「自然体で生きていた」 コリントの信徒への手紙一 2章1~5節
パウロは、前回コリントを訪れたとき、肉体も精神も「弱り果てて」いたようです。それまでの訪問地で、「優れた知識」を用いて宣教しましたが、投獄されたり、騒動が起こったり、逃げ出したりしたこともあったからです。だから、コリントでは「霊」のみを頼りにして、シンプルで、核心をつくところの「十字架の言葉」だけを宣べ伝えました。そのおかげで、仲間もでき、教会もできたことが伝えられています。けれども、その後のコリントの教会は、派閥争いあり、権威主義に走ったり、まるで「優れた知恵」に振り回されているかのような状況に陥っていました。
そんなコリントの教会の人たちに、パウロはかつての自分の経験を伝えているように思います。人は、元気であればあるほど、自分の知恵や力に頼ってしまうものです。けれども、行き詰まりを経験し、自分の弱さを自覚したとき、本当の意味で神さまを頼り、神さまに全てを委ねることができるようになるものです。言い換えれば、自然体で生きるということです。パウロは、イエスさんを信じる信仰者として、イエスさんの愛と赦しに寄り頼み、その教えに全てを委ねて生きようとするとき、気取らず、気負わず、自然体で生きることができるようになれると教えているのではないかと思います。