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旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅5~いよいよ洞爺湖

2014-12-30 04:56:05 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 2日目、9月21日。いよいよ今日は洞爺湖です。
 これまた5連休ということで、洞爺の周辺の駅レンタカーは満車。一番近いところで伊達紋別のトヨタレンタカーの予約ができたので、まずはそこまでの移動。
 昨日の天気は晴天、今日の予報も晴天のはずが、曇天。


 東室蘭からは再び普通列車に乗り伊達紋別へ。東室蘭を出てすぐ、測量山をバックに、室蘭港に入港するにっぽん丸が見えました。
 普通列車の旅もいいけど、豪華客船の旅もいいだろうな。


本輪西から黄金の間はトンネル、又トンネル。7.6㎞の間に12カ所。


 黄金では、2階建て全室個室の札幌行きカシオペアと行き違い。


 ホームの脇がすぐ海岸の北舟岡を過ぎると、いよいよ伊達紋別。


 伊達紋別駅に着いて目を引くのが、改札口側に置かれた大きな兜です。
 所在地の名前は、「伊達市」。駅の名前は「伊達紋別」。
 兜の上に掲げられた案内板によると、まず駅名「伊達紋別の由来は、元々「紋別」、アイヌ語の「シュム・ウン・ケ・ン・ペッ(西にあるところの子川)」といっていたところだが伊達邦成一族の開拓によるところから、明治33年伊達村と称し、駅名は東北本線の「伊達」とまぎらわしいため「伊達別」とした。とありました。


 兜を設置した理由については、仙台の支藩、亘理伊達藩が戊辰戦争で官軍に対抗したため領地を没収されたことにより、天地に亘理城再興の夢を託して、明治3年から11年間にわたり領主伊達邦成以下、旧家臣・領民合わせて2,800余名海を渡って移住し当地の開拓に当たった。特に、北海道では間初になる洋式農具による開墾、近代的な製糖工場の設立など北海道の開拓にとって大きな原動力になった。この兜は、海越えた武士たちのフロンティアスピリットの象徴として設置た。とありました。
 なお、一つ手前の北舟岡は、仙台藩船岡領の人たちが入植た所だそうです。

 つづく


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