いわきに1泊し、今日8月1日はいよいよ最終日。
いわき6時58分発常磐線線原ノ町行き普通列車。昨日と同じ411系1000番台ロングシート4両編成。3番線からの発車です。
この電車も、正面の行き先表示は真っ白でした。
いわきの発車メロディーは、クラシック曲でした。
土曜日ということもあって1両に7人の乗車。1人は、朝まで飲んで帰るおじさん。ペットボトルの水を片手に千鳥足で乗ってきて、そのままロングシートにゴロン。
いわき駅は、平成に入ってからの駅名。以前は、平と言いました。
田んぼの中にある草野駅を過ぎ、四ツ倉駅からは海岸線が迫ってきました。
久ノ浜を過ぎると、末続まで短いトンネルが4つ。トンネルを出るたびに、三陸のリアス式海岸を思わせるかのように、海岸線が迫ってきます。
末続から広野までは、短いトンネルが6つありました。
最後のトンネルを抜けると、「広野」の名の通り広々とした田畑が広がっていました。
文部省唱歌「汽車」の一節、「とんねるのやみをとおってひろのはら」は、ここをうたったものだという説もありますが、実際に見てみると、次の木戸駅の手前がふさわしいような気がしました。
木戸駅の名物はホームにあるミニのお城。写真が不鮮明でよく見えませんが、左上に写っているお城は、職員が仕事の合間に作った物で、五層の天守閣の屋根には鯱がのっていて、コンクリートでできた石垣の回りには、堀を思わせる池がありました。
写真の隅に写っているペットボトルは、酔っぱらいのおじさんの物。まだ寝ています。
人の乗り降りがほとんど無かった車両に、竜田で高校生が乗ってきました。
富岡では、普通列車と行き違いのため4分停車。
富岡から夜ノ森にかけて、海に向かうように大きくカーブし、海が正面に見えてきました。小学校1年生の時に見た景色はここかなと思いました。
夜ノ森は、ホームの両側の斜面300mぐらいにツツジの木があり、土手の上には桜の太い木がたくさんありました。4月か5月に来てみたいものだと思いました。
夜ノ森で7~8人乗ってきて、車内は18人。空いています。
双葉で、高校生のほとんどが降りて、車内は10人に。
次の浪江で、酔っぱらいのおじさんが降りて、高校生14~5人を含む20人ほどが乗って来ました。
桃内で、普通列車と行き違いで3分停車。
次の小高では、特急列車との行き違いで4分停車。間もなく、原ノ町です。
原ノ町8時30分定刻、2番線に到着。
今度の列車は、原ノ町8時53分発常磐線仙台行き普通列車。到着したホームの3番線からの発車です。
8時48分到着の列車の折り返しということで少々時間がありました。
ここでは、あるものを探していました。目に入ったのは、向こうのホームに見えるポスター、五所川原立佞武多。
でも探していたのは、ポスターではありません。
ホームで待つのをあきらめ、買いに行こうとした時です、来ました。目立つ蛍光色のジャンパーを着た弁当屋さん。
ここ原ノ町は、東北地方で唯一、昔ながらに箱に入れての駅弁の立ち売りがある駅です。
普通列車にも弁当の立ち売りをするのにはびっくりしました。
目立つといえば、同じ電車から降りて仙台行きを待っていると思われる女性。年齢30歳前後、身長170㎝前後で容姿端麗。しかし、作業服に見えるグレーの上下を着て、首に白いタオルを巻き、手には時刻表一冊。よほどのことがないと、手に持ち歩く時刻表は小型の物なのですが、手にしている物は大判の物。何とも目立つのです。
列車が入ってきました。E721系クロスシート4両編成。
1両に12人ほどの乗車で、定刻発車。
東北本線と分岐する岩沼までは、単線です。
早速先ほど買った、「浜のかにめし」を食べることにしました。
かにのフレークを炒めているという点では、長万部のかにめしと同じですが、味付けが中華風のように感じました。
ちょうど食べ終えた頃、相馬で7~8人乗ってきて隣にも座りました。
駒ヶ嶺、新地と過ぎ宮城県に入りました。
この頃には、朝から曇っていた空も青空が広がり、日も差してきました…
気がついたら、名取を出たところでした。30分ほど居眠りをしたようです。その間に前の座席にも人が座り、車内は立っている人もいて満員状態になっていました。
仙台10時8分2番線到着。
つづく
※ この旅の1年7ヶ月後、平成23年3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震に伴って、福島第一原子力発電所事故が起こり、常磐線は現在も 竜田駅・原ノ町駅間と、相馬駅・浜吉田駅間が普通になっています。
