4日の中教審初等中等教育分科会で、「もう、やってられない」と現場の校長先生が発言したことが、教育新聞で報じられています。(「もう、やってられない」 中教審で現場教師の本音訴え)
記事から引用させていただくと、
「本当に時間的には一杯一杯なのに、(残業時間を減らす)働き方改革をやれ、と言われる。そこに新しいことをやらなければならない。現場では『言っていることと、やっていることが、全く違うじゃないか』と思っているのが現実だ」
「もっと想像力を持って施策をやらないと、現場はついてこない。現場がついて行きたいと思っても、ついていけない。次から次に要求があり、そこに働き方改革と言われる。これでは『もう、やってられない』と、現場の教師は思ってしまう」
「もっと想像力を持って施策をやらないと、現場はついてこない」という言葉は、とても重いと感じます。教育行政に対してはもちろんですが、議会も同じことが言えます。
学校現場は、新しい取り組みの重要性が語られる時、何かこれまでの取り組みを見直すということが苦手だという話を聞いたことがあります。新しいものを増やすならば、これまでの何かを見直さなければ、とにかくやることが積み重なっていくことになるわけです。
ユネスコの「教員の地位に関する勧告」では、「教員は、職責の遂行にあたって学問の自由を享受するものとする。教員は、生徒に最も適した教具及び教授法を判断する資格を特に有しているので、教材の選択及び使用、教科書の選択並びに教育方法の適用にあたって、承認された計画のわく内で、かつ、教育当局の援助を得て、主要な役割が与えられるものとする」と明記しています。
教員のなり手が少ないという問題が深刻ですが、先生の働き方それ自身は教育条件の根幹です。
日本共産党は、「教職員を増やし、異常な長時間労働の是正を ―学校をよりよい教育の場に―」を発表し、この立場で国でも地方自治体でも力をつくしています。
この政策の最後の節で次のように述べています。
「教育とは何か、教職員とは何か」を大切に
教員は労働者であるとともに、教育の専門家です。子どもたちは、人類が蓄積した文化を学び、他者との温かい人間関係のなかで、一人ひとりが個性的に人として育ちます。その人間形成を支える教員の仕事は、自らの使命への自覚、それと結びついた広い教養や深い専門的な知識・技能が求められる、尊い専門職です。
そうした教員の専門性の発揮のためには、それにふさわしい労働条件が必要です。授業の準備、子どもへの理解や対応、教育活動のふりかえり、教育者であり続けるための研究と人間的修養――それらが人間らしい生活のなかで保障されなければなりません。同時に、教育の営みには、教育者としての一定の自主的権限や自律性が必要です。これらのことは、教員以外の学校職員にとっても大切な観点です。
ところが今、教員は「ブラック」といわれるような異常な労働条件におかれ、教育の専門職に必要な自律性も奪われています。そのもとで、子どもの実情や保護者の願いに応じた、柔軟で人間味のある教育がむずかしくなっています。
日本共産党は、こうした教員のおかれた状況の打開を強く求めます。
本提言の目的、教職員の異常な長時間労働の是正は、その重要な一つです。同時に、まともな労働時間の実現は、専門職としての誇りと自覚をつちかう土台ともなるものです。
日本共産党は、多くの国民と教職員のみなさんと力を合わせ、教職員の異常な長時間労働をなくすために、全力をつくします。
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