第11列車 釧網本線 普通 網走行 乗車距離141.9km
始発 釧路 15:50発
塘 路 16:20着 16:20発
茅 沼(かやぬま) 16:27着 16:28発
五 十 石(ごじっこく) 16:33着 16:34発
標 茶(しべちゃ) 16:41着 16:42発
磯 分 内(いそぶんない) 16:51着 16:51発
南弟子屈(みなみてしかが) 16:57着 16:58発
摩 周(ましゅう) 17:06着 17:06発
美 留 和(びるわ) 17:15着 17:15発
川湯温泉(かわゆおんせん) 17:22着 17:23発
緑 (みどり) 17:38着 17:39発
札 弦(さっつる) 17:46着 17:47発
清 里 町(きよさとちょう) 17:54着 17:54発
南 斜 里(みなみしゃり) レ
中 斜 里(なかしゃり) 18:01着 18:02発
知床斜里(しれとこしゃり) 18:06着 18:07発
止 別(やむべつ) 18:17着 18:17発
浜小清水(はまこしみず) 18:23着 18:23発
原生花園(げんせいかえん) 18:27着 18:28発
北 浜(きたはま) 18:32着 18:33発
藻 琴(もこと) 18:36着 18:36発
鱒 浦(ますうら) 18:39着 18:40発
桂 台(かつらだい) 18:45着 18:45発
網 走(あばしり) 18:49着
今日の最後の列車は、塘路駅16時20分発網走行普通列車。
茅沼駅までは、右に塘路湖・シラウトロ湖を、左手に釧路湿原を見ながら進みます。
茅沼駅は釧路湿原の奥にあり、過去に駅員が餌付けをして「タンチョウの来る駅」として全国に知られるようになり、現在も冬になるとその姿を見ることが出来るそうです。
今は無人駅ですが、「タンチョウの来る駅」の看板が着いていました。
次の停車駅五十石駅。明治20年代にこの先にある硫黄山(正式にはアトサヌプリ=跡佐登)の硫黄をここまで陸路で運び、この先釧路までは釧路川を五十石船で運搬したことから付けられた駅名だそうです。
ここの住所は、標茶町オソベツ723番地の1。地名には五十石はついていません。
ちなみに、オソベツとはアイヌ語の、「オソッ・ペッ」。川尻の滝という意味だそうですが、この辺は湿原で滝等があるとは思えないのですが、町名の標茶はアイヌ語の「シペッチャ」。大きな川のほとりという語源だそうですから、湿原から大きな川に流れ落ちる様子が、滝のようにも見えたのでしょうか。
五十石から先は、左手に釧路川と原野を見ながら進み、標茶駅に着きます。
平成元年4月までは、ここから標津町の根室標津駅に至る本線と、途中の中標津駅で分かれて厚床駅に至る支線から成る標津線がありました。
鉄道で栄えた街なのでしょう、ホームには古いレールが展示されていました。
また、「SL函館大沼号」や「SL冬の湿原号」などに使われている蒸気機関車は、一度廃車になり標茶町の児童公園にて静態保存されていたものを復元したものだそうです。
ここから摩周駅までの区間は、アトサヌプリの硫黄を運搬するためにはころで釧網本線の摩周-標茶間は旧釧路鉄道の路盤を使用したものである。釧路鉄道はアトサヌプリ(跡佐登=硫黄山)の硫黄を運搬するために明治25年から明治30年まで営業していた旧釧路鉄道の路盤を使用しています。
標茶駅の次は磯分内駅。ここは海からほど遠い場所なのに駅名に「磯」という海を連想させる文字が使われています。地名はアイヌ語の「イソポ・ウン・ナイ(うさぎのいる川)」に由来し、音に当て字をしたため「磯」という文字が使われたようです。「うさぎのいる川」というのは、標茶町と弟子屈町の町境にある小川の沢に兎が多く住んでいたことからだそうです。
南弟子屈駅を通って、摩周駅まではひたすら牧場や原野の中を走ります。
摩周駅は平成2年に弟子屈駅から改称した駅で、駅前から摩周第一展望台行きのバスが出ています。また、先行した「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」がその名の通り21分間停車する駅でもあります。
摩周駅では下り「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」と交換して出発。北に進路を変え、右の美留和山が迫ってくると、美留和駅に着きます。車掌車だった駅舎には美留和小学校の児童によって絵が描かれ、フラワーポットも置かれていました。
屈斜路湖と摩周湖の中間部分を両側を林に囲まれ進み、川湯温泉駅に着きます。
昭和63年3月に川湯から改称した駅で、登別、洞爺、湯の川、定山渓、層雲峡、十勝川温泉といった北海道有数の温泉の中では、駅から3.5㎞と唯一徒歩圏内に温泉街があります。
川湯は「セセキ=ベツ」(熱い川)を意訳したもので、釧路鉄道によって運搬され硫黄を産出したアトサヌプリは駅から2㎞ほどの所にある、標高512mの活火山に指定されているいて、今でも噴煙を上げています。硫黄を産出する山を一般に硫黄山と言いますが、「硫黄山」といえばここアトサヌプリを指す指すことがり、付近の地名には「跡佐登」の字を使っています。
