※写真は後方展望です。
区界駅を出ると白樺が目立つ林の中を下っていきます。
区界駅を出ると白樺が目立つ林の中を下っていきます。
区界駅を過ぎたところから、盛岡市と宮古市を結ぶ国道106号が併走するようになります。現在、国道106号全線が地域高規格道路である宮古盛岡横断道路として指定され、バイパス建設や拡幅工事による整備事業が進行しています。
徐々に谷間に入って行くと松草駅です。
松草 マツクサ レ
国鉄時代は相対式ホームの列車交換可能駅でしたが、国鉄末期に交換設備が撤去され、今はその面影もない無人駅です。
国鉄時代は相対式ホームの列車交換可能駅でしたが、国鉄末期に交換設備が撤去され、今はその面影もない無人駅です。
この先、曲流する閉伊川を8回も渡ります。
3つ目の門馬トンネルの両側に位置する第9・第10閉伊川橋梁の上からは、天気が良ければ右手に一瞬、早池峰山頂が見えるはずなのですが…。
残念ながら宮古が近づくにつれて雨脚が強くなってきました。
平津戸 ヒラツト レ
上り盛岡行3本、下り宮古行2本が停車しますが、下り宮古行の始発列車は18時58分であり、これは全国の始発列車の中で最も遅い列車です。なお、2位は松草駅、3位は区界駅となっています。
上り盛岡行3本、下り宮古行2本が停車しますが、下り宮古行の始発列車は18時58分であり、これは全国の始発列車の中で最も遅い列車です。なお、2位は松草駅、3位は区界駅となっています。
両側から山の迫った峡谷の中をトンネルと橋梁で通過しながら少しずつ下って行きます。
左手に人家が見えると川内駅に着きます。
川内 カワウチ レ (運転停車10:14~10:19)
構内に入ってすぐ右手を振り向くと、蒸気機関車時代に使用されていた給水塔が見えます。
構内に入ってすぐ右手を振り向くと、蒸気機関車時代に使用されていた給水塔が見えます。
上り快速 リアス号の通過を待ちます。
蛇行の激しい閉伊川を橋梁とトンネルで串刺しするように進みます。
右手に家並みが見えてくると箱石駅に着きます。
箱石 ハコイシ レ
駅名は、地名に由来します。
「箱石」の地名は、集落の中央に箱に似た石があることに起因していて、その石は1メートル四方の箱型で、国道106号沿いの箱石神社に、陰に隠れるように置かれあるそうです。
また、箱石地区には源義経北行伝説の伝えられる神社が2つあり、一つは箱石にある「判官神社」で、平泉を脱出した義経主従がしばらくこの辺りに滞在し、鞍馬寺の毘沙門天を奉祀したと伝えられ、御祭神は源義経で、かつては判官権現と呼ばれていたそうで、義経と北の方の木像が安置されている境内一帯は、今も判官山と呼ばれているそうです。
一方、鈴久名にある「鈴ヶ神社」は、義経の愛妾「静御前」を祀ったものであり、ここには静御前の屋敷もあったと言われているそうです。鈴ヶ森神社は鈴現神社とも呼ばれ、甲冑姿の義経の像もあったと伝えられていますが、何度となく火災や洪水などのため建てえられたので現存していないとのことです。
駅名は、地名に由来します。
「箱石」の地名は、集落の中央に箱に似た石があることに起因していて、その石は1メートル四方の箱型で、国道106号沿いの箱石神社に、陰に隠れるように置かれあるそうです。
また、箱石地区には源義経北行伝説の伝えられる神社が2つあり、一つは箱石にある「判官神社」で、平泉を脱出した義経主従がしばらくこの辺りに滞在し、鞍馬寺の毘沙門天を奉祀したと伝えられ、御祭神は源義経で、かつては判官権現と呼ばれていたそうで、義経と北の方の木像が安置されている境内一帯は、今も判官山と呼ばれているそうです。
一方、鈴久名にある「鈴ヶ神社」は、義経の愛妾「静御前」を祀ったものであり、ここには静御前の屋敷もあったと言われているそうです。鈴ヶ森神社は鈴現神社とも呼ばれ、甲冑姿の義経の像もあったと伝えられていますが、何度となく火災や洪水などのため建てえられたので現存していないとのことです。
少し谷が広がり、閉伊川の蛇行に沿う様に進みます。
人家も目立つ様になり陸中川井駅へ着きます。
つづく
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