(つづき)
陸前高田市は、被災した直後から外部との連絡が取れませんでした。市庁舎の上に避難をした人たちは、ラジオから聞こえてくる「陸前高田市からは何も連絡がりません。壊滅的です」という放送を耳にしていたといいます。
少々見にくいかもしれませんが、右側が震災前、左側が震災後の陸前高田の中心部の写真です。震災後の写真で水色の線が引かれている場所まで、津波は押し寄せてきました。
以下、陸前高田の藤倉市議の案内で市内を見せていただいた様子を紹介します。
◆市役所
4階建ての市庁舎は屋上まで津波が押し寄せてきました。市民と市長をはじめとした市の職員あわせて125人。屋上のさらにうえの屋根の上にあがり避難しました。
津波はひかず、海面より上に見えるのは市役所とホテル、そしてスーパー。津波が押し寄せてきた海の中がどういう状態になっているのか、わからなかったそうです。
避難をしてきたおばあちゃんが「明日、家の掃除大変だわー」と。そういう言葉が出るほど、想像できない状態でした。波が引いた時にはすべてが流されてしまっていたのです。
市役所の職員も、正規職員295名中68名が犠牲になり、非正規の方を合わせると106人が犠牲になりました。
◆地域会館
市役所の目の前にある地域会館には、教育委員会などの部署が入っています。本来ならば避難場所になるところですが、今回の津波は地域会館ごと飲み込んでいきました。
教育長をはじめ、教育行政の職員の多くが津波に飲み込まれました。若手幹部の職員が市民を誘導し、避難が遅れ犠牲になったといいいます。
日本共産党の及川一郎市議も、市民の避難誘導を誘導している際に津波の犠牲となりました。
◆雇用促進住宅
直前に厚生労働省から買った、雇用促進住宅。
JR大船渡線の線路があった場所ですが、いまは何もありません。
◆商店、漁業
広田湾のわかめ、カキなどの養殖漁業、定置網のサケ漁などは壊滅です。船もすべて流されてしまいました。
今年の1月に漁民の方10人でカキの作業小屋を建てました。ひとり1500万円。 漁協でも、3億円をかけて水産加工工場を建てましたが、稼働前に何もなくなってしまったのです。
多くの方は、借金をして船を買い、漁業をおこなっていますが、そのすべてを一気に失うことになりました。
「せめて借金は国の責任でチャラにしてほしい」という切実な声。「雇用保険に入っていた人には失業手当が出るけれど、自営業には出ない。何とかしてほしい」という声などこれまでの法律の枠を超えた対応が必要です。
(つづく)
┏┓池川友一(日本共産党町田市議会議員)
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