「愛の上に建っていた」 コリントの信徒への手紙一 3章10~17節
パウロは、第一回宣教旅行でコリントを訪ねました。そこで、「十字架の言葉」によって、「キリストという土台」を据え、その後、他の人がパウロの作った土台の上に教会を建てました。パウロは、「おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。」と言い、例えを用いて「この土他の上に、だれかが金、銀、宝石、木、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。」、「かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。」と教えています。「かの日」とか「火が現れ」という言葉は、来たるべき審判であるとか、試練を堪え忍ぶことを連想させられます。
パウロは、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」と言いました。人が偉いなどと言っているのではありません。人の内に神の霊が宿ると言っているのです。また、「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。」と言いました。「神の神殿を壊す」とは、自分の身体を粗末に扱うこと、途中で教会を建てるのを挫折してしまうことを指しているのかもしれません。「滅ぼす」とは、一般的には裁きの言葉ですが、この場合は脅かしているのではなく、人の内に宿る神の霊の尊さを教えています。だからこそ、信じる者は「あなたがたはその神殿なのです。」と教えられているのではないでしょうか。