我が家にある鉄道コレクションで一番古い物です。
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酸化というか黒ずみを、丁寧かつ慎重に落としました。
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ワイングラスと思われる1脚です。
プレートの裏には『青函連絡設備落成記念』『純銀』『竹谷製』『秋田』とあります。
『竹谷製』とありますから、1830年(天保元年)創業、秋田銀線細工の『竹谷』で作られたものでしょう。
プレートの裏には『青函連絡設備落成記念』『純銀』『竹谷製』『秋田』とあります。
『竹谷製』とありますから、1830年(天保元年)創業、秋田銀線細工の『竹谷』で作られたものでしょう。
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「青函連絡」とは青函連絡船を意味しているところまでは分かっていますが、『青函連絡設備落成』が何を指すのかは不明です。
1908年(明治41年)3月7日の青函連絡航路開設当初は、青森・函館とも連絡船が着岸できる岸壁は無かったそうです。
連絡船が直接着岸できる設備が出来たのは、1923年(大正12年)から1924年(大正13年)にかけてと言われていますから、大正時代のものではないかと想像されます。
1908年(明治41年)3月7日の青函連絡航路開設当初は、青森・函館とも連絡船が着岸できる岸壁は無かったそうです。
連絡船が直接着岸できる設備が出来たのは、1923年(大正12年)から1924年(大正13年)にかけてと言われていますから、大正時代のものではないかと想像されます。
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