明日、時間がありますかと、電話がありました。
私だけ、時間を自分で作る生活をしているわけではないので、
たっぷりと、24時間であります、と返事をしたら、
謝った。こそばゆい!悪かった!
事は、「相模原、やまゆり学園」で生じた殺人事件。
一部、「殺す権利」「殺されたくない権利」の論が横行しているというのだ。
どう思うか、意見を聞きたいのですが?
即、断った!
そんな論理に時間を費やすなら、増えた柿の熟柿がない、と
悩んだ方がいい!
身ごもった健常者が「障がい」の子を産むか、中絶か」、
母や父の、潜在意識を「障がい者として蔑視」としてとらえるか!?
そんなこと、母となり、父となる、二人に任せたらいい!
脇道逸れましたが、
成人の、殺す権利、殺されたくない権利、とは、
どういう論点から生じた、権利の法則なのだろうか。
会いたいという方は、
相模原の鬼畜が信じた、
「T4作戦」を勉強していただきたい。
「T4作戦」さすがのヒトラーさえ、解体させた団体です。
殺人者の精神鑑定をと、こまねいている「司法」
何を、導き出そうとしているのだろう!
権利とは、私は、単純に、
生まれた瞬間「生きる権利」が付帯されただけ、
それは、「障がい者」でも「健常者」でも同等の権利と思っていた。
何でもない、「障がい」の方がいて、困っていたら、ただ、
彼がこまねいていることに、手を貸すだけの事と思っていた。
それは「健常者」の腹が減って、躓いた、体を、
支えるのと一緒。
何も、特別扱いすることもあるまい。
殺す権利、殺されたくない権利を、身障者の殺人に及んだ「鬼畜」を原点にした、
知識人が、とうとうと、壇上で唾をはきはき、悦に入ってるを知ると、
担当者と、断りを替え「やまゆり園」で逢うことにしました。
「向う三軒両隣」しょっちゅう、面倒くさいときもあるけど、
決して、肝に銘じて忘れていけない心休まる、表現言葉と思いますが!