融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

52円→62円

2018年05月25日 | 日記

 以前のエントリーで、郵便ハガキの料金を52円と書いてしまいましたが、62円に値上がりしていることを思い出しました。

 お詫びして訂正いたします。

 


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草刈り完了

2018年05月24日 | 日記

 昨日は雨でしたが、今日は良いお天気になりましたので、残りの草刈りをしました。

 教会の前にある教会員さんの土地ですが、400坪くらいあるでしょうか。エンジン草刈り機を使っています。チップの付いた金属製の回転刃を使っているのですが、段々と土が痩せてきたのか、石が表面に出てきています。そのため、石に刃が当たり、音に驚いたり、チップが欠けて切れ味が悪くなったりと、やりにくくてしょうがありません。そのため、チップソーをナイロンコードのアタッチメントに交換して草刈りをしました。

 チップソーは重量が重く、惰性で回り続けようとするので、草を刈るとき極端に回転数が落ちることがありません。そのため、ハーフスロットルの状態でいられますので、振動で手もあまり痺れませんし、必然的に燃費も悪くありません。

 一方、ナイロンコードは重量が軽く、スロットルを閉じればすぐに回転数が落ちてしまいます。草を叩き切るような動きになりますので、常にフルスロットルの状態を保っていないと、回転数が維持できません。振動で手も痺れますし、必然的に燃費も悪くなります。チップソーの場合と比べると、半分ほどの燃費です。

 また、ナイロンコードも消耗しますので、草刈り中に何度も交換する手間がかかります。それでも、チップソーよりは経済的です。ただ、ガソリンは倍かかりますので、結局同程度のコストなのかも知れません。

 地面から石が飛び出てきましたので、これからはナイロンコードの出番が多くなりそうです。

 

 


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草刈り

2018年05月22日 | 日記

 今日は、お天気も良かったので、駐車場の草刈りをしました。

 急いで刈るほどではなかったのですが、早めにやらないとご近所さんに気を使わせてしまうと思ったからです。草刈りをしていると、町内の方が、「ようやってくれてる。」と声をかけてくださいました。

 草の丈が高くはないので、ナイロンコードで刈ってみました。中くらいの石ころが多い場所なので、ナイロンの方が都合が良いのです。ナイロンは、草を細かく砕くので、私の好きな生臭い草の香りがします。

 用事が入ったので、半分くらい残ってしまいました。明日、お天気が良ければ続きをしたいと思いますが、生憎、午前中から雨の予報のようです。

 以前、体に痛みがあり、すわ病気かと思ったのですが、まぁまぁ痛みも治まりましたので、筋トレを再開しました。筋トレと言っても、運動不足にならない程度のものです。

 


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備忘録

2018年05月22日 | 日記

 教区総会の1日目が終わり、元町で予約しているホテルに向かって歩いていたときのことです。元町駅前の手前にある横断歩道で、信号が青になるのを待っていました。

 いつまで経っても青にならないので、おかしいなぁと思いつつ、「ま、いいか」と思い、そのまま立ち続けていました。安物の古びたリュックを背負い、両手にたくさんの荷物を持つという出で立ちでした。

 ふと、背後に横を過ぎ去ろうとする人の気配を感じたので、何気なくそちらの方を向くと、カップルとおぼしき若い男女のうちの女性が、歩行者用押しボタンを押して、そのまま立ち去って行きました。すると、車道の信号がすぐに黄色になり、赤になり、そして横断歩道の信号が青になりました。

 そのとき、この横断歩道は、歩行者用押しボタンを押さない限り、いつまで経っても青にならないのだということに気がつきました。それで、立ち去って行く若い二人の背中に向かって、「どうもすみません」と声を掛けました。すると、女性が歩きながら顔だけこちらを向けて、小さく会釈してくださいました。

 私は、横断歩道を歩きながら、あの女性は、両手が塞がっていて、押しボタンを押さないと信号が変わらないことを知らなさそうな私の姿を見て、さりげなく押しボタンを押すという親切をしてくれたのだと悟りました。こんな親切な若い人たちがいるんだと思うと、心が暖かくなりました。

 ふと、自称・他称クリスチャンという人なら、「貧しい人々は幸いである。」と教えられている人なら、どうだったのかと想像してみました。いかにも都会に溶け込んでいない風体丸出しの、両手に荷物をいっぱい持った人を見て、どう思うのだろうかと。

 いずれにしても、そのような私の姿は、弱そうな姿であったと思います。そうすると、私が弱いから、恵みを得たのかも知れません。とにかく、若い人の親切に触れて心が暖かくなりました。弱いこともまんざらではないと思わされました。

 


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なるほど、教えられました。

2018年05月21日 | 日記

 教区総会から帰ってきました。

 少し、教えられたことをがあり、備忘録として書き記し、今後の参考にしたいと思いました。

 今回の総会でも、教会堂の維持・修繕献金のために、み言葉ハガキを持って行きました。いつもは、5枚入り200円の設定なのですが、色々なことを考えて、3枚入り100円の仕様にしてみました。そのほうが、少しでも買ってもらえるかなと思ったからです。

 それで、幾種類かの聖句を選んだのですが、その中の一つに「貧しい人々は幸いである。」を入れました。「貧しい人々は幸いである。」というみ言葉は、聖書の素晴らしい言葉ではないかと思います。他の教会や教区から色々な形で支援を受けている私たち浜坂教会にしてみれば、貧しいことを「幸い」と説いてくれるイエスさんの教えは、心が励まされる思いがします。

 しかし、それは、浜坂の現場でそう思うことであって、神戸とか芦屋とかの人たちにとっては、「貧しい人々幸いである。」と聞くと、「何それ」という部分もあるのではないかというご意見をいただきました。例えば、「神は愛です。」とか、そんなみ言葉だったら良かったのではないかということです。なるほど、それもそうですね。

 一方で、聖書の言葉を都合よく引用するのもどうかなと思いつつ、献金を募るためには、貴重な意見を参考にすることも大切なことだとも思います。良いと思っても、売れなければ実利がありませんし、不満があっても、売れさえすれば実利があるというものです。何事も、囚われずに視野を広げて考えてみることは大切なことだと思います。

 ところで、最近はメールが主流になり、ハガキなどは段々と使われなくなっているようです。メールであれば、キーボードを打って送信ボタンを押せば、ほぼすぐに相手に届きます。ハガキは手書きすれば時間はかかるし、私のような字が下手な人にとっては苦痛でもあります。52円切手も必要ですし、ポストに投函しなければなりません。配達にも数日かかります。

 何から何まで非効率のように思われ、ハガキを使う人などいないと思われたりもしますが、だからこそ心のこもったハガキが届いたなら、ひときわ気持ちが伝わるというものではないでしょうか。ハガキが使われなくなっているからこそ、効果的なハガキの使いようというものを考えて、ここぞという時に使う、そういう使い方について考えてみるということが大切ではないかと思います。

 

 


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