知床斜里駅を出発して10分。止別駅に着きました。
駅名票の他に「えきばしゃ」の看板。今は無人駅ですが、有人駅時代の駅長事務室で「ラーメン喫茶・えきばしゃ」が営業している為の看板でした。列車を利用するお客さんより、網走まで並行して走る国道334号を車で来る人が断然多いと思われます。
止別駅を出ると、砂丘の内陸側を進むため、林や畑・牧草地という景色が続き、浜小清水駅に着きます。
開業当初は、アイヌ語の「フル・ツイ・イ」(丘のきれている所)から古樋(ふるとい)駅と言いましたが、小清水町の浜にあるので昭和27年「浜小清水駅」に改称したそうですが、砂丘に阻まれて駅からは海は見えませんでした。
浜小清水駅を出ると、右に砂丘、左に濤沸湖を見ながら原生花園に沿って進みます。
5分ほど走ったところに、5月から10月まで開業するの臨時乗降場の原生花園駅があります。
小清水原生花園には昭和29年に昭和天皇が、そして昭和33年には皇太子時代の今上天皇も訪れており、それを記念して原生花園内の高台を天覧ヶ丘展望台と呼よんでいるそうです。
北浜駅は、オホーツク海にいちばん近い駅として知られる駅で、止別駅同様に旧駅務室を利用して喫茶「停車場」が営業しています。ホームの端には木製の展望台もありました。
北浜駅を出て今度は左手に藻琴湖が見えて来ると、藻琴川の下流である水路を渡り、藻琴駅に着きます。
藻琴駅では、釧網本線数多くある駅舎を活用した喫茶店などの元祖「軽食&喫茶トロッコ」が営業しています。
駅舎は大正13年開業当時の建物がそのまま使われていました。
引き続き、海岸線に沿って走ると鱒浦駅に着きます。
昔からマス漁が盛んだったというこの地域では、並行して走る国道沿いのカニの直売店では、「鮭トバ」ではなく「鱒トバ」が売られているとのことです。
短い鱒浦トンネルを出たところで網走港に停泊している飛鳥Ⅱが見え、網走トンネル抜けると桂台駅。
カーブしたホームと、道路から降りる階段の途中に駅の出入り口と、鉄骨フレームガラス張りの待合室がある桂台駅は、住宅も多く、高校もあるためか乗降客も比較的多く見られました。
桂台駅を出ると右に市街を見ながら左にカーブを切ると、定刻18時49分に終点網走駅に到着しました。
7月下旬ということもあり、日没間もない時間帯なのに「キヨスク」はもう閉店。よく見ると営業時間が7時40分から17時40分。
網走駅には、駅名標には珍しい縦書きのものもあります。これは網走刑務所で刑期を終えて列車で帰る出所者に対して、これからは真っすぐな人生を歩んでほしいという願いと戒めを込めたものだそうです。
階段を挟んで反対側には、「モヨロ人の漁撈(ぎょろう)の像」。
その碑文には、「6~9世紀頃、サハリンなどの先方からオホーツク沿岸に渡来してきた「オホーツク文化」の人びと、網走市最寄(モヨロ)貝塚はその代表的な集落跡です。彼らはクジラやトド、アザラシなどを主な生活の糧とする古代の優れた海洋狩猟民族でした。」と書かれていました。このモヨロ貝塚を発見したのは青森県人だそうです。詳しくは、http://kamuimintara.netで(株)りんゆう観光、カムイミンタラ編集室が配信している「冊子カムイミンタラ21号」をご覧下さい。
さて、今日の宿泊は、駅から徒歩2分の「ホテル サン・アバシリ」。1人1泊朝食付き4,000円と今までにない安さ。どんなところかと思えば、三井住友海上陸上競技部か合宿中ということから、そこそこだろうと思いました。
この日の夜は、あばしりオホーツク夏まつり花火大会が開催されていたので、花火を見ながら市の中心部まで歩き、「オホーツク観光郷土料理」のステッカーが貼ってある「蒸気船」で夕食。
つづく
(知床斜里駅・止別駅間)
駅名票の他に「えきばしゃ」の看板。今は無人駅ですが、有人駅時代の駅長事務室で「ラーメン喫茶・えきばしゃ」が営業している為の看板でした。列車を利用するお客さんより、網走まで並行して走る国道334号を車で来る人が断然多いと思われます。
