東京裁判でただ一人国際法の専門家であり、「A級戦犯」全員無罪の判決を出したインド代表判事、ラダ・ビノード・パール博士の広島の本照寺境内に建立された「大亜細亜悲願之碑」にベンガル語、日本語そして英語で刻まれている言葉に出会った。
パール判事のお名前と「東京裁判」で無罪を主張されたことは存じ上げていたが、広島の本照寺の石碑のことは知らなかった。
1966年10月に勲一等瑞宝章をわが国は授与することで、その功績を称えることができたが、今年の終戦記念日にあまり話題になってなかったのではないだろうか?
アメリカの占領政策の見事なる成果か???マスコミの不勉強さか??日本国民の忘れっぽさか?
For the peace of those departed souls
who took upon themselves the solemen vow
at the salavation ceremony of oppressed Asia,
"OH! Lord, thou being in my heart,
I do as appointed by you"
1952.11.5 Radhavinod Pal
激動し 変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の想いを抱いて死んでいった
しかし
大地深く打ちこまれた
悲願は消えない
抑圧されたアジア解放のため
その厳粛なる誓いに
いのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ 真理よ!
あなたはわが心の中にある
その啓示に従って われは進む
1952年11月5日 ラダ・ビノード・パール
パル判事は、ただ一人、該博な国際法の知識をもとに、提出された全ての証拠証言などを全て検討され、ニュルンベルグ裁判で作られ、東京裁判所条例で採用された新しい罪状である「文明に対する罪」「人道に対する罪」という概念に対し、いわゆるA級戦犯として訴追されていた日本人被告全員の無罪を主張し、長文の意見書を提出した。
これは裁判では朗読さえ拒否され、占領下の日本では翻訳も出版も許されなかった。
日本人に罪の意識を植えつけて、未来永劫十字架を背負わせるという、占領軍の計画は見事に効を奏し、日本人に対するジェノサイドである原爆への怒りされも、内訌させることに成功したのである。怒りは日本自身に向けられ、平衡感覚は失われた。
(「大亜細亜悲願之碑 パール判事」から引用:写真も)
【『パール博士のことば』田中正明著より引用】
東京裁判において真理に基づき堂々と日本を弁護した、インドのパール判事が昭和27年に広島を訪問した。そして平和公園の『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』という碑文に「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。」と語ったところ、小町にある本照寺の住職・筧義章氏が「檀徒の諸精霊のため『過ちは繰り返しませぬから』に代わる碑文を書いていただきたい。」と懇願された。これを聞かれた博士は、筧義章氏がインド独立運動志士ラス・ビハリ・ホース氏の信任を受けていた事もあり、快く引き受けられた。
軍事裁判-パール判事
ラダ・ビノード・パール - Wikipedia
パール判事のお名前と「東京裁判」で無罪を主張されたことは存じ上げていたが、広島の本照寺の石碑のことは知らなかった。
1966年10月に勲一等瑞宝章をわが国は授与することで、その功績を称えることができたが、今年の終戦記念日にあまり話題になってなかったのではないだろうか?
アメリカの占領政策の見事なる成果か???マスコミの不勉強さか??日本国民の忘れっぽさか?
For the peace of those departed souls
who took upon themselves the solemen vow
at the salavation ceremony of oppressed Asia,
"OH! Lord, thou being in my heart,
I do as appointed by you"
1952.11.5 Radhavinod Pal
激動し 変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の想いを抱いて死んでいった
しかし
大地深く打ちこまれた
悲願は消えない
抑圧されたアジア解放のため
その厳粛なる誓いに
いのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ 真理よ!
あなたはわが心の中にある
その啓示に従って われは進む
1952年11月5日 ラダ・ビノード・パール
パル判事は、ただ一人、該博な国際法の知識をもとに、提出された全ての証拠証言などを全て検討され、ニュルンベルグ裁判で作られ、東京裁判所条例で採用された新しい罪状である「文明に対する罪」「人道に対する罪」という概念に対し、いわゆるA級戦犯として訴追されていた日本人被告全員の無罪を主張し、長文の意見書を提出した。
これは裁判では朗読さえ拒否され、占領下の日本では翻訳も出版も許されなかった。
日本人に罪の意識を植えつけて、未来永劫十字架を背負わせるという、占領軍の計画は見事に効を奏し、日本人に対するジェノサイドである原爆への怒りされも、内訌させることに成功したのである。怒りは日本自身に向けられ、平衡感覚は失われた。
(「大亜細亜悲願之碑 パール判事」から引用:写真も)
【『パール博士のことば』田中正明著より引用】
東京裁判において真理に基づき堂々と日本を弁護した、インドのパール判事が昭和27年に広島を訪問した。そして平和公園の『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』という碑文に「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。」と語ったところ、小町にある本照寺の住職・筧義章氏が「檀徒の諸精霊のため『過ちは繰り返しませぬから』に代わる碑文を書いていただきたい。」と懇願された。これを聞かれた博士は、筧義章氏がインド独立運動志士ラス・ビハリ・ホース氏の信任を受けていた事もあり、快く引き受けられた。
軍事裁判-パール判事
ラダ・ビノード・パール - Wikipedia