旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

青い森鉄道全駅下車の旅18(完)~三沢駅・上北町駅

2016-10-17 16:44:23 | 青い森鉄道全駅下車の...
 快速しもきた 八戸行で次の下車駅、三沢駅に向かいます。


野辺地  15:06着 15:10発   
千曳    レ
乙供    レ   
 外観がピンクで目を引く東北町浄化センター。


 七戸町李沢家ノ後地区の、七戸バイオ高炉工場です。木質資源を燃料とする小型高炉で廃家電などを溶解し、金属などを回収する工場で、バイオの名の通り木材をチップに加工することが不要なため、建設廃材などをそのまま燃やせる特徴があるそうです。


上北町  15:24着 15:25発
 下り線では上り線の橋脚が邪魔をしてよく見えない小川原湖も、上り線ではよく見えます。




小川原   レ 
 小川原駅を出てすぐ、保守点検用でしょうか上り線と下り線のを結ぶ渡り線が見えます。


 23分間の乗車で到着します。
三沢   15:33着




 米軍基地の街だけあって、駅名票もここだけのものがあります。






 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線の有人駅です。
(向山駅方面)


(小川原駅方面)


 駅舎は橋上駅になっていて自由通路があり、正面口と東口があります。




正面口には、今から1300年あまり前、京の公家 橘中納言道忠が世をはかなみ都を離れ小川原湖のほとりに庵を構えました。京に残された玉代姫・勝世姫の二人の姉妹は、父を訪ねて湖畔にたどり着きましたが既に父は亡く、悲しみのあまり姉妹は湖に身を沈めたという伝説にちなんだ、玉代姫・勝世姫のこけしと、基地の街らしく飛行機のオブジェのついたポストが並んでいます。


 そういえばホームの待合室の窓にも飛行機が描いてあります。


 三沢駅前には、旧駅舎が二つ現存します。
 一つは国鉄時代に建てられた、白樺の駅舎です。現在は、「青い森たびショップみさわ」
が入っています。正面からだと分かりませんが、1番線のホーム側から見るとよく分かります。




 もう一つの駅舎は、平成24年4月に廃止された十和田電鉄の駅舎です。


 今でもバスの待合室として使われていて、バス出札口やそば屋がそのまま残っています。




 電鉄時代の頭端式ホーム1面はそのまま残り、2線のレールは撤去されています。


 駅の側にある現在の「星野リゾート 青森屋」。旧古牧温泉の名残なのか、元湯のある建物には「古牧」の文字が見えます。


 普通 青森行に乗って、最後の下車駅上北町駅に向かいます。


三沢   15:56着 15:57発   
 かつては、在日米軍三沢基地へ至る全長7.9kmの専用線がありましたが、いまは廃止され、陸橋の先で断線しています。


小川原  16:02着 16:02発   
9分間の乗車で到着します。
上北町  16:05着






 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線の有人駅です。
(乙供駅方面)


(小川原駅方面)


 今では珍しい煉瓦造りの保管庫が、今でも倉庫として使われています。


 駅舎は国鉄時代からのもので、待合室も広いものです。






 駅前には、気を付けなければ気がつかない駅開業88周年記念と思われる記念石があります。


 逆に目に付くのは、町村合併前の「上北町(かみきたまち)」の町章をでサインした日時計です。


 2日に分けた青い森鉄道全駅下車の旅も終わり、普通 青森行に乗り家路につきます。


上北町  16:59着 17:00発

   
乙供   17:05着 17:05発   
千曳   17:10着 17:11発   
 16分間の乗車でした。
野辺地  17:16着


 旅の終わりは、昭和27年から販売されている野辺地駅の駅弁「とりめし」。かつては東京の駅弁大会でも売られたことのあるものです。




 おしまい

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