ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
大橋秀行最後の勝利から30年
今から30年前の今日92年10月14日に両国国技館で行われたWBA
ストロー級タイトルマッチで前WBC王者の大橋秀行が、王者・崔
熙墉に3-0の判定勝ちで世界王者に返り咲いた。
試合は立ち上がりから足を使って距離を取ると思われた王者が
意外にもファイター然として接近戦を挑み頭を付けて打ち合うも、
ラウンドを重ねるごとに大橋がボディを中心に反撃し一進一退の
攻防が続くがTVで見ていた感じでは大橋の強打が僅かに上回った
ように思えた。
ただ大橋は王者の突進を額で受け止めていたためコブのように
腫れ上がっていたので大丈夫か?と思っていたら、判定は意外に
大差で大橋の勝ちとなり場内は大盛り上がり。
ただ この勝利が‘150年に1人’と言われた大橋にとってキャリア
最後の勝利になったのである。
大橋は強打のカウンターパンチャーで特に右のカウンターは名
王者・張正九2戦目でダウン寸前に追い込んだようにライト級の
威力を持つと言われたのだが、初黒星を喫した後の世界王者・金
奉準や7戦目で世界挑戦した張正九第1戦など距離を詰められると
カウンターを取る距離を取れずに押し切られた形。
そこで接近戦用に左アッパーのボディブローを習得し、初めて
タイトルを取ったWBCストロー級王者・崔 漸煥戦のフィニッシュ
ブローが正しくコレ。
つまり韓国勢は大橋を攻略するには強打が生きない距離で戦う
ため接近戦を挑めば手数が少ない事から勝てると思っていたのだ
ろうし、初の海外防衛戦という事もあり崔熙墉は持ち前のアウト
ボクシングをかなぐり捨てて接近戦を挑んだのではないかと思う。
しかし大橋は左アッパーのボディブローを習得する事によって
対抗した形だが、どうやら目を傷めていたらしくプロ入り前後は
動き回る相手を追い詰めて倒すのが得意だったのが逆に引退理由
にもなった網膜裂孔もあって捉えきれなくなっていたのが実情で
逆にガンガン前に出てくる相手の方が得意になっていた感が強い。
結果的に崔熙墉は接近戦を選択したのだが、彼本来のアウトボ
クシングをされた方が嫌だったのではないかと思う。
ちなみに崔熙墉を日本に呼ぶため勝った場合は1位チャナ・ポー
パオイン、2位カルロス・ムリージョとの指名試合を立て続けに行
い3度目は韓国で再戦という厳しい条件付きだったようだ。
もっとも翌年2月のチャナ戦で大橋は動き回る挑戦者を捉えきれ
ず判定負けしてタイトルを失っただけでなく、目の異常を訴え網
膜裂孔で引退する事になったわけで崔熙墉戦が大橋最後の勝利に
なったのである。
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