融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

地域の草刈り

2016年07月08日 | 日記

 今日は、小雨模様の一日でした。10日(日)には、地域の草刈りがあるのですが、日曜早朝とはいえ、作業でバテてしまっては、礼拝のお勤めができませんので、昨年同様、自治会長さんにお断りして、先に一部の草刈りをさせてもらいました。小雨とはいえ、昨日の様なカンカン照りよりは身体が楽でした。

 ここのところの暑さは、室内にいても室内熱中症にかかりそうなほどでした。暑い日が続きますが、皆さんもお体ご自愛ください。

 


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「神の霊は、神を伝えていた」

2016年07月08日 | 聖書のお話

「神の霊は、神を伝えていた」 コリントの信徒への手紙一 2章6~16節

 パウロは、「信仰に成熟した人には知恵を語ります。それは、この世の知恵でもなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもありません。」と教えています。「この世の知恵」や「この世の滅び行く支配者たちの知恵」とは、不正にまみれた人間的な知恵(悪だくみ)のことで、金銭欲、出世欲、征服欲等を連想させられたり、今風に言えば「政治とカネ」の問題なども連想させられます。では、パウロの伝えようとしてる「知恵」とは、一体何なのでしょうか。それは、「隠された神秘の知恵」とか「世界の始まる前から定められていた知恵」とか「もし、その知恵を理解していたら、キリストを十字架につけたりはしなかっただろう」と表現されている「知恵」のことです。

 パウロの言う「知恵」とは、人間の頭では決して理解できないものです。それは、パウロが弱さの極みにあったとき、パウロの内に臨んだ神の霊によって初めて分かったことです。だからこそ、人間的には「弱さこそ恵」なのです。また、パウロは、神の霊が人に臨んでいるかどうかは分からないので、外見によって「わたしはパウロに、わたしはアポロに、わたしはケファに」と派閥争いをすることを戒めています。神の霊は、神ご自身を伝えますので、「霊の人」は、誰でも「神は愛です」と告白するものです。弱さの極みを体験したパウロだからこそ、自らを「霊の人」と証することができたのではないでしょうか。

 


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