改札口の脇には足湯があり、先行した「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」はここでも20分ほど停車するそうです。
川湯温泉から100分の25という坂を上り、北見・釧路国境の釧北トンネルを抜け下ると緑駅に行きます。
緑駅はもともと上札鶴駅といいましたが、上斜里村から清里町に町制移行した際に緑町と町名が変更したのに合わせて昭和31年に改称したそうです。駅名の通り、駅舎や道路の舗装まで緑色になっていました。
緑駅を出ると更に列車は下り、谷がひろがり、斜里川に沿うと札弦駅に到着します。
以前は「札鶴」と書いていたそうですが、緑駅と同じく町名変更のため昭和31年に改称したそうです。
札弦駅の側には建材メーカーで有名な「札鶴ベニヤ」の本社工場があります。こちらは勿論、改称していません。
札弦駅を出ると、右手に斜里岳とを見ながら、碁盤の目のように畑を区切る木々を見ながら、直線で走っていくと清里町駅に到着します。
「清里」といえば、小海線の駅。ここは上斜里駅を昭和31年に「清里町」に改めた駅。
清里町は昭和30年に町制施行する以前の、昭和18年に、小清水村(現小清水町)と斜里町から分村し、前身の上斜里村として誕生したことから、町制施行を機会に母村の小清水と斜里から1字ずつ取ったのが名前の由来だそうです。
次の駅は、畑の中に待合室もなく1本のホームだけがぽつんとある南斜里駅。列車は下り4本、上り2本しか停まらないためなかなか途中下車できないため、秘境駅のひとつに数えられています。
南斜里駅を通過して、麦やビート、ジャガイモの畑が広がる中、中斜里駅から北上して知床斜里駅に着きます。
平成17年に世界自然遺産として正式登録された知床への玄関口となる駅で、世界遺産登録への取組を始めた平成10年に斜里駅からから知床斜里に改称したそうです。
また斜里町は、文化4年(1807年)に北方警備のため派遣され、越冬中に殉難死した津軽藩士の慰霊碑を昭和48年に建立したことから、昭和58年に弘前市と友好都市の盟約を結び、それを記念してその年「弘前ねぷた」が斜里町に伝授され、それ以来ねぷたを中心に交流を重ね続けいて、今では「しれとこ斜里ねぷた」として定着しているということで、ホームには「ねぷた」が展示されていました。
つづく
始発 釧路 15:50発
塘 路 16:20着 16:20発
茅 沼(かやぬま) 16:27着 16:28発
五 十 石(ごじっこく) 16:33着 16:34発
標 茶(しべちゃ) 16:41着 16:42発
磯 分 内(いそぶんない) 16:51着 16:51発
南弟子屈(みなみてしかが) 16:57着 16:58発
摩 周(ましゅう) 17:06着 17:06発
美 留 和(びるわ) 17:15着 17:15発
川湯温泉(かわゆおんせん) 17:22着 17:23発
緑 (みどり) 17:38着 17:39発
札 弦(さっつる) 17:46着 17:47発
清 里 町(きよさとちょう) 17:54着 17:54発
南 斜 里(みなみしゃり) レ
中 斜 里(なかしゃり) 18:01着 18:02発
知床斜里(しれとこしゃり) 18:06着 18:07発
止 別(やむべつ) 18:17着 18:17発
浜小清水(はまこしみず) 18:23着 18:23発
原生花園(げんせいかえん) 18:27着 18:28発
北 浜(きたはま) 18:32着 18:33発
藻 琴(もこと) 18:36着 18:36発
鱒 浦(ますうら) 18:39着 18:40発
桂 台(かつらだい) 18:45着 18:45発
網 走(あばしり) 18:49着
今日の最後の列車は、塘路駅16時20分発網走行普通列車。
茅沼駅までは、右に塘路湖・シラウトロ湖を、左手に釧路湿原を見ながら進みます。
(塘路駅・茅沼駅間)
茅沼駅は釧路湿原の奥にあり、過去に駅員が餌付けをして「タンチョウの来る駅」として全国に知られるようになり、現在も冬になるとその姿を見ることが出来るそうです。
今は無人駅ですが、「タンチョウの来る駅」の看板が着いていました。
次の停車駅五十石駅。明治20年代にこの先にある硫黄山(正式にはアトサヌプリ=跡佐登)の硫黄をここまで陸路で運び、この先釧路までは釧路川を五十石船で運搬したことから付けられた駅名だそうです。
ここの住所は、標茶町オソベツ723番地の1。地名には五十石はついていません。
ちなみに、オソベツとはアイヌ語の、「オソッ・ペッ」。川尻の滝という意味だそうですが、この辺は湿原で滝等があるとは思えないのですが、町名の標茶はアイヌ語の「シペッチャ」。大きな川のほとりという語源だそうですから、湿原から大きな川に流れ落ちる様子が、滝のようにも見えたのでしょうか。
五十石から先は、左手に釧路川と原野を見ながら進み、標茶駅に着きます。
平成元年4月までは、ここから標津町の根室標津駅に至る本線と、途中の中標津駅で分かれて厚床駅に至る支線から成る標津線がありました。