止別駅を出ると、砂丘の内陸側を進むため、林や畑・牧草地という景色が続き、浜小清水駅に着きます。
(止別駅・浜小清水駅間)
開業当初は、アイヌ語の「フル・ツイ・イ」(丘のきれている所)から古樋(ふるとい)駅と言いましたが、小清水町の浜にあるので昭和27年「浜小清水駅」に改称したそうですが、砂丘に阻まれて駅からは海は見えませんでした。
浜小清水駅を出ると、右に砂丘、左に濤沸湖を見ながら原生花園に沿って進みます。
(濤沸湖と遠くに藻琴山)
5分ほど走ったところに、5月から10月まで開業するの臨時乗降場の原生花園駅があります。
小清水原生花園には昭和29年に昭和天皇が、そして昭和33年には皇太子時代の今上天皇も訪れており、それを記念して原生花園内の高台を天覧ヶ丘展望台と呼よんでいるそうです。
(天覧ヶ丘展望台)
(原生花園駅・北浜駅間)
(濤沸川を渡るとまもなく北浜駅)
北浜駅は、オホーツク海にいちばん近い駅として知られる駅で、止別駅同様に旧駅務室を利用して喫茶「停車場」が営業しています。ホームの端には木製の展望台もありました。
(北浜駅)
(北浜駅から見るオホーツク海)
北浜駅を出て今度は左手に藻琴湖が見えて来ると、藻琴川の下流である水路を渡り、藻琴駅に着きます。
(藻琴湖)
藻琴駅では、釧網本線数多くある駅舎を活用した喫茶店などの元祖「軽食&喫茶トロッコ」が営業しています。
駅舎は大正13年開業当時の建物がそのまま使われていました。
引き続き、海岸線に沿って走ると鱒浦駅に着きます。
昔からマス漁が盛んだったというこの地域では、並行して走る国道沿いのカニの直売店では、「鮭トバ」ではなく「鱒トバ」が売られているとのことです。
短い鱒浦トンネルを出たところで網走港に停泊している飛鳥Ⅱが見え、網走トンネル抜けると桂台駅。
(網走港に停泊中の「飛鳥Ⅱ」)
カーブしたホームと、道路から降りる階段の途中に駅の出入り口と、鉄骨フレームガラス張りの待合室がある桂台駅は、住宅も多く、高校もあるためか乗降客も比較的多く見られました。
(桂台駅)
桂台駅を出ると右に市街を見ながら左にカーブを切ると、定刻18時49分に終点網走駅に到着しました。
7月下旬ということもあり、日没間もない時間帯なのに「キヨスク」はもう閉店。よく見ると営業時間が7時40分から17時40分。
網走駅には、駅名標には珍しい縦書きのものもあります。これは網走刑務所で刑期を終えて列車で帰る出所者に対して、これからは真っすぐな人生を歩んでほしいという願いと戒めを込めたものだそうです。
階段を挟んで反対側には、「モヨロ人の漁撈(ぎょろう)の像」。
その碑文には、「6~9世紀頃、サハリンなどの先方からオホーツク沿岸に渡来してきた「オホーツク文化」の人びと、網走市最寄(モヨロ)貝塚はその代表的な集落跡です。彼らはクジラやトド、アザラシなどを主な生活の糧とする古代の優れた海洋狩猟民族でした。」と書かれていました。このモヨロ貝塚を発見したのは青森県人だそうです。詳しくは、http://kamuimintara.netで(株)りんゆう観光、カムイミンタラ編集室が配信している「冊子カムイミンタラ21号」をご覧下さい。
さて、今日の宿泊は、駅から徒歩2分の「ホテル サン・アバシリ」。1人1泊朝食付き4,000円と今までにない安さ。どんなところかと思えば、三井住友海上陸上競技部か合宿中ということから、そこそこだろうと思いました。
この日の夜は、あばしりオホーツク夏まつり花火大会が開催されていたので、花火を見ながら市の中心部まで歩き、「オホーツク観光郷土料理」のステッカーが貼ってある「蒸気船」で夕食。
つづく
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