融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

なるほど、教えられました。

2018年05月21日 | 日記

 教区総会から帰ってきました。

 少し、教えられたことをがあり、備忘録として書き記し、今後の参考にしたいと思いました。

 今回の総会でも、教会堂の維持・修繕献金のために、み言葉ハガキを持って行きました。いつもは、5枚入り200円の設定なのですが、色々なことを考えて、3枚入り100円の仕様にしてみました。そのほうが、少しでも買ってもらえるかなと思ったからです。

 それで、幾種類かの聖句を選んだのですが、その中の一つに「貧しい人々は幸いである。」を入れました。「貧しい人々は幸いである。」というみ言葉は、聖書の素晴らしい言葉ではないかと思います。他の教会や教区から色々な形で支援を受けている私たち浜坂教会にしてみれば、貧しいことを「幸い」と説いてくれるイエスさんの教えは、心が励まされる思いがします。

 しかし、それは、浜坂の現場でそう思うことであって、神戸とか芦屋とかの人たちにとっては、「貧しい人々幸いである。」と聞くと、「何それ」という部分もあるのではないかというご意見をいただきました。例えば、「神は愛です。」とか、そんなみ言葉だったら良かったのではないかということです。なるほど、それもそうですね。

 一方で、聖書の言葉を都合よく引用するのもどうかなと思いつつ、献金を募るためには、貴重な意見を参考にすることも大切なことだとも思います。良いと思っても、売れなければ実利がありませんし、不満があっても、売れさえすれば実利があるというものです。何事も、囚われずに視野を広げて考えてみることは大切なことだと思います。

 ところで、最近はメールが主流になり、ハガキなどは段々と使われなくなっているようです。メールであれば、キーボードを打って送信ボタンを押せば、ほぼすぐに相手に届きます。ハガキは手書きすれば時間はかかるし、私のような字が下手な人にとっては苦痛でもあります。52円切手も必要ですし、ポストに投函しなければなりません。配達にも数日かかります。

 何から何まで非効率のように思われ、ハガキを使う人などいないと思われたりもしますが、だからこそ心のこもったハガキが届いたなら、ひときわ気持ちが伝わるというものではないでしょうか。ハガキが使われなくなっているからこそ、効果的なハガキの使いようというものを考えて、ここぞという時に使う、そういう使い方について考えてみるということが大切ではないかと思います。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする