融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2016年02月20日 | 日記

 明日2月21日(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、10時から讃美歌練習、10時15分から礼拝が始まります。メッセージの題は、「愛の教えで完成させた」です。讃美歌は「よろこびの日よ」(今月の歌)、「ああ主は誰がため」、「十字架のもとに」です。礼拝後、祈りの一時、但馬世界祈祷日(3月5日開催)の讃美歌練習、そしてお茶の一時があります。どなたでもご出席ください。

 人は、誰でも自由に生きる権利があるし、その権利は尊重されなければならないと思います。私も自由に生きたいし、人に将棋のコマのように操られたりされたくありません。泣いたり、笑ったり、面白おかしく過ごしたいです。でも、人に迷惑だけは掛けないようにしたい、それだけです。未来の子どもたちにも迷惑掛けたくありません。

 だから、原発はエコじゃなくて、エゴだと思っています。核廃棄物の処分場の話をしようとしないのは、それをすると様々なウソがバレて話が面倒になるからです。問題先送りというやつです。ご都合主義で問題先送りにしているのに、経済とか利権が大事なのだから、原発再稼働と言う人は、今、美味しいところだけをもらって、未来に核のゴミを放り捨て、子孫に迷惑を掛けているようなものです。そう考えるのは、おかしいことでしょうか。

 


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「共鳴によって伝わっていた」

2016年02月20日 | 聖書のお話

「共鳴によって伝わっていた」 マタイによる福音書 5章13~16節

 イエスさまは、「あなたがたは地の塩である。」と言われました。地の塩とは、岩塩のことではないでしょうか。料理になくてはならない塩味をつけたり、保存食を作ったりと、何物にも代えがたい塩のような効能を持ちなさいと教えられているように思います。またイエスさまは、「あなたがたは世の光である。」と言われました。世の光とは、明かりのことではないでしょうか。闇の中を明るく照らすように、輝き渡る明かりのような存在でありなさいと教えられているように思います。つまり、イエスさまの愛の教えに基づく効能を発揮する者として、世に自らを現し続けなさいということではないかと思います。イエスさまの愛の教えを、誰かに伝え教えなさいというのではありません。教えるのではなくて、自らが愛の教えを実践して、その様子を示しなさいというのです。そうすれば、その行いを見た人が、神さまの愛を悟り、神さまを誉め称えるようになるとイエスさまは教えているのではないでしょうか。

 私たちは、振り返ると、すぐに教えようとするところがあります。教えるには、人に教えるための知識も経験も必要になってきます。それは、より難しい方法であるように思えます。けれども、教えなくて良いというのなら、人に教えるための知識も経験も不必要になってきます。それは、より易しい方法であるのかもしれません。偉くなりたいとか、褒められたいというような雑念を捨て、一人の信仰者として純粋にイエスさまの愛の教えを行うならば、きっと他の人から見習われるようになるのではないでしょうか。教えられるよりも、自発的に見習おうとすることの方が、より身につくというものです。福音とは、共鳴することによって伝わるものだと教えられているように思います。

 


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