角界の異端児・逆鉾を偲ぶ

 
 現役時代に関脇を9場所連続を含めて12場所務め引退後は親方
として横綱・鶴竜を育てた逆鉾=井筒親方が、16日に膵臓ガンの
疑いで急死したとの事。
 
 逆鉾といえば元関脇・鶴ヶ嶺の井筒親方の次男で長男の鶴嶺山と
共に関取に昇進して話題になり、三男の寺尾も含めて井筒三兄弟で
有名になった事で存在を知った。
 
 立ち合いからのもろ差しが代名詞で懐に入ると一気にがぶり寄り
を見せたり投げを打つなど技能相撲を得意としており実際に殊勲賞
5回、技能賞4回と計9度の三賞を受賞しているのだから横綱や大関
にはなれなかったものの名三役だったというイメージだ。
 
 ここまで活躍すれば大関候補の呼び声が上がるはずなのだが関脇
を9場所連続で務めた87年から89年までは横綱に千代の富士や北勝
海に大乃国や双羽黒、大関には朝潮や北天佑に若島津と旭富士など
横綱&大関陣が名を連ねており二桁勝てなかったとはいえ横綱&大関
の誰かに勝ち小結以下の力士に取りこぼさないで初めて勝ち越しと
いう状況だったのだから大したもの。
 
 父親の鶴ヶ嶺も元関脇ではあるが1場所しか務めてないので実績
から見ても父を越えたという言葉は大げさではないし、永遠の大関
候補というのは分かるだろう。
 
 また雑誌Numberでは‘ここ一番待ったなし’というコラムを担当
しており、わりあい歯に衣を着せない内容は面白かったし特に元
横綱・輪島が不祥事で角界を追放された時のコラムでは‘自分達も
父親が親方だったという事から相撲の常識の中でどっぷりと嵌って
生活していたので角界の常識が一般社会の非常識という事が多々あ
り輪島さんの事も理解できる’的な記事で世間がこぞって輪島の悪
口を書いている時に輪島を擁護する論陣を張っていたのが印象的
だった。
 
 こういった記事を読むと頭のよさが滲み出ているし、大相撲ダイ
ジェストなどで名解説をしていた父親譲りなのかと思ったりもした。
 
 親方になって特に井筒部屋を継いでからは持ち前の理知的なコメ
ントが影を潜めてしまい、今ひとつ物足りなさを感じたのだが体制
派に入るとダメだったのかとも思う。
 
 正直言って定年退職したら北の富士のようなキャラで以前のよう
なコメントを聞きたいと思っていただけに、若過ぎる逝去は本当に
残念だ。
 
 
 
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