鉄道で栄えた街なのでしょう、ホームには古いレールが展示されていました。
また、「SL函館大沼号」や「SL冬の湿原号」などに使われている蒸気機関車は、一度廃車になり標茶町の児童公園にて静態保存されていたものを復元したものだそうです。
ここから摩周駅までの区間は、アトサヌプリの硫黄を運搬するためにはころで釧網本線の摩周-標茶間は旧釧路鉄道の路盤を使用したものである。釧路鉄道はアトサヌプリ(跡佐登=硫黄山)の硫黄を運搬するために明治25年から明治30年まで営業していた旧釧路鉄道の路盤を使用しています。
標茶駅の次は磯分内駅。ここは海からほど遠い場所なのに駅名に「磯」という海を連想させる文字が使われています。地名はアイヌ語の「イソポ・ウン・ナイ(うさぎのいる川)」に由来し、音に当て字をしたため「磯」という文字が使われたようです。「うさぎのいる川」というのは、標茶町と弟子屈町の町境にある小川の沢に兎が多く住んでいたことからだそうです。
(磯分内駅・南弟子屈駅間)
南弟子屈駅を通って、摩周駅まではひたすら牧場や原野の中を走ります。
摩周駅は平成2年に弟子屈駅から改称した駅で、駅前から摩周第一展望台行きのバスが出ています。また、先行した「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」がその名の通り21分間停車する駅でもあります。
摩周駅では下り「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」と交換して出発。北に進路を変え、右の美留和山が迫ってくると、美留和駅に着きます。車掌車だった駅舎には美留和小学校の児童によって絵が描かれ、フラワーポットも置かれていました。
(美留和駅・川湯温泉駅間)
屈斜路湖と摩周湖の中間部分を両側を林に囲まれ進み、川湯温泉駅に着きます。
(川湯温泉駅の足湯)
昭和63年3月に川湯から改称した駅で、登別、洞爺、湯の川、定山渓、層雲峡、十勝川温泉といった北海道有数の温泉の中では、駅から3.5㎞と唯一徒歩圏内に温泉街があります。
川湯は「セセキ=ベツ」(熱い川)を意訳したもので、釧路鉄道によって運搬され硫黄を産出したアトサヌプリは駅から2㎞ほどの所にある、標高512mの活火山に指定されているいて、今でも噴煙を上げています。硫黄を産出する山を一般に硫黄山と言いますが、「硫黄山」といえばここアトサヌプリを指す指すことがり、付近の地名には「跡佐登」の字を使っています。
改札口の脇には足湯があり、先行した「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」はここでも20分ほど停車するそうです。
川湯温泉から100分の25という坂を上り、北見・釧路国境の釧北トンネルを抜け下ると緑駅に行きます。
(釧北トンネル)
緑駅はもともと上札鶴駅といいましたが、上斜里村から清里町に町制移行した際に緑町と町名が変更したのに合わせて昭和31年に改称したそうです。駅名の通り、駅舎や道路の舗装まで緑色になっていました。
緑駅を出ると更に列車は下り、谷がひろがり、斜里川に沿うと札弦駅に到着します。
以前は「札鶴」と書いていたそうですが、緑駅と同じく町名変更のため昭和31年に改称したそうです。
札弦駅の側には建材メーカーで有名な「札鶴ベニヤ」の本社工場があります。こちらは勿論、改称していません。
札弦駅を出ると、右手に斜里岳とを見ながら、碁盤の目のように畑を区切る木々を見ながら、直線で走っていくと清里町駅に到着します。
(札弦駅・清里町駅間)
「清里」といえば、小海線の駅。ここは上斜里駅を昭和31年に「清里町」に改めた駅。
清里町は昭和30年に町制施行する以前の、昭和18年に、小清水村(現小清水町)と斜里町から分村し、前身の上斜里村として誕生したことから、町制施行を機会に母村の小清水と斜里から1字ずつ取ったのが名前の由来だそうです。
次の駅は、畑の中に待合室もなく1本のホームだけがぽつんとある南斜里駅。列車は下り4本、上り2本しか停まらないためなかなか途中下車できないため、秘境駅のひとつに数えられています。
(南斜里駅)
南斜里駅を通過して、麦やビート、ジャガイモの畑が広がる中、中斜里駅から北上して知床斜里駅に着きます。
(中斜里駅・知床斜里駅間)
平成17年に世界自然遺産として正式登録された知床への玄関口となる駅で、世界遺産登録への取組を始めた平成10年に斜里駅からから知床斜里に改称したそうです。
また斜里町は、文化4年(1807年)に北方警備のため派遣され、越冬中に殉難死した津軽藩士の慰霊碑を昭和48年に建立したことから、昭和58年に弘前市と友好都市の盟約を結び、それを記念してその年「弘前ねぷた」が斜里町に伝授され、それ以来ねぷたを中心に交流を重ね続けいて、今では「しれとこ斜里ねぷた」として定着しているということで、ホームには「ねぷた」が展示されていました。
つづく
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