オリンピックは、平和の祭典とも呼ばれています。けれども、現実は、お金の儲かるオリンピックと呼ばれています。その原資は、もちろん税金のことです。莫大な税金に、政治家、官僚、大手ゼネコン、あらゆるお金の亡者が群がっています。あ、庶民には、お金は行き渡りません。むしろ、お金を出す方です。
オリンピックは、利権の争奪戦のことであり、どれだけお金を引っ張って来られたか、それが評価の対象になっているのかと思ったりします。そこには、「平和の祭典」などという理念など、とっくの昔に亡くなっています。オリンピックに浮かれて、盗作、無駄な建築によって、税金から莫大なお金が引っこ抜かれてしまいます。その結果、後の世代に負の遺産を残すことになるでしょう。東京オリンピックもゴタゴタが酷く、その行く末が案じられるというものです。
少し、落ちついて世の中を見てみると、教育に大きな使命と責任を負っている文部科学大臣が、違法献金を受け取っていたり、国民を守るためと言って集団的自衛権を行使すべきと言ったり、国会前でデモをしているのに、首相が読売新聞の偉い人と寿司屋で飯を食うとか、もう、めちゃくちゃじゃないでしょうか。
私も歳を取ったのか、これまでの感覚では、立派な人とは、表も裏も立派な人という感覚がありましたが、現在は、赤らざまに表は立派な人面して、裏は下劣な人というのが標準になってきているように思います。私も、もう化石のような人になってしまったのかもしれません。それはそれで、青過ぎるという気もしますが、最近の政治状況、川内原発再稼働、オリンピックのことなどを見聞きしていると、もうウンザリしている今日この頃です。