いわき6時58分発常磐線線原ノ町行き普通列車。昨日と同じ411系1000番台ロングシート4両編成。3番線からの発車です。
この電車も、正面の行き先表示は真っ白でした。
いわきの発車メロディーは、クラシック曲でした。
土曜日ということもあって1両に7人の乗車。1人は、朝まで飲んで帰るおじさん。ペットボトルの水を片手に千鳥足で乗ってきて、そのままロングシートにゴロン。
いわき駅は、平成に入ってからの駅名。以前は、平と言いました。
田んぼの中にある草野駅を過ぎ、四ツ倉駅からは海岸線が迫ってきました。
久ノ浜を過ぎると、末続まで短いトンネルが4つ。トンネルを出るたびに、三陸のリアス式海岸を思わせるかのように、海岸線が迫ってきます。
末続から広野までは、短いトンネルが6つありました。
最後のトンネルを抜けると、「広野」の名の通り広々とした田畑が広がっていました。
文部省唱歌「汽車」の一節、「とんねるのやみをとおってひろのはら」は、ここをうたったものだという説もありますが、実際に見てみると、次の木戸駅の手前がふさわしいような気がしました。
木戸駅の名物はホームにあるミニのお城。写真が不鮮明でよく見えませんが、左上に写っているお城は、職員が仕事の合間に作った物で、五層の天守閣の屋根には鯱がのっていて、コンクリートでできた石垣の回りには、堀を思わせる池がありました。
写真の隅に写っているペットボトルは、酔っぱらいのおじさんの物。まだ寝ています。
人の乗り降りがほとんど無かった車両に、竜田で高校生が乗ってきました。
富岡では、普通列車と行き違いのため4分停車。
富岡から夜ノ森にかけて、海に向かうように大きくカーブし、海が正面に見えてきました。小学校1年生の時に見た景色はここかなと思いました。
夜ノ森は、ホームの両側の斜面300mぐらいにツツジの木があり、土手の上には桜の太い木がたくさんありました。4月か5月に来てみたいものだと思いました。
夜ノ森で7~8人乗ってきて、車内は18人。空いています。
双葉で、高校生のほとんどが降りて、車内は10人に。
次の浪江で、酔っぱらいのおじさんが降りて、高校生14~5人を含む20人ほどが乗って来ました。
桃内で、普通列車と行き違いで3分停車。
次の小高では、特急列車との行き違いで4分停車。間もなく、原ノ町です。
原ノ町8時30分定刻、2番線に到着。
今度の列車は、原ノ町8時53分発常磐線仙台行き普通列車。到着したホームの3番線からの発車です。
8時48分到着の列車の折り返しということで少々時間がありました。
ここでは、あるものを探していました。目に入ったのは、向こうのホームに見えるポスター、五所川原立佞武多。
でも探していたのは、ポスターではありません。
ホームで待つのをあきらめ、買いに行こうとした時です、来ました。目立つ蛍光色のジャンパーを着た弁当屋さん。
ここ原ノ町は、東北地方で唯一、昔ながらに箱に入れての駅弁の立ち売りがある駅です。
普通列車にも弁当の立ち売りをするのにはびっくりしました。
目立つといえば、同じ電車から降りて仙台行きを待っていると思われる女性。年齢30歳前後、身長170㎝前後で容姿端麗。しかし、作業服に見えるグレーの上下を着て、首に白いタオルを巻き、手には時刻表一冊。よほどのことがないと、手に持ち歩く時刻表は小型の物なのですが、手にしている物は大判の物。何とも目立つのです。
列車が入ってきました。E721系クロスシート4両編成。
1両に12人ほどの乗車で、定刻発車。
東北本線と分岐する岩沼までは、単線です。
早速先ほど買った、「浜のかにめし」を食べることにしました。
かにのフレークを炒めているという点では、長万部のかにめしと同じですが、味付けが中華風のように感じました。
ちょうど食べ終えた頃、相馬で7~8人乗ってきて隣にも座りました。
駒ヶ嶺、新地と過ぎ宮城県に入りました。
この頃には、朝から曇っていた空も青空が広がり、日も差してきました…
気がついたら、名取を出たところでした。30分ほど居眠りをしたようです。その間に前の座席にも人が座り、車内は立っている人もいて満員状態になっていました。
仙台10時8分2番線到着。
つづく
※ この旅の1年7ヶ月後、平成23年3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震に伴って、福島第一原子力発電所事故が起こり、常磐線は現在も 竜田駅・原ノ町駅間と、相馬駅・浜吉田駅間が普通になっています。
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