旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

あれから14年 閑雲野鶴日記2025年(令和7年)3月11日(火)

2025-03-11 23:59:59 | 閑雲野鶴日記

 7時頃の羽田空港と当地です。
 当地は晴れ、気温は-1.5度です。


 『日中』は快晴のち晴れ、最高気温は10.0度でした。
 14年前も、お天気の良い一日でした。


 今日は、2011年(平成23年)3月11日14時46分に発生した、東北地方太平洋沖地震およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故の災害から14年を迎えました。
 当地はほとんど被害がはありませんでしたが、未だに避難生活を送っている方も多く復興までほど遠いのが現状です。
 当時は、電車通勤であった電車が止まり自家用車通勤に切り替えたものの、東北唯一の仙台の製油所が津波で被害を受けガソリンの供給が止まり、その確保に苦労したことが思い出されますが、入手できないこともなく乗り切ることが出来ました。
 これは、震災後1週間の3月18日から横浜・根岸の製油所から新津・秋田・青森を経由して盛岡まで、JR東日本の線路に加え青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道約1,000㎞に及ぶ石油輸送が始まったためでした。
 災害から1週間でこの輸送が始まったのは奇跡的なことでした。
 駅前の駐車場でよく手を振っていました。


 おまけ。
 今夜の肴。
 「キャベツのベーコン炒め、手羽中の煮物、鯖水煮缶のチーズ焼き、さきいか人参」「玉子豆腐」


缶詰ではないのですが 閑雲野鶴日記2025年(令和7年)3月10日(月)

2025-03-10 19:27:41 | 閑雲野鶴日記
 日の出前です。 
 朝焼けが見えるのは日の出前の30分程度と言われていますが、これは朝焼けでしょうか。


 7時頃の羽田空港です。


 当地は晴れ、気温は3.2度です。


 朝焼けは雨が近づいている時など、空気中の水分(水蒸気)が多くなると赤く鮮やかな色になるため天気下り坂のサインとも言われます。
 しかし、『日中』は快晴、最高気温は6.5度でした。


 3週間ほど前に申し込んだ物が届きました。



 『おもちゃのカンヅメ』の前身となる『まんがのカンヅメ』がスタートしたのは1967年(昭和42年)でした。当初は本当に缶詰されていたようですが、最近は缶に入るどころかプラスチック製のおもちゃになっています。




 おまけ。
 今夜の肴。
 「冷や奴」「牛蒡の牛肉巻き」「さきいか人参、スライス大根の昆布茶和え、豚肉とキャベツの蒸し煮」


朝を迎えました 閑雲野鶴日記2025年(令和7年)3月9日(日)

2025-03-09 23:59:59 | 閑雲野鶴日記

 冬はともかくとして、青葉若葉の頃は朝一番に窓を開けたくなりますね。


 窓から見える道を挟んだ林の中腹には、1969年(昭和44年)7月6日に開館した『財団法人日本ユース・ホステル協会』直営の「おいらせユースホステル」があり、若い頃はよく遊びに行っていました。


 そのユースホステルも、2010年(平成22年)11月1日より長期休館となった後、2021年(令和3年)3月31日付で閉館となりました。
 看板は今でも残っています。「奥入瀬」は開館当初の表記、ほどなく「おいらせ」の表記になったと記憶しています。


 さて昨夜泊まった「奥入瀬渓流ホテル」はかつての「奥入瀬渓流グランドホテル」。


 正確には、「奥入瀬渓流ホテル東館」が「奥入瀬渓流グランドホテル」。「奥入瀬渓流ホテル西館」が「奥入瀬渓流第二グランドホテル」だったと記憶しています。


 当時のオーナーの杉本行雄さんが岡本太郎と親交があり、その縁でここには岡本太郎作品が残されています。
 「東館ロビー森の神話」にある大暖炉は、『森の神話』。


 「西館渓流ラウンジ」(案内図では「渓流-BASA」と表記されています)にはかつての大暖炉『河神』が、役目は終わっていますがまだ残されています。


 「東館ロビー森の神話」から見えるホテルと渓流の間の渓流の小道には、木立の中に佇む『太郎カッパ神像』もあります。


 もう一つ、かつての「奥入瀬渓流第二グランドホテル」の大宴会場には『渓流賛歌』という緞帳があったように記憶していますが、今はどうなっているんでしょうね。
 そろそろ朝食の時間です。


