週の初め、朝早く出発して、その日の夜に星野先生とお会いすることができました。ずいぶんとご無沙汰してしまい、私が死ぬ前に一度はお会いして、農伝時代にお世話になったこと、不義理であったこと、その他、感謝や懺悔など、少しばかりでもお伝えできればと思っていました。普段から、ぼんやりと、そんなことを思っていましたが、虫の知らせなのか何なのか、出かけることにしました。
霊によって、いや例によって、アポなしでお訪ねしました。お会いできるか、できないか、それは神さまにお委ねしているからです。神さまが会わせてくださるなら、お会いできるだろうし、お会いできなかったとしたら、神さまが会わせてくださらなかったということだと思っていました。結果的に、神さまの許しがあり、お会いすることが叶いました。しかし、それは私の理屈で、先生の方はというと、付属施設で建築の打ち合わせが長時間あり、翌日は付属施設の朝礼拝があるということで、まったく迷惑な来訪者だったことと思います。しかし、先生の方も、数日前にお客さんとの会話の中で私の名前があがり、「どうしているのかな」と思い出されたということでした。不思議だなぁと思わされました。
お会いして思ったのは、お互いに歳を取ったということは勿論ですが、25年ほど前とまったく同じように牧師館に迎えてくださり、食事を共にしてくださり、話をしてくださったということです。思い起こすと、神学校の教師というのは、学生に与えるばかりで大変だったと思います。方や、学生は、受けるばかりで、何も与えることなどできる存在ではなかったように思います。今、そんなことも考えることができるようになって、心の中で改めて感謝するばかりで、頭が下がります。先生は、私の在学中、農伝の農場を担当しておられ、講義も担当されていました。そこで、牛を飼うことなど、少し教えてもらいました。私は、先生の農村伝道の神学や、農村伝道の経験から、今でも農伝になくてはならない先生、ミスター農伝、ザ・農伝であると思っています。
そんな星野先生も、数年後には隠退を考えておられるご様子でした。先生が働き始めた時代は、きっと色々な夢を持ち、挑戦し、創り出して行こうという気風に満ちた時代ではなかったかと想像します。ご夫婦で二人三脚しながら、苦労をも喜びとして、伝道に燃え、努力した分の評価を得ることができた歩みではなかったかと思います。それは、先生の著書を見れば分かります。特に、「湖畔の小さな教会」という小さな本が好きです。そして、隠退を控えている今も、松崎の町でなくてはならない施設を生み出した教会の牧師さんとして、変わらない評価を得ておられるご様子でした。私が卒業してから20年も経っていますが、先生の姿は年相応なれど、魂はまったく変わっていませんでした。
消費が美徳とされる時代があり、今、若い牧師と呼ばれる世代の人たちは、そんな時代に育った人が多いのではないかと思います。消費が美徳とは、言い替えれば、より良いものを求めるために、使い捨てをするということです。星野先生は、牧師が短期間で教会を転任すると、地域に根ざした良い働き、じっくりと育てるということができないのではないかと嘆いておられました。私に対する指導の意味もあったのではないかと思っています。それは、その通りだと思います。かなり乱暴な言い方をすれば、教会の使い捨て、また、牧師の使い捨てという現象は、より良いものを求めるというと、何だか聞こえが良いのですが、牧師も信徒も教会も時代の影響を少しは受けていたことではないのかなと思っています。
これからの時代、これまで良かれと思っていたものを否定し、色々なものが崩れ去ってしまう時代になろうとしているように思います。希望に燃えて創り出そうという気風に満ちた時代があり、消費は美徳と考え、少しでも良いものを追い求めようとした時代があり、そしてこれからの時代は、追い求めて来たものが否定され、負の遺産を担わなければならないという、難しい時代に変わろうとしているのではないかと思わされます。これからの時代の若者は、何と大変なことか、「祝福あれ」と祈らざるを得ません。
いずれにしても、どのような時代であっても、そこで生きる主権は自らにあるという思いをもって、神さまのお守りと祝福を魂の内に感じながら、姿形は変われども、明るく楽しく歩むことが大切なのではないかと考えさせられます。先生には、その変わらない魂をもって神学校時代と同じように教えられ、励まされました。感謝いたします。先生ご夫妻のご健康と祝福をお祈り申し上げます。