっとだけよ。だったのでいい写真や動画も撮れなかった。
昨年から岐阜放送が中継放送してくれるので録画しながら全部見させてもらった(^^ゞ
復活した花火大会の特徴としては1万発という限られた玉数のなかで迫力を出すため、
有名な花火大会のように斜め方向を交えワイドに広がる打ち上げ方が主流になったことだ。
そしてBGMを入れながらの打ち上げも増えた。
その挿入曲。『オペラ座の怪人』とか『菊次郎の夏』というような名曲が流されたから、
同じようなスターマインでも臨場感が増してくるから大したもの。
また放送席のゲストも昨年は『ふかわりょう』でイマイチだったけど、
今年は『内藤剛志』と一流どころだったので、安心して見ておられた。
ということで、私の中では一定の評価を出してもいいなという感触だった。
昨年から復活した長良川花火大会。有料観覧席を設けたくせに打ち上げ数は1/3(実質は1/6)の1万発になったり、ザンネンな花火大会になってしまったが、真夏の風物詩のひとつには違いない。
そんな花火大会、お花見のように事前の場所取りが盛んだったが、有料観覧席になってからはどうなったのか?たまたま朝の散歩で長良川河畔を歩いているのでチェックできた。すなわち、10日以上前の7月末には既に色々な掲示が出ていた。
長良川プロムナードの路面に貼ってあったのがこれ。
立入禁止区域はいつものことだからOKだけど、『有料エリア以外での場所取りもできません』は初めて見た。
そして『場所取りは撤去・処分致します』も初見だわ。
そして有料観覧エリア手前にはいつものような立て看板がある。
これはいつものことだから珍しくもなんともない。
しかし、その手前の路面に貼ってあったのが『徒歩のみ通行できます』の張り紙。
確かにふだんはバイク・自転車・キックボード・スケートボードなどで遊んでるもんな。
また翌日にはこんなのも発見した。前日つまり8月9日の18時を過ぎたら場所取りしてもいいんだ。
ということは昨日8月9日の鵜飼開催時には場所取りしても良かったわけだ。
さらに8月8日になると有料エリアの駐車場にテントが張られていたり、簡易トイレが設置してあった。さらに驚いたのがいつも通る抜け道が封鎖されていたことだ。長良橋の下を潜ってからこの抜け道を登り階段で長良橋のスロープまで上がるんだけど・・・
仕方ないので橋の上流側へ戻って交番の下へ行くと、いつも1台いるかどうかわからないパトカーが2台もいたし、交番横にあるトイレ以外に簡易トイレが3台設置してあった。ここは鵜飼屋バス停下の小公園でもあるので、とてもいい選択だと思う。
そして今朝、6時過ぎくらいなのにプロムナードにはこんなに人が出ていた。
このあと鵜飼ミュージアムのトイレに行って、再びプロムナードに戻ると、この人たちは跡形もなく消えていた(*_*;
そして、その鵜飼ミュージアムも敷地内に入っていくとなんと、かき氷屋さんの幟が立てられたテントがある。
焼きそば、からあげ、たこ焼き、枝豆、ビール、かき氷、ジュルルである。
そして縁日の定番、スーパーボールすくい(金魚すくいでないのが残念)、ヨーヨー釣り、光るブレスレットに光るリング。
なかなか楽しそうだ。そんなテントの向こうには椅子席がたくさん用意してある。
いつの間に鵜飼ミュージアムもパブリックビューイングならぬ花火観覧席を作るようになったのだろうか。
鵜飼ミュージアムのサイトに見に行ってもなんも書いてない(-_-;)
ふたたび、プロムナードに戻る。先ほどの人出はどこへやら、すっかりいつもの状態に戻ってる。
いつもと違うのは場所取りのシートなどが貼ってあること。
シートの色や材質もマチマチ、なかには段ボールを広げてそのまま貼ってるものまである。そしてご丁寧に名前まで記入してあるのだ(^^;
しかし、どんな人が場所取りに来るのだろう。
長良橋の上流側だと花火の下の方が切れるからグッドポイントとは言いにくいんだけどね。
ひょっとすると、プロムナードの北側、『すぎ山』や『鵜飼ミュージアム』『じゅうろく保養所』の裏側の人たちかもしれない。彼らは高い建物が邪魔で花火がまったく見えない。プロムナードからなら下の方が切れたり、仕掛け花火が見えなくとも、問題ないし、なにより川まですぐ近くだったらプロムナードまで出てくるのに抵抗はまったくないだろう。
場所取りの人たちが水が引くように消えたのもそういうことなら納得ができるというものだ。
独断と偏見で書いてます m(__)m
古田肇岐阜県知事が次期知事選に「不出馬」を表明した。
岐阜県政史上最多の5選を果たし、現職知事では最高齢の76歳。5期20年という節目であることと、新型コロナウイルス対策や新県庁舎整備などの県政課題に目途がついたことで退くことを決意したという。
古田知事が偉かったと思ったのは何といっても1期目に発覚した裏金問題を隠蔽したり有耶無耶にせず、職員や前知事なども含め身銭を切って処理したことである。
当時ホームページの『ぼやき日誌』に書いた記事を載せておく。
私も若かったねえ。