 会場は、ビュッフェの「青森りんごキッチン」。




 イメージ写真です。



 郷土料理を中心に50種類以上のメニューですが、全く青森感を感じないものを選びました。


 ゆっくり朝食を頂いてチェックアウト。
 途中、頼まれたお菓子を買って帰宅しました。




 昼食は、久しぶりに青い森鉄道野辺地駅の「駅そばパクパク」の「中華丼」です。掛紙は自作です。あしからず。




 『日中』は晴れ、最高気温は7.0度でした。


 おまけ。
 今夜の肴。
 「手羽中と大根の赤酢煮、白菜のなめたけ和え、さきいか人参・鯖の味噌煮」「麻婆豆腐」


お祝い 閑雲野鶴日記2025年(令和7年)3月8日(土)

2025-03-08 23:59:59 | 閑雲野鶴日記

 7時頃の羽田空港と当地です。
 当地は晴れ、気温は-1.6度です。


 今日は仲間内の結婚のお祝いで、奥入瀬渓流ホテルに来ています。


 今日はこのお部屋に一人で泊まります。




 夕食はフレンチレストラン「Sonore(ソノール)」です。
 17時30分スタートです。
 先ずは、渓流の瀬音を耳にしながらのアペロです。(合成写真です)


 この後、レストランに入ります。


 今日のメニューです。
 シンプルです。お料理が出されるまで想像して待つしかありませんが、これもお楽しみの一つです。


 『蟹』 
   葱


 『鮪』
   蓮根




 「パン」


 『鴨』
   菊芋/玄米


 『じゃっぱ汁』
   鱈/軍鶏/トリュフ


 『帆立貝』
   人参/粟


 『真曹以』
   牡蠣/法蓮草/トマト


 『牛』
   トレビス/カシス


 『洋梨』
   アーモンド/マルメロ


 『薩摩芋』
   無花果/メープルシロップ


 「アイスクリーム」


 「ホットハーブティー」


 「南部せんべい」(焼きたて)


 今回は、お料理とワインのマリアージュをお願いしたので、とても楽しいひとときでした。21時終了。
 後日、もう少し詳しいお料理の情報とワインの紹介をしたいと思います。

青函航路 閑雲野鶴日記2025年(令和7年)3月7日(金)

2025-03-07 19:16:33 | 閑雲野鶴日記

 7時頃の羽田空港と当地です。
 当地は雪、気温は1.0度です。


 湿った雪が4㎝ほど積もっています。


 『日中』は晴れたと思えば雪が降り、また青空が見えたと思ったら雪が降る。何度繰り返したことでしょうか。
 最高気温は2.2度でした。




 銀製のワイングラスと思われるものが1脚だけあります。


 ワイングラスの底「フット(プレート)」の裏には『青函連絡設備落成記念』『純銀』『竹谷製』『秋田』とあります。
 『秋田』『竹谷製』とありますから、1830年(天保元年)創業、秋田銀線細工の『竹谷』で作られたものでしょう。
 「青函連絡」とは青函連絡船を意味しているところまでは分かっていますが、『青函連絡設備落成』が何を指すのかは不明です。
 1908年(明治41年)の今日3月7日は、帝国鉄道庁(国鉄)が青森・函館間定期航路を開設した日です。
 青函連絡航路開設当初は、青森・函館とも連絡船が着岸できる岸壁は無かったそうで、連絡船が直接着岸し、乗客だけでなく貨車・荷物車等を直接積載できる設備が完成したのが1925年(大正14年)と言われていますから、このときの記念の品ではないかと思われます。


 おまけ。
 今夜の肴。
 「白菜のなめたけ和え、手羽元のカレー煮、手羽中の赤酢煮、サンマの醤油煮・さきいか人参」