ゴールデンウィークに『江戸にゃんこ 浮世絵猫づくし』を観てきました。
そこで、目を引いたのが薄雲大夫ととにゃんを描いた作品。お互いが愛おしそうにしています。
薄雲さん、かなりのにゃんこ好きですが、それもそのはず。この薄雲さんとにゃんこをめぐる出来事が招き猫の由来との説もあるのです。
以前もまとめましたが、招き猫誕生には諸説あります。もっとも有力と言われているのが「豪徳寺説」。徳川家康に仕え、徳川四天王のひとりとして名を馳せた井伊家に纏わる話。有名なひこにゃんは招き猫と井伊家の関係から誕生したキャラクターです。
招き猫誕生の諸説の中で最大の悲話と言えるのが薄雲説です。
どんな話か――いつものように都合よく加工しながら紹介します。
太夫という遊女として最高ランクに君臨していた薄雲さん。簪もにゃんこをあしらったものを使うほどの大のにゃんこ好き。「玉」と名づけたにゃんこと暮らしていました。
薄雲さんがあまりにも玉をかわいがるもんですから「オレもにゃんこになりたい!」などと言い出すお客さんもいたそうです。
しかし、見世(遊女が客を待ち居並ぶ座敷)の人たちは、薄雲さんのあまりのにゃんこ好きに「太夫は化け猫に取り憑かれたのでは?」などと心配。このため、いろんな方が薄雲さんから玉を引き離そうとします。
薄雲さん「太夫がにゃんこ好きってそんなに問題ですか?」
見世の人「フツーは問題にならないけど、薄雲さんは特別だよ。だって、いつだって玉がすぐそばにいるじゃないか。それじゃ商売にも差し支えるってもんだ」
薄雲さん「あら、玉はお客さんの邪魔をすることなんてありませんよ。ねぇ、玉」
玉「にゃーん!(そのとおり!)」
なんてやり取りがあったかどうかはわかりませんが、薄雲さんも玉を離さず玉も薄雲さんから離れずですからどうしようもありません。
そんなある日、薄雲さんがトイレに入るときまで玉が離れようとしません。
にゃんこが離れずに太夫がちっこ漏らしたなんてことになったら評判がガタ落ちです。その様子をみて、日ごろから太夫と玉を引き離したいと思っていた見世の人は苛立ちを爆発! こともあろうに刀を持ち出して玉の首を斬ってしまったのです。
切り落とされた首は、そのままトイレに侵入。潜んでいた大蛇の頭にガブリと噛みつき撃退すると、玉は安心したように息を引き取りました。
あまりの出来事に悲しみに打ちひしがれる薄雲さん。お寺に猫塚を建て玉の像を奉納しますが、悲しみは癒されません。
見かねたお客さんが、長崎から30センチほどの伽羅の銘木を取り寄せて、在りし日の玉の姿を彫ることにしました。
「どんなポーズて彫ろうかなぁ〜。縁起のいいポーズにしたいなぁ〜。おっ、そうだ! 玉の石像も手を挙げているし……」
ということで決めたのが「狐が顔を洗うために左手で耳を触ればお客さんが来る」という中国の故事の狐をにゃんこに置き換えたポーズ。そうです! 招き猫ポーズです!
彫り上げられた玉の像を、薄雲さんは大事にしていました。
その後、薄雲さんは身受けをされて吉原を去りますが、死後に玉の木彫像をお寺に奉納。それをモデルに今戸焼で再現して販売したところ大好評に。連日「招き猫は完売しました!」という看板を出すほど……だったかはわかりませんが、庶民の間に浸透。こうして、招き猫が誕生し広がったというのです。
しかし、ここでいくつかの疑問。お寺に奉納されたという玉の石像はだいぶ破損していますが、すでに左手を上げています。この石像はいつできた? 木彫の玉は左手をあげていますが、今戸焼の招き猫が上げているのは右手。中国の故事が元ネタなら左手でなければいけないはずなのになぜ変わった? また、玉は三毛猫だったとのことですが、浮世絵のにゃんこは白黒。今戸焼の招き猫にも三毛はいないような?
などなど……。まぁ、誕生説が定まらず、ミステリアスなところが残るのも伝説の主人公がにゃんこならではなのかもしれません。
ちなみに、今回の写真は出張先の長崎で見かけたにゃんこ。残念ながら、どちらも尾曲だったかは確認できませんでした。
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