その後、自分は減給、前知事や前副知事などにも請求し、職員の処分や返還など色々問題にはなったが、何とかやり遂げた(岐阜県庁裏金問題)のは今でも凄いと思っている。
先月アップした『二三月峠』に続く徳川vs武田の戦跡の峠『一言坂』。奇しくも『一二三』と続く峠となった。
元亀3年(1572年)本願寺や越前朝倉氏、比叡山延暦寺など反信長(信長包囲網)の動きに同調した武田信玄は織田・徳川領への侵攻を開始。三河・遠江の諸城を次々と落としていった。対する家康は武田軍に対峙。先行した本田忠勝、内藤信成の偵察隊が武田軍と遭遇。偵察隊はすぐに退却、家康本隊も退却したが武田軍が追撃、本田・内藤隊は本隊の殿となって、一言坂下で武田軍と戦闘になった。徳川軍は無事浜松城に撤退できたが、二俣城は包囲・陥落してしまう。そののち浜松城籠城から三方ヶ原の戦いへと進んでいくことになる(ウィキ『一言坂の戦い』)。
場所は静岡県磐田市一言にある県道413号線付近。行ってみると立派な石碑と案内看板が立てられている。
看板の内容によると、実際の『一言坂』は後ろにある坂道とのこと。
辿ってきた道なので、先にチェック済。竹藪の前にこれまた懇切丁寧な案内看板があった。
こちらは本田忠勝の活躍をリアルに解説していて例の『とんぼ切り』の大槍の話など書いてあった。
実際に訪れたのは昨年の10月。ちょうどNHKの大河ドラマ『どうする家康』が放送されていた頃。
三方ヶ原の戦いなどはとっくの昔に終わっていたし、レポートをアップするタイミングもここまで遅くちゃねえ・・・
歴史好きな皆さんのお目汚しにならなければいいのですが。
女房が町内の友人とお茶したカフェ。
「ずっとモーニングがあるし、面白いので行ってみない?」
に釣られた。ずっとモーニングは岐阜ではチョイチョイあるのでそれほど珍しくはないが・・・
店内は広くない。カウンターとテーブル席とで20人も入ればいいところ。
ケアカフェと謳う理由は体に良いものを出してるからとのこと。
メニューの中で出色なのが『今日のスムージー』。
レタスとかクコとかふつうスムージーに入れなさそうなものがブレンドされている。
それも写真のようなビールの生ジョッキに入れて出してくれる。
これはブラックニッカのラベルみたいで嬉しいなあ・・・
モーニングの内容はメインがトーストか玄米おにぎり、温い茶碗蒸し、スープ(合せ味噌の味噌汁だと思うが)、お惣菜、ゼリー、デザートとそれぞれ少量ながらも盛だくさん。
店名の『サードプレイス』は文字どおり第三の場所、転じて居心地の良い場所という意味らしい。お店のスタッフさんにケアマネージャー、介護福祉士、理学療法士がいたりして体に良い食材を出しているとのこと。そんなところが『ケアカフェ』と謳う理由なのだそうだ。
先月からリーフのドアノブが不調である。
ドアノブの内側と外側とが剥離したような状態になってる。それも運転席のドアノブだから毎回毎回うっとおしい。
ドアを開けるときにドアノブの外側カバーを掴んで開けようとしたのが原因である・・・ハッキリ言って私が壊したわけだから誰にも文句言えん(-_-;)
で、日産のお店に見せに行くと、部品を取り寄せて修理とのこと。概算見積もり¥15,235 チーン(-_-;)
やらないわけにもいかないので、実際に修理し、支払うと日産カードの会員割引もあって¥14,470 で済んだ。
でも転んでもタダでは起きないぞ・・・DMで来店特典がある日を修理予約したので貰ってきた!!!
時季的に花火シーズン。昨年も花火が景品だった覚えだ。
ふふふ、これでお盆に孫ちゃんが来ても楽しめるぞ (^^)v
昨年2023年に完成した岐阜県の新庁舎。20階(高さ90m)にある『清流ロビー』。岐阜の景色を一望できるランドマーク。女房が幼馴染と月イチで会うのに結構利用してるとのことで、お噂はかねがね。でも私ゃ行ったことがないので頼んで連れて行ってもらった(^^ゞ
エレベーターから出て北側のフロアに出たところ。やや北西方面。
目を東北方面に向けると、金華山や岐阜駅など岐阜市の中心部が見える。
こちら側の詳しい案内図がこれである。
目を凝らすと山裾あたりに岐阜大学病院や建設中の東海環状道が見える。
また岐阜市中心部の主要な建物をズームしてみる。岐阜城に先月末に閉店した高島屋岐阜店、柳ヶ瀬グラッスル35、岐阜駅前のタワー43など・・
そして、南側に回ってみる。まずは南西方面、長良川が流れていく方向。養老山地などが見える。
名古屋駅の高層ビル群も見えるには見えるけれど、ボーッとしていて写真には撮りずらい。とりあえず捉えられたのは一宮138タワー。ユニークな形のものはわかりやすくていいわ。
あと、女房が幼馴染と会食をするというレストランが2階にあるというので行ってみた。ガラス張りでナカナカいい。食事やカフェをしたかったが、後の予定があったのでパス。
今年から県の指定金が久しぶりに十六銀行に戻ったが、前に指定金だった大垣共立銀行も庁舎内に出店している。またATMコーナーには十六・大共のほか農協や信金の機械も置いてあった。
今度はモーニングかランチをしに来たいなあ(^^ゞ